◇2000年8月号◇
[見出し]
今月号の特集
夢
父の俳句
「バルコクバララゲ・宮沢賢治の授業」
2000.8.1
夢
一連の賢治劇は養護学校の生徒たちが演じるのにはむずかしすぎる
という感想を持たれる方も多いと思います。
特に重度校の先生方はそう考えられる方が多いでしょう。
「賢治先生がやってきた」、「ぼくたちはざしきぼっこ」はすでに上演していますし、
また「イーハトーブへようこそ」は読み合わせをしたりはしています。
また「チャップリンでも流される」は、上演可能だと考えています。
しかし、「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」となると、生徒たちだけで演じきるには、
荷が重すぎるのです。「賢治のイフはめんだうだ」はもっと論外です。
だから、わたしとしては、ボランティア劇団と生徒たちの共演、
あるいは教師と生徒たちの共演という形で上演するのが一番理にかなっていて、
実現の可能性があるというふうにひそかに期待しているのです。
地域のボランティア劇団が、大道具や小道具を持って回ってくる。
賢治先生や風の又三郎など主要人物を演じるのは彼らで、生徒たちは、
生徒の役で出演するのだが、前もって台詞の練習などをしておく。
1、2回のリハーサルをして、学校の舞台で本番。それを鑑賞する生徒たちは喜んでくれること請け合いです。何しろ自分たちの仲間も出演しているのですから。それに賢治先生は、やはりどこかからやってきた「まれびと」(折口のいう)が演じた方がそれらしくていいように思います。
生徒たちはもちろん宮沢賢治なんて、名前も知らないでしょう。
わたしの勤務する高等養護学校では、名前だけは知っているものもいくぶんかはいますが、
賢治先生がどのような人物かは、知らないに等しいはずです。
そこであらかじめ宮沢賢治について勉強しておく必要もあるかもしれませんが、
でも宮沢賢治について知ってもらう劇と考えたっていいわけです。
宮沢賢治に触れることはそれだけの値打ちのあることだと思うのです。
どちらかの劇団の方々、そんなふうなボランティア活動を計画してもらえませんでしょうか。
おそらくそんなかたちでしか、たとえば「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という劇は、
上演されることはないような気がします。だからそれがわたしの夢なのです。
2000.8.1
父の俳句
「うずのしゅげ通信」のバックナンバーを見ているとどうも肩に力が入りすぎているようです。
それでなくても暑いのに、もうすこしさっぱり味でゆくことにします。
わたしの父は、若い頃すこし俳句をかじり、五十歳くらいでふたたびはじめたので
合計すると俳句歴四十年有余といったところでしょうか。そのわりには上達していません。
それでもなにやらそれらしい俳号までもっています。素由というのです。
十年ばかり前に、喜寿の祝いをかねて「万年青(おもと)の実」という
句集を出したこともありますが、ほとんどはただものの日常詠ばかりです。
そんな中に、たった二つですが気に入っている句があります。
秋の蚊の妻の乳房につまずける
目づまりの印二つ捺す夜学生
二つ目の句は、父の師匠筋の誰かの著書に引用されているのを見せられたことがあります。
夜学生の持っている印鑑、おそらくは家から持ってきたものです。
その印鑑、掃除などしたことがなくて目づまりをしている。何かの配達か、
おそらくは現金書留が送られてきて、その受け取りに印鑑を捺したのですが、
なにしろ目づまりしていて字がはっきりしない。しかたなくもう一回印を捺している。
それだけのことなのですが、何かおかしい。古めかしいのですが、
それでいておかしさの気配がある。もともと俳句は俳諧といわれていて、
諧謔を詠み込むのが本筋だったはずですが、この句にはその俳諧味があるように思います。
何でもない句ですが、それが師匠に採られた理由でしょうか。
何でもなさは、最初の句でも同じです。猛々しい夏の蚊とちがって、
秋の蚊は弱々しげです。ふらふらと飛んできて、
浴衣からのぞく萎びたような妻の乳房にとまりかけ、つまずいたふうに姿勢をくずして、
また飛んでいった、そんな様子が目に浮かびます。ちょっとエロチックな感じもありますが、
俳諧味とない交ぜられていて、嫌みはないように感じられます。
その母も逝ってすでに七年になります。母が亡くなったころ、生徒に親を亡くすということ、
あるいは死ということについて話をしたことがあります。
そのとき考えたことが「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」
という脚本のもとになっています。そのことを思うと、
この「銀河」の脚本も自力で書いたつもりでいますが、
じつのところ母の死というものを契機にして書かせてもらったんだなと、
そんなことを考えてしまいます。現代人はもっと他力というものに謙虚にならないと
いけないのかもしれません(このあたり何となく五木寛之調。)。
最近とくにそんなふうに感じることが多いように思います。
この作品はまだ上演できていません。高等養護の生徒にはむずかしすぎるのでしょうね。
でも、「死」ということについて、どのようなかたちでか、
養護学校の生徒にも話をしていかなければならないことは明らかだと思うのです。
もし、幸運にもこの劇が上演できるとすれば、
最初に書いたようにボランティアとの共演という
形にならざるをえないと期待しているのですが。
お盆を控えてそんなことを考えてしまいました。
2000.8.1
「バルコクバララゲ・宮沢賢治の授業」
NHKドラマDモードで「バルコクバララゲ・宮沢賢治の授業」
(脚本・畑山博)を見ました。1992年に放映されたドラマのリバイバル放映のようです。
当時見た記憶がないので、見過ごしたのでしょうか。
「宮沢賢治」という活字には特に敏感に反応するはずなんですが。
畑山博の「教師 宮沢賢治のしごと」という本を読んだことがあります。
花巻農学校時代の教え子の証言に基づいて、賢治の授業を再現するといった本で、
今回のドラマはその本をもとに制作されたようです。
畑山博は、わたしの好きな作家の一人なのですが、
賢治先生に対してはすこし偏執的ともいえる拘りをもっているようです。
「私が、この今の人生を全部投げ出してでも、生徒になって習いたかった先生でした。」
という入れ込みようです。だから、せめてものことに、彼は賢治の教え子に聞いて回り、
賢治の授業を再現したいようなのです。代数の授業、英語の授業、土壌学、肥料学、
音楽演劇教育、国語の授業。賢治先生、何でも教えていたんですね。今回のドラマは、
それらの授業からそれらしい内容を集めて植物学の一時間の授業を作り上げたようなものでした。
授業というものに主眼があって、ドラマとしてはできがよくなかったように思います。
賢治役の竹中直人も例の熱中演技の見せ場がなかったようです。
ドラマとしては、今一つといったものでしたが、
賢治の授業はよく再現されているように思いました。賢治の授業のどこがすごいのか?
養護学校の教師として学ぶべきはどんなところにあるのか?と、
いったことを考えてしまいました。というわけで、「教師 宮沢賢治のしごと」
(小学館)を探し出して来ました。
本の埃をはらって、さて開いて見ると、以前に読んだときの折り込みがあり、
傍線も引かれています。大正十年十二月三日、
稗貫農学校の生徒の前に賢治がはじめて登場したときのことです。
「『ただいまご紹介をいただいた宮沢です。』とだけ短く発言してひっこんだ。」
というところです。
この挨拶は「賢治先生がやってきた」を書くときにつかっているのです。
「賢治先生がやってきた」は、生徒たちが、賢治先生の授業の多彩さにふれて、
「いったい賢治先生は何の先生なのだろう、ふしぎな先生だな」
と追及していくという筋書きになっています。そして最後には、禁止を破って理科室を覗き、
銀河鉄道の秘密をかいま見てしまったために、「見るなの座敷」の伝で、
賢治先生は去っていくというパターンです。しかし、賢治先生の具体的な授業については、
再現とまではいきませんでした。養護学校ということもあるかもしれません。劇の中では、
園芸の授業にすこし工夫をこらしたり、「銀河鉄道の夜」に出てくる天体の授業を再現したり、
というにとどまりました。
そこで、あらためて賢治先生の授業のどこがすごいのか?
直観ですが、それはすべての知識があきらかに賢治先生の内面をくぐって
出てきているというところにあるのではないでしょうか。内面をくぐってきた知識には、
すべて命が吹き込まれているのです。
ドラマの中に(植物学の授業)、水が蒸発して、雲となり雨として降ってくるということを
説明する場面がありました。わたしも理科の授業で天気の話の中で同じような話をすることがあり
、自分に引きつけて見てしまいました。
ドラマではこうです。どんなふうに知識が命の息吹をおびるかを見てください。
賢治先生「降る、降る、降る、じべたにはげしく飛び降りた
雨はそのまま地表を流れていく。(中略)水の行く先はどこですか?中田くん」
中田「はい、それは、低いほう、低いほう」
賢治「そして?」
生徒「北上川に入って、石巻湾まで流れていくちゃ」
賢治「海ですね、行く先は海ですね。水たちはだれよりも一番の旅好きなんです。
そうやって海にでて、しばらくは波に乗ってまっています。
そしてある日又空がかんかんでり、熱せられた海の水は蒸発してどうなります?
生徒「くも」
生徒「透明水分」
賢治「そうそうそう、雲はやがてひえはじめます。
すると水の分子が凝縮して体が重くなっていきます。必死になにかにすがりつこうとします。
ところで、空気中には地上から吹き上がったいろんなごみの粒、ちりが浮いています。
人間たちには役に立ちそうもない目に見えない小さなちりです。」
ここで黒板消しを手にして、それを手ではたいてチョークの粉をとばします。
賢治「この丸顔のデクノボウみたいなちりたちにも実は存在することの意味があります。
このちりに水の分子はすがりつきます。そうしてできるのが雨です。
水の分子が彼らだけでいくらがんばっても雨にはなれないのです。」
これだけの引用でもわかります。賢治の内面をくぐることで、すべてのものが、
水も、水分の、ちりも命を与えられてくるのです。
そこにあらわれるのはアニミズムの世界ですね。しかし、科学的な知識はしっかりしています。
賢治は、科学的に裏打ちされたアニミズムの世界を生徒の前で展開している
といったふうに見えるのです。そこから、かつての教え子のつぎのような証言が出てくる
のかもしれません。
「頭で覚えず、いつでも身体でおぼえなさい。すると知識に感動出来るのですよ。
詰めこみでは何も理解出来ない、ただ感動せよ、と言われましたね。」
この手法は養護学校の生徒についても有効だとわたしは考えています。
もちろん水の分子といったものまで登場させるのはむりですが、
水やちりならわかってもらえると思います。アニミズムの世界に生徒たちは、
違和なく入り込めるのではないでしょうか。ただ、自閉的な傾向をもった生徒の中には、
アニミズムを極端に苦手にするものがいるようで、
それはまた別に考えていかなければならないと思います。
現在の教育の荒廃に対して、畑山博は「個性とルールの調和」という処方を提唱しています。
そして、その方向での教師の試み、「(個性とルールの調和を問いつづける)
教師たちの思索のルーツをたどると、必ずといっていいほど賢治にたどりつくいうことに、
私はある戦きをおぼえてきた。」とまで言っています。ここで畑山のいう個性とは、
まずは生徒の個性であり、ルールというのは社会的なルールのことでしょうか。
ルールが個性を抑圧するのではなく、調和するような授業ということでしょうか。
あるいは、個性とは教師の個性であり、ルールといいうのは、
科学的な法則といったものかもしれません。
教師の個性をくぐってきた知識こそが貴重なのであって、
たんなる知識など何も学校に行かなくても本を読めば足りるのですから。
個性というのは、知識への命の吹き込みかた、比喩のあたえかたなどにおのずとあらわれて
くるものでしょうか。それが、科学的な知識に裏打ちされているとき、
それほど強いものはないように思います。もう一つは、個性というのは、
生徒個々がこれまでの成長のなかで蓄えてきた経験の総体であり、
学校で教える知識、ルールというのは、それを含み込むようなかたちの
ものになっていなければならないということでもあるように思われます。
そのようなこともあって、畑山は「賢治こそ、今のこの荒廃した教育状況の中に
灯すことの出来る、唯一具体的でリスクの少ない教育ヴィジョンなのだと
私は確信するようになった。」というのです。かくいうわたしもまた、
養護学校の教師としてのもっともふさわしい人物像を賢治に見つけて、
そこから抜け出せないでいるのだから、畑山博の気持ちもたいへんよく分かるのです。
賢治は、結局四年と少しで教師を辞めます。
時代に先駆けた彼の創造的な教育が受け入れられなかったのでしょう。
辞めるに際して書いた「生徒諸君に寄せる」という詩の一部を
引用させてください。
この四ケ年が
わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
鳥のように教室でうたってくらした
誓って言ふが
わたくしはこの仕事で
疲れをおぼえたことはない
(後略)
教師たるもの、願わくばこうありたいものですが。
たまたまNHKドラマの「バルコクバララゲ・宮沢賢治の授業」に、
理科の教師として自分も教えている天気の話やら、
雨や雲の話やらが出てきていろいろ考えさせられることがあったので
「うずのしゅげ通信」で取り上げてみました。でも、出来上がってみると、
またまた今回も結構長い肩の凝る話になってしまいました。
「うずのしゅげ通信」にもどる
メニューにもどる