◇2000年11月号◇

[見出し]
今月号の特集

理想は高く!

高木仁三郎さん、追悼

障害者の性




2000.11.1
理想は高く!

「はじめに」で触れているように、わたしは養護学校の教師ですが、 生徒にどこまでの水準を要求するかということは、つねにこころに引っかかっている問題です。 そのことで考えさせられる記事を新聞に見つけました。
「知的障害者も大学でキラリ」という見出しです。
教科の内容を考えているとき、こんなことを教えても無理かな、 とつい考えてしまうことがあるのです。もっと要求水準をさげるべきか、という迷いです。 しかし、教師が要求水準をさげたとき、生徒はそのレベルまでしか伸びることができない。 それは明らかなのです。
普通校でも同じではないでしょうか。教師が理想水準をさげたとき、 生徒はそこまでしかのびない、という面もあるのではないのでしょうか。 もちろんそんな足枷などものともせずに、乗り越えていく生徒もいるでしょう。
しかし、知的障害の生徒はどうなのでしょうか。教師が理想を落としたとき、 もろにその影響を受けてしまうのではないでしょうか。 もっとも、理想が現実とかけ離れて高すぎてもまた問題でしょう。 その新聞記事はそのような迷いの参考になるものでした。
知的障害者が大学で学ぶ?大学の自由を味わいたい?さらに学問をしたい? でも、そんなことは無理ではないか、ついそう考えてしまいますね。 しかし、大学の学問はむずかしいからとはじめからあきらめるのではなく、 大学の学問を彼らにも理解できるように構成し直して、彼らなりに理解してもらう、 その試みが大事なのだということがわかります。 われわれもひごろそう考えて努力すべきなのだと、反省を迫られるものでした。

朝日新聞10月1日「知的障害者も大学でキラリ」
「3年目のオープン・カレッジ
知的障害のある人たちに学んでもらう「オープン・カレッジ」が、今年で三年目を迎えた。 養護学校を卒業した後は教育を受ける機会が少ないため、 大阪府と兵庫県の大学で社会福祉を研究する教員・学生らが、学ぶ場を提供しようと始まった活動。 (中略)
九月二十三日、桃山学院大社会学部では、石田易司教授(社会福祉)のレクリエーション論で オープン・カレッジが始まった。石田教授が「レクリエーションの始まりは人との出会いです。 気に入った人がいたらまず握手をして、名刺を交換して下さい」と呼びかけた。 受講生らは手製の名刺三枚ずつを持って教室の中を回り、お互いに自己紹介。 教室のあちこちで笑い声が起きた。受講生の一人には「サポーター」という大学生が付きそう。 受講生らの活動を手助けし、時には相談相手になる同級生のような存在だ。 (中略)大阪府寝屋川市から参加した中山善之さん(31)は 「養護学校を卒業してから久しぶりに学校で学んだ。友だちもたくさんできた。 もっといろいろ勉強したい。」と話す。
知的障害のある人たちが、高校にあたる養護学校高等部を卒業した後、 進学を希望しても受け入れる大学や専門学校はほとんどない。 こうした人たちが教育を受ける機会をつくろうと大阪府立大(大阪府堺市)で、 社会福祉学部の安藤忠教授らが1998年8月に初めての夏季オープン・カレッジを開いた。 この時に参加した他大学の教員や学生らが中心になり、99年には武庫川女子大、 今年は桃山学院代が受け入れた。(中略)大阪府立大に通う二十四人の一期生は、 現在「三回生」だ。九月三十日の夏期講座では、これまで学習したテーマごとのゼミに分かれ。 研究発表をした。来年は卒業論文に取り組む。安藤教授は「障害の有無にかかわらず、 すべての人が自分の個性に応じた高等教育を受けられるべきだ。 将来は各大学間で「単位互換」や「交換留学」も実現したい」と話している。」


2000.11.1
高木仁三郎さん、追悼

高木仁三郎さんが亡くなられました。
高木仁三郎さんといえば、原子力資料情報室を起こされ、ながくその代表として、 反原発の立場から原子力に関する情報を提供されてきました。 JCOの事故のときもそのホームページには世界から一週間で 40万件というアクセスがあったといいます。 ちなみにわたしもそのホームページを「お気に入り」に登録しているのです。 高木さんの科学的な批判そのもの、あるいは運動や組織がそれほどに信頼されるまでになっている ということでしょうか。還暦に近づいてガンを病み、代表からは退いておられましたが、 高木学校という市民科学者をそだてる活動も立ちあげておられます。
わたしも高木さんの著書から学んだことはたくさんあります。 とりわけ高木仁三郎を身近な存在とみなすようになったのは、 彼もまたこころのなかで宮沢賢治と対話しつつここまで来たのだと知ってからです。 宮沢賢治についての講演をまとめて、 「宮沢賢治をめぐる冒険−水や光や風のエコロジー−」(社会思想社) という本が出版されています。これは数多い賢治本のなかでもとりわけすばらしいものです。 おのれの科学者としての反原発活動の中で生じた切実な問題意識をもって賢治と 対話しているからです。
「宮沢賢治をめぐる冒険」のあとがきで、彼はつぎのように書いています。

「むしろこれは、賢治にことよせて、 私の科学論と自然論をエッセイ風に書いた形になっていて、 賢治についての興味から本書を手にとられた方は、 少しがっかりするかもしれないと思う。」


わたしはもちろんがっかりなどしませんでした。高木さんの問題意識の切実さが、 賢治の思想とかみ合っているのです。彼が市民科学者として真剣に宮沢賢治に向き合うとき、 おもしろい内容をもたらすことは明らかです。 比べるべくもありませんが、わたしもまた賢治に向き合うときそうありたいと思ってきました。 わたしの場合は、養護学校の教師の視点から賢治に向き合いたいということです。 そんなふうに賢治を読んできたように思うのです。賢治の文学はそれにたえる多面体ですから、 そこから何かをつかみ出すことができるのです。 そうして、宮沢賢治からヒントをもらい、生徒や保護者とともに生きる中で生まれたのが 一連の賢治劇だと考えています。
それにしても、高木さんからはいろんなことを学ばせていただきました。 享年六十二歳、あまりに はやい死でした。ご冥福をお祈りいたします。


2000.11.1
産経新聞「性の権利もつ人間として」より

産経新聞が障害者の性の問題を特集している。
現在も連載中だがその記事からこころに残った箇所のいくつかを引用をする。

10月4日
大阪・キタの書店である日、 「障害をもつ人たちの性ー性のノーマライゼーションをめざして」(明石書店刊) という本を見かけた。手にとってペラペラとめくっていくと、 ハッとさせられる一文が目にとまった。何度も読み返した。
「障害をもつ人は、障害の種類や重軽に関係することなく、 彼らが紛れもなく人間であり、人間が動物であるという明白な理由で、 性をもつ人たちとして自らが認識し、他の人々にも認識させていく必要があります」
序章の中にある一文。障害者にも「男性」「女性」の「性」がある。当たり前のことだ。 しかし、わたしたちは無意識のうちに、障害者を男性でもない、女性でもない、 ある種「無性」の存在のように思っているのではないか。

障害をもった人たちも「性」がある、これは言うまでもないことだと思います。 彼らが紛れもなく「性をもつ人たちとして自らが認識し、 他の人々にも認識させていく」ということについては、わたしもそういうふうに考えています。 さて、そこからが問題です。

10月5日
「生殖と快楽、コミュニケーション。この三つの性に関する権利は、 障害をもつ人においても認められるべきこと」。 自立生活問題研究所所長の谷口明広さん(44)はこう問題提起し、 さらに「障害があったら、スキンシップという性的なコミュニケーションすら認められないのか」 と続けた。
谷口さんは、性を自分自身の問題でもあるととらえ、桃山学院大や同志社大大学院で研究するが、 米国・バークレーへ留学をきっかけに、 障害者の性への関心の度合いがより大きなものとなっていった。 「(向こうでは)障害をもつ人たちが伸び伸びと性を語っていた。 また、個人のプライバシーが第一に考えられ、障害者もみんな個室を持ち、性に関して抑圧されることはなかったと思う。日本では考えられないことだ」と振り返る。
日本では、障害者が子供のころから一人になることが少なく、 介助するために親たちがそばを離れないことが多いという。「帰国して再認識した。 日本では障害者のプライバシーが当たり前のように制限される。 もっと自由にふるまえるようにすべきと思う。これでは出会いも少なく、 恋愛もしにくいだろうし、性の話もできない」。
こうした環境も影響してか、障害者の多くが自分の意志で行動することを苦手とし、 依存的な生き方になりがちであるというのが、谷口さんの考えだ。
「障害者が周囲の人から服装や髪形を決められ、 恋愛や性に対しても個人的規制や社会的制限を受けるならば、 人間が持つ本能までもが危険にさらされていることになる」。極論にも聞こえるが、 障害を持つというだけで、スキンシップなど性を表現する権利が阻まれるのであれば、 正論なのかもしれない。
が、谷口さんはこうも言う。「私に賛同する人と同じ数だけ反対する人がいるのも事実。 障害者を性に関心を示さない者として、『寝た子を起こすな』という親も多い。 だから障害者の性を語るのは難しい」。

「生殖と快楽、コミュニケーション。この三つの性に関する権利は、 障害をもつ人においても認められるべきこと」。このことはどうでしょうか。 わたしはその抑圧に教師として荷担していないだろうか、ということです。 そんなふうに自問自答して、はっきりそんなことはないと打ち消すことができないのです。 「寝た子を起こすな」とは思いません。しかし、 「生殖と快楽、コミュニケーション」を権利として認めているでしょうか。 わたしは「快楽」としての性を否定しようとは思いません。だから、 「イーハトーブへようこそ」でも述べたようにマスターベーションを「一人の性」として 肯定しています。しかし、「生殖とコミュニケーション」に関係する「二人の性」は、 どうでしょうか。「イーハトーブへようこそ」では、結婚を前提にしているのです。 なぜそうなのか?それは、安易に肯定したとき生じるかもしれない問題を恐れているからです。 自分が好きだとなると相手の思惑には関係なくつきまとったり、 性の欲求をコントロールできなくて軽犯罪的なことに及んだり、 ついそんな心配をしてしまうからです。杞憂でしょうか、しかし、 それらしい話を耳にすることもあるのです。だから、生徒を相手にしたとき、 どちらかというと保守的な無難な形で言い切ってしまうことが多いのです。 生徒に向き合う教師のそのへんが限界でしょうか。 そんなふうに言ってしまってはいけないのでしょう。 それは生の尊厳にかかわっているのですから。しかし、そのジレンマも深いのです。 その点を分かってもらえるでしょうか。もっと先進的なこころみのあることは知っています。 しかし、制度的に完備していない現在において、 どうすればそんなふうに言い切れるのか分かりません。

10月11日
(脳性マヒの池田)まり子さんは「養護学校時代の障害者の友人の多くが、 私のように恋愛を楽しみたかったと思う。すべてがそうではないと思うけれども、 両親や先生たちが恋愛や性に対して、ストップをかけているような雰囲気があった」 と当時を振り返る。
さらに、こう続けた。「私たちが性や恋愛に目覚めないように、 親や先生が抑圧していたような気がする。目覚めても先がない。 将来がない。恋愛なんかより、自分のことは自分でできるようにしろとでも言いたげだった。 そう言われると、みんなあきらめちゃうんです。発展がなく、新たな出会いもないのです」。

「親や先生が抑圧していた」といわれる教師のひとりで、わたしもあるのでしょうか。
しかし、教師として、「生殖と快楽、コミュニケーション。この三つの性に関する権利は、 障害をもつ人においても認められるべきこと」という信念を、 ストレートに実践するのはなかなか難しいのです。杞憂に縛られているからでしょうか。 卒業生を信じればいいのでしょうか。これらのことについて意見を聞かせてください。


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