◇2001年5月号◇

[見出し]
今月号の特集

原爆を板にのせる方法?

井上陽水はやっぱりすごい

「賢治先生がやってきた」は8つ星の星座?




2001.5.1
原爆を板にのせる方法?

井上ひさし作の二人芝居「父と暮せば」(新潮文庫)は、 残念ながら実際の舞台に接する機会はまだですが、 テレビ放映されたドキュメンタリー番組でその一部を見、また脚本を読んだかぎりでは、 なかなかすばらしいできのように思われます。
被爆して目の前で死んでいった父が、まったく偶然生き残ったがために 自責の念に苦しむ娘のもとに幻となって現れるという仕掛けは、 被爆者の心理を語るためのまたとない自然な仕掛けになっています。
被爆体験を文学でどう描くか、これはとてつもなくむずかしい問題をはらんでいます。 原爆手記を井上氏は、人を励ます聖書にも匹敵することばと思いなし、 繰り返し読み込んでこられたようです。被爆者でないものが原爆を主題に扱おうとすれば 、被爆者の手記を己の表現とするまで読み込むか、あるいは「黒い雨」のように 日記を引用させていただく、そういうやり方しかないのでしょう。井上ひさし氏は、 そのゆえに、聖なることばを読むようにして原爆手記を読んでこられた。 手帳に書き写してもこられたのです。そこに見出されることばが、 「父と暮せば」の中にふんだんに織り込まれているらしいのです。 井上氏の被爆者のことばにたいする真摯な態度にわたしは脱帽しました。 「父と暮せば」は、井上氏のたゆまぬ努力のすばらしい成果であると考えています。
しかし、原爆はすでに五十五年まえ、半世紀以前のできごとであります。 広島を訪れた修学旅行生たちを前にしても、被爆者の語る声がだんだんと届きにくい 状況になってきていることは否めないのではないでしょうか。被爆経験が、 もはや過去のこととして、色あせたといっているわけではありません。 たとえば、一つの例で言えば、被爆者の見る夢はいつまでもあざやかに生々しいはずなのです。 しかし、時間経過の重み、これは認めざるをえないのではないかということなのです。半世紀がたち、 被爆者の高齢化が進み、語り部としての活動から引退する人たちがふえて、 語り部の会が解散するというニュースまで聞かれる現代だからして、 原爆に関してどのような文学表現がありえるかと、考え込まざるをえないのです。 そのことがずっと頭にあって、かろうじて思いついたのが、つぎのような仕掛けなのです。
原爆の投下から半世紀を隔てて、賢治先生がきょう、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の とあるステーションで広島のピカをみるという想定です。そのときヒロシマの 原爆のひかりが賢治先生に届いたのです。歴史事実としては、地球歴で五十年以前の ことではあっても、1933年(昭和八年)に亡くなってから銀河鉄道に乗って、 五十五光年を旅してきた 賢治先生にとっては、原爆の投下は、はじめて知ったという意味でまさに今のできごとなのです。 そこには地球時間では五十五年の経過があるとしても、賢治先生の今においては、 今の切実さは幾分なりと保たれているはずなのです。それまでは賢治先生はヒロシマ、 ナガサキの悲惨を知らないままに、のほほんと銀河鉄道の旅を楽しんでいたのです。 そして今日、悲惨の事実を知らされたのです。
考えてみると、賢治先生が経験した事実は、 戦後世代の若者がはじめて原爆のことを聞かされた状況と似ていないでしょうか。 地球での五十五年という時間経過は、劇中では五十五光年という距離に 変換されているだけなのです。修学旅行生が広島にいってはじめて現実を知らされたという状況、 それは、まさに昭和八年に死んだ賢治先生が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅で はじめてピカを望見したという状況とたいして変わらないように思うのですが、 どんなものでしょうか。それが「地球でクラムボンが二度ひかったよ」を書いた 動機なのです。井上ひさしさんのようなやり方は、わたしには困難であると考えたがゆえに、 このような方法を考えださざるをえなかったのですが、そのような状況を設定したために、 原爆開発の問題や核の均衡による冷戦、核の冬の問題などについても盛り込むことが できたのでした。
追伸1
言うまでもなく、現在も地球を中心とする半径五十六光年の球体の外では、ヒロシマ、 ナガサキの悲惨は知られていないのです。光の速さ以上の速さはなくて、 原爆投下の情報もまた光の速さを越えては伝わらないからです。原爆以前と以後の断裂は、 球面として広がりつつあるのですが、地球の汚名は、まだ宇宙のほんの一郭に とどめられているわけです。そんなことを考えていると宇宙とか時間とか歴史とかは、 なんとふしぎなものかと考えてしまいますね。
追伸2
「父と暮せば」で美津江に思いを寄せる青年(木下)の出身は岩手県とされていて、 夏休みがとれたら岩手へ来ないかと誘われているのですが、そのことを父に打ち明ける場面で、 宮沢賢治のことが出てきます。「童話や詩をえっと書かれた人じゃ。 この人の本はうちの図書館でも人気があるんよ。うちは詩が好きじゃ?」 という美津江のセリフがあるのです。劇が想定されている昭和23年に図書館に 賢治の本があったのだろうか、とあらためて年譜を見ると、 昭和9年に文圃堂の全集(全三巻)刊行、昭和14年には十字屋書店の全集(全六巻)刊行、 昭和二十一年には組合版宮沢賢治文庫(全十一冊予定のところ六冊のみ刊行)とあり、 図書館にあってもおかしくないと納得。そんなことを調べているうちに、 もしかしたら岩手県出身の技術者で原爆の資料集めに熱心な木下というのは、 井上氏の中では、どうも賢治の似姿で描かれているのではないかという気がしてきたのですが、 思い過ごしでしょうか。意見を聞かせてください。


2001.5.1
井上陽水はやっぱりすごい

井上陽水「ハロー・グッバイ」(平成12年12月21日放送)の再放送を見ました。 陽水の曲は好きで、「ぼくたちはざしきぼっこ」にも「夢の中へ」を 使ったほどなのですが、最初の放映のときは、ほんのすこし覗いただけで、 チャンネルを変えてしまったのです。しかし、今回は最後まで見ました。
で、何が分かったか?
やっぱり井上陽水の曲はすごい。
番組の冒頭、彼は「氷の世界」を作曲したときの気持ちをつぎのように解説しています。
「「氷の世界」はね、その頃から、まあことばは悪いけど、でたらめといちゃわるいけど、 つまり聞いている人に懇切丁寧に、「十番線に列車が入ります。 白線の後ろにお下がりください。」とか、「もうそろそろ新横浜なんで、 荷物棚に忘れもののないように、乗り換えはどうこう」と、本当に親切な面が日本にはあるけど、 きっと音楽にもあって、テレビにもあると思うけど、こうこうこういことでこの人がいらして、 こういうご挨拶があって、お話がもりあがって、こういうかたちでお話を収束して、 なるほどね、なんてテレビを見ている人が思って、そして終わっていくべきだ、 なんていう人がきっと多いと思うんですよ。そういうものにたいして本当にそうかな、 なんて思って、「窓の外ではリンゴ売り」とやったような気がするんですけど、 そのときディレクターの人からちょっとこれでいいのかななんて言われたことは象徴的な こととして覚えていますけどね。ぼくがいまそういう立場だったら絶対に許さない(笑い) ……そんなことは、ないけど(笑い)……。」
彼は、分かってもらえなくてもいいやと、己の音楽を投げ出したと言っているのです。
なぜか?時代が突きつけてくるもの、それに呼応するように内からわき上がってくるもの、 それらを音楽的に分かりやすい形で表現することを拒んだということでしょうか。 分かりやすい詩句、分かりやすい音楽的情緒、それらを放棄して、 「氷の世界」を投げ出してみたというのです。たしかに歌詞は難解です。

窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけてリンゴ売りのまねをしているだけなんだろ
僕のTVは寒さで画期的な色になり
とても醜いあの娘をグッと魅力的な娘にしてすぐ消えた
今年の寒さは記録的なもの こごえてしまうよ
毎日、吹雪、吹雪、氷の世界
(二番略)
人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由はやっぱりただ自分が恐いだけなんだな
そのやさしさを秘かに胸にいだいてる人は
いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバッてるんじゃないのか
ふるえているのは寒さのせいだろ 恐いんじゃないネ
毎日、吹雪、吹雪、氷の世界

竹田青嗣「陽水の快楽」(河出文庫)において、「氷の世界」について、 つぎのように分析しています。
「「氷の世界」は、初期の陽水の透明なセンチメンタリズムの世界にはじめて姿を現した 心情の破調を告げている。(中略)繊細に敷きつめられた抒情の地が一瞬破れ、 彼の生々しい欲望の動きが、聴き手のことなどおかまいなしに荒々しく顔を見せた、 という感をうける。しかも、ここで注意すべきは、この情動の一瞬の錯乱が、 生のどういった情景からもたらされたものなのか、詩からはよく読みとれない、ということだ。」
「ここには、ロマン的憧憬の世界に突如侵入してきた、現世的な不幸のにおいがある。」 とも言っています。
声をからしているリンゴ売りの声は、ほんとうかどうか分からないがなぜか偽の声であり、 テレビ画面は寒さのために(理由になっていない)色が変になり、醜い娘を魅力的に見せる。 ここには確かなものは何もないのだ。氷の世界だけが、吹雪だけが確かなのだが、 そこに妙なものが侵入しようとしている気配があるのです。それが、偽のリンゴ売りの声であり、 画面の変色のようなのです。
そんな世界だからこそ、「人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな」 という突拍子もないことばが兆してもふしぎはありません。それができないのは、 「やっぱり自分が恐い」からという心理的な重石があるうちはよかったのです。 しかし、いまや「人を傷つけたいな」ということばは、ストレートに現実の犯罪を 誘発しているようなのです。
現在から見れば時代を先取りしていた詩句、これらは陽水のロマン的憧憬の世界を、 内と外とが呼応して破ってくる現世的なものの表現になっている、そんな気がしてくるのです。 (難解きわまりない「陽水の快楽」もこのあたりの分析は共感できるのです。)

そして、「ハロー・グッバイ」にもどって、番組ではいろんなゲストが招かれて陽水の曲を 歌うのですが、後半、井上陽水が他人の曲を歌うという趣向になっていました。 「コーヒールンバ」「旅人よ」「星のフラメンコ」。それらの曲を陽水が歌っているのを 聞いていると、なぜか、それらの曲の安易さがどうしても見えてくるのです。 反対の側面を言えば、「氷の世界」について見たように、井上陽水の歌がいかに 自分をせめぎ上げて、内なる声を聞き取り、時代の風に耳を澄まして、作り上げてきたかが、 自ずと感じとれるのです。どれだけ危うさを秘めているかが分かるのです。陽水は、 他人の曲を歌うときはもはや手を入れることなど考えなくていいので、 気が楽に歌えるというふうなことを言っていましたが、ぼくにはそこに楽さを感じるということが、 逆に陽水が自分の曲を発想しようとするとき、いかに自分を窮地に追い込み、 内面の真実と現実とのせめぎあいをみなもとにして作曲しているかを浮かび上がらせて いるような気がしたのでした。
で、振り返って、自分の劇はそれだけ突き詰められているか?と、 考え込んでしまったのでした。


2001.5.1
「賢治先生がやってきた」は8つ星の星座?

「賢治先生がやってきた」のシリーズは、まずはじめに 「賢治先生がやってきた」が上演を想定して作られた。 つぎに、「イーハトーブへようこそ」「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」、 「チャップリンでも流される」が書き下ろされ、 最後に「賢治のイフはめんどうだ」ができあがりました。 それが、五年くらい前です。そして、火食鳥という同人誌に適宜掲載してきたのです。 さらに1999年秋、文化祭で上演するために「ぼくたちはざしきぼっこ」の脚本を 書きあげました。それら一連の劇をインターネットで公開しては、と勧められて ホームページを立ちあげたのが2000年当初。ホームページの開設が刺激になったのか 8月に落語「銀河鉄道 青春十七切符」を、また2001年正月に 二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」の劇を上梓して、 すべてで8つの劇がそろったことになります。
これらの劇を作りはじめたときから、脚本をちりばめた星座のようなものを想像していました。 最初は5つ、「ざしきぼっこ」までいれても6つの星座で、養護学校での上演を めざしたものでした。七つなら北斗七星を名乗ることもできるのでしょうが、 さらに2つ加えたために、1つ余計に作り過ぎてしまいました。しかし、 これら賢治劇の8つの星が連なって賢治先生の星座(コンステレーション)となり、 宮沢賢治が現在の養護学校の先生になったら、あるいは小学校の、中学校の、 高等学校の先生になったら、生徒たちに話したいと願った内容のイメージを 浮かび上がらせているとしたら、わたしの想いがかなったということであり、 これほど幸せなことはありません。
養護学校において日々の生活において気にかかることは星の数ほどあります。 あれも知っておいてほしい、せめてこれができるようになってほしいと……。 しかし、夜空の無数の星の中からより明るい星を選んで星座をイメージすることは、 とても必要なことのように思います。日常の細部にとりまぎれてしまうと、 星座がなかなか見えてこなくなってしまうような気がします。そんなとき、 「賢治先生ならどうするか」と考えてみるのです。宮沢賢治が「ほー、ほー」と叫んで 飛び跳ねたように、その問いかけで床からちょっと足を浮かせて見ると、 またちがった展望があるかもしれないのではないでしょうか。
ところで、先ほどから注釈なしに使っているコンステレーションという考え方は 河合隼雄の著書で教えられたものです。 河合隼雄の著書「物語と人間の科学」の紹介文の中で中村雄二郎が、 河合のいうコンステレーションについてつぎのように解説しています。
「コンステレーションとはもっともふつうには〈星座〉を意味するが、 ユング派の心理学では、言語的に連想された各人の抱くイメージの総体 (私流にいえば内面のコスモロジー)を意味している。 そして、言語的に連想されたイメージの総体が心理療法において大きな役割を果たすのは、 そこに各人の抱く〈コンプレックス〉が表れているからである。」(中村雄二郎)
「賢治先生」一連の劇群には、「宮沢賢治が養護学校に先生になったら」と問うことで考えてきた、 私の教育にたいする「イメージの総体(内面のコスモロジー)」が 表れているはずなのです。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」はぜひとも知ってほしいし、 こどもたちはそれぞれの家のざしきぼっことして大切に育てられなければならないということも、 あるいは人は死ぬものだということ、働く意味も、いじめ問題、 戦争や原爆のことも……知ってほしいのです。これらは、教師としては、 どんな学校でもどうにか工夫して教えなければならない内容なのではないでしょうか。 わたしの表現はまだまだつたないものかもしれません。しかし、コンステレーションは 普遍性をもっているように思うのです。重度の生徒たちが通う養護学校でも、 あるいは普通校でもこのような内容を教えなければならないというのは確かなような 気がするのですがどうでしょうか。
だから、「賢治先生がやってきた」のホームページのデザインを星座にして、 ある星をクリックすると「ぼくたちはざしきぼっこ」が立ち上がる、 というふうなあんばいにしようかとも考えているくらいなのです。
しかし、中村雄二郎さんも触れているように、一連の劇には、 わたしのコンプレックスが隠しようもなく表れているとしたら、恥じ入るしかありません。 そのコンプレックスが自分を創作に向かわせているということも分かっているのですが……。


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