◇2001年7月号◇

[見出し]
今月号の特集

NHKの課外授業「ようこそ先輩」
嵐山光三郎「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」に感激

近代家族というのは、障害者に性を許さない装置?
(ぜひ語尾上げ口調で言ってみてください。)

「科学の進歩はもうたくさんだ」と、だれが口火を切るの?




2001.7.1
NHKの課外授業「ようこそ先輩」
嵐山光三郎「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」に感激

紫陽花のみずみずしさはどうでしょうか。花はいうまでもなく、 葉っぱのやわらかでみずみずしい緑そのものに魅せられてしまいます。
どうして、紫陽花はこんなにみずみずしいのかと、ついそんなことを考えてしまいます。 まるで、紫陽花の花や葉っぱが茎を通じて地下水脈に直截つながっていて、 そこから水を汲み上げているかのようなのです。
そういえば、紫陽花の軸には髄があって、それは綿のようにふわふわしてるのです。 以前に弓で円板を回転させる古代の火起こしを作ったことがあります。 そのとき軸木に使ったのが紫陽花の乾燥した幹でした。 枯れた軸木を擦ると綿のような髄が粉になって火種になりやすいのです。 紫陽花にちなむ水と火の関係……。ふしぎなものですね。
最近、ひさしぶりに興味深い授業を見ました。
NHKの「課外授業ようこそ先輩」で、嵐山光三郎氏が後輩の小学生にされた授業 「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」です。かつて「課外授業ようこそ先輩」は すばらしい内容に満ちていました。ところが、時間帯が日曜6時台に変わってから、 時間がすこし短縮されたからでしょうか、内容もその分薄味になっていると感じていました。 しかし、嵐山光三郎さんの授業は、ひさしぶりに感動させられるものでした。
それは嵐山さんの後輩、東京・国立市の国立学園小学校6年に 「俳句を通して生きること死ぬことを考え」させるという内容でした。 はじめは、すこし難しいかなと思って見ていたのですが、 後半の「追悼句をつくろう」のあたりになると、俄然死を考えるということに集中してきたのです。 俳句という伝統的な小詩形の力でしょうか。小学校6年生でありながら、 「メメント・モリ」、まさに死を思い、死を考え、そして、 生を考える授業となっていったのです。
小学生でもここまで考えることができるということはすばらしい発見でした。
筆者が勤務する高等養護学校でこれだけの授業ができるとは、思いませんが、 すこしでもこの深みに近づく努力はしなければならない、そんなふうに反省したのです。
おなじように、「死について考えよう」というメッセージを込めた 賢治劇「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」を舞台にかけてみたい気が しきりにしています。
それはさておき、嵐山氏の「多摩の細道」に触発されて、 わたくしも八年前に逝った母の名を詠み込んだ 追悼句をつくってみました。
紫陽花や遠つ飛鳥の日照り雨


2001.7.1
近代家族というのは、障害者に性を許さない装置?
(ぜひ語尾上げ口調で言ってみてください。)

「上野千鶴子が文学を社会学する」(朝日新聞社)を読みました。 十数編の評論を集めてあるのですが、その中に佐江衆一「黄落」有吉佐和子「恍惚の人」を論じた「老人介護文学の誕生」という一編があります。 病身の老父を抱えるわたしとしては、「老人介護文学」という身につまされる表題だったので、 興味深く読み進むうちに、つぎの一節にぶつかって、考え込んでしまったのです。
「キンゼイ研究所の元所長、ポール・ベブハートは、近代社会では三つのカテゴリーの人々、 子ども、高齢者、障害者が性から排除されるという。七〇年代からの四半世紀は、 この三種類の人々が性的な存在であることを認知されるに至った時期だった。」
「黄落」の中に、「主人公の九十四歳もの父が人生の最後に心をときめかす八十の老婆に出合い、 目も耳も不自由な躯で嬉々として会いに行こうとしている。」のに対して、主人公の息子は、 それを止める。そのことに対して、「これがあかの他人だったら、 とわたしは考えないでいられない。」と上野氏は言うのです。
「もしわたしが施設の職員やボランティアだったら、見知らぬ九十四歳の老人のときめきを 応援してあげようと、動いたかもしれない。他人なら寛大になれることでも、 家族だから許せないこともある。近代家族とは、親が子に、子が親に、 性的な存在であることを許さない装置でもある。人生の最後に、 親が親であることから解放してあげるためには、他人の手が入ることもまたよしとしなければ ならない。」と。
ここでわたしが、どこに触発されたかというと、近代社会では、 「障害者が性から排除」されてきた、ということ。また、「近代家族は、親が子に、子が親に、 性的な存在であることを許さない装置でもある。」というところなのです。
障害者はたしかに性から排除されてきたように思います。それは高等養護学校の卒業生の 実態からもあきらかです。そして、そのことに家族が手を貸してきたのではないか、 ということなのです。親が障害をもった子どもを性的な存在であると認めようとしないで きたのではないでしょうか。たしかに、そんな気もするのです。
「ウチの子はオクテなので、まだまだ……」とか、高校の年齢になってもたまにではあるが まだ母親といっしょに風呂に入っていたりとか、そんなことを聞くに付けても、 これは、過保護、無頓着、客観視できていない、といったことではすまされない問題を はらんでいます。単に無知というよりも、むしろ「性的な存在であることを許さない」、 あるいは「認めたくない」といったこころの傾きが隠されていると考えた方がよさそうな 気がするのです。
そんなふうに家族、家庭が障害をもった子どもの性的な萌芽を排除しているとすれば、 それでもなおハンディーをもった子どもは、自力で、性的な存在として成長していける のでしょうか。性的な存在であることを認めないという無言の雰囲気が家庭の中にあるとして、 それでもなお、性的にゆがまないでいけるのでしょうか。
家族から拒否されたとしても、友だちからの情報で性的な欲求をひそかに育てることが できるものならまだしも、知的なハンディーをもった子どもに、それができるとは思えません。
そこで、「(障害のある子どもを)解放してあげるためには、 他人の手が入ることもまたよしとしなければならない。」ということになるのでしょうか。 そこでは、学校の役割、教師の役割がクローズアップされてくるはずなのです。 家族の中に性を否定する雰囲気があるとすれば、教師ががんばるしかないのではないでしょうか。 学校の性教育で、生徒に「性的な存在であってもいいんだよ。」と肯定することが、 とても必要なことのように思うのです。生徒たちに将来保証されているセックスのかたちが、 セックス本来のふたりのセックスではなく、ひとりのセックスであったとしても、 人間は性的な存在であるということは十分に肯定される必要があるように思うのです。
それが、「イーハトーブへ、ようこそ」を書いた理由なのです。宮沢賢治はきっと、 ハンディーをもった子どもたちもまた性的な存在であることを認めるだろうと、 それどころか大肯定するだろうと確信するのです。
しかし、だからといって親を、あるいは家族を攻めているのではありません。 「近代家族は、親が障害を持った子に性的な存在であることを許さない装置」、 こんなふうに言うときつい表現に聞こえるかもしれませんが、 その表現では言い尽くせない家族の悲しみというものを感じ取ることも大切だと思います。 性的な成長を願わない親が、あるいは家族がいるはずはないのです。 それをあえて許さないとつい考えざるをえない悲しみ……。
(このあたりの議論は「うずのしゅげ通信」のそこかしこでも触れています。 バックナンバーを参照してください。)


2001.7.1
「科学の進歩はもうたくさんだ」と、だれが口火を切るの?

だれが書いていたのか忘れてしまいました。また、調べはじめたら切りがないので、 止めておきます。生物学者の日高敏隆か、動物行動学のK・ローレンツか、 そのあたりのような気がするのですが……。鳥の話です。烏であったかもしれません。 烏はことばをもっていませんね。警戒の声とか、いくつかの種類の鳴き声はあるようですが、 それらはことばとは言えないものです。夕方、烏たちが群れています。もうそろそろ帰る頃合です。 そこである一羽が飛び立って叫び声をあげます。しかし、ほかの大多数の烏たちは知らん顔です。 しばらくして今度は二、三羽がばたばたと飛び立ち叫びます。でも、ほかの烏はまだ、 それに応じません。しかし、そのうちにそろそろ巣に帰ろうかといった気分が群れ全体に 感染していったかのように、にわかに騒がしくなり、そうなるといっせいに飛び立って 巣の森に帰っていく、というのです。
人間のあくびが伝染するように、烏の帰巣の気分も伝染するというのです。
現代の人間の群の中に「科学の進歩はもうたくさんだ」という気分はまだ 蔓延していないようです。しかし、最初に飛び立った烏のように、ばたばたと 「もううんざりだ」と叫びにならない叫びをあげる人もなくはないのです。 その叫びにならない叫びを受けて、少数ながらばたばたと 「そうだ。もう科学の進歩なんかいらない」という怨嵯?の声が聞こえてくるようです。 現在はそんな段階にあるように思うのですが、どうでしょうか?そして、 「進歩していくだけが、科学ではない。もううんざりだ。」という声が 人類という群に蔓延するのは、いつになるのでしょうか。
何を世迷い言をと言われるかもしれません。常識はぼくの内部でつぶやいています。 科学が進歩をやめることなどありえないことだと。たしかに、 それはそうかもしれないとも思うのです。「資本主義は 、科学の前線から生み出される科学格差を利用して金儲けを企んでいるではないか。」 遺伝子工学が生み出すであろう利潤に群がっている人々を見るにつけても、 科学の進歩は人類が滅びるまで止まないのかと、幻滅を感じないではおられません。
しかし、です。しかし、養護学校でハンディーをもつ生徒たちとともに生きるものとして、 彼らを見ていると、科学の進歩に対する疑問がきざすのを抑えることができないのです。 何が幸せなのかわからないという迷いにおちいってしまうのです。 だから障害者の運動から科学に歯止めをかける思想が生まれてきてもおかしくない、 そんなふうに思うのです。
それは、宮沢賢治「虔十公園林」にあるように 「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。」と、 おなじ迷いのように思います。人間のこざかしい知恵では、 何が幸せなのか分からないと言うことです。だから、「虔十公園林」では、 その後に「たゞどこまでも十力の作用は不思議です。」ということばが続くのでしょう。 人智を超えた十力の作用のまえで謙遜であるべきだと。 いったい科学の進歩に邁進する人類は賢い選択をしているのでしょうか、 そんな疑惑をもったことはありませんか。虔十は、 そんなことも考えさせる力をもっているのです。
そこで、またしても、もし……、と考えてしまうのです。「もう、もしはうんざりだ。」 と言われそうですが、まあがまんしてください。 「もし、賢治先生が生きていたら、現代の暴走するかのような科学の進歩をどう見るだろうか」 と問うてみるのです。この「もし」=「イフ」は、「賢治のイフはめんだうだ」の 歴史のイフとちがって、未来のイフです。宮沢賢治は亡くなってすでに七十年もたっています。 とすれば、これはむなしい、意味のない「イフ」なのでしょうか。そうではないと思います。 生身の宮沢賢治は過去の人であるとしても、彼の作品が残されています。 だから、「未来の宮沢賢治」という話ができるように思うのです。 賢治の作品から立ち上がってくる未来の宮沢賢治について、ぼくは確信するのです。 科学者でもあった宮沢賢治だからこそ、「科学の進歩などもうたくさんだ」と 最初の叫びをあげる烏はまちがいなく、賢治先生であるような気がするのです。 どうでしょうか?宮沢賢治は、人間性をもった科学者でした。だからこそ、 先見性をもって叫びはじめるように思うのです。 きっと科学をUターンさせるなんらかの方法をもって、最初の叫びを……。


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