◇2001年8月号◇

[見出し]
今月号の特集

あかちゃんはおしりから生まれてくるの?

高明浅太詩集「学校はおせっかい」(関西書院)

遺品の中に「軍人勅諭」が……




2001.8.1
あかちゃんはおしりから生まれてくるの?

 高等部1年の性教育の時間に「あかちゃんはどこから生まれてくるのか?」 と聞いたことがありました。生徒たちの幾人かが「おしりの穴から」と答えました。
中学、高校と性教育を受けてきたはずの十五、六歳の生徒にして この答かと、かなしくて残念な気がしたのでした。
 せめて、あかちゃんがどこから生まれてくるのか、くらいは正しい認識がほしいと思います。
それで、あるグループにつぎのような性教育をしました。 担当者で打ち合わせをしたときの要項を載せておきます。

「人間の体の構造の話をして、あかちゃんがおしりの穴から生まれるわけがない、 ということを理解してもらおうというのです。
外部から見える体の部位の名称については、1年生のときに学んでいます。
今回はそれに引き続いて、目には見えない体の内部の構造を学びます。 (3年生の理科の授業では、内臓について学ぶ単元もあるのですが、 大切なことはなんど勉強してもいいはずです。)
教師の一人が紙のエプロンをつけて、そこに他の教師か、 あるいは生徒が、いろいろな内臓を張り付けていく、という趣向を考えました。
外から見ることができない体の内部の構造はつぎのように説明します。
口から肛門にいたるうんちのパイプ→うんちが出る道
(ウンチの旅の説明、うんち製造器としての人間)
膀胱のふくろからおしっこ→おしっこが出る道
(おしっこができる仕組みの説明、おしっこ製造器としての人間)
男の子は上のふたつの道(穴)しかありません。
女の子には、
セックスとあかちゃんのふくろがあります。→セックスとあかちゃんが生まれる道
(セックスをして、あかちゃんを育て、生む人間)
あかちゃんはこのふくろの中でどうしているのか?
生まれてくるのは、お母さんも赤ちゃんもしんどいぞー。
ここで、出産のビデオを見る。
教師が、自分の子どもが生まれてきたときの気持ち、母親の様子などの話をする。
生徒が親から聞いてきたあかちゃんのときの様子について発表をする。」
以上が計画していた授業の流れでした。
さて、実際にやってみて、だいたいは授業案のとおり進んだのですが、最後のあたり、 親に誕生のころの話を聞いてきて、発表するというところで、ハップニングがありました。 予想外のつぎのような発言がぽんぽんと飛び出てきたのです。
A(男)「お母さんのお腹から1カ月もはやく生まれた。体重2200gくらいで生まれてきた。 ミルクはあんまり飲まなくて、心臓が悪くて、あんまり泣かなくて、 1週間目で呼吸がとまりかけて、救急車で病院に行って、 1カ月ほど保育器にはいって元気になった。」
B(女)「股関節脱臼になりかかって、ことばが妹より遅かった。 妹よりほ乳瓶を離すのが遅かった。」
C(女)「わたしは、お母さんが大阪で働いているときに、途中で流産しかけて、 会社やめた。人見知りとかはあまりせずに笑ってばかりいて、 ……はじめは牛乳飲んでたけど、あとになって飲まなくなった。1カ月遅れて生まれた。」
D(女)「大阪の病院でうまれたけど、1カ月早く生まれた。 お母さんのお腹から出てきたとき、なかなか泣かなかった。 なんか破水したまま病院に運ばれて、赤ちゃんが生まれた。保育器にはいっていて、 体重が増えてなかって、ほんで、保育園のときはことばの発達があんまりはやくなくって、 小学校のときもあんまり早くなかった。」
ちょっと面食らってしまいました。
親がそのように包み隠さずに話しをし、生徒たちはそれをどのように 受容しているのでしょうか。とっさのことで、 私は十分に受けとめることができませんでした。
結局はあまり拘ることをせずに、そのまま聞き流したのですが、 他にどんなふうな受け答えのすべがあったのか。どう受けるべきだったのでしょうか。
あとで、反省会でその話を持ち出したのですが、 「それは性教育でやる内容かな?」といった意見がでたりして、 もちろん結論はでませんでした。しかし、あらためて「性教育」は障害者の人権に即 つながっていることを 痛感させられたのでした。というより、性教育は、人権についての教育そのもののような 気がしています。それは、教師としては、障害者としての人権、 アイデンティティーをどう保障してしていくのかという問題にも関係しています。 生徒たちが自分たちの「障害」をどうとらえているか、 ということ、あるいはどうとらえるべきか、ということは 教師として考えておかなければならないことではないかと、 そんなふうな反省をせまられたのでした。
高等養護学校にとって、自分たちの障害をどうとらえるかという、 この問題はかなり本質的な部分に触れているように思われます。 山田洋次監督の「学校U」にもありましたが、 高等養護学校に進学してくる生徒の中には、 なぜ自分が養護学校にこなければならなかったのか納得できないまま入学してくるものもいるのです。 とくに、中学校で普通学級にいた生徒の場合に意にそわない進学というのがたまにあります。 その悩みは、養護学校の生徒としては能力の高い生徒が持たざるをえない悩みであるようなのです。 中には3年間、悩み抜いて不適応をおこすものさえいるほどなのです。 しかし、そんな悩みとは無縁な生徒にとっても、今回の性教育ではからずも露呈したように、 普段は埋もれているけれども、いつ噴き出してくるかわからない本質的な 問題であることがわかります。 教師として、これは考えておかなければならない重要な問題であると思うのです。
どういうふうにすれば生徒とともに考え、ともに話し合って現実と 折り合いをつけていけるのでしょうか? 考えあぐねています。 ご意見をお聞かせください。
緊急
ええ、どうして……?、というニュースが今日の夕刊に。
ニュースステーションでも報じていました。
朝日新聞7月31日夕刊より
「「つくる会」教科書で都教委、一部養護学校で使用へ
「新しい教科書をつくる会」主導の歴史、公民の教科書(いずれも扶桑社発行)を、 東京都教育委員会が都立養護学校など一部で使うよう 事実上決定していたことが31日分かった。(中略) 扶桑社の教科書は中学校用で、採択の権限は主に市区町村の教育委員会にあるが、 都道府県立の盲・ろう・養護学校の中学部に限っては都道府県教委が決める。 東京都の場合、養護学校の3部門(知的障害、肢体不自由、病弱児)と盲、 ろうの各学校ごとに教科書を選ぶ。都立の養護、盲、ろう学校は56校2分校ある。 関係者によると、都教委は26日に開いた非公開の定例会で、 6人の教育委員が無記名投票で教科書を選んだ。一部の養護学校で使い歴史と公民で 扶桑社版を推す意見が多数を占めた。扶桑社と他社を推す意見が同数となった部門もあり、 8月初旬の臨時会で再協議することになた。都教委は採択期限日の8月15日までに正式決定し、 公表する見通し。(後略)」
これは、どういうことなのでしょうか?なぜ、養護学校が、扶桑社の教科書なんでしょうか? 納得できませんね。これからどうなるかわからないので、とりあえず事実だけにしておきますが、 注意深く経過を見ていく必要があると思います。
このことについても、ご意見をお聞かせください。

2001.8.1
高明浅太詩集「学校はおせっかい」(関西書院)

古本屋でちょっとおもしろい詩集を見つけたので、紹介させてください。

「こだわり」
ひのまるもきみがよも
今回
あたりさわりなく
いや
きょねんも
おんなじように
みすごした
小さながっこうなもんで
小さなしょくいんしゅうだんなもんで
なみかぜたてずに
いきまひょと
うやむやのうちに
ひのまるもきみがよも
まかりとおっていく
門のところに
舞台の真正面のところに
ポールに
でかでかと
まかりとおって
でかでかでかと
おおごえでうたわれて
みんなしゅんとしている

「にぎりこぶし」
絵にかいたこどものことしか
あたまにない
絵にかいたこどもをきりぬいて
ああでもない
こうでもないと
ぎろんひゃくしゅつ
みんなみんなうまくいきそうで
おおうなずきだ
きりぬいたこどもを
いじくりたおして
あしも手も
首ももぎとってしまって
それでも
うまくいったとはくしゅかっさい
がんばりましょうと
にぎりこぶし

「がっこうにこどもはにあわない」
つくづく
がっこうに
こどもはにあわない

こどもを
こんな手ぬきコンクリートの
いれものに
おしこんで

ほら
こどもはだまらない
こどもはならばない

三十人 四十人
あそびざかりの子を
ちいさなへやに
おしこんで

ほら
こどもはむかついている
こどもはちばしっている

つくづく
がっこうに
こどもはにあわない

こうもんにつくえといすをつみあげて
げんかんのげそくばこをつみあげて
ロビーのおきがさいれをつみあげて
こどもをがっこうにいれないで

まちのあさに
こどもをかえす
まちのひるに
こどもをかえす

がっこうをもぬけのからに
すればいい
がっこうをもののけのすみかに
すればいい

そうすれば
ちょっとおもしろそうと
やってくる子もあるかも
しんないけど

「がっこうにこどもはにあわない」が、いいですね。自分も教師なのですが、 学校に子どもは似合わないという一句に、一瞬、虚をつかれたような気がしました。 小学校の現状はそこまで来ているのでしょうか?
そんなことを考えてインターネットを見ていたら、高明浅太のホームページを見つけました。 「ひるねのねごと」という名前がついていました。ねごとのわりには、 とりあげられているテーマは重いのですね。興味のある方はのぞいてみてください。
http://www02.so-net.ne.jp/~asatosi/dai4.htm 「ひるねのねごと」


2001.8.1
遺品の中に「軍人勅諭」が……

父が八十八歳で亡くなりました。大正2年生まれで、明治の息吹が残っている頃の生まれでした。 遺品を整理していたら、記章やら補充兵手牒やらが出てきたのです。父は太平洋戦争に、 8年間従軍させられました。中国戦線だったようです。
記章と手帖ははじめて目にするものでした。孫たちの夏休みの宿題で 戦争の体験を話を聞かれるときがあり、そのとき話にハクをつけるために ひそかに隠し持っていたのでしょうか。 記章の紙箱には、 「支那事変従軍記章」と上書きされています。記章というのは、 銅のメダルのようなもので、三色のリボンがついていて、 軍服の胸に飾るようになっています。賢治の劇、 「飢餓陣営」のバナナン大将が付けていたようなやつですね。
もう一つ、陸軍省監修の「陸軍未入営補充兵手牒」というのがあり、 手牒の中身は赤いインキで「補充兵心得」やら明治、大正、昭和の天皇による「勅諭」やら、 大正、昭和の天皇の勅語やらが印刷されています。また、昭和12年の補充兵教育出席簿があり、 中に教育を受けた証印がいくつか捺されています。もう一つ、帝国在郷軍人会石川村分会、 正会員手簿というのがあり、正会員姓名に父の名が書き込まれています。 表紙をめくると中には、(明治十五年一月四日下賜)の勅諭が印刷されています。 いわゆる「軍人勅諭」というやつで、つぎのようなものです。
「我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある。昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵 (つわもの)ともを率ゐ中國(なかつくに)のまつろはぬものともを討ち平(たいら) け給ひ高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて天下(あめがした)しろしめし給ひしより 二千五百有余年を経ぬ此間世の様の移り換るに随(したが)ひて兵制の 沿革も亦(また)屡(しばしば)なりき。古(いにしへ)は天皇躬(み)つから 軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともあり つれと大凡(おほよそ)兵権を臣下に委ね給ふことはなかりき」
つまり我が国の軍隊は、昔から天皇が統率してきた、ということでしょうか。 そして、歴史の移り変わりを述べたあと、話題は明治の版籍奉還に及びます。
「然るに朕(ちん)幼(いとけな)くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初 征夷大将軍其政権を返上し大名小名其版籍を奉還し年を経つして海内一統の世となり 古の制度に復しぬ。是文武の忠臣良弼(りょうひつ)ありて朕を輔翼(ほよく)せる 功績(いさおし)なり。歴世祖宗(そそう)の専(もっぱら)蒼生(そうせい)を 憐み給ひし御遺澤(ごいたく)なりといへとも、併(しかしながら)我臣民の其心に 順逆の理(ことわり)を弁へ大義の重きをしれるか故にこそあれ。されは此時に於(おい) て兵制を更(あらた)め我國の光を輝さんと思ひ此十五年か程に陸海軍の制をは 今の様(さま)に建定(たてさだ)めぬ。夫兵馬の大権は朕か統(す)ふる所なれば 其司々(つかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ。其大綱は朕親(みつから)之を撹(と)り 肯(あへ)て臣下に委ぬへきものにあらず。(中略)朕は汝等軍人の大元帥なるそ。 されは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親(そのしたしみ)は 特(こと)に深かるへき(中略)」
版籍奉還があって、古の制度に還った。それも、歴代の天皇が民衆を憐れんできたおかげかも しれないが、また臣民が順逆の理と大義を知っている故でもある、と民を持ち上げ、 そののち例の有名な勅諭精神に入っていく。
「一、軍人は忠節を盡(つく)すを本分とすへし(中略)一、軍人は禮儀を正しくすへし( 中略)一、軍人は武勇を尚(たうと)ふへし(中略)一、軍人は信義を重んすへし(中略)一、 軍人は質素を旨とすへし(中略)此五ケ條は天地の公道人倫の常經(じょうけい)なり。 行ひ易く守り易し。汝等軍人能(よ)く朕か訓(おしへ)に遵(したが)ひて此道を守り 行ひ國に報(むく)ゆるの務(つとめ)を盡(つく)さは日本國の蒼生挙(こぞ)りて之を 悦ひなん。朕一人の懌(よろこび)のみならんや」

これは、どう考えてもやっぱり天皇は軍隊を統率して天下を治めている自覚は十分に あったんじゃないかということです。明治天皇の勅諭ですが、そこで宣言されている内容は 、昭和になってもそう変わっていないのではないでしょうか。やはり、天皇の存在は大きかった、 そんな気がします。どう、思われますか?
父は、8年間、軍隊に服役していたので、軍人恩給をもらっていました。 死亡すれば恩給は打ち切りということになります。さっそく総務庁恩給局とやらいうところに 連絡をしました。

追悼句
  雄蝉や坊主の経に誘われて
  百合映える遺影になみだ乾きけり
  さるすべり生死の坂もあっけなく


「うずのしゅげ通信」にもどる


メニューにもどる