◇2002年3月号◇

[見出し]
今月号の特集

いつのまにか1万アクセス

ボケとツッコミの構造(続)

ショートショート「訴訟」


2002.3.1
いつのまにか1万アクセス

アクセス数が1万を越えました。2000年のはじめに立ち上げて、 YAHOOに登録されたのが3月ごろだから、だいたい2年で1万、 1年で5千アクセスのペースということになります。
学校の文化祭の劇にかかわっていて脚本を書くことの楽しさに目覚め、 最初に「賢治先生がやってきた」を書き、 余勢をかって、さらにいくつかの脚本を書いて、順次「火食鳥」という 同人雑誌に発表していったのです。 それをホームページで公開したら、というのは息子の発案でした。1年くらい聞き流していたのです。 いつまでたっても動かない父親に業を煮やして、プロバイダーの手続きも彼がはじめたのです。 ホームページの最初の形は、冬休みに彼と対話しながら作り上げていきました。 あまりアクセスが少なかったら、 1年で止めると、宣言してはいたのですが、内心は興味津々だったのです。 それから2年。来訪者もぼつぼつとあり、それを励みにホームページも改造、 増築を重ねてきました。
しかし、訪問してくれる人の何人が、脚本を読んでいてくれているのだろうか、 そんなふうに考えると 何とも心許ない気がするのです。まったくあてずっぽうに百人に1人くらいとしてみます。 ありそうな数字ですね。すると1万アクセスということは、 すくなくとも1本は読んでくれた訪問者が百人ということになります。 そんなものかな、という気もします。たしかに、ちょっとかじり読みする、 という人は7、8割くらいはおられると思いますが、じっくり読むとなると、 まったくかってにそのくらいの割合かなと考えてしまうのです。
これは、じつはぼくのインターネット観を反映した推量でもあるのです。 「賢治先生がやってきた」の脚本はどれもかなり長いので、 画面で読むのは無理で、印刷して読まなければなりません。それに内容もマイナーなものです。 それやこれやでインターネットには向いていないのではないかという気もするのです。 同人誌ならそうでもないのですが、インターネットには長すぎは敬遠されます。 いろんなホームページを訪問してみて、そう思います。もっと短い内容、 一画面で見られる、映像が配置されているもの、そういったものが好まれているのでしょう。 それらのすべてがすべて「軽薄短小」とはいいませんが、あまりにもそのようなものが多く、 それで自足しているような気もするのです。 同人雑誌の場合はすこし違っています。反響は具体的に返ってきます。 読んでくださる方の顔が見えるといってもいいかもしれません。 その点、インターネットは何とも心許ない気がするのです。 (簡単な二分法で言えば、 インターネットのホームページにもフロー情報とストック情報があって、手前味噌で、 「賢治先生」劇はストック情報に分類しているのです。)
しかし、この忙しい時代、「じっくり読んでほしい」などということは贅沢な、 というより、とんでもないずうずうしい要求ということになります。マウスをクリックしながら、 「いそがしいんだ。そんな時間はないよ。」という嘆息が聞こえてきそうです。 たしかにそんなふうに世の中は進んでいるようにおもいます。
でも、まあ百人に一人でもいい、じっくり読んでいただける訪問者がいてほしい。 また、こちらとしてはそれに期待して、それに値する作品を書いていきたい。 そういう幸福な関係に望みをつないで 今後も改訂を続けてゆくことにします。どうか、これからもご愛顧のほどを。


2002.3.1
ボケとツッコミの構造(続)

卒業式が近づいてきました。例によって卒業生を送る会が開かれたのです。
いろんな演目が出されたのですが、その一つに恒例のマンザイがありました。 生徒が考えたドタバタのマンザイは、「不発弾」が多くて 、かえって苦笑してしまうほどなのです。去年、1年生だったHくんとKくんが コンビを組んでやったマンザイについては、ここでも取り上げたことがあります。 彼らは「ボケとツッコミの構造」を理解していて、 それを幾分かは使いこなしていたのです。中でもHくんは、 ギャグのノートを作っていてそこには思いついたギャグが書き込まれているのです。 去年もそのノートから採用したネタもありました。そのネタノートは1年のあいだに さらに書き加えられていたらしいのです。(マンザイはぼくが担当したのではないのですが、 想像はつきます。) 彼らは通学の電車が一緒で、車内での話からヒントを得ているのかもしれないと ぼくは睨んでいるのです。ことしもおそらくそのギャグノートから採用( そして、たぶん一部改作)した「寒いギャグ、5連発」のなかで、 一番できがよかったのはこんなふうでした。

「クロネコヤマトの会社はスポーツが強いらしいな。」
「何のスポーツや?バスケットか、サッカーか?」
「クロネコヤマトのたっきゅう部やがな。チャン、チャン。」

ボケとツッコミの構造がちゃんと使いこなせていますね。 この構造はかなりわかりやすいんですね。
これは十分授業に使えますね。吉本のビデオを教材にして……。 これ本気ですよ。いや、ジョウダンですよ。ジョウダン。
(ボケとツッコミの構造の普遍性については、一年前くらいのこの欄で書いています。)

話は変わって……。ある研究会で、自閉的傾向の生徒が一日中走り回っていて、 教師は後を追いかけているだけ、という悩みに対して、養護学校の教師の話。
「自分の担任している児は学校で行方不明になったり、 またほんまにいろいろいたずらをするんです。いろんなものをひっくりかえして おこられるのが楽しい。まったくそんなんを無視する先生には行かない。 ボケとツッコミということで言えば、 一日中ボケまくるんです。それに対してこっちがツッコミを入れてやると喜ぶ。 ツッコミしない先生には行かない。自分のボケが通じない先生とは、 学習を一生懸命するんですが、ある種コミュニケーションがとれないと あきらめているようなところもある。ときには無視することもいいけれど、 やっぱりずっとそういう関係であることはその子自身もさびしいしね。 向こうがきっちりボケたときには、こっちもきっちりツッコミを入れることが大切じゃないかな。 進路は吉本にしようかと言うてますけど(笑)……。」
と、これ、なかなかよくできた分析だと思うのですが。
なるほど、授業もまた、この構造で捉えることができるのか、というのが新鮮な発見でした。
これでも分かるように、ボケとツッコミの構造は、人間関係の本質をついていて、 かつ単純なことから、 利用価値も大きく、またその観点から捉えられるものはたくさんあるのですね。チャンチャンと。


2002.3.1
ショートショート「訴訟」

賢治先生が訴えられた、と小さい記事が地元新聞に載りました。
商法違反ということでした。「宮沢賢治」という登録商標を無断で使用したということで、 その登録商標を保持している何者かから訴えられたらしいのです。 もちろん、宮沢賢治の著作権は、すでに死後三十五年以上経過しているのだから、 効力をもっていないのですが、 「宮沢賢治」という登録商標があって、それに違反しているというのです。 しかし、その登録商標が何の登録商標なのかは分からないのでした。 そして、その訴えを取り上げた検察が、調べている内に、彼は「宮沢賢治」と名乗っていたが、 実はそれが偽名であることが分かったというのです。
本名がなんというのかは書いてありませんでした。養護学校で教えているのですが、 養護の免許など持っていなかったらしいのです。
そう言えば、賢治先生はふしぎな先生で、何が専門なのか分かりませんでした。 農業を教えることもあるし、理科や国語を教えることもあるのです。 音楽や美術の教師でもありました。
今年は国語を教えていました。1学期は、 「賢治先生がやってきた」という劇の脚本を朗読したり、 あるいは文化祭での劇の公演を想定して読み合わせをしたり、 劇の真似事の振り付けをしたりという授業でした。
しかし、賢治先生が訴えられたことで、登録商標の一時凍結ということになったらしくて、 次の朝裁判所の人がやってきて、「賢治先生がやってきた」の脚本が 差し押さえられてのでした。生徒の分までみんな回収されました。
賢治先生の国語の授業を受けている生徒に草間君がいました。
草間くんは、学校でもちょっとかわりもので通っていました。 第一あまりしゃべることがありません。だから、賢治先生の朗読の授業でもセリフを 声を出して読んだことはありませんでした。いろいろ考えているのですが、 その考えを洩らすのは毎日付けている日記帳の中だけらしいのです。 昨日の球技大会のバスケットボールのトーナメントで彼のチームの高橋君が ボールをパスされるや、身方の方のゴールにむかって走っていってシュートしたのは、 点数が入らなかったからよかったけれども、もめるもとになるからはじめに もっと打ち合わせをする必要がある、とか日記に書いてくるのです。 また、ゴジラの映画が好きで、サウンドトラック盤のCDをよく聞いているとも書いていました。
そんな彼があるパフォーマンスをやってみたくてしかたがありませんでした。でも、そのことを 誰にも打ち明けたことがありません。それは、秘密だったのです。 その秘密は裁判と関係があるのです。あれはなんというのでしょうか、 よく注目されている裁判の結果が出たとき、「無罪判決」とか「全面敗訴」とかいう垂れ幕、 あるいは掛け軸のようなものをもって、 裁判所を取りまいている支援者に向かって駆けてくる、という場面がテレビで放映されますね。 あれなんです。あのパフォーマンスをしてみたい、あの掛け軸をもってみんなに向かって走りたい、 それが彼の夢であったのです。
賢治先生の裁判の結審の日、彼は、その夢を実現させました。
彼は、その日、登校すると、学校の事務室をちらちらと覗いていました。 もちろんそのことに誰も気がつきませんでした。
でも、賢治先生の裁判結果がでるというので、地元のテレビ局がつけてありました。
十時頃になって、裁判結果が出ました。有罪でした。賢治先生は登録商標を犯したと いうのが裁判所の判断でした。
詳しいことは草間君には分かりませんでしたが、裁判の結果が出たらしいことは分かりました。彼はカバンの中から準備してきた 小さい垂れ幕の巻物を持ってきました。そこにはたどたどしい墨字で 「無罪判決」と大書されていました。彼は、学校の玄関でその垂れ幕をするすると開くと、 上下にかざしながら校門を抜け出て、歩行者が往来する街中に飛び出ていったのです。
先生方は、テレビに見入っていて、そのことに気がつきませんでした。 たまたま学校に取材に来る途中の地元新聞の記者が、草間君に気がついて、 写真を撮って、それが三面に大々的に掲載されたのでした。


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