◇2002年4月号◇

【古墳公園、近つ飛鳥博物館周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

花だより

性教育はこころの教育?

ショートショート「プラネタリウム」


2002.4.1
花だより

ねがはくは花のしたにて春しなん そのきさらぎのもちづきのころ

西行の歌です。
花の下で、春に死にたい。きさらぎ(陰暦二月)の満月のころに。
そして願いどおり、西行は、二月二十六日、晩年庵を結んだ河内の国の弘川寺で 死を迎えたのでした。
その弘川寺、大阪から奈良に抜ける水越峠手前の河南町弘川の地にあって 、わたしの家から近いということもあり、花の季節にはよく訪ねたりもするもです。
しかし、今年は残念ながら行けませんでした。行かない内に、 例年になくはやい桜の季節が過ぎようとしています。
弘川寺には、西行法師の墓があり、一度は訪ねていただきたいお寺なのですが、 普段は訪れる人もすくないようです。それでも、西行の歌に誘われてか、 花の季節はにぎわいます。だから、桜の追っかけを自認する わたしとしては見逃せない場所なのです。
わたしの散策コースにある近つ飛鳥博物館や、 そのまわりの古墳公園にも桜の木が植わっていて、 その木が成長してようやくにぎわいを見せるようになってきたのです。 古墳めぐりのコースにも所々に山桜などがあって、趣を添えています。 古墳と桜という組み合わせがいいのかもしれません。古墳の闇と桜の光、 この取り合わせが絶妙とも言えます。時間があると散策にでかけるのです。
桜の花にたいするあこがれをこんなにつよく持つようになったのは いつごろからでしょうか。若いころは、そんなではなかったのです。 それがいつごろからか、季節になるとこころの底から桜を見たいと思うようになりました。
何がそんなに自分を駆り立てるのかはわからないのですが。

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

ながめている間にわが身を時間が通過していく。この小野小町の歌に 歌われる時間感覚は痛烈で、身につまされます。「いたづらに」うつろうのは花の色であり、 またわが身をつらぬく時間なのです。こんなに敏感な時間への感受性を、 むかしの人は持っていたのでしょうか。
現代人のわれわれは、忙しい忙しいと言いつつ、時間の経過を感じるのはせいぜいが一年の経過 、たとえば教師であるわたしとしては、生徒たちが卒業していく、といったことによって 一年の経過を感じ取るといったところがせいぜいです。
花の色は移りにけるなと、つまり花の色にことよせて、時間よ止まれと命じることはできません。 時間のはかなさがあって、わが身がいとおしいのであり、それゆえに花はこんなにも美しく 感じられるのだと、そういうことでしょうか。

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

上田三四二吉野行で詠んだ「花信」のなかの一首。
桜の美しさは、樹を見上げたとき、花を透き通してふりそそぐ淡い光、かすかに 桜の色合いをおびた光のうつくしさにあると思います。その淡さが何かを思わせるようです。 考えてみると、紅葉の美しさも、たなびくような紅葉を通過してくる光の微妙さに あるように思われるのです。
その光の微妙さが、何かを思わせる。はるかな思いに誘う。
桜の花が空からの光を濾過して、ほんのりと桜色を帯びた光だけを通している。 その桜の花びらが散るとき、まるで光を引くようなあんばいで、 ひらひらとかずかぎりないはなびらが吉野の谷に散ってゆく、というのでしょうか。
何度も読んでいると、ある瞬間、ちる花は、まるでいきとし生けるもののような 気がしてきます。生けるものが光をひいて散っていく、そんなイメージが浮かんでくるのです。
そんなふうにして見比べていると、上の二首は、同じような内容を詠んでいるようにも 思えますね。時間の流れに浮かんで流れていく生命のあわれさ、はかなさ、あやうさ、 それゆえのうつくしさ、わたしもまたそういったことを無意識のうちに感じて、 桜の追っかけをするようになったのかなと考えさせられてしまったのでした。
デジカメを買いました。もう少ししたらここに、たとえば弘川寺、 あるいは近つ飛鳥博物館の桜の写真を添えられるかもしれません。いま、準備中です。


2002.4.1
性教育はこころの教育?

性はどのようにこころの問題と関わっているのでしょうか? わたしが勤務している高等養護学校で性教育をしつつそんなことを考えてしまいました。
以前、この欄で、山本直英氏の著書を引用しつつ秘密を持つことの大切さに 触れたことがあります。山本氏は自慰の効用として次のようなことを書いておられます。
「自慰によって『性はプライバシー』ということが身につきます。 (中略)人間はだれにも『秘密な世界』があっていいし、大人になることは、 自己の秘密をいっぱいもつことなのです。」
「自慰は親からの乳離れを進める行為です。(中略)自慰は親に対して 初めて持つ秘密ですから、親の干渉から脱出する気持ちを育ててくれます。 自分だけの時間と空間が多くなることが、自立した大人になるためには必要なのです。」
 たしかにわたしの勤務する高等養護学校では、意識的な自慰がなされていないためか、 十全に秘密を持ちえていないものがかなりいるように思われます。そのことがあってか、 いつまでも大人になりきれない、そんな雰囲気を感じるのです。 教師に何かと訴えにくる(いやな表現ですが、「ちくりにくる」)ものがいます。 高校生の常識としてあるはずの嫌悪されるものとしての「ちくり」の重大さを 十分に感じていないようなのです。そんなことは秘密としてもっていてもいいのに、 といったようなことまで訴えてくるのです。これは考えものだと思われます。 そしてこの性癖はいつまでも大人になれないという問題に直結しているように思われます。
日頃からそんなふうなことを感じていて、性よって育まれる秘密の抽斗といったものが 大人になっていくのに本当に大切なのだと考えるようになったのです。 それで、性教育でもこころの問題を、できるだけ単純な分かりやすいかたちで 取り扱えるようにと、以前にハート形のこころを作って、それをネタにして 性教育を試みたことがあるのです。ハート形の真ん中に一部切り込んだ 円盤を回転できるように取り付けて、それを回すと切り込みから「すき」、 「きらい」、「友だち」という文字が現れるような小道具を作ってみたのです。
そのときは、こんなふうでした。まずはじめにこころは目には見えないが、 どこにあると考えるか、あると思うところに、洗濯ばさみで、ハート形を付けてもらいました。 一人は腹に、他のものはみんな胸につけました。腹につけたものは、 その前に子宮の話などしていたので、何か勘違いしたのかもしれません。
そして、次に成長の話を受けて、乳幼児のころは親にたいして「すき」、 それ以外は「きらい」という二項しかなかったのが、幼稚園にいくころから、 「すき」、「きらい」以外に「友だち」という第三項が生まれてくる。 (この第三項を入れてくるというのが重要なのですね。)これによって、 画期的にこころの成長が図られることになります。さらに分節かが進みます。 おなじ「すき」でもいろんな「すき」が分化してきたり、 おなじ「きらい」でもいろんな「きらい」のニュアンスがあるということに気がつきます。 そんなふうなこころの成長の話をしたのです。
そして、いまはハート形でこころを目に見えるようにしているが、 ほんとうはこころは目に見えないのだから、他人にすべて話す必要はないことにも触れました。 たとえば、性にかからわること、初潮や精通のことなど、こころの中にしまっておいても いいということなどです。山本直英が言われるように秘密の部屋をもつことは、 おとなになるために必要なのですから。生徒たちにも「秘密をもってもいいんだよ」 とどこかで言っておきたかったのです。
そんな話をした上で、生徒たちがもっとも関心を持っている男女の問題に切り込んでいったのです。 自分が相手に「すきすき」サインをだし、相手もこちらに「すきすき」サインを出してきたとき、 「恋愛」が成り立ち、こちらが「すきすき」サインを出しているのに相手が「きらい」サインや、 「友だち」サインを出していれば「片思い」ということになります。
はなしは簡単に見えるのですが、こころは目には見えないため、 その「すきすき」サインを見分けるのが難しいということにも触れたのです。 でも、女生徒は分かるというのです。男の子の態度や目を見たらわかると言い切ったのでした。 男子の生徒の中には、いま付き合っている相手は、「ぼくが「すきすき」サインを出しているのに、 どうもこのごろは「友だち」サインを返してくる」とまで打ち明けました。 「なぜ?」と質問を返すと、「他にも友だちがいるからかな?」といった返事でした。
そのあとは、たとえば、片思いの話、「すきすき」サインを誤解した場合のトラブルについても 触れたのでした。
また社会にでたとき、きらいサインは出しにくいので、友だちサインを出してくる場合があり、 それを誤解してはいけないことなどにも触れたのでした。
こころのハート形という簡単な小道具一つでいろいろ面白い話を引き出せるものだと、 あらためて思ったのでした。


2002.4.1
ショートショート「プラネタリウム」

賢治先生と生徒たちが、校外学習でO市立科学館に見学に訪れました。
ここは、公営なので、賢治先生の学校の生徒たちのように手帳を もっているものは入場料がいらないのです。展示の内容はちょっとむずかしいのですが、 「それなりに楽しめるかな。」というのが、賢治先生の考えでした。
入口を入ったところで、Fさんという案内係のお嬢さんが生徒たちに、 館内の説明をしてくれました。賢治先生の生徒たちということで、 やさしいことばを選んでいる気配があり、その心遣いがうれしかったのです。
とりあえず、エレベーターで4階にあがり、そこから1階まで館内は 自由行動で展示を見て回ることにしました。
展示には宇宙食やパズルがあり、月面ジャンプの体験コーナーがあったりで、 いろんな遊びの工夫がなされていました。科学教室というのが開かれていて、 強力な小さい磁石で耳を挟んで、それにハサミをつるす実験を楽しんだりしました。
1時間くらい展示を巡ってから、受付ロビーに全員が集合しました。 つぎにプラネタリウムを見ることになっていました。案内係のFさんの案内で階段を上がって、 プラネタリウムに入りました。
「ぼくたちの専属かな?」と、しずおがこっそりと花子に言いました。
「星空を見た後、全天周の映画がありますが、大丈夫でしょうか?」と、 Fさんが賢治先生に聞きました。
「ときどき、酔ったようになって、吐かれるかたもありますので……。」
「まあ、だいじょうぶでしょう。」
「気分が悪くなったら、目をつむっておいてください。」
Fさんは生徒たちに言いました。
「だいじょうぶ。ぼくは、どんなこわいジェットコースターでもこわいことあらへんから……。」
と、けっして人見知りしないしずおが答えました。
丸天井の中は薄暗かったのですが、もちろんつまずくほどではありませんでした。
階段を上って、できるだけ高いところの席に陣取りました。ウイークデイでもあり、 彼らの他には客はいませんでした。
「もうすこししたらはじまります。しばらくお待ちくださいません。」
Fさんは、ホールの前の壇に立ってことば尻を飲み込むようなちょっと きどった言い方をしました。
ところが、プラネタリウムはなかなかはじまりませんでした。 Fさんは時計をちらちらと見ながら困ったという表情で立ち尽くしていました。 そこにもう一人の案内係の娘さんが現れて、何か耳打ちをしました。 Fさんは途方にくれたような顔をしましたが、きっと意を決したように 姿勢をただして立ちました。
「もうしわけございません。本日のプラネタリウムの解説者がいま解説室で突然倒れました。 それで、解説をすることができません。映写技師は倒れていませんので、 映写はできるのですが、解説はできません。どうしましょうか?」
Fさんは、賢治先生の方を困りきった顔で見上げました。
賢治先生は、ちょっとだけ考えてから、やにわに立ち上がって声を張り上げました。
「わたしが解説しましょうか……。ちょうどお客は内の生徒たちだけだから、 わたしが解説してもだれも文句は言わないでしょう。」
「それは……。」
Fさんはちょっとことばに詰まりましたが、「相談してきます。」とどこかに消えました。 「賢治先生の解説でも辛抱しといたるで。」と、しずおが憎まれ口をたたきました。
「星の話は得意やから……。」と、花子が応じました。
そこにFさんがもどってきました。
「先生にお願いできるでしょうか。了解をもとめてきましたので……。」
どこにあるか分かりませんが、Fさんは、賢治先生を解説室に案内していきました。 そして、彼女がもどってくるとすぐに館内が暗くなりました。丸天井が夕方の藍色を帯び、 だんだんと暗くなって春の夜空が浮かび上がりました。ほのかな銀河が夜空をよぎっていました。
「いまじゃあ、都会ではほとんど見られませんが、これが銀河……天の川です。」
ホールに賢治先生の声が響いて、レーザーポインターの赤い点が天井を行き来しました。
「ではみなさん、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと 言われたりしているこのぼんやりと白いものがほんとうは何かわかるかな?」
ホールに響く賢治先生の声の問いかけにしずおが勢いよく手をあげて答えました。
「目には見えないくらい小さい星がいっぱいあるのかな。」
「はい、正解です。ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、 その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にあたるわけです。」
レーザーポインターの赤い点が天の川から逸れて、春の星座の解説に移っていきました。
「では、以前話したことがある銀河鉄道はどのあたりを通っているのでしょうか?」
数人の生徒が暗い中で腕を伸ばして、「天の川のところ……。」と、 丸天井のそのあたりを指さしました。すると、「そのとおり。」という 賢治先生の声が降ってきて、それと同時に天の川の岸辺に沿って細い線路が 浮かび上がりました。
「これが銀河鉄道です。では、ちょうどきょうは他のお客もいないので、 みんなといっしょに銀河鉄道の旅にでることにしようか。」
遠くから喧噪にまじって「銀河ステーション、銀河ステーション」という放送が聞こえ 、星空を背景に一瞬何か文字のようなものがひらめきました。 青い地球の丸みが画面の下にのぞいています。ゴーというジェットコースターのような 音がホール全体を満たし、画面が揺れはじめました。気がつくと、 何かに向かって突進していく列車の運転席が天井に大写しになっているのです。 窓の外にはくっきりと夜空が広がり、それが途方もない速度で後ろに流れていきます。 さすがに全天周の映像。すごい迫力です。「ゴー」という音響とともにホール全体が震え、 身体から血の気が引いていくようです。もう幻覚なのか、ほんとうに銀河鉄道に乗っているのか、 分かりません。その迫力はどんなジェットコースターも及びません。 生徒たちは叫びをあげましたが、ジェットコースターはますますスピードを上げていきす。 天気輪の柱でしょうか、後方に流れていきました。いつか賢治先生が銀河鉄道の話を したときそのままです。やがて、すべての景色が見分けられなくなり、光だけが後ろに流れ、 ジェットコースターは目が回るような速度で宇宙に飛び出していきました。 ふーっと意識が遠のくような感覚がありました。そして、気がつくと宇宙空間に曲線を描いて、 銀河鉄道が進んでいました。きっと想像もできないほどのスピードなのでしょうが、 まわりの星が遠いためかさほど速度を感じません。
銀河鉄道は夜空を横切っていきました。生徒たちは白鳥駅で下車したり、 鷺を押し花にするおじさんに出会ったり、石炭袋の穴のようなブラックホールをみたりしました。 それはゆったりとして、全天周映画を楽しんだという雰囲気でした。
でも、ブラックホールの渦に巻き込まれる力を利用して、銀河鉄道が方向を変えて 引き返しはじめたとき、ふたたび身体から血の気が引いていったのです。 すでに、生徒たちは、どのくらい時間がたったのかもわからなくなっていました。 銀河鉄道は、大音響とともに大気圏に突入し、流星雨を飛ばして急ブレーキをかけながら 減速していきました。そして、徐々にゆったりとした速度になり、 最後にゴトンと列車が止まるとき、座席ガクンと突き上げてきて、 お尻を蹴飛ばされたような衝撃があったのです。まるで椅子の中に人が隠れていて、 お尻を突き上げたようなおかしさでした。生徒たちはその一蹴りで現実に 引き戻されたようです。
みょうなおかしさにふっと我にかえって、生徒たちは歓声をあげました。 どうして歓声なのでしょうか。なにかほっとしたということもあるかもしれません。 というより、宇宙旅行もかなり迫力はあったのですが、それよりも、さいごの一蹴り、 その突き上げが思いがけなくて、おかしくて、それで喜びの声をあげたようなのです。
案内係のFさんの表情には、いま上映された全天周映画から受けた衝撃がまだ残っていました。 全天周映画はいつも上映されているのとはちがっていたのです。 こんなフィルムは見たことがありません。信じられないという青い顔で、 それでもFさんは、「出口はこちらでございます。」とお客を誘導しているのでした。
「でも、あの座席にはあんなふうに突き上げるしかけがあって、 映画がおわったときいつも蹴飛ばされるのかな。」と、生徒たちはいまだにびっくりの 余韻を口にしたり、あるいは黙ってふしぎをかみしめながら、中にはお尻をさすりながら、 ぞろぞろとホールから出てきました。すると、まぶしい出口付近に賢治先生が待っていて、 にこにこ顔で生徒たちを迎えたのでした。


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