◇2002年5月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

総合学習に演劇を

障害者の職場が変わりつつある?

付録「性教育、簡単手作りグッズ」


2002.5.1
総合学習に演劇を

先日(4月13日)の朝日新聞「私の視点」に「総合学習 演劇を導入し、人格を育てよ」 と題する意見が載っていました。元校長の長尾正文氏が書かれたものです。
「総合学習に「演劇」を組み入れ、所期の教育目標を達成されることを提案」されています。
「「演劇」は総合芸術である。脚本の選定や創作を手始めとして 、役割分担や読み合わせの言語活動は、すばらしい生きた国語教育の実践である。 とりわけ、新要領がいう「通じ合い」(コミュニケーション)には必須の体験だ。 さらに、上演(発表)を目指す活動では、舞台装置の工夫や音楽・音響の効果、 役作りのための衣装考証、場合によっては照明効果はどさまざまな芸術的・創造的表現活動が 重視される。(中略)ひとつの脚本を手がかりに、児童生徒の一集団が助け合い、 協力し合って創造的な表現活動に専念するということはなんとすばらしい教育活動であろうか。」
「人格を育てよ」などの主張には少々面はゆい感じはありますが、 総合学習の選択肢の一つとして「演劇」をあげることに異論はありません。
ということで、具体化はどんなふうになされるのでしょうか。 まず一からの創作はむずかしいということで インターネットで脚本探しということになったとします。 そこでYahooを見ていてたまたま「賢治先生がやってきた」という劇が見つかりました。 これを見てみよう、とクリックします。ところが、「Access denied」と 拒否されるのです。何度試みてもおなじことです。何がおかしいのかな。先生にきくと、 「それははねられているのかもしれないね。」という答です。学校のコンピュータは 用心深いのです。「賢治先生がやってきた」は、その中に「イーハトーブへ、ようこそ」 という性教育をテーマにした人形劇の脚本があります。その脚本には、 あぶないセリフがたくさん出てくるのです。それがあって接続を拒否されているわけです。 これはなんとしても残念しごく。小学生、あるいは中学生にこそ見てほしい、 見て考えてほしいのです。何とかなりませんかね。「賢治先生がやってきた」 だけは特別顔パスということにしてもらえませんでしょうか。けっしてあやしげなしろものでは ありません。何とか.ed.jpとかいう教育関係のコンピュータでも見られるように。
いっそのこと「イーハトーブへ、ようこそ」をラインナップからはずそうか、 とまで考えてみたのです。そうすれば生徒たちのコンピュータでも「賢治先生」に アクセスできるようになるはずです。そして、「イーハトーブへ、ようこそ」を 読みたい人がいれば、メールで送るといった方法もあるのです。 でも、これって言論統制みたいじゃないか、と気がついたのです。規制を考慮して、 ひっかからないために自己規制する、そんなばかな術策にはまってなるものかと。 そこで、やっぱり「イーハトーブへ、ようこそ」は、堂々とこのままにしておくことにします。 もし学校でアクセスして「Access denied」と拒否されたら、 家のパソコンで再度挑戦していただくしかありません。それで忘れ去られるようなら、 もう一度アクセスしてもらえないようなら、「賢治先生」もそれまでと割り切ることにしました。



2002.5.1
障害者の職場が変わりつつある?

以前、この「うずのしゅげ通信」に卒業生の職場についてつぎのように書いたことがある。 (「うずのしゅげ通信」2000年7月号、 興味のある方はバックナンバーをお読み下さい。)

「本校の卒業生の場合、単純な作業が多い。工場の機械化がすすんだとき、単純作業は、 ベルトコンベアによる流れ作業の職場に、あるいは、縫製工場のように、 コンベアはなくても半製品は流れており、その分業として、また機械の入口出口、 といったところに生じるが、実際そのような製品の流れに乗れているものは、 どれほどいるのだろうか。流れ作業のスピードにはついていけず、機械の入口出口の 作業では採算のとれる早さで作業できないといったことも多い。 そうなると主な製品の流れにかかる作業工程からはじきだされることになる。 いわゆる補助作業に甘んじなければならなくなってしまう(離れ小島、孤島)。 このことは、雇用の不安定さや低賃金とも関係している。しかし、おおざっぱにいえば、 機械化によって生じた単純作業に対応できるか、できないか、 といったところが本校の卒業生の実態である。そして、そういった職場は 主にパート労働者の職場である。パート労働でも対応できるまでに仕事の単純化がなされており、 それについていけるものは、パートの女性労働者に囲まれ、あるいはその指導のもとに働いている。 パート労働者に支えられている。(中略)平成2年度の卒業生についてざっとした 統計をとってみると(厳密な作業の分類が難しいため)、ベルトコンベアのあるなしにかかわらず、 工場内の製品の流れのなかで作業をしているものが、就職51名中14名(28%) (内訳は靴下のセット機も含めて電子部品製造等のコンベア作業9名、縫製等の分業5名)、 機械の入口出口の作業(例えば、プラスチック成型機の出口での製品の箱詰め等)が 7名(14%)、残りの30名(58%)が、主な製品の流れからそれた、あるいは離れた、 いわゆる補助作業である(孤島の作業)。このなかには、例えばプラスチックや 金属のバリ取り作業、製品をつめる箱作り、コンテナの洗浄、縫製工場の糸きり、 裏返し、靴下の揃え作業等がある。」

かつて本校のような養護学校の場合、卒業生の就労先はほとんどが製造業でした。 先に引用したのは、彼らが就業している工場で、どのような仕事をしているかを分析した ものです。
しかし、本年度の卒業生を見ていると、その様相が変わってきつつあるような気がします。 スーパー、生協、ファーストフード店、衣料や日常品のチェーン店など、 いわゆるサービス産業に就職するものが増えてきたのです。内実は、正規採用もあり、 またパート労働もあるのですが、両方を含めるとり、本年度の卒業生のサービス産業に 就労していったものの、全就労者に対する割合は、25%です。 ちなみに製造業の割合は57%です。事例数がそんなに多くない(28例)ので 一概には言えませんが、およそ4人に一人がサービス業に就いているということになります。 もちろん世の中の傾向がそうなりつつあり、必然的に知的障害者の就労の機会も またサービス業に偏って多くなりつつあるというのが事実なのでしょう。しかし、 知的障害者の就労がサービス業のどこに準備されていて、それが彼らに向いているかどうか という分析をするには、その風潮は風潮としていったんは切り放して、 考えて見なければならないと思われるのです。
かつて彼らが主に就労していた製造業の工場の中で彼らに準備されていたのは、 製造ラインの流れ作業、機械の入口、出口の単純作業、あるいは工場の製品の流れから 離れた孤島の内職まがいの単純作業でした。
では、今回、サービス業が彼らに準備したのはどのような作業なのでしょうか。 わたしの聞くところでは、一つはスーパーや衣料品や日用品のチェーン店で、 品物を出して陳列する作業。また、ファーストフード店では、チキンを揚げたりするマニュアルに 沿った単純作業などです。ファーストフード店の単純作業は、工場の機械の入口、 出口の作業に似ています。油鍋にチキンを入れ、取り出す、まさに機械の入口、 出口そのものです。これは、製造業で実証済みで、十分彼らはこなしていけるはずです。 では、品出しの作業は、どうでしょうか。いくつかのむずかしい局面が考えられます。 どの品物を棚出しするのか。それはしかし、上司の命令に従っていればいけるのでしょうか。 自分で判断する必要はないのでしょうか。また、陳列の仕方は、むずかしくないのでしょうか。 品番を読んで、間違いなくその場所に陳列する、これはなかなかむずかしそうです。 衣料品など形を崩すことなくならべるだけでも技術がいりそうな気がします。しかし、 考えてみると、シャツの工場でたたみの仕事をしているものは、厚紙を挟んでシャツを畳んで 、ビニールの袋に入れて、出荷しているものもいるのです。その逆の作業をしているだけだとも いえるわけです。そんなふうに考えると、サービス業の中にも単純作業はいろいろあることが 分かります。いつなにを補充するか、客への対応などむずかしい局面は考えられますが、 慣れれば何とかなるような気がするのですが、楽天的すぎるでしょうか。
概していえば、サービス業でも、パートタイマーを想定したマニュアルが用意されているような 単純作業は、障害者もまた就ける可能性があるということでしょうか。 パートタイマーを雇うためのマニュアルがあるような仕事となると、 それは衣料、ファーストフードなどのチェーン店ということになります。
この程度の分析でいいのかどうか自信がありませんが、とりあえずは、 サービス産業への障害者の就労ということを、仕事の内容から考えてみました。


2002.5.1
付録「性教育、簡単手作りグッズ」


これまで性教育についてはいろいろ書いてきました。
今回、そのなかで紹介した性教育グッズを写真で紹介したいと思います。

まずは、「性教育は人形劇で」の実践?
リアルすぎず、個性的に、そこそこリアルに。「うずのしゅげ通信」2001.6.1号 「性教育は人形劇で」に登場した人形たちです。








つぎは、身体の内臓張り付け紙エプロン

「うずのしゅげ通信」2001.7.1号「あかちゃんはおしりから生まれてくるの?」で用いたものです。
「教師の一人が紙のエプロンをつけて、そこに他の教師か 、生徒がいろいろな内臓を張り付けていく、という趣向を考えました。
外から見ることができない体の内部の構造はつぎのように説明します。
口から肛門にいたるうんちのパイプ→うんちが出る道
(ウンチの旅の説明、うんち製造器としての人間)
膀胱のふくろからおしっこ→おしっこが出る道
(おしっこができる仕組みの説明、おしっこ製造器としての人間)
男の子は上のふたつの道(穴)しかありません。
女の子には、
セックスとあかちゃんのふくろがあります。→セックスとあかちゃんが生まれる道
(セックスをして、あかちゃんを育て、生む人間)
あかちゃんはこのふくろの中でどうしているのか?
生まれてくるのは、お母さんも赤ちゃんもしんどいぞー。
ここで、出産のビデオを見る。」

つぎは「高養 青春スゴロク」です。

写真では詳細は分かりにくいと思いますが、遊びながら、高校生活と、 卒業してからの生活をシュミレーションしようというのが狙いです。 性教育にかかわることがらと、現場実習から就労にいたる社会にでてからの道筋が混在していて、 どうも中途半端なものになったように思います。
そのこともあって、「うずのしゅげ通信」では話題にしませんでした。

つぎは、こころの中をのぞいてみよう、という「ハート形のこころ」の試みです。

「ハート形の真ん中に一部切り込んだ円盤を回転できるように取り付けて、 それを回すと切り込みから「すき」、「きらい」、「友だち」という文字が現れるような こころの形を表現するしかけを作ってみたのです。
そのときは、こんなふうでした。まずはじめにこころは目には見えないが、 どこにあると考えるか、あると思うところに、洗濯ばさみで、 ハート形を付けてもらいました。一人は腹に、他のものはみんな胸につけました。
そして、次に成長の話を受けて、乳幼児のころは親にたいして「すき」、 それ以外は「きらい」という二項しかなかったのが、幼稚園にいくころから、「すき」、 「きらい」以外に「友だち」という第三項が生まれてくる。(この第三項を入れてくる というのが重要なのですね。)これによって、画期的にこころの成長が図られることになります。 さらに分節かが進みます。おなじ「すき」でもいろんな「すき」が分化してきたり、 おなじ「きらい」でもいろんな「きらい」のニュアンスがあるということに気がつきます。 そんなふうなこころの成長の話をしたのです。
そして、いまはハート形でこころを目に見えるようにしているが、ほんとうはこころは目に 見えないのだから、他人にすべて話す必要はないことにも触れました。たとえば 、性にかからわること、初潮や精通のことなど、こころの中にしまっておいてもいいという ことなどです。山本直英氏が言われるように秘密の部屋をもつことは、 おとなになるために必要なのですから。生徒たちにも「秘密をもってもいいんだよ」と どこかで言っておきたかったのです。
そんな話をした上で、生徒たちがもっとも関心を持っている男女の問題に切り込んで いったのです。 自分が相手に「すきすき」サインをだし、相手もこちらに 「すきすき」サインを出してきたとき、「恋愛」が成り立ち、 こちらが「すきすき」サインを出しているのに相手が「きらい」サインや、 「友だち」サインを出していれば「片思い」ということになります。」
まだまだいろんな使い方が考えられます。社会にでたら、なかなか「すきすきサイン」 を出しにくくなります。「きらいサイン」も出しにくくなりますね。そうすると 「きらいサイン」が出ないというだけで、「すきすきサイン」と勘違いする卒業生もいるのです。 そんな話をしているときりがありませんが、 いろんなバリエーションが考えられることは確かです。




「うずのしゅげ通信」にもどる


メニューにもどる