◇2002年6月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

母の声

助走、性教育

ショートショート「百年たったら……」


2002.6.1
母の声

子どもたちが小さいころ、遊び半分で録音した声がカセットテープに残っています。 音楽が入っているテープに子どもの声が断片的に混じっていたり、テレビ番組の続きに、 「ヤッターマン」の歌を歌っていたり、あちこちに断片的にのこっているのです。 というわけで、家中の古いカセットテープを探して、かき集め、 一本のテープにまとめることにしました。
子どもの声を渉猟しているとき、童謡のテープの途中に、 もう十数年まえに亡くなった母の声が突然割り込んできてどきっとさせられたのです。
前のやりとりはないので想像するしかないのですが、孫に、 テープの音楽を聞かせてとか、録音してとか言われたらしいのです。
(カセットデッキの)「使い方が分からないから、 おじいちゃんが帰ってくるまで待ってて……」といった声でした。 そんなほんの短いやりとりが、おそらく孫の手でボタンが押されていて偶然残ったのでしょう。 その声がほとばしったときには、ほんとうに不意打ちを食らった感じでした。
一瞬でしたが、幻惑されたように「母がここに生きている。」という実感をもったのです。 巻き戻して、もう一度、その部分を聞いてみました。二度目もまた「母が生きている。」 という感覚とともに、なつかしさがこみ上げてきました。ふしぎな感覚でした。
家には、子どものちいさいころを写した8mmフィルムもあって、そこにも母は、 ちょっと登場するのですが、音声のないままに動いている母を見ても、 「ああ、あそこに母がいるなあ。あのころはまだ若かった……。」といったふうな 感慨しかなかったのです。
声というのは、ふしぎな力をもっていると、そのときあらためて感じました。
生きた母を感じさせたのは、ことばというより、声の力です。声は、 感情をつたえることができる。その感情のこもった声が、 生きた母を感じさせたとでもいうしかありません。声は生の本質に、 どこかで繋がっているのでしょうか。
現代は、視覚優位の時代のように思われます。病院にいっても、 医者は病状を視覚で確認しないことには治療にとりかからない。 病巣の影像、それはたしかに真実のものではるのでしょうが、 はたしてほんとうに患者の生と充分につながっているのでしょうか。 むかしは聴診器で心音や呼吸音を聞き、胸を打診し、お腹の音まで聞いていました 。そのとき医者が聞いていたのは、たんなる心音ではなくて、 患者の生の音だったような気がするのです。
聴覚から視覚に移っていくのが時代の流れなのでしょうか、 視覚優位の世界が、本当に生につながった影像を見ているのかどうか、 そんなことまで考えてしまったのです。

追伸
自閉的傾向といわれる人たちは、視覚優位の認識をしているように思います。 一度見たものはすべて記憶できるといった「特技」をもっている人さえいます。 しかし、感情に乏しい感じを受けることがよくあります。感情は声の持つ色合いであると思います。 だから、感情は、表情に負う部分もあるのかもしれませんが、基本は聴覚から入ってくる部分が多い 。自閉的傾向の人たちは、声がうまく認識に繋がっていかないのでしょうか、 オーム返しがあったり、音に過敏であったり、 聴覚情報に尋常でないところがあったりするようです。


2002.6.1
助走、性教育

わたしの勤務する高等養護学校の教育力はどんなところにあるかを考えたことがります。 (「うずのしゅげ通信」2000、12月号)
そこで、つきのように書いています。
「高等養護学校は、県内の中学校の障害児学級を出たものがほとんどです。 そこに普通学級の出身者と養護学校の中学部出身者が少し混じる程度です。
彼らは、高等養護学校に入学すると、まず対等の人間関係に曝されます。 友だちになりたければ自分から口を利かなければならないし、 教室移動や着替えの段取りも自分で考えないとだれも手を取って教えてくれる わけではありません。恋愛ももちろん対等です。片思いや憧れだけではありません。 本当に恋愛もできるのです。この対等の関係に放り込まれることによって 生徒たちはいちじるしい成長をとげます。これは教師が介入できない集団の力学のようなものです。 もっとも教師との人間関係もそこに含めて考えておいた方がいいかも知れません。 しかし、とくに自閉傾向をもった生徒など、集団に入り込めない、 対等の人間関係が苦手な生徒は、その機会を捕らえることができなくて、置き去りにされます。 ここに教師が援助しなければならないところがあります。対等な人間関係の場を保障することと、 対等な人間関係になじめない生徒を援助すること、これがとりあえず教師に課せられた 仕事となります。対等の集団というのは、人間の発達にとっていかに必要かということを 痛感させられますが、そこに問題がないわけではありません。(中略)
慣れない対等な人間関係でぎくしゃくします。けんかもあります。慣れてくると異性を 好きになるということもできてきます。これまでのような夢のような片思いとは 手応えがちがいます。平等な人間関係があってこそ、けんかも恋愛感情も育つのでしょうが、 どこかぎこちないのです。恋愛もそれなりの訓練が必要です。 人は思うようにはならないということを思い知るべきなのです。 しかし、彼ら、彼女らは、自分の恋愛を何を手本にしているのでしょうか。」

性教育をどうするかを考えるにあたっても、この分析からはじめるしかないように思います。
ある年など、性教育でわたしの担当した班のメンバーの約半数は、自閉的な傾向があったりして、 まだ充分対等な人間関係をつくりがたい、それを信じ切れていない、 といった段階にとどまっていました。 彼らは、まだ対等に人を好きになる段階に達していないようにみえました。
残りの半数は、 対等な人間関係を保障される中で、それなりに友だちをつくっていました。 この段階に達したのものは、おなじように対等な関係の中で友だちを好きになることができます。 そして、彼らには、具体的な性教育が必要です。健常児とかわるところはありません。
そんな彼らのようすを見ていると、恋愛感情を育てるのにも、あるいは、 片思いでさえ好きだという感情を育てるには、 対等の人間関係を保障する場があって、それを信じられるという条件が絶対の 要件だということがわかります。ひごろ、われわれは、あたりまえのように対等の 人間関係の保障された場にいるので、恋愛の条件として、 そのことを認識できていないだけのような気がします。
だから、性教育としては、対等な人間関係をつくることができている半数には 、恋愛や片思いの話をすることもできます。先月号に写真入りで紹介した ハートの「こころ」モデルを使って、恋愛やセックスの話をしても通じるのです。
でも、まだその段階に達していないものに対してはどうでしょうか。彼らの課題は、 対等な人間関係への信頼をもたせる。つまり友だちをつくれるように、 というのが課題ということになります。
しかし、彼らにも歌手やタレントにたいするあこがれはあります。 異性を好きになる話にはそっぽをむいていたものが、ひいきの歌手の話になると、 身を乗り出すということもあるのです。歌手やタレントにあこがれるという こころの飛翔もまた何か必要性があるのでしょうか。想像力をたくましくすれば、 芸能人にあこがれることで、肉親以外のものを好きになるという感情を 学んでいるのかもしれません。相手が夢の空間にいるだけに自分が傷つくことはなく、 安心して人を好きになれるのですから。恋愛をそんなふうに学習するというのも、 ありそうなことですね。恋愛なんて、たかが近代(?)の産物なのですから。 その飛翔が、対等の人間関係というところに着地したとき、 やっと対等の関係で好きになる恋愛の準備ができたということになるのかもしれませんね。
だから、この段階にある生徒には、たとえば、好きな歌手やタレントの ブロマイドでももってきてもらって、その人のどんなところが好きなのか、 といったことでも発表してもらうというのも一つの方法でしょうか。
彼らは、また、セックスに対する欲望が十分認識されていない、 あるいは発達していないようにも思われるのです。 だから、性にかかわるうさんくさい秘密をもつこともなくきたにちがいないのです。 畢竟、性の秘密を梃子にしたプライバシー感覚も身に付かないということになります。 ここでいうプライバシー感覚というのは自分自身というもの、 つまり自己と考えてもいいもののように思います。(「うずのしゅげ通信」2001、6月号)
対等な関係という段階を経ないでも、片思いとかしている障害者はいるよ、 と言われる向きもあるかもしれません。それも、わかるのですが、 しかし、その場合は、母性へのあこがれとか、父性へのあこがれ、 といったものとかわらないとも言えるのではないでしょうか。 とても、対等を踏まえた、傷つくことも覚悟の恋愛、片思いとは思えないのです。
以上をまとめますと、これまで述べたように、高等養護学校に入学し、徐々に対等の人間関係に慣れ、 友だちをつくることができるようになり、 さらにその対等な人間関係に対する充分な信頼を踏まえて、新たな一歩を踏み出す。つまり 同級生に恋愛感情を抱くようになれば、そこではじめて人間関係の基礎ができたといっても いいように思うのです。それは、「健常者」には、水や空気のように、あたりまえのものとして 保障されている環境なのですが、養護学校の生徒にとっては、 はじめてなじむものなのかもしれません。だから、 それを信頼するのに時間が必要なのは当然ではないでしょうか。 まして、人間関係が苦手な自閉的傾向をもつ生徒にとっては……。
そして、彼らに対等な人間関係への信頼を促すような学習もまた 性教育であるように思うのですが、いかがでしょうか。

2002.6.1
ショートショート「百年たったら……」

賢治先生はふしぎな先生でした。何を教える先生なのか分からないのです。
「アメニモ負ケズ」という詩を書いているというので 、国語の先生かというとそうでもないのです。 「月夜のでんしんばしら」というふしぎな絵を描いているので美術の教師のようなのですが、 それもちがうようなのです。作曲もしますが、音楽の教師でもなさそうです。 農業にもめっちゃくわしくて、農業が専門のようなのですが、 それだけではなさそうなのです。星座や宇宙のことにくわしくて、 理科の教師でもあるようなのですが、そうでもないのです。
そんな賢治先生が、講師としてK養護学校にやってきたのです。
最初の日、校長先生の紹介があって、つつっと登場したかと思うと、 「みやざわけんじです、よろすく」と簡単な挨拶をしただけで、 ちょっと跳び上がるようなしぐさで身体を回して消えてしまったのです。
高等部3年生のみんなで春の遠足にでかけました。行き先は室生寺のちかくにある 花しょうぶ園です。雨が降りそうでしたが、どんよりした空は黒い雲におおわれてはいましたが、 どうにか持ちこたえていました。花しょうぶ園は、まだ花しょうぶは咲いていなくて、 紫陽花もまだのようで、てっせんの花だけが、生徒たちを迎えてくれたのです。
賢治先生は、あるクラスの生徒といっしょに休憩所で休んでいました。 木材でできた屋根がある吹きさらしの休憩所で、周りが見渡せるようになっているのです。 近くの牧場の搾りたての牛乳をたのみました。こくがあってたしかにおいしかったのです。
しばらくして若いウェイトレスさんが、カップを集めにきてくれました。
「おさげしてよろしかったでしょうか?」
ウェイトレスさんは近くにいた賢治先生に声をかけました。
賢治先生は、ちょっととまどいましたが、すぐに意味を理解して、 「おねがいします。」と返事しました。
「はじめは意味がわかりませんでした。」 ウェイトレスさんが片づけていったあと、賢治先生は、担任のM先生に話しかけました。 若いM先生はちょっと楽しそうでした。
「あの言い方でしょう。」と、いたずらっぽく笑いました。
「賢治先生は知らないんですか?このあいだ新聞にも載っていましたよ。 若者の中にあんな表現をする人もいるらしいですね。」
「未来と過去がまじりあっていますね。」と、賢治先生は考え込んだ顔でいいました。
「まだ片づけていないんだから、お下げするというのは未来、 それをよろしいと判断するのも未来、それが過去形になってしまっていますね。」
「賢治先生はえらくこだわりますね。」
「未来が過去になって、過去が未来になる。ここでは過去と未来がまじりあってるような……」
「そんなおおげさなことじゃなくて、たんに若い人のはやりですよ。」
賢治先生はあいかわらず考え込んでいました。
対面の丘の斜面に植わっている紫陽花を見に行こうということになって、 賢治先生のクラスが早めに出発しました。
「百年たったら、また会おう……」
花しょうぶの棚田を抜けて、丘にさしかかったところで、まだ休憩所にたむろしている生徒の声が 、かすかにこだまをともなった叫びが届きました。
「二百年たったらまた会おう」
賢治先生と前後して歩いていた女生徒が突然振り返って叫びを返しました。
花しょうぶの棚田を隔てた向こうの休憩所に手を振る生徒たちが見えました。
賢治先生は、内心ちょっとおどろいていました。
自分がやってきてから、養護学校にこの挨拶がはやりだしたのです。 どうしてだろうかと賢治先生は考えることがあります。宮崎駿のアニメにでもあって、 それをまねているだけかもしれないとも思うのです。でも、それだけではないように思うのです。 自分は百年前に岩手県に生まれて、七十年くらい前に地球を離れていった人間だ。 そして、ふたたび帰ってきた。賢治先生は、生徒たちに、 そのことを見抜かれているように思いました。
「五百年たったら、また会おう」
向こうの丘から、生徒の叫びが聞こえました。今回もすこしこだまがついていました。
「千年たったら、また会おう」
先ほどの女生徒が間髪をいれずに答えました。
「百年たったら、また会おう」
賢治先生は、口の中でつぶやきながら、斜面を一歩一歩踏みしめて登っていきました。
賢治先生は約百十年前に生まれました。明治29年、1896年です。 そして昭和8年、1933年にこの世界を離れて銀河鉄道の旅に旅立ったのです。
そして今、「百年たったら、また会おう」という約束が生徒からなされました。
そして、賢治先生には、「百年たって、また会いましたね。」と聞こえたのです。
いまや、未来は過去形で表現されるのですから。
「賢治先生、百年たって、銀河鉄道の旅から帰還して、またみんなに会えましたね。」 と生徒たちは言っているわけです。
「未来は過去形で表される。では、過去はどうなるのだろう。過去は未然形で表現される。 『百年たったら、また会おう』が過去、『百年たって、また会いました』が未来……」
賢治先生は、そんなふうな思考の堂々巡りにとらわれていました。未来と過去が脳裏で渦を巻き、 眩暈がしそうでした。斜面に立ち止まったとき賢治先生の身体が傾いたのでしょうか、 後ろの生徒が腕を掴んで支えてくれました。それでも軽い眩暈のようなものは続いていました。
「一万年たったら、また会おう」
目をつむっていると、丘の向こうからまたこだまをともなった叫びが脳裏に飛び込んできました。


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