◇2002年9月号◇
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】
[見出し]
今月号の特集
手話劇「ホームレス、賢治先生」について
虫、二題
ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」
2002.9.1
手話劇「ホームレス、賢治先生」について
手話劇「ホームレス、賢治先生」を上梓しました。
「手話劇」を書きたいとずっと考えてきました。手話が出てくる劇とはちがいます。
聴覚障害者が登場する劇で、台詞の一部に手話が使われることはあると思います。
しかし、わたしが書きたかったのはすべての台詞が手話で演じられる劇です。
日本語などなくてもいいのです。ただ、観客として健聴者を拒まないのなら、
手話の台詞に音声が付随してもかまわない。そんなふうな劇が、ほんとうは書きたかったのです。
そうすると、当然のことに、脚本は手話で書かなければならいはずです。
しかし、手話を文字様のもので表記する方法がありません。
「うずのしゅげ通信」(2001.2)
でも触れたことがありますが、以前ろう学校に勤務していたとき、
手話の記号化ということを考えたことがあります。しかし、結局試案の段階を出なかったのです。
だからでしょうか、今でも手話の表記というものには興味があって、
ときどきは手話の本などを覗いてみるのですが、
これといった提案は出てきていないようです。
書くのがむりなら、いっそ手話のイラスト、写真、あるいはビデオでというやり方も考えられます。
しかし、それも誰かがやってくれるのなら、おもしろい試みになるにちがいないと思いますが、
自分がやるとなると話は別です。
手話は場面で生きてくる言語です。想像するだに空恐ろしくなるほどの困難な作業になりそうです。
それでしかたなくいつも通り日本語での脚本になりました。
ただ、これを手話でどう表現するかということは常に念頭にありました。
ということで、いや、にもかかわらずと言うべきでしょうか、
ずうずうしくも「手話劇」と銘を打ってしまって、
ちょっと後ろめたい気もしています。そこは寛恕願うしかありません。
ただ、聴覚障害の人たちが演じるのに不合理なセリフや、無理な状況設定がないようには
気をつけたつもりです。もし、そんな表現が紛れ込んでいれば、ご教示ください。
手話で演じる劇を一度書いてみたいとずっと考えてきました。それを試みたわけですが、
さて、できあがってみると、手話で充分に演じられ、また理解してもらえるだろうかという
危惧がのこります。
いつも書き上げたあと、さて自分ならどういうふうに演出するだろうかと、
なんども心の中で反芻してみます。
一場のホームレスの賢治先生には、あまりセリフがありません。
はじめから賢治先生が手話を使うのは不自然だからです。
しかし、ろう学校の生徒たちとこころを通じ合わせることができる、
そこが演出のポイントだと思います。
二場では、賢治先生が手話を使いはじめます。しかし、
たどたどしい手話であまり目立たないようにします。
ここで歌われる「月夜のでんしんばしら」は、ろう学校の生徒にもリズムがとれるように、
太鼓やらたたいて派手に演じた方がいいかな、そのためには、
あらかじめ楽譜を配っておくという方法もあるな、とか考えています。
それなら、いっそう、劇中で使われる「春と修羅」の序
「わたくしといふ現象は」の詩、あるいは「銀河鉄道の夜」の「石炭袋の孔」
の一節などは、楽譜と一緒にテキストを配っておくという手もあるなと。
「月夜のでんしんばしら」の歌詞は、どんなふうに手話になるのかな?
「でんしんばしらのぐんたいは、はやさせかいにたぐひなし」、この歌詞を、
行進のリズムに乗って、手話で表現することができるかな。
また、セリフは、日本語優先ではなく、手話優先で演じればいいと考えています。
なぜこんなことをわざわざ言うのかというと、日本語のセリフにできるだけ忠実にということを
求めてはいないからです。「シンコム」と称される手話を使って、
「日本語を話しながら、その日本語の単語に対応する手話単語をならべていく」(注)
ようなやりかたで演じることを想定してはいないからです。手話に翻訳して演じるといった
感覚でやっていただきたいということです。
あくまで手話劇であり、手話で観客にしっかりと理解してもらうことのほうが大事、
そのために劇のテンポが少々遅れたとしてもしかたがないと思います。
手話でこれだけの表現ができるか、と書きながらそのことを危惧したことはありません。
たしかにむずかしい箇所もなくはないと思いますが、このくらいの表現に耐え得ない
手話ではないと信じます。
「日本語−手話辞典」(監修、米川明彦)という分厚い辞書が出ています。
それでも、語彙が足りない。すこし抽象的なことになるとたちまち語彙不足を感じます。
しかし、手話は日常語において非常に豊かな世界を持っています。
この劇でそれが生かせればと思います。
一つの劇を手話で演じきって、手話語彙の使い方を芸術の中で確認していくということも
とても大切なことだと考えるのですが、どうでしょうか。
これまでにも「うずのしゅげ通信」で話題にしたことはありますが、ろう学校に勤務していたとき、
またそれ以後、
手話について考えてきたことをそそぎ込んでいます。手話と聴覚障害者の関係、
聴覚障害者のことばである手話と日本語の関係、等々です。
未熟な点、考え尽くされていない観点など多々あると思います。
ご教示いただいて、また改訂していきたいと思います。
注、「シンコム」という言い方については、月刊「言語」1998、4月号特集
「手話の世界」所収の木村晴美「手話入門−はじめての一歩」ではじめて知りました。
2002.9.1
虫、二題
この夏は、虫に悩まされっぱなしでした。
まずは、ムカデの波状攻撃をあびました。家の周りに植木が密集しているからでしょうか、
毎年何度かムカデに刺されるのです。十数センチという大きいムカデに襲われることもあるし、
一寸ムカデという三センチくらいのやつにチクッとやられることもあるのです。
風呂場にその一寸ムカデというやつがうじゃうじゃと、
それこそおおげさではなく五十匹以上群がっていたことさえあるのです。
どこでわいてくるのやら。ムカデの巣窟をさがして、庭の落ち葉を掘り返すことなど始終なのです。
竜に髭という葉っぱの細い草など、根っこのしたが、あやしいというので、
引いて燃やしてしまいました。そんなにしても、今年もまた
、一寸ムカデが毎日風呂場に出没します。大きいムカデも、
もう数匹やっつけています。庭の朽ち木の下では、二十センチを超える親分を
やっつけたこともあります。寝ていてパジャマの中に大きいムカデが侵入してきて
目が覚めたことがあります。そのときは、必死でパジャマを脱いで、
そのパジャマを透明なゴミ袋の中に入れて中を調べてみると、いました、いました、
大きい奴が見つかったのです。そこで青ざめても手遅れですが、
刺されなかったのがもっけの幸いでした。もちろんそんな幸運なことばかりではなくて、
年に一、二度は、寝ていて刺されることがります。大きいムカデに刺されると
、痛いし、後はかゆくなって、腫れが一週間以上も残るのです。
そこで、人間さまとしてもやられてばかりでは面子が立ちません。
やっつける方法をあみだしました。定規(できれば、プラスチックの三十センチ差し)と
ガムテープ、これが一番です。枕元、風呂場のは道具が一式準備してあるのです。
定規で押さえて、できれば、引きちぎり、ガムテープに張り付けて、何重にも巻いて捨てる、
これしかありません。一寸ムカデなら、定規でちぎって流してしまう、
あるいは、ガムテープに引っ付ける、そんなことでもやっつけることができます。
しかし、敵もさるもの、そんなくらいではくたばりません。どこでわいてくるのやら、
いまでも、ムカデ騒動は毎日繰り返されているのです。ムカデをやっつける方法、
あるいは家への侵入を防ぐ方法をご存じの方は教えてください。お願いします。
ムカデだけでも大変なのに今年の夏は他の虫の襲撃も受けたのです。
W32.Klez.H@mmという名前です。
Wはいうまでもなく、Worm(虫)のWです。大きさは一寸ムカデより、
数桁小さいようです。それだけに、目には見えなくて、内のコンピューターに侵入して、
5月のときなど、大切なデータを食い荒らして滅茶苦茶にされました。
それからは、ちゃんと対策ソフトを入れていたのに、またやられたのです。
ムカデどころじゃなくて、ムカついて、ムカついて、
むなしさ、脱力感、そんなのばかりが残るのです。
それで、システムのバックアップをとっておいて、「また感染しましたね。
でも、大丈夫」と、CDからすぐにインストールできないかと、そんな方法を考えています。
ざまあみろと言いたいわけです。W32.Klez.H@mmを見返す
何かいい方法はありませんかね。
また、インターネットに繋がっているパソコンは、それだけにしか使わないようにしようか、
とも考えています。しかし、これは逃避かな。逃げるのではなくて、
ここで踏ん張らなくっちゃと、考えてはみるのですが……。
ムカデは神様が作られて存在理由があるのでしょう。では、
コンピューターウィルスはどうなのかな、とそんなことを考えさせられた夏ももう
過ぎようとしています。あらためて、残暑、お見舞い申し上げます。
2002.9.1
ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」
H.A 「一月ほど前に、小惑星が、2019年に地球にぶつかるかもしれない、
というニュースをNASAが発表しましたね。」
賢治先生 「私にも初耳だったが……。」
H.A 「それがNHKの夜七時のトップニュースで流れたので、
よけいほんとう?という感じで……。何か、普段忘れている宇宙のほんとうが
気味の悪い顔をだしたような……。」
賢治先生 「なるほど……。」
H.A 「賢治先生は、そんなことはいつも感じておられるのでしょうが……。」
賢治先生 「まあ、銀河を眺めていたら、そんなことは始終目にすることではあるが……。」
H.A 「でも、二、三日してまた発表があって、
計算し直したら、地球に衝突する確率は20万分の1とかで、
ほとんど心配いらないということになりましね。」
賢治先生 「まあ、それで一安心ということかな。」
H.A 「でも、はじめの発表を聞いたときの驚きが余波を引いていますね。
最初は、なにしろわざわざNASAが発表するんだから、
だだごとじゃないと思いましたからね……。」
賢治先生 「NASAは、地球に接近するすべてのものを監視しておるからな。
ワシの銀河鉄道も監視網にひっかかっておるらしいが、
そこはなんとか見て見ないふりをしてくれているらしい。」
H.A 「その彗星の直径は2キロメートルぐらいらしいですよ。
それでね、2キロメートルでは、今の科学なら何とかならないのかなと、
考えてみたんですがね……たとえば、ロケットに水爆をいっぱい積み込んで
ぶつかって爆発させれば、コースがかわるくらいの影響はあたえることができるんじゃないかな、
とか……」
賢治先生 「どうじゃろうな……で、君の結論は?」
H.A 「想像してみると、2キロメートルというのは、たとえば、
いま窓から見えている山で言えば、金剛山、大阪で一番高い金剛山、
あれが1125メートルだから、あの山を二つ重ねて、上も少し削って丸い岩石の惑星を
作ったと想像してみます。」
賢治先生 「ルネ・マグリットの絵にそんなのがあったじゃろう……、
巨大な岩が平野の上にぽっかり浮かんでいて、おまけに昼なのに三日月が出ているという……。
(注)」
H.A 「絵を描いているだけあって、さすがに詳しいですね。」
賢治先生 「いやいや、同じ年頃だし……。」
H.A 「そんな巨大な岩石の惑星が
とてつもないスピードで飛んでくるわけで、……とても、
とても人間の力でどうにかできる限界を超えているような気がしますね。」
賢治先生 「君の直観はただしいような気がするよ。銀河鉄道でさえ、
まともに地球に突っ込めば原爆何個かのエネルギーを出すにちがいないからね。」
H.A 「銀河鉄道は、ブレーキをかけたときに流星群のような光のシャワーを飛ばしますね。
それくらいにしておいてくだされば、いいのですが……。」
賢治先生 「でも、小惑星の衝突の可能性はゼロになったわけじゃなくて、
まだ小さい確率ながら可能性は残ってるからね。この前NHKの子ども向けの番組で、
宇宙飛行士の毛利さんが解説していたが、地球はほんとうに偶然だが、
木星のおかげで小惑星の衝突が避けられる位置にいるらしいね。それは、
奇跡に近いほど幸運な位置だということじゃよ。」
H.A 「それでもこれまでにも恐竜を滅ぼすほどの衝突もあったわけですから……」
賢治先生 「そうじゃね。油断はできないが、それはわれわれの力でどうにか
できるものではない。」
H.A 「祈るしかありませんね。」
賢治先生 「ほんとうにぶつかるとなったら、銀河鉄道をノアの箱船にしたてて、
地球から脱出していくかね。」
H.A 「問題はだれを選ぶかですね。」
賢治先生 「わたしは、そんなことはできないから、
だまって地球に通じるレールをはずすしかないかもしれないな……。」
H.A 「なんだか、歴史は繰り返すみたいな話になってきましたね。
今回の話、たるんだ精神にびっくり水をさしたようないい刺激をあたえてくれたような
気がします。……賢治先生、また、たまには話をしに来てくださいよ。待っていますよ。」
【追伸】、発表したのは、NASAではなく、アメリカのジェット推進研究所(JPL)かもしれません。
NHKのニュースで流されたのは、たぶん7月25日ごろだと思います。
なお、JPLの後日の発表では、この小惑星2002 NT7の衝突の可能性はないということです。
念のため。
この情報は、日本スペースガード協会のホームページを参考にさせていただきました。
(注) ルネ・マグリット「現実の感覚」
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