5・10(注1)はスリッピィ?

アリゾナ大学へと留学することが決まって,真っ先に頭に浮かんだのは(勿論,仕事のこと以外での話だが)アウトドアライフであった.何といってもアリゾナはグランドキャニオンのある州(注2)である.あちこちでハイキングくらいは可能だろう(注3)と思って,歩き易い靴を持っていくことにした.兎に角,1年間の貧乏暮らしは決まっていたから,向こうへいってから靴を買おうなどとは考えなかったし,もしそう思ってもミッキーマウスの靴のような馬鹿でかいのしか売っていなかったら大変(注4)である.という訳で日本で履き慣れたものをSAL便(注5)の小包に詰めて,渡米2週間前に大学の研究室へと送りつけた.送る段になってどの靴にするかで少しだけ迷った.使用目的はハイキングだけではなく日常生活も含めているゆえ,ハイカットの登山靴では重いし大袈裟である.かと言ってテニスシューズではハイキングは危ない.そこで2年ほど前に購入したファイヴ・テンを持っていくことにした.この靴を買った理由はいろいろあるが,その第一はそれまで履いていたガントレ(注6)に飽きてきたことが挙げられる.ガントレは結構気に入っていたのだが,1989年のゴールデンウィークにネパール・クーンブ地方(注7)のエヴェレスト街道(注8)へとトレッキングに行った際に,ヤク(注9)の糞をしこたま踏んで(注10)臭いがこびりつき,文字通り鼻についてしまったのである.ファイヴ・テンは駿河台下の石井スポーツ(注11)の割引価格で15,000円ほどと結構いい値だったと記憶しているが,なにぶん綺麗な黄緑色とグレーのツートンカラーのデザインが気に入って購入した.底のフリクションも結構よく効いて,ちょっとした岩場遊びにも使えるとカタログに書いてある通りの品であった.

さて,ツーソンへ着いて早速アパートを探し,研究室に保管してあった荷物を運び込んで店をひろげた.3月初旬ゆえ気温は25度程度だが流石は南の国アリゾナ,明るい日差しの下では他の靴と較べてこの黄緑色のファイヴ・テンが最もよく似合っていた.もともと気取らない国の中で,さらに気取らない西部の果ての地で,最も気取らないで済む職業(注12)ときている.到着2日目に初めて大学に行った時にこそ背広を着た(注13)が,それ以後はずっとGパンにTシャツでの通勤で,こうなると靴は専らファイヴ・テンの着用と相成った.

最初のうちはこれで良かった.3月4月と足周りは快調であった.問題は5月になって起こった.暑いのである.日中は40度近い.道路の舗装面はいったい何度になっているのか,歩いていても足が融けそうに暑い.とにかく,その暑さたるや尋常ではない.暑いというと舗装面で目玉焼きができるなどというのが定番の陳腐な形容だが,それどころではない.落とした卵が割れる前にゆで卵になるくらいの暑さなのである.あまりの暑さに,頭の中には日本で見慣れた道路工事の融けたコールタールのベトっとした感触といやな臭いがよみがえってきて,辺り一面コールタールの海(注14)になるのではと気になってくる.そうこうしているうちに,なんとなく歩く度に足の裏がヌルヌルムニュムニュするようになった.強い日差しのせいで俺も遂に陽炎のようにユラユラ(注15)してきたか.それとも舗装道路からの熱で本当に足の裏が融けてきたのか.ずっとそう思いこんでいた.

最初に異変に気がついたのはユラユラと歩き出して2週間位してからである.何となく足の外側,小指の付け根(注16)が痛いのである.まるで裸足で歩いているような,突き上げるような痛みである.よーく見ると,靴底が内側に動いて靴の足入れ部が外側に落ち込んでいるではないか.なんと二重になった靴底の張り合わせ部の接着剤が熱で融けだし,靴底が歩く圧力で滑って動いたのであった.その移動距離約1cm.当然のこととして足の外側,小指の付け根辺りは靴底がなくなっていて,内張りのみで歩いていたのである.なんてこった.思わずこの地の暑さ(注17)を呪ったものだ.しかし何とかせねば.カッターナイフと接着剤を急遽購入し,靴底をスライスして引き剥がし,元の位置に戻して張り直すというとんでもない外科手術を施した.患者は手術の甲斐あって幾らか持ち直したようであったが,その後も暑さはさらに厳しくなり(注18)再発を繰り返した.そして愛しのファイヴ・テンはさらに2回の外科手術を受けたが,遂には薬石効なく帰らぬ人となり,貧乏生活者はなけなしの給料で買った中国製の安物ビーチサンダルで大学へ通う羽目になったのだった.

5・10.「まず不可能」なグレードである.足裏に神経を集中させて,靴底のわずかなフリクションを感じながら,スリップに細心の注意を払わねばならない.特に暑い日には.