走れ! セントラ(注1)
PART 1


聞いた話

いよいよアリゾナへ出かける段になって心配だったのが,住宅の諸手続き,銀行口座の開設,そして自動車の購入だった.もちろん,研究が捗るかも幾らかは気になったが,これは本職でありいわばできて当然,さらに言えばできなくたって1年たてば帰ってこれるのだから大した問題ではない.しかし,これらの3つは失敗すれば生活環境が著しく悪くなるのはおろか,下手をすれば命に関わることである.しかも不得意な交渉事を苦手の英語でしなければいけないときているから,出かける前から戦々恐々としていた.そこで先輩や友人から実状を聞いて回ったのだが,ビビってしまうような逸話が山盛りだった.アパートに電話を引くのに電話会社に電話してたった一言,「Telephone please!」と言った人がいるという情報もあるにはあったが,概して多かったのが自動車を巡る話題であった.車には自信があるからボロボロの中古を1,000$で買って当てたよと自慢する人もいれば,スカをつかまされて町から出られずバカンスの度にレンタカーを借りたという人,故障の度に何度もAAA
(注2)を呼びすぎて割増料金を取られた人,交差点の真ん中でエンコして車を捨ててガソリンスタンドへ修理を頼みにいった人と枚挙に暇のない悲惨な状況であった.とにかく車探しは慎重に,そしてやはり日本車が安全だよというのが大方のアドバイスであった.


車探し,車選び 1

成田を3月3日の夕方に発ち,LAで飛行機を乗り継いでアリゾナ州ツーソンに到着したのは3月3日の15時過ぎであった.到着時間を予め連絡しておいたので空港にはタイ人の大学院生のY君が息子の幼稚園生Jちゃんを連れて迎えにきてくれていた.自己紹介を済ませて駐車場へと進むとそこに停まっていたのはピカピカと光る真白い新車のホンダアコードであった.Y君はドアを開けながら「これはうちの奥さんの車なんだ.」と言って大切そうに乗り込んだ.およそ20分のドライブでツーソン第1日目の宿へと到着した.挨拶もそこそこにY君と別れ,疲れ果ててベッドへと倒れ込んだ私の頭は長時間の飛行機と時差ボケ,慣れない英語のシャワーにボケボケ状態でもはや思考力は残っていなかった.途上国からの留学生の奥さん専用車でもあんなにいい車なんだ,とカミさんと妙に安心して話した.実はY君の奥さんは大きな病院の看護婦をしている高給取りだったのだが.

翌朝,部屋のドアをノックする音で2日目が始まった.迎えにきてくれたのはまたもY君だった.しかし彼の車は昨日とは色も形も年式も違っていた.そこに停まっていたのはガタガタの青いシボレーのキャバリエワゴン
(注3)だった.彼は恥ずかしそうに「僕の車はこれなんだ.」と笑った.その日はまず銀行へ行って口座(注4)を開設し,持参した差し当たりの生活費を入金し,それから大学へ向かった.大学では色々な手続きがあったが助手や院生がつき合ってくれて無事に完了.最後にアパートの契約へと向かった.Y君は昼から用事があるとのことで今度は院生F君が代わって連れていってくれることになった.F君は台湾からの留学生,新婚早々の身で大学近くの物騒な町中のボロアパートに住んでいた.しかしその彼の家の玄関にはこれも新車の白いトヨタカローラが停まっていたのだった.ホテルに戻って食事をしながらカミさんと考え込んだ.いったいこの町で,我々の身分で,どんな車が合うんだろう.やっぱり問題は車に尽きる.


先ずは免許から 1

車を買うには何はともあれ免許が必要である.そこで早々に免許を取ることにした.国際免許を持っているのでそのまま書き換えが出来れば楽であるが,アリゾナ州ではそのような事はしていないとのことで,国際免許に何の特典もなく一から手続きをする必要があるとのことだった.日本のような,アリゾナなんて較べ物にならない危険な道路で免許を持っている人間にもう一度試験を受けろとは何事だ!しかも国際免許も持っているのに!と思ったが仕方がない.研究室に置いてあったアリゾナ州の免許取得用の運転教則を借りてきて勉強を始めた.とは言っても大したことをしたわけではない.車の運転なんて日本でもアメリカでも基本は同じ,違うのはハンドルの位置と道路の右左位のものだろうし,こちらの試験は日本のものと違って嫌らしい陰険なものはないということで教則の単語を適当に訳して後は制限速度やアルコール濃度の数字を覚えることに徹することとした.さらにポスドク仲間から情報を仕入れてみると,筆記試験は日本のものとは違って時間制限もないし,問題もほとんど同じ種類ばかり,部屋にはいつも受験者が出たり入ったりして騒がしいから英語以外の言葉を使えばカンニングもOKだというではないか.これは楽勝ということでカミさんとA,B,Cをあ,い,うと言い替えるなどと対策をたてて試験場へと向かった.それは3月19日の暑い午後であった.

試験場は町の南東の外れ,デヴィス・モンサン空軍基地のすぐ近くにある.中に入るとまず受付があり,受験料を払ってから目の検査を受けた.これは思った以上に緊張した.何せ担当の警官が早口の英語で話しかけてくる.いったい何を言っているんだろう.何度も聞き返すとどうやら測定の方法を言っているみたいだった.目の前の機械を覗き込め,中に光る点が2つあるからそれが1つになったらスイッチを押せ,と言っているようだが正確なところはいまだに不明である.もっともそのようにして問題なく合格したんだからそれでいいのだろうが.そしていよいよ本日の山場,筆記試験である.試験室に入って前に座っている警官から試験問題を受け取るのだが,残念ながらカミさんとは問題の種類が違っていた.ままよ!一番後ろの席に二人で並んで座り,問題を解き始めたが分からないところも幾つかある.どうするべきかと様子をうかがうと試験官は退屈そうに座っているし,周りの受験生を見回してみると荷物は机の上に散らばっているし雑談している輩までいるではないか.奴らに日本語が分かるはずもないし,幸いにも前の席に座っているのは馬鹿でかいメキシカン野郎だ.ここは日本の学生OBの試験技術を見せてやるとばかり,鞄からテキストの和訳を引っぱり出して背中に隠れてカンニングと相成った.大学時代に習い覚えた技を駆使してこの日の筆記試験は二人とも無事に通過したのだった.

さて,次は実技試験である.こちらの実技試験は自分で車を持ち込まなければならない.免許もないのに自分の車を買うバカは滅多にいないのでここはレンタカーの利用となった.ところがレンタカーを借りるには免許が必要である.この時ようやく,そして1年間で唯一,国際免許が役に立ったのだった.Y君の車に乗って空港近くのバジェットレンタカーに出かけ,訳の分からない保険の交渉
(注5)をしてようやく借りたのは白いカローラだった.いよいよ明日の朝は実技試験.その前に左ハンドル右側通行に慣れておかなければということで夕方の町を走り回った.やって見れば大したことはない.交通ルールだってそれほどの違いはない.問題は日米のマナーの違い(注6)だけだった.日本ではルールはどうあれ横断歩道を渡ろうとする人がいても車は停まらないが,こちらではルールはルールで横断歩道に車が来ていても歩行者が停まらないのだ.デブッとした黒人のオバさんと子供を跳ね飛ばしそうになって,この違いの大きさが実感できた.

翌朝一番に実技試験の列に並んだ.カミさんは筆記試験までで疲れ果て,有効期間が6ヶ月あることを良いことに実技は後回し,今回は見学となった.朝9時に試験開始のところ,8時45分から並んでいるとやってきたのはブロンドの美人警官だった.助手席に乗り込み開口一番,「日本人はみんな運転に慣れているから大丈夫でしょう.」と曰った.おっしゃる通り,狭い道,小さい車の運転には慣れているが,金髪美人の扱いには慣れていない.ましてや例えいかにもアリゾナといった感じの赤茶色の長袖長ズボンの制服を着ているとは言ってもそこは美形グラマーの金髪おネエさんである.ご立派な胸の辺りの膨らみやズボンのはち切れそうなお尻や太股は隠しようもないし,つい目がいってしまう.ともあれまずは縦列駐車である.これは日本とは逆向きのため感覚が掴みにくくて緊張したが,といってもさすがはリンカーンコンチネンタルの国,日本なら2台は停められるような長さと幅のスペースにわずか4.2M×1.6Mのカローラを入れるのだから問題はなかった.おネエさんは助手席のドアを開けるや「パーフェクト!」と言ってくれた.その後は路上試験だが,空港近くの町外れでまだ朝9時である.車などろくに走ってもいない.ただただ右側を制限速度を超えないようにのんびりと走るだけだった.おネエさんはこちらの運転技術を把握したと見えて,「日本から何しに来たの.」などと雑談を始める始末.金髪,グラマーの美人おネエさんと束の間のドライブを楽しんだのだった.外を2周ほど回ってドライブは終了,試験場に戻っておネエさんのサインを貰い,晴れてアリゾナ州の運転免許所持者となった.


初めてのドライブ

レンタカーは24時間の契約
(注7)である.免許取得の実技試験のためにというのが本来の目的ではあるが,当初の目的を終了してもようやく9時半になったばかり,ツーソン独特の朝からすっきりと晴れ上がった天気の上にまだ6時間以上も使用可能とあれば遊びに行くしかない.幸い研究室には免許を取りに行くから今日は休みと言ってあったし,折角だからと言うことでサグワロの繁る山の方へ行ってみることにした.試験場からアルベノン通りを北上し,スピードウェイ大通りで左折して大学を横目に町の西外れ,ゲートパスの山並みへと車を走らせた.サグワロは3月3日に着いて以来,町中でも随分見てきたがやはり自然の物は町中の庭木とは大きさも貫禄も全然違う.そしていよいよゲートパスの峠に到着.峠の向こうに開けていたのは広大な荒野であった.100KM先のクウィンラン山脈(注8)まで遮る物のない一面の砂漠に無数のサグワロがまるで蝋燭のように立っているのだった.初めて見る風景に圧倒されて暫くは声も出なかった.そしてこの場所は最初の感動の地としてしっかりと記憶され,その後の1年間お弁当を持ってピクニックというとこのゲートパスへ来るのが定番となった.

本当ならば足を延ばして砂漠博物館
(注9)かオールドツーソン(注10)にでも行ってみたいところだが時間も気になるし,事故でも起こしたら連絡の取りようもない.そこで町の方へと引き返して,途中にあった国際野生生物博物館へと入ったのだった.アメリカという国はこういった博物館や展示館が好きである.といっても日本のようにどんな物でもハコ物さえ作れば補助金がもらえるとか言う理由ではない.とにかくアメリカ人は一般向けに分かり易く,できれば触ったり壊したりの体験学習型で,しかもアカデミックさを残しているこういった博物館の類が大好きなのである.当然日本のようにジェットコースターや観覧車は併設されてはいないし,金箔を貼ったトイレや屋上の露天風呂などという妙な自慢の施設は存在しないが.ともあれ国立公園はおろか小さな景勝地でも立派な展示館があり,監視員(注11)やボランティアのガイド(注12)がにこやかに説明してくれるのだ.とはいえ何故にツーソンの町外れに国際野生生物博物館なるものがあるのかその理由は結局分からなかったし,未だに分からない.


先ずは免許から 2

さて,カミさんの免許だが,本人はどうせ車に乗るつもりもないし,どうでも良いと当初は消極的だった.しかし身長154cmとこちらでは発育不良の子供サイズの悲しさ,スーパーマーケットでビールを買おうとして「免許証を見せなさい!」とレジの小娘に言われたことがショックだったのか,夏になってようやく意欲が沸いてきたようだった.そこで試験の期限が切れる9月中旬を目標に7月から練習を始めた.とにかく日本ではまったく運転したことがない人であるから左ハンドル右側通行は違和感がない.ただし安全確認の仕方などはまったく分からないというのだから助手席に乗るのも命がけではある.アパートと大学の間を行き来できるようにするのを当面の最終目的として,最初の何日かアパートの近くで練習したが,怖い思いを何度もしたので方針を変更した.とにかく免許を取れれば良いんだ.そこで平日の仕事を早めに切り上げて3時過ぎに試験場近くへと出かけた.場内では縦列駐車の試験を受ける列ができていて,これが終わると次々に路上試験へと出てくる.適当に目星をつけてこの路上試験の車の後ろを尾行するのだ.たとえ知らない道に入っても必ず最後は試験場に戻ってくるし,万が一危険な事件などに巻き込まれそうになっても目の前にはお巡りさんが乗った車がいるから何とかなる.そして一台の尾行が終了したら最初に戻って次のカモを待ち伏せする.試験中の車は次々に出てくるから何度でも繰り返して練習できる.これは実に便利な練習だった.そしてこの練習で路上試験のコースはいつも一緒であることが証明されたのだった.次は縦列駐車である.5時になると試験場は業務終了となり,縦列駐車のレーンは練習用に解放されている.そこで5時過ぎに試験場に入ってためしにやらせたらまったく分からないという.カミさんはもともとオーストラリアで免許を取っている.ということで車庫入れだの縦列駐車だのといったテクニックは教わったことがない.仕方がないので日本の教習所でよくやる最後の手段,運転席からこのポールが見えたらハンドルを切って・・・というヤツを教えることにした.目標を何にするか探したが町外れの砂漠の真ん中では手頃な目印は結構少ない.結局目印になったのは建物の裏口にあるゴミ箱と駐車スペースの奥に咲いている赤い花だった.という訳でカミさんは,縦列のレーンに平行に侵入し,右側のドアから赤い花が見えたら一旦停止,ハンドルを右いっぱいに切って運転席の正面にゴミ箱が見えるようになるまでバックして再度停止,ハンドルを直進に戻してからゆっくりバック,フロントウィンドウの右側に駐車スペースの角が見えたらハンドルを左に切って車を平行にするという手順を紙に書き付けて,繰り返し練習した.

試験を受けたのは9月3日,最終期限の2週間前であった.カミさんに車を渡して受験者レーンの先頭に並ばせ,控え室から縦列駐車のコーナーを見るとなんとゴミ箱の位置が違っている.どうやら前夜にゴミの回収車が来て動かしたらしかった.慌てて車の近くにいって別の目標を探したが,時すでに遅し,カミさんの車にはカウボーイハットを被った試験官が乗り込んでいた.最後の手段はこれしかない.控え室に戻る振りをして建物沿いに歩き,本来のゴミ箱の位置に立ち止まって手を振って励ます振りをした.どうやらこの異常事態にカミさんも気づいたようでこれまでになく上手に駐車完了となった.この日は受験者が多かったためか路上試験は外を2周するところを1周で無事終了,晴れて免許の取得となったのだった.


車探し,車選び 2

実は免許を取る前から中古車情報には目を光らせていた.その主なソースは大学の学生新聞
(注13)の個人売買情報(注14)と町のショッピングセンターに置いてある無料の情報誌(注15)だった.学生新聞は時期的にあまり良いとは言えず,大した車は出ていなかった.目に付いたのは帰国直前の日本人ポスドクが売りに出していた白のニッサン・セントラくらいであった.しかし7,000$と高かったし,折角アメリカに来て日本人と付き合うのもつまらないのでそのままにしておいたら,そのうちに売れたのかいつの間にか紙面から消えていた.そもそも良いタマがあったとしても電話によるネゴシエイションが必要だし,連絡すれば即交渉開始となってしまい,金額と車の状態のバランスについて知識を仕入れるための下見には不向きである.そこでまずは無料情報誌に出ているインデペンデントの中古車屋の写真を検討してみることにした.どうせ一年の生活だし,二人きりなんだから,安心して乗れる安い車ならドアは2枚でも4枚でも構わない.一年間壊れずに動いてくれるのなら古くてもいいからカッコ付けた車にしようか,などと考えた.その気になって見ると何れも古いがプレリュードやセリカが3,000〜4,000$で出ていた.当初の予算は2,000$までだったが,まあ4,000$位までなら良しとしてカッコいいのにするかなどと暢気に話し合った.


中古車屋あれこれ 1

さて,目標が決まると実際の程度を知りたくなってくる.そこで中古車屋を何軒か下見してみることにした.情報誌は何種類かあるがほとんどは隔週発行なので平日に買い物に行った時に手に入るものを持ち帰り,週末になるとバスを乗り継いで見に行くことにした.この手の情報誌によればツーソンには非常に多くの小さな中古車屋があることが分かった.しかしバスで行ける範囲は限られている.そこで町の地図に中古車屋の位置を書き込んでいき,一日に何カ所かを見て回れるようにルートを考えることにした.地図に書いてみるとダウンタウンの北側のストーン通り,一番街,ローウェル砦通り,グラント通りに囲まれた辺りと,町の南東,ブロードウェイ通りや22番通りとスワン通りやコルブ通りの交わる辺りに集中していることが分かった.そこで希望の車種の写真が出ていたファーストアヴェニュー・オートセールスを手始めにダウンタウンの北側から攻めることにした.3月14日のことである.

ファーストアヴェニュー・オートセールスへはプリンス通りのバスに乗って一番街まで行き,そこからダウンタウン行きのバスで2ブロックであった.いってみるとなんと鉄パイプで囲ったダートの駐車場にフロントガラスに白い塗料で適当な値段を書き付けたボロボロの車が並んでいる.薄汚い控え室から出てきたのはダサッとしたズボンによれよれTシャツの如何にもメキシカンっぽいオヤジであった.こんな中古車屋に世間では金持ちと思われている日本人が車を見に来るなんて滅多にないのだろう,オヤジは精一杯の愛想を振りまき始めた.幾らか警戒しながらおもむろに情報誌を取り出し,「このプレリュードはどこにあるの?」と聞くと駐車場の中程へ案内してくれた.外見は多少の傷はあるものの問題ない.しかしオドメーターは100,000マイルを越えている.いくら日本車とはいえこの距離ではダメだろう.試乗して調べても良いが今は免許がないから無理だろう,などと二人で相談しているとオヤジはこのカモは逃すまいと思ったのか「新聞では3,000$にしてるけど,もっとずっと安くするよ.」と短期決戦の様相であった.保証はどうなの?とか書類はどう作るの?とか話を変えようとしたが返事は「No problem!」の一言.とにかくこれではまずいと思って「今は免許がないから取ってから来るね.」と言ってそそくさと引き返した.ついでに近くにあった似たような店を見たがこちらの目玉は5,000$の7年物のトヨタスープラである.ボディは傷もなく7年物とはいえスープラが5,000$は破格の値段
(注16)である.何かおかしい,とあちこちのぞき込んでいるとオドメーターが180,000マイルになっているのに気がついた.なるほど,と納得しているところに奥からサングラスの男がやってきた.こちらは紺のズボン,白いYシャツに紺のネクタイの如何にもセールスマンである.「よい車だろう.気に入ったかい.」と切り出してきた.「こんなに距離がいってて走るのかい?」と聞くと,涼しい顔で「エンジンを積み替えたから大丈夫だ.」と答えたのだった.そして「奥で話をしよう.」と言うではないか.ダウンタウンにほど近い危険地区の怪しげな中古車屋ゆえ奥に連れ込まれて変な奴らに囲まれてはたまらないから聞こえなかった振りをして急いでバス停へと逃げ帰ったのだった.

翌週には免許も取得し,いよいよ本格的に車探しである.そこで土曜日の朝からもう一度ダウンタウンの近くの中古車屋を何軒か回ってみた.しかし結果は同じであった.車はボロボロ,車体が歪んでいたり,タイヤが曲がっていたりと事故車もかなりありそうだった.多少気になっていたメキシコオヤジのプレリュードも再度見に行ったが,エンジンはかからないし,シートカバーの下には針金がむき出しになったシートの形の残骸があるのを見るに及んで諦めがついた.良い車の収穫はなかったが,ただ一つ分かったのは車の善し悪しは店の作りで大凡判定できることだった.最低は自宅の庭に車が2,3台という店,次がダートの駐車場,もう少し格が上がると駐車場が舗装になり,さらに事務所が立派になる.インデペンデントの店はほとんどがダートで事務所は自宅だったり,ひどいのになるとビーチパラソルの下に椅子を出してコーラを飲みながら客を待っているなんてのもある.これでは当てにならないと思い直して日曜日にはディーラー系の中古車屋に出かけてみた.

まず手始めにツーソンモール近くのオートモールと呼ばれる辺りへ行って適当に覗いてみた.最初に入ったのはホルムズタトル・フォード
(注17)というフォードのディーラーであった.大きなディーラーとなると流石にインデペンデントの中古車屋で見たのとは違って塗装もきれいなままの高年式車,3ヶ月間の保証も付いている.ここのセールスマンは白人の大男で愛想も良く色々な車を見せてくれたが,こちらの予算が出しても4,000$,出来れば2,000$位と言うとさすがに参ったといった表情で店の裏へと案内された.表には自信を持って売りに出したピカピカの車が並んでいるが,裏には事故車や廃車寸前の古い車が並んでいる.幾つか見せてくれたが良い物はなく結局この店はこれでお終いだった.しかし彼は表面上は最後まで紳士で,すぐ隣にある系列のホルムズタトル・マツダのセールスマンを紹介してくれ,握手をして別れた.一方,こちらの男は東南アジア系の生意気な奴だった.2,000$という希望を聞くなり「丁度良い車が手に入ったところだ.まだ表には出していないんだ.」と言うや裏へ連れていき,「これでどうだ.」と言い出した.そこにあったのはボロボロのマツダ・626(注18)であった.「試乗させてやる.」と言われて考える間もなく車に乗せられてしまったが,乗り込む時にシャツの袖がボディに引っかかってハッと気がついた.ドアからパッキンのゴムが外されている.つまりこれは既に廃車の準備を済ませた車なのだ.男は仮のナンバーを取って戻ってくると「少し汚いが良い車だろう.」と白々しく言った.こちらはもう状況を見切っていたので何を言われても知らん振りを決め込み,断る口実を考えた.裏口から出て,ローラーコースターロードという曲がりくねった道を一回りし,店に戻るなり「幾らで買いたいか.」と迫ってきた.幾らで買いたいかはないだろう.商品として扱っている限りは最低限の売値というものが存在するはずである.この間抜けな若造は自分の方から商品ではないことを宣言してしまったのだ.幸いなことにこの車にはパワステが付いていない.カミさんにはパワステがない車は無理だからと言って断ると「お前は車を買いに来たんだろう.こっちが真剣に対応しているのに何で買わないんだ.」と血相を変えて怒りだした.兎に角こんな気違いには付き合えない.「この車は買えない.」の一点張りで車を降り,しつこく付きまとうこの男におさらばした.

この気違いセールスマンのお陰でこれ以上オートモールを見て回る気力がなくなった.本当はもう一軒先のジムクリック
(注19)という店がこの町で一番大きく,一番親切で信用できると言われている店だったのだが.


中古車屋あれこれ 2

そうこうしている内に3月も下旬となって,いよいよ本格的な暑さの季節に入ってきた.しかしなかなか展望は開けなかった.そこで研究室のY君に相談すると「大手のレンタカー屋がしょっちゅう放出セールをやっているから見に行ってごらん.」とアドバイスしてくれた.そこで新聞の折り込みを丹念に検討し,バジェットレンタカーの放出セールを見つけだした.町の南東部の店でやるというので土曜日にバスを乗り継いで出かけてみた.狙いは新聞広告に出ていた5,500$の2年物のフォード・エスコート
(注20)である.着いてみるとさすがは大手のレンタカー屋である.1年から2年物の綺麗な車が所狭しと並んでいる.店内を探し回ってみると狙いの品はまだ売れ残っていた.早速出てきたセールスマンに話を聞いてみた.一番の疑問は何故この車は安いのかである.というのも今日は同じ年式のエスコートは他に4台出ているが何れも6,500$である.「何でこれだけ安いの?」と聞くと,「レンタカーで他の車より距離がいってしまったんで安いんだ.」との答えだった.ドアには小さな傷は幾つかあるが事故車とは判断しにくい.試乗してみるのが一番と思って乗せて貰うとなかなか良い調子だった.戻ってきてもう一度車体を隈無く調べると,タイヤが4本とも違うメーカーであるのが気になるが,それ以外には問題はない.そこで意を決して「この車が気に入った.4,500$で売ってくれないか.」と聞いてみた.男は一瞬目が点になったが,すぐに5,500$の根拠を説明し始めた.しかしこちらも「値引きして.」の一本勝負に出た.とうとう男は「マネージャーと相談してくる.」と言って奥に引っ込んだ.そして出てくるなり,「値引きは出来ない.でも奥で話がある.」と言い出した.値引きが出来ないのなら用はない.「No thank you!」と答えて店を出た.後でY君に聞くと,おそらく奥で店長と値引きやサービスの交渉をするつもりだったんだろうとのことであったが.システムの分からない人間だけで交渉事をすることの難しさを痛感した.ともあれこの手の店には良い車があることが分かったのは収穫であった.しかし残念ながら値段もまた立派であった.家に帰ってから二人で生活設計の練り直しを相談した.兎に角,車がないと買い物にも不便をきたす.日本から至急送金してもらうことにして,購入代金を最高6,000$まで引き上げた.

次の日は朝から雨だったが,ジムクリック・フォードの新聞広告が目に入ったので出かけてみることにした.ジムクリックは助手のR氏始め多くの人が推薦する店だったので行ってみる気になったのだった.店はやはり町の南東部の商業地区にあり,天気が悪いこともあってあまりいい印象ではなかった.しかし店に入るや出てきたのは人の良さそうなオヤジさんだった.こちらを見るなり「日本人かい.以前軍隊で日本にいたことがあるんだ.」と言いだし,横須賀だの三沢だのと話し始めた.中古車屋の店員にはこれまで嫌な目に遭っているので警戒したが,彼はどうやら親日派のようだった.すぐに狙いのエスコートを見せて貰ったがなかなか良い車だった.年式は4年落ちだが距離はまずまず,ただしこの車にはエアコンがない.これでは4,000$でも買うわけにはいかない.「エアコンがないんなら買えないよ.」と言うとこのオヤジさんは「エアコンなら安く後付けしてあげるよ.」と言って,店長と交渉してくれた.こちらの希望を汲んでエアコンを付けて4,000$で構わないというので買う気が出てきた.そこで試乗してみると,中もきれいだし良い車だった.ただしパワステがない.残念ながらパワステがないのはどうにもしようがなかった.「うちのカミさんは子供みたいに小さいからパワステがないとね.」と言うとオヤジさんは自分のことのように残念がって謝ってくれた.この町に来て車屋関係で初めて出会った信頼できそうな人だった.

折角来たんだからと近くにあるトヨタのディーラーにも寄ってみることにしてバス停に戻ったが,この辺りは既に危険地帯に入っており,バスを待つのも何となく気持ちが悪い.おまけに日曜はバスの本数が平日の4分の1くらいに減っている.仕方なくバスの時間までバス停の近くのサーティワンで時間を潰した.トヨタのディーラーはバスで2ブロックほどだった.ここには5年物のシビックセダンが出ていた.値段は高めだが交渉すれば何とかなるかも知れないと思って丁寧に調べてみた.するとドアの締まりが悪い.おまけにトランクが締まらなくなった.何となく怪しいが兎に角試乗してみようとすると免許証のコピーを取らせろと言い出した.「そんな店はこれまで一軒も見たことないぞ.」と言って押し問答しているとカミさんが車体が曲がっていると言い出した.事故車である事がはっきりしたので試乗を止めてそそくさと帰路に就いた.

立派な中古車屋でも条件の合うヤツはなかなか見あたらない.もしかしたら一年間車は買えないかも知れないな,そんな暗い気分にさせるに充分な雨の週末だった.


個人売買 1

アメリカでは中古車を買うにはもう一つ個人売買という手がある.新聞や情報誌の売ります欄を眺めて,気に入った物があったら電話をして見に行くというやり方である.ただしタマ数の少ない車種や条件は希望通りにはいくとは限らないのが速戦即決には不向きであったが.

最初に目に留まったのは4月1週の新聞に出た4,000$のカローラFXであった.FXはハッチバックの小さな車でアメリカで乗るにはちょっと怖いくらいのサイズではあるが贅沢は言えない.すぐにY君に電話して彼の車で交渉に出かけた.行ってみると持ち主は大金持ち,全自動のガレージの中には最高級のベンツとフェラーリが並び,玄関先には日常使用しているらしい大きな4WDが停まっている.そしてお目当てのFXは悲しくも庭の隅に雨ざらしで放置されていた.見た瞬間にこれで4,000$はないだろうと思った.「試乗するかい?」と聞くから運転席に座ったが,いくらキーを回してもエンジンがかからない.諦めて車から出ると,「値段は4,000$だ.値引きはなしだよ.」と曰うではないか.ガッカリして何も言わずに帰路に就いた.Y君も呆れた顔をして「あれだから金持ちなんだな.」と溜息混じりに一言いった.

その後は暫く興味を引くようなタマはなかったが,4月12日の新聞に2つほどまあまあの物が出ていた.いずれもマツダ626で,一つは3,500$,もう一つは4,800$であった.早速Y君に連絡して3,500$のから見に行った.場所は大学のすぐ近くの学生街の一角,持ち主が大学を卒業してニューヨークへ行くことになったので手放すという理由もそれなりに問題なかった.ダークグレーの626でバンパーに傷があるのと走行距離が90,000マイルなのが気になるが,走り自体は上々だった.もう一つのタマを見てから決めることにして「2,3日したら連絡するよ.」と言って別口を見ることにした.

別口は町外れの洒落たアパートに置いてあった.こちらの方はスカイブルーの車体,塗装は幾らかボケているが走行距離は60,000マイルと手頃だった.持ち主は消防士,まるでシュワルツェネッガーのような風貌と筋肉質の身体で,短パン一丁に裸足のまま焼けつくコンクリートの玄関先へと出てきた.なんでも前の奥さんの車だと言う.話を聞くとどうやらご当人に愛人が出来て離婚となり,その慰謝料のために手放すらしい.今月分の払いに手持ちがないからすぐに現金が欲しいとのことで値引きもOKだとこの色男は曰わった.こちらの離婚はケツの毛までむしられるとは話に聞いていたが,車まで売って慰謝料を払わなければならないとは.それでも本人はいたって意気軒昂,「俺にはこの4WDがあるからこんな車は売っぱらっても構わない.」とガレージの中の真新しい4WDを見せてくれた.こっちを売った方が慰謝料の足しにはなるんじゃないのと思ったが,どうせ他人事だからとそのままにしてすぐに試乗させてもらった.小さな事故をやっているという話だったが,走りは悪くなかった.ただし,事故の具合が分からないので即答はできない.どうしようかと思っていると「今日の夜から当直になるんだ.それが明けたら彼女とドライブに行くんで週明けまでいない.気に入ったら留守電入れておいてくれ.」と向こうから言ってきた.そこでこのシュワちゃん似の消防士と握手して一旦大学へと戻った.

大学へ戻って,車に詳しいR氏に早速話をしてみた.するとR氏は「小さな事故なら問題ないだろう.」と言い,見に行ってくれると言う.そこですぐに町外れの消防士の家まで引き返した.消防士は出かけたのか,それとも彼女との真っ最中なのか,玄関のベルを鳴らしても出てこない.仕方なく車の外観からチェックしてもらったが,事故は大したことはなく修理もきちんとしているからおおむね問題なしとのR氏の評であった.よし,この車にしようと思いつつ大学へ戻ると,急展開が待ち受けていたのだった.


個人売買 2

大学に戻ると久しぶりに日本人ポスドクのT氏と顔を合わせた.T氏はやはり3月の初旬に化学科に来た人で,実は来てすぐに我々が大学新聞で目にしていた帰国する日本人の7,000$のセントラを知人の紹介で6,000$で購入していたのだ.ところがアリゾナは州の法律で6歳以下の子供にはチャイルドシートが義務付けられている.彼は1才から小学生までの3人の子持ちゆえ,セントラでは小さいと以前からぼやいていたのだった.その彼が「車は決まりましたか.」と声を掛けてきたのである.「いやあ,なかなか.」などと言っていると,彼が真面目な顔をして「ようやく大きい車が見つかりそうなんですわ.よかったらセントラ買いませんか.」と言うではないか.彼の買値が6,000$だったのはこちらも知っているから,いかな関西人とはいえ6,000$以上に吹っ掛けてくることは出来ない.となれば当初は7,000$でとても手が出なかったが今は予定の枠に辛うじて入っている.幸い消防士は月曜の朝まで誰とも連絡は取れないのだから最悪でもあの626が売れてしまうこともない.週末のT氏との交渉結果でどちらにするかを決めようということになった.

そうとなれば話は簡単である.T氏は土曜日にフェニックスでベンツのオーナーと交渉をすると言うのでその結果を聞いてから日曜に交渉すればよい.消防士には「4,800$は高すぎるから3,800$でどうだ.月曜の朝までは返事を待ってるよ.」と留守電を入れた.彼が恋人との旅行から帰ってくるのは月曜の朝だからおそらく9時にはかかってこないだろう.T氏の車を買うことになれば最終の売買手続きは朝9時から銀行でするのだから,セントラを買ってしまえば消防士には「電話が遅いよ.」で済むことである.ようやく話が進みだしてホッとしながら週末を迎えたのだった.日曜日にT氏が来て形だけの試乗と交渉をした.2年物30,000マイルの日本車ならまったく問題なし,5,500$で交渉は成立した.後は月曜日に銀行でお金の受け渡しと譲渡証明をしてもらうだけである.


買った途端に

4月20日の朝9時に大学前の銀行の駐車場でT氏と待ち合わせた.ついでに研究室に電話して,例の消防士から電話はなかったことを確認した.これでOK,朝まで待っていたのだから買わなくても文句は言われない.そしてT氏と銀行の奥に座っている偉そうなオバさんの前に行って車の売買の証明をしてくれと申し込んだ.5,500$のところをお礼を込めて5,700$をT氏に渡し,タイトル
(注21)の紙にオバさんのサインと銀行の押し印を貰って無事にセントラは私の物になった.続いて保険の加入(注22)に出かけなければならない.車の経済上所有権は既に私にあるが,登録所有権は未だにT氏であり,保険もT氏のしかかかっていない.そこでT氏が運転していくことになった.彼は200$の上乗せのお礼にとガソリンスタンドで満タンにしてくれた.そしてスタンドを出てすぐにポコポコという妙な音がしだしたのだった.

来たばかりの外国人ポスドクの身では大きな保険屋など出向いても門前払いが関の山という話は既に何度も聞かされていたので,ここはT氏と同じオールドプエブロ保険という小さな代理店へ出かけた.強制保険と任意の上乗せ,他のオプション
(注23)は盗難などないことを信じて全てカットして手続き終了.T氏も買い換えたベンツの手続きを完了.さあ,帰りますか,と外に出てみると右の後輪がパンクしているではないか.よく見るとタイヤに六角ピンが刺さっている.ガソリンスタンドからポコポコいっていたのはこれだったのか.3人で納得したが,兎に角帰るためにはタイヤを交換しなければならない.4月半ばとはいえ,35度の炎天下,ジャッキアップにタイヤ運びととんでもないマイカーの初日だった.

さて,テンパータイヤを着けてヨロヨロとアパートに帰って初日は終了した.次の日はどうしても研究室に出なくてはならず,車には乗らず仕舞いだった.そして22日の朝からキャンベル通りのエルケンポータイヤ店にタイヤを買いに行った.我らがセントラは前2輪は新しいタイヤ,左後ろは別メーカーの新しい物を履いていて,偶然にもパンクしたのが一番古い物だった.そこで左後ろと同じ物を買って付け替えることにした.日本でもタイヤ屋など何度も入ったことはないが,とにかくこの店の新聞広告の切り抜きを持って,「これをくれ.」と指さした.心配するほどまでもなく,店のオヤジは親切そうに「OK!」と言ってすぐに交換してくれ,懸案だった移動手段に満足な4つの足が揃ったのだった.

残るは警察への登録交換の手続きである.これは運転免許試験場の隣でやっているらしい.金曜日の朝,F教授に定例レポートを提出してすぐに「今日は休み!」と宣言し,試験場へと向かった.手続きは非常に簡単,銀行の押し印の付いたタイトルと登録料を渡すとそれで終了だった.あまりの簡単さに呆気にとられたが,考えて見れば車庫証明なんて国土の狭い日本だから必要なんだろう.

さて,晴れて自分の車になったことだし,将来のドライブの準備も兼ねてAAAの会員になっておこうと手続きに出かけて一日を終了した.ホッと落ち着いた夜を迎えて気がついてみると渡米1ヶ月半,周囲にはサボテンやパロヴェルデの花が咲き,35℃を越すような暑さの季節へと既に入っていたのだった.


オーナードライバーの秘めたる楽しみ

さて,購入当日からすったもんだはあったものの,その後は我らがセントラ号はすこぶる快調であった.通常よりも強力な冷房機能を備えたアリゾナ仕様とくれば,日本の盛夏を思わせるような灼熱の春とはいえ買い物で物が融けたり腐ったりと気にする心配はない.日の長い季節ゆえ大学から帰ってから買い物に出かけるのが日課になった.車があれば市内に沢山あるショッピングセンターの安売り日を狙い撃ちするのも容易なことである.今日はスミス,今日はセイフウェイと新聞折り込みのクーポンを握りしめて,まるで宝探しのようにワクワクしながら出かけていった.野菜や肉を買い込み,ついでにエントマンのケーキ
(注24)を買って,帰りに立ち寄るのは決まってローウェル砦通りの角にあるデイリークイーンである.小さなコーンカップの上に柔らかいバニラソフトが二玉まあるく乗っかり,天辺は豚の尻尾のようにクルッと輪を描いている.これをキャラメルディップしたものを融けないようにサッと食べるのが買い物の最大の楽しみであった.サーティワンより小さいので罪悪感も少ないし・・・.

ところであの消防士はどうしただろう.その後何にも言ってこなかったけれど.車を購入して少しの間は,済んだことだしもし顔でも会わせたら嫌だなあと思ってそのままにしておいた.しかし1週間も経つと俄然気になり始め,とうとう我慢しきれなくなって買い物の帰りにこっそり覗きにいってみると,我々が見に行ったときと同じ場所に同じ向きで停めてあった.「まだ売れてないんだ」,「売れる訳ないよね」,「ところで彼は慰謝料払えたのかな」,などと話しながら来た道を引き返した.その後は斥候にでも出るようにドキドキしながら定期的に状況を把握しに出かけたが,事態は進展しているようには見えなかった.ところがそうこうしている内に新聞にあの車の掲示が再び載っているのを発見した.今度は3,800$,正にこちらの提示した額ではないか.いよいよ慰謝料に困ってきたのかな,と思って少し可哀想な気がしたが,身から出たサビ,まあ仕方ないだろうと相変わらず買い物帰りに偵察に出かけ続けた.そしてようやくあの車が玄関先から見えなくなったのは5月も下旬になっていた.こうしてオーナードライバーの秘めたる楽しみの一つが幕を閉じたのだった.
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