PART 2


初めての長距離旅行

初めての長距離旅行は6月の初旬,フェニックスとモニュメントヴァレーへの4泊5日だった.実はカミさんがUAの音楽学部フルート科のサマースクールに聴講生として参加したいと言い出したため,至急でTOEFLを受験する必要があり,6月最初の金曜日にフェニックスのASU
(注25)へ行かなければならなくなったのだった.火曜日の夜に周到なレポートを作成し,水曜日の朝いちでF教授に渡してご機嫌を取った上で「休暇にするよ.」と言うと,「OK.でもなんでフェニックスなんて馬鹿なところへ行くんだ?暑くて人間の住むところじゃないぜ.」という返事だった.他の連中も「メチャクチャ暑い町だからパンクには注意しろよ.」と恐ろしい言葉で送り出してくれた.

フェニックスまではインターステイト10号で約100マイル,のんびり走っても2時間である.ゆっくりとランチを食べて,正午過ぎにツーソンをスタートした.I-10は市内では片側3車線の高速だが,町外れになると2車線となり,辺りは一面の荒れ地となる.6月とはいえ既に35度を軽く超える土地だし,こんなところで事故はたまらないので右端の走行車線を55マイルでゆっくりと走った.こんな辺鄙なところはろくに車なんか通らないだろうと思っていたらあにはからんや,バックミラーには次々と大型トレーラーが現れてくる.町中では大きな図体を持て余すかのように窮屈そうに動いているこの18輪の化け物が高速では主役であった.とにかくでかい上に足も速い.ツーソンからフェニックスへは標高差300Mの下り一方の道であるから奴らはもの凄い勢いで驀進してくるのだ.ミラーに点のように映ったと思うとあっという間に横をすり抜けていく.ご丁寧にも馬鹿でかい音のクラクションを鳴らして過ぎていく奴もいて最初は結構怖かった.しかも灼けた路面の熱でタイヤから煙を噴いているのがかなりいるのだ.路上には奴らのものと思しきバーストしたタイヤの残骸があちこちに散らばっていた.

道はサグワロの立つ荒れ地を進むが正面左に岩山が迫ってくる.南北戦争の際にアリゾナ唯一の戦場となったピカチョピークである.さほど高くはないが全山崩れそうなガレ場の岩山で,ツーソンとフェニックスの間の良い目印となっていた.これを過ぎるとカサグランデの町.町とはいっても民家はまばらでI-10とサンディエゴへと延びるI-8とのインターチェンジだけがやたらと大きい.これを過ぎてさらに荒野を進むと水のないヒラ川を渡り,ようやく彼方に高層ビルや山の中腹まで続く住宅地が見えてきたのだった.

フェニックスは州都
(注26)である.ツーソンの5倍も人が住んでいるのだから当然のように車の量が多いし,そもそも雰囲気が違う.町並みもいかにも欧米の都市といった感じで綺麗である.しかしそこは3ヶ月とはいえ我らは既にツーソニアンである.本当のアメリカはネイティヴとメキシコ経由のスペイン文化の融合にあるのだと意地を張ってツーソンの肩を持った.しかし市内に並ぶ大きな中古車屋の清潔で明るい店内と品揃え,ブロック毎に現れる大きなショッピングセンターや高級アパートを見るとやはりフェニックスの方が上級な町なのかなと一瞬思った.

翌日は昼からカミさんが試験のため,朝からASUへと車を乗り付けた.UAは緑の芝生に背の低い赤煉瓦の建物が並んでいるが,ASUは近代的な形のビルが多く,その分無機質な感じ
(注27)である.夕方に試験も終わり,大学前のデイリークイーンで最初の休暇のお祝いをしてから,ホテル近くのショッピングセンターを物色してまわった.店の数も規模も品数もやはりフェニックスの方が住み易そうで悔しかった.

金曜日の早朝,いよいよ本当の休暇の始まりである.ホテル前のGSでガソリンとドーナツ,冷たいドリンクを買い込んでI-10からI-17へと入って北へと向かった.フェニックスなんてクソ食らえ人種にとって不愉快千万ではあるが,この町はさすがに全米トップ10にランクインする大都会である.中心部は片側5車線となり,市内を抜けるのに30分以上かかった.ようやく市街地を抜けるとお決まりのサボテンとブッシュの荒野が展開し,道はフラッグスタッフ目指して次第に標高を上げていく.左手には深い谷が現れ,いつの間にか辺りからサグワロの姿はなくなっている.モンテズマの近くで急な下り坂となって台地から一旦下りるが,その後はまたゆっくりとフラッグスタッフに向けて高度を上げていく.我らがセントラ号は馬力がないのでスピードこそ出ないがその分軽いからオーバーヒートの心配はない.しかし18輪の奴らはこのアップダウンは苦手のようで走行車線を黒煙を上げながらカタツムリのように這っていたり,路肩で息継ぎをしているのが目立った.やがて松や杉の林が点在する草原の中を進むようになるといよいよフラッグスタッフは近い.黄色や白の花が咲き乱れる草原を放牧の馬が緩やかに駆けているとてもアリゾナとは思えないヨーロッパアルプスのような牧歌的風景の中,正面には雪を被ったアリゾナ最高峰ハンフレーピーク
(注28)が迎えてくれる.

フラッグスタッフは人口約50,000人の静かな町
(注29)で,州立大のある3大都市の中では最も日本的なたたずまいであった.フェニックスから170マイル,3時間のドライブの疲れをマクドナルドで癒し,そしていよいよネイティヴの居留区(注30)へと入っていくのだ.かの有名なルート66で町の中を通過する.NAUの北側にはサンタフェ鉄道のフラッグスタッフ駅,そしてモーテルやレストランの並ぶ界隈を抜けてUS-89へと入っていく.町を出て暫くは牧歌的雰囲気は続いている.左手にはハンフレーピーク,右手にはサンセットクレーター(注31)が間近に迫り,辺りは一面のお花畑である.久しぶりに見た緑の草原とお花畑に歓声を上げながら台地の上の快適な道を走り続け,そして道が台地の端に到達した瞬間に眼前に開けたのは草木の一本もない一面の砂漠であった.赤,黄,紫,緑,様々な色の砂の層を一面に散りばめたペインテッド砂漠が彼方まで続き,その中を道は真っ直ぐに地平線へと延びている.

灼熱の日差しを受けてそれでも我らがセントラ号は砂漠の中を快調に進んでいく.この辺りは既に広大なナバホ居留区の中であり,時折道端に現れるガソリンスタンドもショップもネイティヴで溢れて
(注32)いる.キャメロンでグランドキャニオンへの道を左に分けてリトルコロラド川に架かる橋を渡り,道はさらに砂漠の奥へと続いていく.辺りは次第にペインテッド砂漠の中心部へと進んでいく.強い日差しの下,彼方に幾つものメサ(注33)やビュート(注34)が霞み,鮮やかな緑や赤に染まった不気味な砂山が続いてもはや人家も見えない.砂漠のまっただ中でグランドキャニオンノースリムへと続くUS-89から東に折れてUS-160へと入っていく.眼前には白と紫の層を成した岩壁が迫り,後方には緑色の砂山が聳え,まるでどこか別の星に来たような気さえしてくる.鉱山のあるツバシティでガソリンを補給し,さらに進むと左手に鉄道の線路が迫ってくるが,地図には出ていないところを見るとおそらく鉱石運搬用の軌道であろう.砂漠を横断すること2時間あまり,砂の色が次第に赤茶けてくると辺りに緑の草が蘇ってくる.そして小さな峠から彼方に巨大な岩の円錐を望むとモニュメントヴァレーへの基地,カイエンタである.フラッグスタッフからわずか3時間ではあるが,しかし随分遠くまでよくぞ無事でという思いがこみ上げて,セントラ号の頑張りに感謝したのだった.

モニュメントヴァレーへはUS-160からUS-163へと分岐してカイエンタの町の中心部を抜けていく.町中にあるネイティヴ達の家はほとんどがプレハブの小屋で玄関先には4WDのトラックが停まっている.そしてモンゴロイドの末裔
(注35)と言われるだけあって何となく日本人に似た,しかし最近の日本では見かけなくなった泥汚れを体中に付けた子供達が大騒ぎをして遊んでいる.町外れからは既にモニュメントヴァレーの前触れとも言える七面鳥岩や巨大な円錐状の大酋長岩,そしてメサの上に立つ梟岩(注36)などが見えてくる.広大な平原の中のためすぐ近くにあるように思えるがこの岩山は実際には10km程先にあり,途中に小さな峠が一つある.その峠に立つと足下に道路が延びて,その彼方に巨大な大酋長岩がそそり立っている.あまりのスケールの大きさに圧倒されるようであった.反対の崖の上にはまるでケンタのカーネル人形のような梟岩がちょこんと乗っている.道はこの間を抜けて赤い壁の続くメサを巻くようにさらに20km程進んでいく.道端にポツンと立つのはユタ州との州境の案内板であった.この辺りまでくると遥か東の地平線にモニュメントヴァレーの中心的な風景が顔を覗かせてくる.西部劇で見慣れたミトン岩がまるでおいでおいでをしているようにこちらに手を振っている.夕暮れの大西部の荒野の中で,二人だけでこの何万年もの大自然の営みの成果,そして西部劇100年の歴史の生き証人を望んだ時,ああ今,日本を遥か離れてアリゾナにいるんだという感慨がこみ上げてきて暫くの間は声もなく佇んだのだった.


あわや天災,すわ人災

アメリカは交通ルールが日本よりもしっかりと守られているから車を運転していても安心だが,かといって必ずしも安全だとは言い切れない.勝手知ったるツーソンの町中であってもである.いたるところに天災や人災の種が転がっていて,結構頻繁に危ない目や怪しい目,痛い目に出くわすのだ.原因も様々なら結果も様々.フェイタルなものからお笑いの種まで事欠かないのが,ジョークを愛するが銃も手放さないという如何にもこの国らしいところである.さて,オーナードライバーとしての最初の災難はセントラ号購入時のパンクであろう.ガソリンスタンドでタイヤに六角ピンが刺さるなんて聞いたこともないし,もしかしたら天災の部類かも知れない.兎に角,無事に家まで帰れたから良いがタイヤ代35$は貧乏生活には大きな負担だったし,そもそもダウンタウンの近くででも止まってしまったらどうなっていたことやら.そう考えると充分な大災害であったのだ.しかしそれ以前にも実は痛い目にあっている.それは消防士のアパートへ最初に626を見に行った時である.車の全体像を見ようと後ずさりして団扇サボテンの茂みに足を突っ込んで足一面に棘に刺されたのが自然災害第1号なのだ.

セントラ号が我が家の足になってからも様々なアクシデントに遭遇した.最初は5月の上旬に町の東側のショッピングセンターを覗きに行く途中のことだった.いつも通りの道,いつも通りの天気,いつも通りの運転でスピードウェイ大通りを走っていると,突然フロントガラスがボンともバンともつかぬ大きな音を発てたのだった.慌てて近くの駐車場に入って調べるとフロントガラスの助手席側の下の方に小さな穴が開いてヒビが入っている.どうやら石か何かが当たったらしい.この町では普段見かける車でも中古車屋に陳列してある車でもガラスの割れている車が多いのだが,どうやらこの石跳ねによるものらしい.何しろ乾燥した砂漠地帯ゆえ跳ばすものには事欠かないのだ.周りを見回してもフロントにヒビの入った車は日常茶飯だからということで結局取り替えることもなく,DIY用の修理キットをターゲット
(注37)で買ってきて間に合わせたのだった.

その後は特に怖い目に遭うこともなく過ごしていたのだが,夏になってセイフウェイの駐車場で一悶着あった.二人でいつもの通りに買い物を済ませ,荷物を抱えて車に乗り込むと,突然店の方から薄汚い身なりのオヤジが助手席に近づいてきて,カミさんに向かって窓越しに「変な男に追われているんだ.助けてくれ」と言ってドアを開けようとするではないか.「No!」と一声あげて慌てて車を走らせた.安全を確認してから振り返ると奴の少し後ろにはもう一人の男がいるがこの男はきちんとした服装をしている.「どっちが変な男だよ.」「暑いとバカが出てくるね.」などと話しながら帰ったが後で考えると銃なんか持っていなくて本当に助かったと腰が抜けそうになった.

銃を向けられて怖い思いをすることになったのはもう帰国のことを考え始めた12月のことだった.このころになると砂漠博物館,オールドツーソン,バイオスフェア2
(注38),キットピーク天文台(注39)と近くの観光スポットはあらかた回り終わって,珍しいところを虱潰しにしている頃だった.土産物の下見も兼ねて町の東側のショッピングセンターを訪ねたついでに空港の土産物屋に行ってみようということになった.そのまま南へ下ると空港との間にはデヴィス・モンサン空軍基地がある.そういえばこの基地には飛行機の展示があったはずだし,確かサントランのバスに基地の中まで入るのがあるんだから一般人も入れるだろう.うまくいけば空港まで遠回りせずに通り抜けできるかも知れないしと話の種に入ってみることにした.ウィルモット通りを南下して22番通りを突き抜けるとデヴィスモンサン基地の入り口に突き当たる.信号は青,意気揚々と直進して基地へ入る車の列に入ったが一般人の姿はない.他の車の兵士達もこちらを見て胡散臭そうな顔をしている.え,もしかして入れないの?慌てて列から外れようにももはや身動きがとれない.すると入り口にある守衛所からいきなり兵士が飛び出てきた.すわ一大事とばかり硬い表情にご丁寧にも胸の前に自動小銃まで抱えているではないか.銃をこちらに向けたまま車の中を覗き込んだがこちらの顔を見て観光客とでも思ったのかいくらか表情を和らげながら「どこへ行きたいんだ.」と聞いてきた.この状況で基地の中を見たいだの通り抜けたいだの言う勇気は流石になかった.「空港へ行きたいんだけど.迷子になっちゃって.」と言ってご免なさいすると彼はおもむろに銃口を基地の中に向けて,「あそこのロータリーでUターンしてきな.」と言った.一般人の,まして外人である我々の入ることなど許されないであろう禁断の基地の中へこうして我らがセントラ号は入っていったのである.ほんの僅かの時間と距離ではあったが.しかし,バックミラー越しに見えるかの兵士は半身で構えて銃口をこちらに向け続けていたのだった.借りてきたネコのように大人しくUターンを済ませ,蜂の巣にされることも地雷を踏むこともなくなんとか無事に彼の前まで来て「Thank you!」と言うと「Take care!」と言ってやっと銃を下ろして笑ってくれたのだった.流石に空軍基地,しっかり管理されているねなどと笑いながら空港に向かったが,ハンドルは汗でびっしょり,彼が気が短くなくて本当に良かったと思っている.

一方,この町で車を走らせるのに最も恐ろしい天災といったら勿論タイヤのバーストである.何せ気温が45℃を越えるのであるから路面はいったい何度なのやら.あちこちに破裂したタイヤの破片が散らばっているが,幸いにもバーストは一度も経験しないで済んだ.とすると次に恐ろしいのは洪水である.砂漠の町で洪水なんてと最初は思ったのだが夏の夕立の後に町へ出てみると今まで普通の道だったところが川になって流れているではないか.よくよく観察すると町中にも荒野の中にもこのような枯れ川がいたるところに走っているのだった.このフラッシュフラッドは突然襲ってくるため運悪く低い土地を走っていると車ごと流されてしまうのだ.夏の間は警戒して夕立の予報が出た日は車での外出を避けたのだが,いつもは雨など降らない1月に大雨が降った時には状況が違っていた.何しろ帰国前の休暇で乗馬に行く予約がしてあったのだ.牧場は町の東の外れ,スピードウェイ大通りのどん詰まりにある.馬に乗れないなら予約を延期する積もりで二人で下見に出かけた.すると牧場の1マイル程手前で道が水浸しになっていた.水は南から北へと流れてリリット川に注いでいる.大して深そうでもないし,直前に別の車が何てこともなく渡っていったのを見たので,我々もセントラ号をジャブジャブと通してしまった.そしてのんびりと牧場の中を一回り走り抜けて戻ってくると事態は一変していた.水量が異常に増えているのだ.しかも帰りは下流側を渡るため余計に水深は深くなっている.反対側から来た車は諦めて引き返していった.しかし我々には引き返す道はない.まさか水が退くまで牧場に住み込む訳にも行くまい.意を決して流れの中に割って入った.水は凄い勢いでセントラ号の左のドアを押して真っ直ぐには走れない.かと言って右に流されれば路肩からリリット川に転落してしまう.兎に角アクセルを噴かしてようやく渡った時には車は泥だらけ,何とも悲惨な状態となったのだった.それでもちゃんと走っただけラッキーだったかも知れない.セントラ号の売却費用なくしては日本への航空券は買えなかったのだから.

自然災害の恐ろしさは日本でも色々と知らされているがアメリカでは新手のモノに出くわすこともある.その代表が竜巻であろう.とは言ってもアリゾナはトルネード銀座からは外れているので大きなものは出くわすことはなかった.しかし11月の中旬に一度だけ小さなつむじ風がI-10の脇を走っているのに遭遇した.ちょっとドライブの積もりでI-10に入って気持ちよく60マイルで走っていると左側の砂漠で砂埃が舞い上がりそれがクルクルと回転を始めた.そして次第に大きく成長して10m程の高さになったかと思う間もなく急にI-10を横切るように動き出したのだった.急ハンドルで避けることもできずセントラ号は直撃を食らって一瞬浮き上がるような感じがしたが,幸いにもすぐに脱出して事なきを得たのだった.まさかセントラ号目掛けてくるとは思わなかったし,小さい奴だから大丈夫と思っていたのだが,かなりの威力には驚いた.こんな砂漠の中で舞い上げられたら不思議の国どころか黄泉の国まで飛ばされかねない.こんな時には18輪トレーラーとは言わないまでもせめてアメ車の馬鹿でかくて重いのに乗っていれば安全なのかも知れない.


夜のお散歩

最高気温が45℃にもなる灼熱の地アリゾナではあるが,蒸し暑い日本の夏と較べて楽なのは湿度が低いため夕方から急激に涼しくなることである.そして砂漠の彼方に日が傾いてからの夕焼けの見事さはまさに溜息ものであった.8月頃には車にも町にも慣れてきたし,7時過ぎまで明るさが残っているとくれば早めの夕食を済ませて,夜のドライブを楽しむようになったのは当然であった.最初はツーソンモールや大学周辺の慣れたところで満足だった.なにせ緑の芝生が照明に鮮やかに浮かび上がったり,オートモールの展示車のウィンドウが照明を受けて眩しく反射する様を見ているだけでも充分楽しめた.しかし次第に行動範囲を広げるようになったのはいつものことである.

まず最初は夕方のセンチネル山
(注40)であった.この山はダウンタウンのすぐ近くではあるが夜景の名所として有名なことと車から降りずに周回路を通って見物が可能なので出かけてみた.ダウンタウンからUA方面の家々の窓が輝いていてなかなか綺麗な夜景だった.しかし周りにはかなり本格的な様相を示しつつあるアベックと,ちょっと突っ張ったメキシカンっぽい不良少年達がたむろしていて何となくいかがわしい.すぐに山を下りたついでに夜のダウンタウンを通り抜けて,その南側にあるメキシカンが多く住んでいる辺りを一回りした.この辺は町でも最も古い地区でスペインの影響を強く残しているためカソリックの古い教会が幾つもある.これまで昼には何度となく見てなかなか趣のある教会だと思っていたのだが,夜は正直言ってダメだった.薄暗い照明の中でやたらでこぼこした飾り付けのある建物はあちこちに黒い影を落とし,それこそ化け物でも出てきそうだったのだ.おまけに周りには壊れかけたボロ車でいかがわしいイカレたおニイちゃんが派手な音楽をヴォリューム一杯にして走り回っている.信号待ちで隣の車線に並ぶのも怖いようなところは御免である.ということでこのコースはすぐに散歩コースから外したのだった.

代わりに夜景を楽しむコースとなったのがアパートのすぐ前のキャンベル通りの北のドン詰まり,サンタカタリナ山の中腹に上がったところであった.このポイントは高級アパートが点在する住宅地で,新聞に夜景見物の穴場として紹介されたことがあるためか多くの人が町の夜景を眺めに来ていた.ダウンタウンのようなボロ車は見られないし,抱擁してキスしているカップル達を見ても服装もまともで,どうやら客層も良いようだった.我々もセントラ号を道端に停めて外に出てみたが,デートスポットでの派手な抱擁など門限に急かされた若いカップルのすること,家に帰ればいくらでもできることをわざわざ外でするほどのこともなく,結局手持ちぶさたで夜景のみ眺めてそそくさと帰ることとなった.しかし夜景の美しさは流石でここはその後の定番スポットとなった.

10月になってこのキャンベルのドン詰まりからの帰りに何気なしにスカイライン通りに入って新たな散歩コースを開拓することができた.この道はカタリナ山の中腹を東に進み,サビノ渓谷の方へと延びていて,周りには高級住宅地や高級アパート,リゾートホテルが続いている.それらの敷地越しに南側にはずっと町の夜景がキラキラと輝いて見える絶好のルートである.そんな中で長期滞在者用の高級アパートの敷地入り口の前を通って思わず歓声を上げてしまった.なんと門から玄関へと続く通路沿いにサグワロの並木ができているのだが,そのサグワロ1本1本に豆電球が巻き付けられて電飾になっているではないか.最近は日本でもクリスマスシーズンには商店街の並木にこんな電飾が飾られているが,サボテンに巻き付けられたのは後にも先にもここのものしか見たことがない.兎に角,5M近い高さのサグワロが数十本並んでその輪郭を鮮やかに闇の中に輝かせている様は実に綺麗でいかにもアリゾナ的であった.すっかりこの夜景が気に入った我々は,これ以降の夜のお散歩といったら決まってこの電飾サボテンの見学コースを組み入れることになったのだった.


フェニックスで危機一髪

2回目の長距離旅行は10月中旬のグランドキャニオンだった.前回のモニュメントヴァレーの時は初めての長距離だし,暑い時期でもあったので慎重な計画だったが,今回は大分慣れてきたこともあって,早朝にツーソンを出てフラッグスタッフ近郊のサンセットクレーターでハイキングをして,その日の夕方までにキャニオン中心部のロッジ
(注41)に入るという強行軍だった.朝まだ暗い5時半にアパートを出て,フェニックスに7時過ぎに到着.6月に立ち寄ったスタンドでガソリンとドーナツを仕入れて再び高速に乗ったのは7時半だった.

平日の朝のためかI-10はかなりの混雑で,P&R用
(注42)の車線以外はかなり詰まっていてI-17に入ったのは8時過ぎになった.60マイル位の速度で流れてはいるがびっしりと車が連なり車線変更も追い越しもできない中,中央の車線を走り続けた.カミさんは車に乗ると眠くなるのはいつものことで,助手席で大イビキをかいて寝てしまっている.そして後少しでフェニックスの市街地を抜けるという時だった.反対車線から分離帯の植え込みを越えて何かがバウンドしてきたのは.それは対向車から外れたホイールのセンターキャップだった.かなり遠くで分離帯を越えたがそのままの勢いでバウンドしながらこちらに向かってくるではないか.この渋滞では急ハンドルも急ブレーキもできない.あっと思う間もなくセントラ号の直前でバウンドすると右側のドアミラーを直撃して通り過ぎていった.フロントガラスを直撃されなかったのは不幸中の幸い,もしそうであればガラスを突き抜けて相対速度時速200kmの鉄の塊の直撃を受けるか,或いは何も見えなくなって追突かスピンといったところだっただろう.いずれにしても無事に済んだとはとても思えない.本当に奇跡的に助かったとしか言いようがない.カミさんはと見ると窓を閉めていたので鏡の破片を浴びることもなく,相変わらず高イビキで眠っている.興奮さめやらず,このままではまともな運転は無理と判断して周りの安全確認をしてもらう積もりでカミさんをたたき起こしたが,そもそもこちらが起こすまで何があったのか知りもしないとは暢気なものである.兎に角,車にダメージはないかを調べるために無理矢理車線変更を繰り返して高速から一時脱出,路肩に停めて調べたが,それにしても哀れ,セントラ号のドアミラーはたたき落とされ,カバーだけが虚しくドアにぶら下がっていた.ドアミラー以外は特に大きな問題はなかったので何とか一安心.持ち込みのドリンクとドーナツを口に放り込んで気分を落ち着けながらカミさんと今後の行動をどうするかを相談した.楽しみにしていた休暇だし,現地でもなかなか取れないロッジの予約(注43)が折角取れたんだし,ということでドアミラーなしでグランドキャニオンの往復2,000kmをドライブすることになったのだった.

流石に天下のグランドキャニオン,世界有数の大観光地とくればアメリカ中のナンバープレートの車に出会ったが,残念ながらワイヤー1本でドアミラーをぶら下げている車はその後の4泊5日の旅の間についぞ見ることがなかった.ツーソンではフロントガラスの割れた車やドアミラーのない車を結構見かけるのだが,やはりアメリカの常識とは少し外れた国に住んでいるんだということがまたまた分かった気がして恥ずかしかった.そしてこの恥ずかしい思いと,もしお巡りさんに何か言われたらという不安が常に付きまとう5日間のバカンスとなったのだった.


勇敢なる旅人 1

フェニックスで壊れたドアミラーを修理してセントラ号が再び快調に走り始めたのは10月の終わりだった.帰国は3月の初旬だから,長期の休暇を取るとなるとクリスマスから新年の1週間が最後のチャンスだろう.どこへ行こうかといろいろ考えたのだが,いい歳をしていまだミッキーマウスのファンだというカミさんの強い希望もあって答えはやはりLAとなった.本当は帰国期限の前にツーソンを離れて,LAとハワイで遊んでから帰る目論見だったのだが,致し方ない.折角行くのなら飛行機など使わず,我らがセントラ号で天下の大動脈I-10を西に向かってみようとなった.

まずは資料探しである.これまで出かけたモニュメントヴァレーやグランドキャニオンは距離は離れていても何れも同じアリゾナ州の中だし,道路の規模も交通量もたかが知れている.しかしLAは世界の大都会,下手なことをしたら迷子になってしまうだろう.そこでまずホテルの場所選びから始めた.ホテルはなるべくDLの近くが良いだろう.とは言ってもDLホテルなどはバカ高いし,日本からの観光客しか泊まっていないだろうからということで敬遠し,ツーソン到着の夜から事ある毎にお世話になっているクオリティイン
(注44)のDLメインゲート(注45)を押さえたのだった.出発は12月25日,クリスマスの朝にのんびりと出て,冬で日が短いことを考慮して途中のブライスで1泊,26日の昼過ぎにLAに入って29日の朝まで滞在という計画になった.ここまでできれば次はルートである.これは毎度お馴染みのAAAに聞くしかない.早速AAAに出向いてクリスマス休暇にLAに行くんだけれどと言うと,担当の女性は慣れた手つきでトリップチック(注46)を作ってくれた.彼女は我々が既にあちこち出かけていることを忘れてしまったのか,「フェニックスは高速の分岐が分かりにくくて迷子になると困るから,カサグランデでI-8に入って途中から州道を通ってI-10に抜けなさい.」と言ってくれた.フェニックスならもう2回も走ったから大丈夫だよと思ったが,折角のアドバイスだしここはそのままフンフンと話を聞いていよいよLAの中での話となった.ホテルはDLの前,一日はDLへ行って,もう一日はUS(注47)へ行く予定だと告げると「どうしましょう.DLからUSはLAの中心部を挟んで正反対だから初めての人には大変よ.」と追加の資料を探し始めた.そして机の上に広げられたのはLAの高速道路地図,「ここがDL.USはここだから・・・」と蛍光ペンで地図に書き込みを作っていく.「時間はかかるかも知れないけれど,やっぱり空港の方を回るのが安全ね.」彼女は蛍光ペンでDLからUSまで最短距離となるルートをなぞらず,弧を描くように走る高速の上に線を引いてくれた.そんなに運転は下手じゃないよとちょっと腹が立ったが,まあ異国の地だし安全第一と思って納得することにした.するとこちらの気持ちを察したのか,彼女は悪戯っぽく笑いながら,「If you are brave,」と突然中心部に線を引いて,「ここは大変だけど,最もLAっぽいから運転に自信があるなら行ってみると良いわよ.」と教えてくれた.

さていよいよ12月25日が近づいてきた.当初は我々二人だけで出かける予定だったが,カミさんの弟が冬休みなので遊びに来ることになり一緒に行くことになった.客を乗せての2,500kmのドライブとなるとかなり緊張する.そこでジムクリックニッサンへ行って車の点検整備を頼み,持ち物も慎重に準備した.何かあった時用の工具類を点検し,トランクには湯沸かしポットと飲料水のガロン瓶,非常食のカップヌードル,クーラーボックスにはコーラとジュースを詰めて,さらに防寒具を積み込んだ.さらにターゲットで車の盗難防止用のステアリングロックキー
(注48)を購入して準備完了となった.


勇敢なる旅人 2

25日は朝からいい天気だった.今日はI-10でコロラド川を渡ったカリフォルニア最初の町ブライスまでの600kmのドライブである.朝飯をファーストフードで済まそうとマックやバーガーキングを覗くがクリスマスでどこもお休み.仕方なくI-10に沿ってオラクル通りを北上してようやく開いている店を見つけたのはアイナ通り近くであった.ハンバーガーをお腹に放り込んで再度出発,アイナ通りからI-10に入ってフェニックスへ,そして市内を抜けるといよいよI-10はLA目指して西へと向かうのである.フェニックスの西は一面のサボテンの原野が広がり,その中をI-10だけが文明の光を放っている.さすがは太平洋と大西洋を結ぶ大動脈,ツーソン近郊とは較べものにならない交通量で18輪のトレーラーが驀進していく.そして人家のまったく見えない荒野に突然出口が現れるとその先に一軒のGSがまるで西部劇の交易所のように現れるのだ.店の前の駐車場には大きなトレーラーが沢山並んで休憩し,店の中では運ちゃん達がデップリとしたお腹をさすりながらハンバーガーとコーラを買い込んでいる.我々も恐る恐る入り込んでガソリンを補給し,食料を購入して再びセントラ号を西へと進める.何もない荒野の中にポツンとある新しい建物は原子力発電所,そしてまた何もない荒野・・・.3時を過ぎて日が傾き始めた頃にようやくコロラド川に到着した.州境の検問所で免許を確認,さらに果物の持ち込みをチェックしていよいよフルーツとビキニ娘のパラダイスへと足を踏み入れた.

ブライスはI-10沿いの小さな町で,長距離バスの中継点となっている以外には特徴のない町だった.モーテルに荷物を入れて一息ついてから夕食の様子を見るために車で町の中を探検した.しかしただでさえ小さい町で店が少ない上にクリスマスでどこも閉店,残念ながらどこにも食事の出来そうなところはない.スーパーが1軒開いてはいたが,大した物は置いていなかった.仕方なく明日のためのドリンクを買ってモーテルに戻り,早くも非常食のカップヌードルを食い尽くしたのだった.

翌朝も晴天,グレイハウンドのディーポへ乗り付けてハンバーガーを食べ,LAへ向けて出発した.辺りはフェニックス近郊と同じく一面の荒野であるが,サグワロはなくなって代わりにヨシュアツリーと呼ばれるへんてこな形のシュロのような樹木が多くなってくる.道はシェラネバダ山地の南端を跨ぐように走っており,辺りはかなりの標高がある.大きなアップダウンを幾つか繰り返すうちに北側の彼方には雪を被った高峰も見えてくる.

2時間ちょっと走ってようやく荒涼たる砂漠を過ぎると如何にもカリフォルニアの避寒地といった風情の町が現れてくる.その一つ,パームスプリングスの町のウェンディーズで昼休みとした.折から昼時のため地元のお金持ち風の老人達が大挙して店内を占拠していたが,片隅に席を見つけてようやく本日2回目のハンバーガーとなった.この辺りの家はツーソンの赤煉瓦のものとは違って壁はクリーム色,屋根は赤が多い.眩しいくらいの日差しの中でヤシの木に囲まれたプールの透き通った水に映る家々は実に綺麗でリゾートしていた.さて食事も済んで出ようかという時になって一騒ぎ.隣のテーブルで老人会をしていた爺さんがポテトを喉に詰まらせてひっくり返ってきたのだった.店内大騒ぎになって出るに出られず参ったが,近くの席に居合わせた医者が応急措置をして一件落着.ようやく我々もセントラ号へと戻ったのだった.

パームスプリングスからはいよいよ大LA圏の中に入っていく.風力発電の風車が林立するサンバーナージノの丘を超えると道は次第に車線を増やし,LAの平野部へ入った時には片側7車線となっていた.助手席のカミさんに地図を持たせてインターチェンジを探し,どうにかDLのあるオレンジ郡アナハイムに降り立ったのは夕方近かった.ホテルはDLから2ブロック,周りには高級なホテルが建ち並んでいる.何れも立派な造りで感動したが,特に大都会のホテルならではと感心したのは駐車場の入り口にチケットの自動改札があって勝手に停めることができない点だった.ここでようやくステアリングロックキーが登場する.流石は犯罪都市LA,周りの車を見回すとこの無骨なオレンジ色の鉄パイプをハンドルにくくりつけて駐車している車が沢山いる.ただしこのホリディシーズンのクライマックスにDLに遊びに来ている人達はやはりお金持ちなのだろう.どの車も皆ピカピカの新車で盗まれては困る代物ばかり,3年もののセントラにこの仰々しい盗難防止用の装置を付けているのは我らがセントラ号くらいのものだったが.

翌朝はUSに行くことになったが,まずはガソリン補給である.いつものようにセルフのスタンドに車を停めていざ入れようとすると全然動かない.よく注意書きを読むと前金システムになっているではないか.こんなのがあるとは聞いていたが,ツーソンではついぞ見かけなかった.流石は大都会である.そして係りのオバさんの所へ行って二度びっくり.なんとオバさんは防弾ガラスの壁の向こうから机の窪みを通して箱を差し出し,この中にお金を入れろと言うのだ.慌てて20$紙幣を入れて何とか給油を済ませ,精算のためにもう一度係りのいる小屋の前まで行く.ツーソンのGSならレジのオジさんやオバさんはお釣りを渡す時にはニッコリ笑って何か一声かけてくれるが,ここではそんなことはなかった.人を疑ったような目で何も言わずにお釣りを箱に入れておしまい.お釣りの硬貨が防弾ガラスの下の隙間を箱に入って移動するだけだった.やっぱりここは危険な大都会なんだと妙に実感した.

さて,ガソリンも満タン,AAAのおばさんのお勧めルートに従ってLA国際空港の横を抜けて,有名なハリウッドの看板のある山の裏へと回り込んでUSへと向かった.どこも車で一杯で確かに慣れていないと迷子になりそうである.しかし日本と違ってマナーが良いから事故は起きそうにない.USでのんびりと遊んだ後は折角のLAだからということでサンタモニカまで下の道をドライブした.ハリウッドからロデオドライブ,サンセット大通りと映画でお馴染みの道を走って,ウェストウッドのUCLAの前を通り,サンタモニカに到着.本当は海岸の桟橋で1曲歌って我が青春時代の思い出に浸るはずだったのだが生憎の雨では致し方ない.どこを見ることもなくそのまま高速に入った.帰りはどこを通っていくか相談したが,折角だからということで環状線へ入ってダウンタウンを1周してからアナハイムへ戻るという超勇敢ルートを採用した.ダウンタウンの高速は折からの雨で視界は不良,おまけにかなりの交通量にスパゲッティハイウェイでとても景色を見る余裕はなく,辛うじてフロントガラスからボナベンチャーホテルのガラス張りの円筒形の建物が見えただけだった.それでも,たった3泊の滞在,そして僅か数分間のドライブではあったが,こうして我らがセントラ号は確かに全米第二の大都会の最も中心の部分にその足跡を残したのだった.


さよなら,セントラ号

いよいよ帰国の日が近づいてきた.3月3日に日本を発ったのだからピッタリ1年後の3月2日には帰国しなければならないというのは如何にもお役所仕事であるが致し方ない.直前に最後の休暇を取ってハワイに寄ることに決めたので,ツーソンを引き払うのは2月25日頃になるだろう.最後の問題はセントラ号をどう処分するかだった.購入が4月の半ば,保険を最初に6ヶ月,その後3ヶ月入っていたので1月20日に保険が切れる.もう1ヶ月延長しようかと考えたが,問い合わせてみると1ヶ月の保険はなく,最低3ヶ月加入しなければならないことが分かった.こうなると20日までに処分するしかない.残念だが残りの期間は必要に応じてレンタカーを使うことにして買い手を捜すために早速周りの人に声を掛けた.すると10月に日本から来たポスドクのM君が購入したいと言う.折角のアメリカ暮らしの総決算だからなるべく日本人とは付き合いたくないが,こと車については別.買った時の苦労を考えるとそんなことは言っていられない.渡りに船と彼に売ることに決めた.契約は保険期限の最終日に設定,それまでの数日間はセントラ号のこの9ヶ月の頑張りに感謝を込めて洗車場
(注49)へ行ったり,市内の懐かしいところを走り回ったりした.とうとう明日は処分の日となってとても悲しくなった.この車のお陰で異国の生活がどれだけ明るく楽しいものになったことか.できることならずっと乗っていたかったがそうもいかない.最後の夜はお決まりの電飾サボテンを見に出かけて,セントラ号との最後の思い出としたのだった.

翌朝,9ヶ月前にT氏とやった売買契約をそのまま同じようにM君とやって,銀行,保険屋と回って万事終了.我らがセントラ号は4,500$でM君のものとなって我が家を離れていった.さようなら,セントラ号.元気でね.我が家の車庫はガランと空いてしまったがそれでも心の中ではやはりあの車は我らがセントラ号なのだ.何の変哲もない小型のファミリーカー.ちょっと凹んだ白いボディ,フロントガラスに2カ所穴が開いていて,右側のドアミラーは新品,そして赤茶色のライセンスプレートにFMN−877と書かれているのは,どんなに時が過ぎても心の中では我らのセントラ号なのだ.
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