嫁さんがツーソンでチューサン履いて・・・

3月3日にツーソンに到着し,その夜と翌日の夜の2泊はダウンタウンの近く,ミラクル・マイル通りに面したクオリティイン・ユニヴァーシティ(注1)というモーテル(注2)に泊まった.そして4日には早速大学へ行って挨拶をし,職員証の作成,建物の鍵の受け取りなど様々な手続きをしたが,さらに夕方からアパートの下見に出かけた.その当時のアリゾナ大学は極度の経営難に陥っていた時で,新たな駐車場の建設もままならないため自由駐車場はなく,駐車の権利(注3)を買うシステムになっていた.しかしこの権利もキャンセル待ち状態で学期の途中からの購入はとても不可能で,おまけに安月給のポスドクの身では購入の優先順位(注4)もままならないとあっては1年間我慢して市営バス(注5)で通うしかないと諦めた.そこでUAモールと呼ばれる大学の構内まで乗り入れているバス路線上にアパートを探すことにした.これは非常に簡単であった.なにしろ乗り入れているバスは9番と15番の2路線のみ,9番は町の北東の住宅街から大学を経由してダウンタウンまで,15番は町の北西,ツーソンモールという町一番の大ショッピングセンター(注6)から住宅街を抜けて大学を経由して南東の商業地域へとつながっている.安全と便利を両方考えれば15番のノース上しかない.アパートガイドで調べていると助手のM氏が「日本人のポスドクが昔(注7)よく使っていたアパートがあるよ.」といって電話をかけてくれた.大学からバスで15分位の所にあって,1ブロック南にショッピングセンター(注8)もあるという.幸い空き部屋があるというので,院生F君の車に乗せてもらって下見に出かけた.行ってみると環境もそれほど悪くはなさそうだし,部屋のすぐ裏にはプールとテニスコートがあって,しかも受付嬢が金髪の美人(注9)ときている.翌日入居すると念を押してモーテルへと戻った.そしていよいよ翌日から我々は晴れてこの町中心部の北の境界(注10)近く,キャンベル通りとロジャー通りの角を東に入ったランチョ・モンターナ(注11)というアパートの住人となったのである.

入居翌朝は院生Y君が車で迎えに来てくれた.家にいてもすることもないし,一人は不安だというのでカミさんも大学へやってきた.そしてその日の帰りからいよいよバス通勤となったのである.大学の職員は安い定期券(注12)を買えるのだが中途なのでこれもダメで,結局一般向けの1ヶ月定期券(注13)を購入した.バスは1時間に4本あるがその内の2本はツーソンモールと大学の間のみの往復運転である.当然このバスの方が安全(注14)だろうから,なるべくこのバスに乗るように心がけた.二人で始発のバスに乗り込み,まるで探検家になったように目を皿にして窓の外を観察した.UAモールを出るとバスはすぐに左折してキャンベル通りへと入り,北上していく.すぐに町のメインストリート,スピードウェイ大通りと交差する.渡って右手奥にはこの町のリゾートホテルの草分けアリゾナイン(注15),左には大学の医学,薬学,看護学部と病院を集めた真新しいヘルスサイエンスセンター.続いてグラント通りを渡る.この辺りから住宅街となるがまだまだ危なそうな所ではある.続いてグレン通り,ローウェル砦通り,プリンス通りとしだいに安全そうな町並み(注16)となってほっとする間もなくロジャー通り手前のバス停,ツーソン総合病院の脇(注17)を抜けてアパートへと到着である.ところでグレン通りの北東の角には緑に囲まれた落ち着いた感じのこじんまりとしたショッピングセンター(注18)があるのに気がついた.一角には洒落たレストラン(注19)もあったが,入口にあった店は何の店だったんだろう.黄色の丸文字で店名が書いてあったが・・・.

その後も暫くの間は小学生の遠足のように往き帰りのバスの窓から市内見物となった.しかし,あの黄色い丸文字のことはすっかり忘れていた.そして2ヶ月が過ぎた5月の初めのこと.この頃になるとギラギラとした日差しが容赦なく襲いかかり,日中は40度近くなるようになった.小生は薬品を使う仕事の手前,短パンにビーチサンダル(注20)という訳にもいかず我慢していたが,カミさんはGパンに黒いリーボックのシューズでは暑くてたまらないと文句を言い出した.それもそうだと思って,安全と暑さ対策を考えて網タイプのスリッポンサンダルを買ってやることにしてツーソンモールへ出かけた.勿論,貧乏生活ゆえ由緒正しそうな靴屋などはウィンドウのガラスに鼻紋を付けるのみとして,安物の靴を扱っている店を探した.そう言えばよく覗いていたスポーツ品店(注21)の隣にその手の靴屋があったな.行ってみるとなんとその店の壁には例の黄色の丸文字がデカデカと飾られているではないか.分かりにくいその丸文字をよくよく眺めているとようやく判読することができた.どうやらPAYLESS SHOE SOURCE(注22)と書いてあるらしい.それにしてもすごいネーミングではある.単刀直入,身も蓋もないとは正にこのことであろう.あまりの安直さに思わず笑いながら店に入ってみると品数は結構豊富であった.ただしすべての靴が中国からの輸入品である.まあこちらとしては夏の間だけ履くための安物を探しているのだから好都合である.早速目的の品を探し始めた.仮住まいのひと夏用ゆえ,しかもカミさんは日本人としても小柄ゆえ,デザインにこだわるもクソもなく,ただただ履けるサイズの物をなんとか見つけ出してきて選択の余地無く購入した.幅5mmほどの合成皮革のテープを編み上げて出来ており,赤茶色の本体に何本か赤と青のテープが編み込まれ,そして靴底には当然のことながらMade in Chinaの文字が印刷されていた.これで彼女もついにチューサン(中国サンダル)愛用者の一人と相成ったのである.

さて,これで足周りも涼しげになったということで次の週末にはどこかへ出かけてみようとなった.そこでミニスカートにおニューのチューサンを履いたカミさんを連れてオールドツーソン(注23)へと遊びにいくことになった.それは5月10日の日曜日のことである.この日は朝からいつにも増して日差しが強く,サングラスをしても眩しくて空を見上げられないような状態だった.朝8時半から入場し,ジョン・ウェインになった気分で西部劇映画のセットの中を歩き回った.ナチョス(注24)を摘みながらガンマンのショウを楽しみ,アイスクリームを嘗めながらサルーンを覗き,炎天下のコヨーテカフェ(注25)でチリドッグ(注26)とオニオンリングフライ(注27)を食べてのんびりと過ごした.

さて問題はここからである.いつもは昼間は建物の中にいるのだが,この日は朝から晩まで日差しの中で過ごしていた.日焼けをしたであろうことは顔がヒリヒリするので分かっていた.しかし,そうはいっても既にこの灼熱の砂漠で2ヶ月暮らしている.まあ,茶色の顔が焦げ茶色になったくらいだろうとたかをくくっていた.その時である.先に風呂に入っていたカミさんの悲鳴が聞こえたのは.慌てて風呂場に入ってみて驚いた.そこには見事に焦げ茶色に焼けた足が2本立っていたのだ.おまけにご丁寧にサンダルの編み目の痕までがくっきりと残って,まるでタヌキの毛並みのようであった.昨日までGパンとリーボックで日差しを逃れていた足は見事な白黒の縞模様に変身していたのだ.

これ以来,我が家ではこの足を「タヌ足」,そしてカミさんを「タヌさん」と呼ぶことになった(注28)のである.そして彼女はその縞模様のあまりの見事な派手さに感動し,これを日本への帰国の日まで保つべく,几帳面にも毎日このチューサンの編み目と足の縞とを合わせてから外出したのである.