サニーサイド アップ

アメリカ人は太陽に肌を晒すのが好きである.まして日中の最高気温が42度にもなるアリゾナの夏(注1)においておや,休日ともなると人々は朝8時にアパートのプールが開門すると同時にプールサイドで裸になる.ツーソンは州第一の大学(注2)であるアリゾナ大学の本拠地の学生町であると共に,引退した老人達がのんびりと老後を過ごす保養地(注3)としても有名な場所である.とまれ,あちらのパラソルの下では鮮やかな原色のビキニを申し訳程度に身にまとった金髪娘が昨夜の快楽を懐かしむかのようにステディの引き締まった筋肉質の胸板に頭を預けて眠り,こちら側では弛んだ腹を持て余すように座る老夫婦がコーヒーを飲みながら談笑する.ボーイフレンドをまだ見つけていない女子大生達はルームメイト同士で連れだって現れ,これから始まる恋の予感を楽しそうに語りあっている.そんな光景がこのギラギラと輝く太陽の下では毎日のように展開する.それぞれが自分達だけのスペシャルなドリンクとフードそして新聞やラジカセ,果てはトイザらスで29.99$の高性能水鉄砲(注4)まで様々な小道具を抱えて,日がな一日ヤシの木とサグワロ(注5)に囲まれた水辺での平和を楽しむのである.

しかしこの太陽を楽しむのは,必ずしも幸せそうな連中ばかりではない.孤独を愛する男達もまたこの場には存在する.と言っても,彼らは他人に孤独を強いるほど孤独を崇拝してはおらず,孤独を楽しむ様を示すべくヘッドフォンで音楽を聴きながら,実はミラーのサングラスの裏で視線はカップルのビキニ娘を眺め,仲良くはしゃいでいる女の子達の品定めをしている.時には女の子達との会話も始まるが,輝くような強い日差しの下での健康的なけだるさは,すぐに人々を静かな眠りと仲間同士の居心地の良さの中へと引き戻してしまう.時たま思い出したように火照った身体を冷やしに入る水音が響くと,それを合図に小さな波紋がキラキラと水面を滑り,束の間の涼しい風をプールサイドまで届けるが,すぐにまた水面は一枚の鏡のように静まり,真っ青なアリゾナの空(注6)を写しはじめる.まったくこのサニーサイドは幾らかの緊張を含みながら微妙なバランスを保った平和の園であり,安住を望むすべての平和主義者はwelcomeなのである.

突然にしてこの平和の園が破られる時がやってきた.野獣の乱入である.とは言ってもコヨーテ(注7)やハベリナ(注8)ましてワイルドキャット(注9)が現れたわけではない.手に手にビーチボールや浮き輪を持ったヒスパニック(注10)の女の子達の登場である.プールサイドに他の子供がいない訳ではないが,彼女らの乱入は凄まじいものがある.中学生くらいとはいえ,もはや完全な女の肢体である.遊び盛りの年齢のままに,はたまた情熱的なヒスパニックのなせる技か,プールサイドの男達に適度に視線を送りながらビーチボールを太股に挟み,嬌声を上げて水の中で艶めく肉体を踊らせる.プールサイドを包み込んできた暗黙の平和が完全に崩れ去るのはまさにこの時である.若いカップルはそれでも相変わらず唇を重ね続けている."Oh, no!"と老夫婦は水飛沫を浴びて大げさな声を上げる.そして孤独な平和主義者どもは平静を装いながらもサングラスの奥の眼を皿のようにして,この若々しく美しい獣の群を見つめるのである.

"Don't look!"(注11)しかし,クライマックスはあっけなく訪れる.黒い髪と日焼けした肌,いまだ恋の炎を知らぬであろう堅く締まった太股と,まるで既にそれを知っているかのように豊かに実った胸をはち切れそうな黒の水着に包んだ獣神が審判を下したのである.神のなせる行為とその審判のアンバランスに言い様のない怒りと大きな恥じらいを感じながら,孤独な平和主義者達は平和主義者ゆえのあきらめを持って,サングラスの中の視線を手に持った新聞へと移す.どの男も必要以上に腰を引きながら・・・.サングラスを部屋に忘れてきた男(注12)は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべ,周りの男が腰を引いているのを見てなぜか安心するのだ.

ハリケーンは大きなエネルギーのほんの一塊を投げつけ,そのエネルギーの大きさ故にひと所にはとどまり得ずすぐに去っていく.遊び飽きたこのギャング達は次の獲物を求めて別のプール(注13)へと移動していく.変わらぬ大声で笑いころげながら.そしてプールサイドにはいつもの夏の光が戻り,元の平和が訪れる,ゆっくりと包み込むように・・・.

この世に楽園というものがあるのならば,あの夏の日差しを受けたプールサイドはまさにそれであろう.その甘美な楽園に一瞬現れたのは女神なのか悪魔なのか.すべてはけだるい楽園の中での夢の出来事なのか.心地よい記憶の中で,しかし今でも私はあの幾らか刺激の強い艶めかしい黒の水着に包まれた,むちむちプリンとした肢体が目玉焼きついて離れないのである.
(1996.10.)