最後の晩餐
ツーソンに住んで数ヶ月,異国の生活にもようやく慣れて周りの人達の生活ぶりが見え始めてきたのはいよいよ夏本番となる5月であった.砂漠のまっただ中の町ゆえ,自生している植物(注1)は種類も少ないが,アパートやオフィスの庭は様々な花が植えられて実に綺麗に管理されている.しかし乾燥の厳しい土地であるから,人々が町を歩く時にさえ飲み物の入った蓋付きマグカップを手放さない(注2)のと同じように,花壇には給水のためのパイプが埋め込まれ,日に数回の徹底した水撒き(注3)がなされている.住民はこのように手をかけて花を育てるのを楽しんでいるようであった.一方,動物となると町なかでは種類も限られている.野生のものは時たまハミングバードやガラガラヘビを見かけるくらいで,後はありきたりのハトやスズメばかりが目立った.そこで人々はこの無味乾燥の生活に潤いを与えようと植物と同様にペットを愛するようになる.ペットショップを覗くと実に様々な動物が扱われているが,日常的に町なかで見かけるのはやはりイヌとネコである.といっても,日本のようなペット事情の元でのイヌネコとは訳が違う.貧乏ったらしい薄汚れた雑種のイヌが昼夜なく吠え続けたり,その日の気分で餌だけやって挙げ句に野良(注4)と化す,あるいはその逆に土地成金が見栄の種(注5)に飼い始めた血統書付きの大型犬(注6)といった類はほとんど見かけない.皆それぞれ身の丈にあった動物を家族の一員として大切に可愛がるのである.リタイヤ後の生活を楽しむ老夫婦は賢くて気だてのよいレトリバーを連れて朝の涼しい時間に散歩をし,黒のタイトスカートの颯爽としたビジネスウーマンは毎朝の出がけに玄関先で綺麗な首輪をはめた黒猫と朝のお別れのキスをする.そんな風景が当たり前に行われていて実に微笑ましいのだ.このような風景を見るにつけ,我が家にもペットが欲しくなってきた.町の新聞にも大学の学生新聞にもイヌやネコの「あげます情報」が氾濫している.しかしあと半年で帰国となると寿命の長い動物を飼うわけにはいかない.結局,秋まで二の足を踏むことになってしまい,その代償として週末になると砂漠博物館へと出かけて,お気に入りのトカゲ(注7)やフクロウ(注8),プレーリードッグに入れ込む日々となった.
そんな日々が続いた11月のある日のこと,朝の出がけにアパートの正門の方を見ると何となく騒がしい雰囲気である.正門近くに住んでいる韓国人ポスドク(注9)の家の子供が何やら言いながら駐車場の車の下をのぞき込んでいるのだ.こちらから遠目にのぞき込むとなんと小さな鳥のヒナがヨチヨチと頼りなげに歩いていた.おそらく近くの木にあった巣から落ちたヒナだろう,可哀想だがこの手の落鳥は育ちにくいし,まして子供が見つけたものを横取りしては再び日韓の暗黒時代になってしまう可能性がある.ここは大人らしく知らんぷりで通り過ぎた.
さて,夕方になって出がけの出来事などすっかり忘れてカミさんと二人で大学から帰ってくると我がアパートの玄関横に停めてある管理人用のカート(注10)の下から何となく物音がする.そっとのぞき込むとスズメのヒナがピヨピヨと心細げに鳴いていた.どうやら今朝方のヒナが駐車場内の通路を跨いで歩いてきたらしい.周りに親鳥の姿はないので,このままでは遅かれ早かれ死んでしまうだろう.どうせ死んでしまうのなら我が家でペットにしてしまおうと二人の相談はすぐにまとまった.幸い辺りには人影もなく,多少鳴こうが暴れようが怪しまれることもない.二人でカートの両側に回って腹這いになって手を伸ばすと,多少手こずらせたものの首尾よく取り押さえることが出来た.そのまま掌の中に包んで部屋へ戻ると早速テーブルの上に乗せてみた.乾いた砂漠の砂に合わせてか,日本のスズメよりも茶色がうすく,ねずみ色がかった埃っぽい羽根である.まだ飛ぶことはおろか自分で餌をとることも難しそうである.そこで無理矢理嘴を開いて手近にあったパン屑を詰め込んでやった.さて,次は住むところである.こちらとて1年間の仮住まいの身の上,立派な鳥かごなどとても買ってやることは出来ない.仕方ないので台所に転がっていたプラスチックのドンブリに新聞紙を千切って敷き詰めたものを巣箱に見立てて入居してもらった.最後の仕事は名前である.日本でならさしずめピーちゃんとでもつけるところだが,ここはアメリカである.英語圏のスズメであるからこの名前は本人にとっては意味不明,ワッカリマセーンとなるのは目に見えている.是非ともこちらでも通用する名前を付けてあげねばと考え込んでいた時にふとドンブリの横っ腹の文字が目に入った.うすいオレンジ色のドンブリに赤い文字でYOKOHAMA RICE BOWL(注11)と書いてある.そういえばこのドンブリは大学近くのオリエンタルファーストフードの店のものである.ヨコハマとはいうもののご飯は長粒のタイ米で日本食とはいえないが牛丼やチャーシュー丼,そして甘めのソースのかかった鳥の照り焼き丼などなかなかの味である.そうだ,これならすでに英語になっている(注12)から問題ないではないか,ということでこの哀れな子スズメの名前はテリヤキ君と決まった.
灼熱の砂漠の町ツーソンと言えども11月の夜の冷え込み(注13)は厳しい.新聞紙の屑の中にいても凍え死んでしまう可能性がある.かといって埃まみれで体中の羽根がボロボロになっているスズメと同じ布団に同衾するのは腰が引ける.そこで風呂場の流しの給湯栓をいくらか開いてお湯をたらしておき,その流しの中にドンブリごとドンブラコと浮かべておいた.熱すぎても死んでしまうだろうといくらか心配したが,ドア越しに気持ちよさそうなピイピイという鳴き声を聞いているうちに安心してぐっすりと寝込んだ.翌朝まさか蒸し鳥になってはいないだろうかと一抹の不安を抱えてドアを開けると,ドンブリの中で目を閉じて眠っていたがやがて目を開けてピイピイと鳴き始めた.我々の朝食のパンの屑を口に詰め込んで,再び風呂場のドンブリに入ってもらって大学へと出かけた.夕方帰ってみるとテリヤキ君はちゃんとおとなしく留守番していてくれた.よしよし,お利口だね,ということで夜の食事は少し豪華に炊飯器に残ったカルローズ米(注14)のご飯粒を詰め込んでやった.
二日目の夜から三日目の朝と無事に過ぎていき,夕方になってアパートへ戻ってみると風呂場からピイピイと悲しげな声が聞こえてくる.どうやらお腹が空いているらしい.ちょうど食パンを切らしていたし,ご飯が炊けるには時間がかかる.そこで我々のおやつ用にと帰りがけに奮発して買ってきたシナモンロールをちょっと贅沢だがお相伴させてやることにした.最初のうちは嬉しそうに食べていたのだが,シナモン味の砂糖のかかった部分を食べた途端に様子がおかしくなった.急に元気がなくなって目を閉じるようになってしまったのである.その内に次第に苦しそうに息を荒げ,羽根と足をひきつらせて痙攣すると横倒しに倒れてしまった.雑食性のスズメなら何でも食べるはずだし,実際に大学の食堂のテラスでテーブルに乗ったケーキやベルギーワッフルの食べ残しを啄んでいる光景をよく見かけている.とはいうもののこうなっては後の祭りであった.こうして1年間のアリゾナ生活で我が家に同居した唯一のペットはわずか3日でこの世を去ってしまったのであった.
落鳥がそう簡単に育つものではないことは最初から分かっていた.しかし自分の手で死なせてしまったことが可哀想でならなかった.本当なら庭の隅にでも埋めてお墓を建ててやりたいが,アパートではそういう訳にもいかない.仕方なく土産物を入れるのに使うつもりでとっておいた綺麗な紙袋にドンブリごと入れて,可哀想だけれどゴミの回収ボックスに入ってもらったのだった.テリヤキ君よ,安らかに眠れ.回収ボックスの横を通る度に心の中で呟いた.そして今でも子スズメが餌をねだっている姿を見ると胸が痛むのだ.