身近な博物誌
《まえがき》
敢えて遠くまで出かけなくても,その気になって身の回りを見回すと,自然界のおもしろいことや不思議なこと,珍しいことが沢山落ちている.動物だって植物だって,自分の命を守るために,自分の種族を守るために,必死に生きている.だから,例え大都会の真ん中でも,自然が破壊された工場跡地でも,その気になれば色々な生き物の営みが見つかる.勿論,苦労をせずに探せればそれに越したことはない.動物や植物に負担のない人間社会を造れば,例え大都会の中でももっと簡単に色々なことが見つかるようになるだろう.とは言っても,これは夢物語.現実が理想の世界に追いつくまで,もう少しの間,生き物諸君に頑張ってもらって,こちらも鵜の目鷹の目で身近な世界を観察して,様々な不思議の世界を覗かせてもらおう.
ここでは茨城県つくば市および牛久市周辺で観察された事柄を記載することを基本としている.特にJR常磐線ひたち野うしく駅周辺はニュータウン開発によって町並みはモダンに変貌してきているが,周辺部にはのんびりとした農村地区が点在しているため,自然観察を兼ねた散歩には絶好の土地である.
オオミズアオ (2001.9)
オオミズアオはヤママユやクスサンなどと同じ種類の大型の蛾である.アゲハチョウのような大きさで,尻尾が生えたような長い後羽が特徴であるが,なんと言っても同類のヤママユなどが毒々しい黄色に焦げ茶色の蛇の目を持っているのに対して,全体が水色という珍しい色をしている.子供の頃に昆虫図鑑を見ていて,青白い色合いが虫らしくなく不思議で,「本当にこんな色の蛾がいるんだろうか」と常々思っていた.鱗翅目の昆虫は昔からあまり得意ではない(注1)し,ましてオオミズアオは蝶ではなく蛾であるから余計にお近づきにはなりたくない.それでも怖いもの見たさもあって,ルリボシカミキリ(注2)とルリクワガタ(注3)と並んで青系の昆虫三羽ガラスとしてしっかりと記憶されていた.
それから20年以上経って,筑波に来た時にはこんな大きなサイズの蛾については忘れていた.でも,夏になって研究所の通路などで時々黄色の大きな死骸を見かけると嫌な思い出が蘇ってきた.小学校の3年生位だったか,親戚の住んでいた東久留米の団地に遊びに行った時,団地の中の公園の通路一面に足の踏み場もないくらいヤママユやクスサンの死骸が落ちていた.叔母の話(注4)では,夜になるとベランダに出るのも気持ち悪いくらい一面に飛んでいるとのことで,ちょうど愛読していたファーブル昆虫記の「オオクジャクサンの夕べ」(注5)を思い出して背筋が寒くなったのを覚えている.,さすがに大人になった今では1,2頭位なら大したことはないのだが,大量発生に遭遇したら嫌だなと思っていた.
幸いなことに長い筑波暮らしでも東久留米で見たようなヤママユやクスサンの大量発生には遭遇することもなく,ずっと平穏に過ごしてきたのだが,筑波から牛久に転居して幾らか不安があった.それは学園の中心部に較べてひたち野地区は農村地区の環境が色濃く残されており,植生や土地利用から見ても大量発生に出くわす可能性が高まりそうな気がしたからである.そんな秋の初めの金曜日の夜,仕事帰りに玄関先の柱を見ると鮮やかな水色の紙切れのようなものがぶら下がっている.何だろうと思って近づいてみると,それは1頭のオオミズアオだった.急いで玄関まで走っていって,怪訝そうな顔をしている娘とカミさんを連れてきた.カミさんはあきれていたが,娘はびっくりしたように「綺麗だねぇ」と反応してくれた.図鑑で見たものよりも水色がずっと濃く,なんとも鮮やかな美しい蛾だった.暗闇でもほの白く光るような色彩は妖艶で正にお水系,それもキャピキャピとした若いホステスというよりも,しっとりとしたママの色気を漂わせていた.こんな蛾なら大量発生して囲まれてみたいと思わすような雰囲気は,意味は違うとしてもオミズという名前ともよくマッチしていると思っている.
ジガバチの巣作り (2004.9)
週末の使い方は色々であるが,多くの場合には土曜日の朝と日曜日の夕方に畑を覗きに行くことにしている.土曜の朝は1週間に育った野菜の収穫をして,さらに雑草取りや肥料の追加と色々な作業をこなす.農具と長靴,さらに収穫物と雑草の入ったゴミ袋も持たなければならないので,車で出かけるのだが,日曜の夕方は単なる見回りであるから,畑まで歩いて出かける.そして,天気と季節と気分に応じて近所を散歩して回る.4月には桜並木のある近隣公園や牛久運動公園へ,5月には保育所近くの茂みのタケノコとタラの芽の様子を窺いに,初夏には小野川のコウホネの群落が気になるし,盛夏になると畑裏の農家の栗の老木にクワガタムシ,線路沿いの民家のイチジクの木にキボシヒゲナガ(注6)が来ていないか気になってしまう.秋になると小野川沿いの田んぼの畦道のヒガンバナと畑裏の鹿島神社近くの萩の花,そして農家の庭先で早くも始まっている冬越しの準備を見ていると,季節感と共にゆるやかな気持ちが身体に染み渡ってくる.
2004年の9月の日曜日の夕方もそんな気分で,娘を連れて畑の見回りをしてから畑裏の本職さん達の畑の畦道に入っていった.鹿島神社にお参りをして,早くも焚き火をしながら冬物野菜の手入れをしている畑の方へと進んでいくと,足下にポツンと何かが落ちてきた.何だろうと覗き込むと,アオムシを抱いたハチであった.アシナガバチ位の大きさだが,腰の辺りがやけにくびれていて黒っぽい色をしている.4歳の時に買って貰った小学館の昆虫図鑑に挿絵で載っていたジガバチのアオムシ狩りであった.40年間,図鑑の挿絵の図柄は覚えていたが,本物を見るのはこれが初めてだった.
ちょっと大きめのアオムシを捕まえてしまったのか,抱えて飛び上がってはフラフラと舞い降りてくる.これを何回か繰り返すうちに,ハチとアオムシはサトイモの畝の縁に辿り着いた.そこにはアリの巣位の大きさの穴が幾つか空いていた.ジガバチは右から2番目の穴の口までアオムシを運ぶと,まず最初に自分がお尻から穴に入り,前足と口を使ってアオムシを引きずり込むように引っ張り始めた.
たゆまぬ着実な努力は,遅々とはしても確実な成果を生み出していく.娘と二人で畦道に佇むこと15分,とうとうアオムシはジガバチの巣穴に完全に隠れてしまった.すぐにハチだけ出てくるかと思ってさらに10分ほど待っていたが,穴には何の変化もなかった.おそらく,エサが新鮮なうちに早いこと卵を産んでしまおうということなのだろう.諦めてその場を離れたが,40年間の思いが満たされて帰りの足は軽やかだった.はたして,娘は生きることの大変さを見届けてくれただろうか.
ヘビとネズミ (2004.11)
週末なのにカミさんが仕事で不在のため,娘を連れて牛久自然観察の森(注7)に出かけたのは2004年11月21日の土曜日のことだった.自然観察とは言っても,初冬となれば木々は葉を落として,虫も動物もほとんど見かけなかった.のんびりと散歩をし,途中のコンビニで買ってきた弁当を日溜まりで食べるともはやすることもなく,冷たい風に背中を押されて帰るしかなかった.
自然観察の森はメインの入り口と駐車場が離れており,一般の道路で繋がっている.結構自動車の通る道ゆえ,訪れた子供達の安全のために道路の脇に自然観察路のような歩道が整備されている.娘と二人でこの歩道を駐車場に向かって歩いていると,突然に娘(注8)が「ヘビがいる〜」と騒ぎ出した.確かに車道と歩道を分ける植え込みにヘビがまるで捨てられたロープのように横たわっている.辺りは落ち葉に覆われていて,通る人たちも気がつかなかったとみえる.おもしろそうなので傍へ行ってじっくりと見ると,落ち葉に隠れた穴に頭を突っ込んでいて,下半身を曝している.5分ほど様子を見ていたのだが,何の動きもない.冬眠するのに穴に入ろうとして間に合わず,今朝の寒さのために力尽きたかと思っていた.知ったような顔をして娘に「寒いから動けないんだよ」と言って,下半身を触ろうとしたその時,その下半身がゆっくりと前進し始めた.それは正にほふく前進といった感じであった.二人で「動いた〜」と騒いでいると,突如スルスルと穴の中へと吸い込まれるように消えていった.
「オオーッ」と驚いたのはヘビが素早く動いたからではない.このヘビの入った穴の横20cm位の落ち葉の下から,まだ生まれたばかりで眼も開いていないような子供をくわえたネズミ(注9)が一目散に走り出てきたからだった.ネズミはジャンプ一番,歩道を飛ぶように渡って,脇の林の中に消えていった.娘と顔を見合わせて,「びっくりしたね〜.ヘビに襲われたんだ」,「でも赤ちゃん助かって良かったね」と無邪気に話したのだが,考えてみれば被害者はネズミ算の当事者である.巣の中にはもっと沢山の子ネズミがいたはずである.たった1匹しか助からなかったとはなんともかわいそうな,しかし自然の中ではごく当たり前の出来事を目撃したのだった.
サツマイモの球根? (2004.11)
我が職場は環境問題全般を扱う研究所であるから,色々な専門の研究者がいて,色々な場所で研究をしている.大気を扱っている連中は人工衛星や気球を使って測定をするし,空気のきれいな北海道や沖縄,さらにはアラスカから果ては南極まで出かけて行く人もいる.水の方では,霞ヶ浦や手賀沼に物足りなくなった連中が,釧路湿原やメコン川などに出没する.深海探査艇に乗り込んだのが自慢の奴もいる.同様に所内にも様々な施設が用意されている.オウム事件で有名になった毒物すら合成できそうな特殊毒物実験室(注10)や,ゾンビでも歩き回っていそうなバイオハザード実験室(注11)など,枚挙に暇がない.そんな中で,設立当初からあって,専門的にはマニアック,しかし所員皆がお世話になっているのが農林生物系施設の実験圃場である.
圃場は本構内にもあるのだが規模が小さく,5kmほど離れた谷田部の柳橋地区に広大な別団地圃場がある.普段からここでどんな研究がなされているのかは大方の所員には謎なのだが,そんなことはどうでも良い.ここには互助会が土地を借り上げて作っている,芋掘り大会用のサツマイモ畑があるのは所員全員の知るところである.毎年10月末の土曜日に互助会主催の芋掘り大会が催されるのだが,何しろ子沢山(注12)で欠食児童の多い学園都市故か,はたまた収入の乏しい途上国からの留学生(注13)が多いためか,当日は異様な熱気に包まれる.我が家も毎年秋から冬の主菜はここでの収穫であるから「しっかり掘ってきなさい」というカミさんの厳命を受けて,例年通りに娘と二人で気合いを入れて出かけたのは紅葉が進み始めた秋の一日のことだった.
昔はろくに手入れをしていない畑に苗を植えただけの貧相な畑であったから,収穫もたかが知れていたが,最近は互助会活動も「お客様重視」で,高利回りを謳っている.黒マルチを張った高畝に苗幅も広く取った本職仕様の大サービスで,秋の一日に向けた準備をしているのである.参加者は受付で指定されたそれぞれの畝番号へ行って,まずは絡みついた芋蔓の引き剥がし,そしてマルチシートの取り外しとなる.この芋掘り以前の作業が実は結構おもしろい.一面の芋蔓の海にはイナゴやコオロギは勿論のこと,カタツムリにカエル,ゲジゲジにトカゲ,時にはヘビまで登場する.子供達は皆大騒ぎでカエルやトカゲを追いかけ,突如現れたヘビに驚いて逃げ回り,他人の畝の芋を踏んづけたり,転んで芋と見紛う泥まみれになったりと楽しい大騒ぎが毎年繰り返される.
さて,一通り邪魔者を取り払うといよいよ芋掘り本番である.芋掘り自体は単なる肉体労働であって,特に何かを発見なんてないはずであるとばかりに力任せに掘り進んだ.そんな時,芋も掘らずに泥団子を作って遊んでいた娘が「変なものが出てきた〜」と言ってきた.その手の中には,数年肥料もやらずに植えっぱなしにしていたクロッカスの球根のような貧相な球根が入っていた.娘は「絶対にサツマイモの球根だ」と言うのだが,如何せんこれでも私は理学博士である.サツマイモに球根ができるなどとは認める訳にはいかない.そこで家に持って帰って植えて調べようということで一件落着した.
ベランダで収穫物の後始末をした後は食べること(注14)だけに注意がいって,球根のことはすっかり忘れていた.4月になってベランダのプランターの花の植え替えをしている時に,空の植木鉢にポツンと球根が入っているのを娘が見つけて騒ぎ出した.この娘,誰に似たのか(注15)意外としつこい.仕方ないので,ついでに小さな植木鉢に植えてみた.いったい何が出てくるんだろう.もし本当にサツマイモだったらまずいよな〜と心の隅で思っていた.
初夏になって球根の頭から細い葉が何本も出てきたが,それっきりだった.緑色の葉っぱが出ている以上は枯れているわけでもないので,仕方なく毎夕の水やりのメンバーに加えておいた.すると9月になって,まるでひと夏の水やりのお礼をするかのように中心部から1本の茎が立ち上がって,その先端に淡いピンクと紫の中間色の花を沢山咲かせ始めたのだ.ちょっと見は高山植物のチドリソウに似た感じである.小さな花の集合としてもきれいであるが,一つ一つの小花をクローズアップしても繊細でなんともきれいな花であった.娘と二人で「綺麗だねぇ.でも何て花だろう?」と首をひねった.小学2年の娘から見れば,父親は何でも知っている大人である.まして娘は私の職業を知っている.「理科の専門家なら,自分の職場にあった花の名前くらい分かるでしょ」という厳しい視線がこちらに向いていた.こうなったら仕方ない,生物はシロウトだが,ここは父としての,そして自然科学者としての権威を示す時であろうと考えて,職場の図書館へと向かった.球根であることと,花や葉の形から,野生のランかユリ科だろうと当たりをつけて植物図鑑を調べた結果,ユリ科の多年草ツルボと判明した.結果を知った娘は面白い名前の響きにも喜んでいたので,こちらもつられて嬉しくなった.そして,こんなきれいな花が雑草のようにその辺の野辺にあることも無性に嬉しかった.でも,サツマイモの球根でなかったことの方がもっと嬉しかった.
追記: 2009年9月14日の竹中さんのHPに,最近の遺伝子解析の結果,ツルボがユリ科からヒアシンス科に変更になったと書かれていました.確かに花の付き方はヒアシンスに似ているような気がします.(2009.9.15)
キン・チョウ・ゴン (2005.10)
転居してから始めたことの一つがベランダでのスイレン鉢である.公務員住宅のベランダは狭い上に古くてあちこちにヒビが入っていたので重たいスイレン鉢は自重していたのだが,新しい家のベランダは奥行きがあるし,なんと言っても丈夫そうなので安全と判断したのだった.転居早々準備をしてプラスチックの大きめの鉢にガガブタ(注16)を入れたのだが,数年しても花は咲かないのにどんどん株分かれしてくる.仕方なくちょっと小振りの瀬戸物の鉢を追加した.花が咲かないのはいかんともしがたいが,それでも水辺の風景は楽しめる.問題なのは鉢の中でボウフラが発生することで,この防止策のために魚を入れることにした.とは言ってもなかなか長生きしてくれなくて,あちこちのホームセンターでタナゴ(注17),メダカ(注18),和金,琉金と買い漁っては死んでしまうの繰り返しだった.(注19)ようやく長生きしてくれたのは2004年の春に瀬戸鉢の住民となった琉金であった.
100円で購入した時には3cmほどの大きさで,丸っちょいのが売りの琉金とはいえ肉付きもまだそれほどではなく少女の姿であったが,一人住まいでエサを独り占めしたためかどんどん大きくなって,翌年の春にはかなりのグラマーとなり,優雅な泳ぎっぷりと相まって妖艶な熟女の魅力が溢れていた.ふっくらとした身体から長い胸びれや尾びれが広がり,やさしい赤の容姿は白い瀬戸鉢の中でなかなか見応えがあった.なお,我が家では基本的に名前にはこだわらない(注20)ので,先代,先々代・・・と続く歴史に従っていつも通り「キンちゃん」と呼んでいた.
さて,このキンちゃんであるが,もともと琉金であるから動きがゆったりとしているのは当たり前,さらに危害を加えられないと安心しているのかエサやりにベランダに出ると水面まで浮き上がってきてパクパクしている図々しい様(注21)などは購入当初の神経質そうな少女の面影など微塵もなく,オバタリアン化(注22)していた.このままいけば,どんどん大きくなって「お刺身(注23)も夢じゃないね」などと娘と笑って餌やりを続けていた.
ところが2005年秋の休日のこと,いつも通りにエサやりに出てみると,水面に上がってこない.それどころか,いつもの優雅さは影を潜めて,激しく身体をくねらせているではないか.あっけにとられている私と娘の目の前で,今度は猛スピードで泳ぎだし,ゴンゴンと身体を何度も鉢にぶつけ始めた.その様はまるで身体についた何かを取り払おうとしているように見える.そこで網ですくい上げて身体を具に観察してみると,左側の体側後方に2mm位の大きさの鱗のような茶色のゴミがついているのが見つかった.これが気になっているのかなと思ってピンセットで取り除き,水を張ったプラスチック瓶に入れると,ゴミのように見えた茶色の物体は泳ぎ始めたではないか.キンちゃんを鉢に戻して,娘と二人ですぐにこの不気味なヤツの入った瓶を持って研究所に行き,実験室の顕微鏡で観察した.接眼レンズの中には視野いっぱいに,まるでカブトガニのような姿の見るからに悪そうな面構えの不気味な生き物が写っていた.
週明けに研究所で水生生物を専門にしている上野隆平さんに実物を見せたところ,これはチョウという櫂脚類の水生動物(注24)で,一般にはウオジラミと言われているものだと教えてもらった.調べたところ,キンちゃんの鉢にゴンゴンする泳ぎ方はチョウに寄生された魚の特徴的な行動とのことである.
キンちゃんはその後一旦は元気になったが,その年の冬を待たずに死んでしまった.キンちゃんにしてみれば,「キンギョ迷惑」,「チョウ不愉快」なことであったろう.
調整池のカルガモ (2006.5)
ひたち野周辺の宅地開発は旧住宅都市公団の肝煎りで10年くらい前から始まった.何せ全体では計画人口50000人のニュータウン構想だから大がかりな工事である.この規模で保水性の良い雑木林や竹林を開いて,一面のコンクリートやアスファルトの舗装にしてしまえば,大雨の時の排水には注意を要することになる.特にこのニュータウンは小野川左岸の台地の上に開けているから,ここからの雨水が一挙に流れると小野川流域に拡がる水田が被害を受けることになる.そこでJR常磐線に沿った台地の南の外れ,中根小学校の前の小さな谷筋に調整池が作られている.調整池はコンクリの護岸も新しいし,上流部は近隣公園として整備されているところから見て,この開発と共に作られたのだろう.子供の事故防止のためか周りは金網のフェンスが張られて,中に入る方法も,入っている人もなかった.
転居前から予め周辺の地図を見て,この池があることは分かっていた.新たに作った調整池だとしても,谷筋にあるから元々水たまりだったかも知れない.それならばフナやクチボソくらいはいてもおかしくないし,それを狙う釣りオヤジ達(注25)も群れているはずである.こちらも釣り好き(注26)ゆえ,家から5分で釣りができるのなら御の字,毎朝仕事に出かける前に,いやいや毎朝夕の仕事の前後に釣りができるというものであるから,釣り場になるのかどうかはしかと見定めねばならない.引っ越してすぐの週末の夕方に娘を連れて散歩を兼ねて偵察に出かけた.「魚いるかな?」「サンマとかタイとか?(注27)」「お刺身サイズだといいね.」他愛のない話をしながら池の周りを半周したが,週末の夕方というゴールデンタイムにも拘わらず,池には誰もいない.フェンスにも抜け穴などなく,誰かが出入りしているとは思えなかった.
元々魚などいなかったのだろう.結局,最初の数年は誰も釣りなどしていなかった.アシの群落に囲まれた水面は水鳥の格好の休み場所として,カモやバン,時にはサギが羽根を休める光景が見られた.それが3年目の夏から突然状況が変わってしまった.それまで池周辺には見かけなかったような若者趣味の4WDが止まるようになり,ちょっとナメたような風体の若者がフェンスを乗り越えて池に入っていく.その手にはルアーを付けたバスロッドが握られている.そもそもここは日本である.ましてフナもクチボソもいなかった池のはずである.なんでブラックバスがいるものか,誰かが放さない(注28)限りは.週末の散歩で横を通ると路上駐車の4WDは日増しに増え,格好を付けてルアーを投じる若者と捨てられたコンビニの弁当ガラばかりが増えていった.それでも,一度としてブラックバスが釣り上がったところを目撃したことはない.
それから2年は調整池の周辺は違法駐車の4WDと,退屈そうな女の子を連れたバス青年達で賑わっていた.でも湖面は平和そのものだった.アシの陰には相変わらず野鳥がのんびりと漂っていた.ところが,2006年の初夏のこと,早朝の散歩の時に湖面を見ると,いつもと違う大型の水鳥がぎこちない泳ぎで漂っている.どっちへ行きたいんだか,泳いでいるのか,溺れているのか・・・.それは,迷彩色のウェダーフローター(注29)に跨って湖面へと乗り込んだ,お間抜けなカルガモ隊(注30)であった.最近急速に生息地を増やしているとは聞いていたが,ついにここまで渡って来たか・・・.
別に本人達がやってみたいのなら,どこで何をしていても自由だ.女子高生をナンパするために巣鴨の地蔵通りへ繰り出すのだって,成果はともかく本人の自由だろう.でも,生態系を自分の趣味で弄くるのは良くない.例え魚のいない人工の調整池であっても,その中で全ての生き物がバランスをとろうと必死に戦っているのだ.生態系の系はシステムである.この場合のシステムとはある瞬間の枠組みだけを指すのではなく,過去から未来までの時間軸の中での枠組みをも指しているのだ.これから長い時間をかけてどこかから様々な生き物が運ばれ,競争しながら複雑なバランスを作り上げていく.その4次元の枠組み全体がシステムなのだ.底泥の中にあったタネが発芽して,自然発生的にブラックバスが生まれるのならば文句はないが,人気芸能人の真似をして女の子に格好付けたいからといって,こっそりと放流をしてはいけないのだ.エサとなる小魚もなく,外敵となる野鳥の宝庫に放流されたバスだって悲劇だ.結局,この池には自然の不思議さや面白さではなく,それを勘違いしている人間という動物の不思議さと面白さが詰まっていた.自然愛好家みたいな顔をして傍若無人に自然を壊している動物の生態を取り上げるのも,博物誌としては意味があることだろう.
ギンヤンマのヤゴ (2007.5)
これまでセミやアゲハチョウの羽化は何回か見てきたし,霞ヶ浦での調査の際に大量のユスリカの羽化(注31)も目にしてきたが,トンボの羽化は見たことがなかった.しかも羽化する前の状態が肉食の水生昆虫であるということも興味があり,なんとかヤゴを捕まえて水槽で飼ってみたいと思っていた.長いことそんな思いを持っていたのだが,スイレン鉢を始めたのでようやく実現可能となった.とは言っても相手は水中に生息しているのだから,捕獲も簡単ではない.トンボが卵を産む場所でなければヤゴはいないが,田んぼのように冬の間は乾燥してしまうところでは難しいだろう.と言って小野川や近隣公園の調整池の泥を浚う気にはならない.何となく二の足を踏んでいたが,よい採集場所を見つけたのは,職場での昼休みの野球が終わってグラウンドからの帰り道に,何気なく見た野外実験用の有底枠水槽だった.水生植物の浄化作用を測定するために,水を張った泥田にアシやガマが植えてあるのだが,その茎の中腹にやけに大きなヤゴの抜け殻が折り重なって付いていたのだ.夕食の時にこの話をしたら,さすがは我が娘である.目を輝かせて飛びついてきた.もはや秋のこととて今年の分はとうに羽化済みだろうから,来年の夏のお楽しみとなった.
翌2006年の6月,夏休みが待ちきれなくて梅雨の晴れ間に娘と二人で調査用の網を持ち出して,研究所の有底枠水槽へと出漁した.最初に大型の抜け殻が付いている水槽の底を浚ったのだが,既に羽化は終了したらしく,手応えなくボウズ(注32)だった.仕方なく別の水槽の底を漁ると,中型のヤゴが幾つか網の中に蠢いていた.持ってきたポリ瓶に移して再度の挑戦.結局,ツ抜け(注33)はできなかったが,そこそこの数が捕れたのだった.これらのヤゴは羽化直前だったのか,持ち帰って1週間もしないうちに全てシオカラトンボになって自由の空へと飛び立っていった.羽化の作業は2回見れたが,出方自体はこれまでセミで見たものとほとんど同じだった.
さらに翌年,意外としつこいタイプの我が娘が,「なんとしても大きなトンボの羽化が見たい」と言う.そこで昨年よりも時期を2ヶ月早めて,GW最初のイベントとして泥浚いに出かけた.最初に水深の浅い水槽を漁ったが,昨年と同じく中型のヤゴばかりである.それでも軽々とツ抜けを果たし,いよいよ残る目標は大型のヤゴである.水深の深い方の水槽へと移動して,底に溜まった落ち葉のドロドロを掬い上げる.すると腐敗した茶色の塊の中で何かがモゾモゾと動いている.急いでドロドロを掻き分けると,そこには体長5cmを越えるかという大きなヤゴが眼光鋭く睨んでいた.肉食性とはいってもシオカラトンボなど中型のものは手で掴むのは何ということもないが,こいつは違う.パワー全開で暴れると摘んでいる指を振り解きそうな勢いだし,そのどう猛な顎は人の指でも食いちぎってやるといった気迫が感じられる.娘などは怖くなって触ろうともしない.それでもどうにか確保してポリ瓶に移すとそこでまた一悶着.行きがけの駄賃とばかり,先に入っていたシオカラのヤゴを大顎で一咬みだった.哀れ,シオカラはそのままユラユラとポリ瓶の底へと舞い降りていき,二度と動くことはなかった.
その後も泥浚いを続けて,大型5匹,中型12匹を確保したのだが,問題はその飼育場所だった.スイレン鉢は2つであるから,これら17匹を2つのグループに分けなくてはならない.ポリ瓶の中と違って,植木鉢や小石などの物陰があるとはいっても,さっきの捕獲シーンを見てしまうと大型と中型を同衾させるのは気が引けた.そこで大型5匹を観察しやすいように内部の白い瀬戸鉢に,中型12匹を大きめの黒いプラ鉢に入れた.
その後暫くは何事もないようであったが,事態が深刻になったのは5月半ばであった.それまで元気に泳ぎ回っていたメダカやモエビ(注34)が忽然と姿を消してしまったのだ.小さな網で底をしゃくるといかにも食べ残しといった感じのエビの頭や尻尾が出てきた.犯人はやはりヤゴ達であろう.特に瀬戸鉢の方の減り方が激しいので,急遽オタマジャクシを10匹ほど捕ってきて泳がせておいたのだが,翌朝には全ていなくなっていた.
5月末に入ってそろそろ羽化のシーズンである.昨年の経験で,羽化が近づくと水面付近に上がってくることが多くなるのは分かっていたので注意して観察していたところ,大型の方の1匹がガガブタの鉢に刺しておいた羽化用の枝の根元に来て様子を窺っていた.そろそろだなと分かって,その晩から見回りを始めた.しかし残念ながら,翌日の夜遅くに発見した時はとっくに脱皮は終わって透き通った羽を伸ばしているところだった.8cm近い身体の大きさ,目の周りと胸から腹の黄緑色は日本のヤンマの女王,ギンヤンマに間違いなかった.
折角のチャンスを逃してガッカリしたが,まだ4匹残っているはずである.そこで戒厳令を敷いて見回りの回数を増やすこととして,娘と二人で毎晩7時から15分おきにベランダへ出て懐中電灯で様子を探っていた.すると2日後の5月31日,19時の最初の見回りで敵の上陸を発見した.すでに枝の上端まで登って足場を固め終わっていたが,まだ背中は割れていない.そのまま待つこと1時間20分,20時20分に背中に裂け目が入る.そこからは速い.20時25分には背中から頭付近がモッコリとはみ出し,20時27分には後ろにエビぞって逆立ち状態となる.それから10分かけて6本の足を抜きあげ,20時40分には腹の先だけを支えに1本の棒のようにぶら下がる.
再び動きがあったのは21時ちょうどだった.それまで掴まるための足を固めていたのだろう,30分近く身動きもしなかったが,突然ポンと起きあがって尻尾を殻から抜いて止まった.本当に写真を撮る暇もなかった.羽こそクチャクチャであるが,ここへ来てトンボの形がはっきりとする.そしてゆっくりと羽を伸ばし始めると,それに比例して太かった腹が細くなっていく.腹の先からは油のような液滴が染み出し,水面に落ちて丸い滴となる.少しずつスマートさを増したギンヤンマは深夜24時にはすっかり女王の姿になっていた.綺麗なヤンマになった姿を見た娘の眠そうな顔が,嬉しそうに笑ったのが印象的だった.
我が家のベランダのスイレン鉢から,憧れの女王ギンヤンマが巣立っていったのは嬉しかった.しかし,5匹入れておいた大型のヤゴは結局2匹しか羽化せず,鉢の中には残骸すら見あたらなかった.軽々と空高く舞い上がったギンヤンマの浮力には,強靱な身体から発する力強い羽の力は当然のこと,その身体の素となって散った仲間達の「自分も飛びたかった」という空への憧れも力を貸しているのだろう.仲間の分まで高く,そして1日でも長く飛び続けることを祈らずにはいられなかった.
右ネジ?左ネジ? (2007.7)
歳を取ってきて,やれ会議だ,それ評価だと引っ張り出されると,落ち着いて自分の専門を極めるという時間が少なくなる.それでも実験室に行かない日はあっても,グラウンドに行かない日はない.一日一回はグラウンドへ行って身体を動かさないと何となく気持ちが悪い.夏場の日の長い頃には,それこそ朝の自主トレ,昼の練習に夕方のジョギングと三回通うこともある.
これだけグラウンドに通っているから,色々な花に親しむことになる.グラウンドの外野は元々は芝生だったが,今は芝2雑草8と時蕎麦状態であるから,結構バラエティ(注35)に富んでいる.土筆が出て,オオイヌフグリが咲き出すと春が来る.私の好きな花の一つであるスミレが咲き出すのはこの少し後である.そしてGWを過ぎると外野一面にハルジオンが咲き,ハチやハナアブに混じってコアオハナムグリ(注36)が集まってくる.そして6月になると目立ってくるのがネジバナである.芝刈りが間に合わなくて(注37)草むらとなった外野に20〜30cmの茎が真っ直ぐに伸び上がり,その先に小さなピンク色の花が並んで咲いている.その並びは茎の周りをグルリと廻って見事にネジれている.
7月になって,娘が「夏休みに理科の自由研究がしてみたい」と言い出した.よしよし,漸く自主的に勉強する気になったかと喜んだのだが,自主的もなにも,何をするのかから父に任せると言う.まあ,頼まれたことだし,こちらにも理科で飯を食っているプライドというものがある.素晴らしい研究をしてみんなを驚かせてやろう(注38)ということで意気投合してテーマ探しを始めた.書店へ行って調べてみたが,最近の自由研究はタイトルから中身まで何をやるのかが決まっていて,参考書には「さあ,やってみよう」だの「ここがポイント」だのとご丁寧にも書き込まれている.こんなお仕着せメニュー(注39)をやるのは研究とは言わない.こんなのは面白くないし,それなら他の人とはまったく違う日頃の謎を解き明かす方が目新しくて良いだろう.へそ曲がりの娘も同意して身近な謎を探すことにしたら,娘が「ネジバナのネジはどっち向きなんだろう」と言い出した.
テーマが決まればあとは簡単.日頃の現場調査の延長みたいなものである.ネジバナがたくさん咲いている場所を何カ所か選んで大量に摘み取ってきて,右ネジと左ネジの数を数えて比較すればよい.翌週の週末に研究所のグラウンドで2カ所,研究所構内の草むら,自宅近くの近隣公園,そして自宅の構内公園と5カ所へ行ってお花摘み(注40)となった.体力も根気も失せた娘は帰宅早々にお茶など始めたが,プライドのかかっている父はベランダで一心不乱に数を数え続けた・・・.結果を表1に示す.
表1 ネジバナのネジの向きの調査結果
場所 左ネジの本数 右ネジの本数 比率 研究所グラウンド(レフト) 97 128 43:57 研究所グラウンド(ライト) 42 59 42:58 研究所構内草むら 116 115 50:50 近隣公園 18 17 51:49 構内公園 128 97 57:43
図鑑を見るとネジの向きに特に理由はなく,1:1であると書かれている.統計的有意差(注41)を考えれば,そんなものかも知れない.でも,小学生の自由研究であれば,何となく場所による差があるように見えるということで良いだろう.娘は「同じ場所で何年か続けたら,偶然なのか遺伝なのかが分かるかな?」と興味を持ったようだったので,父のプライドも辛うじて保てたと思っている.
サトイモの花 (2007.9)
9月になって,学会出張だの,委員会だのと忙しくて暫く畑へ行く時間がなく,漸く時間が取れたのは9月末の週末になっていた.このころには,夏野菜はインゲン,キュウリ,トマトはすでに終了し,ナスとピーマンは真夏ほどの勢いがないから大した収穫量ではない.サトイモは11月まで放っておけばよいし,夏撒きのニンジンとダイコンは順調に育っていて,特に毎週手をかけることもない.3週間くらい間が空いたが,大した問題はないから気にしていなかった.
畑へ着いて,ピーマンとナスを幾つかずつ収穫し,ニンジンの畝の目立って大きな雑草を引っこ抜く.そして,何気なくサトイモの畝を見ると,そこには不思議な光景が展開していた.8株植えた土垂(注42)のうち,大きく育った1株だけ他と違う様子を示していたのだ.一緒に来ていた娘も「何だこれ〜」といった顔をしている.なんと,花がついている(注43)ではないか.とは言っても花の時期は過ぎて,咲き終わった花びらが茶色く萎れているが,紛れもなく花である.第一印象は「ミズバショウに似ているな」であった.でも,これは間違っている.ミズバショウはサトイモ科なのだから,ミズバショウがサトイモに似ているのだ.ともあれ,これは珍しいと思って家に戻り,デジカメを取ってきて撮影した.
翌日,職場の植物の大家の竹中明夫さんに写真を見せると,「珍しいですね.食用のものは普通は咲かないんですが」とのことだった.流石は専門家(注44)である.学問的な堅い答えで感動した.でも,私が本当に聞きたかったのは「大丈夫.咲いた株でも食べられますよ」という柔らかい答えだったのだが.
早春の発見 (2008.2)
娘に誘われて近所の自然観察に出かけたのは2月10日の昼のことだった.この日は朝から農林リサーチギャラリー(注)で昆虫の観察展があり,ちょうどカミさんが習い事に出かけていて娘の相手を頼まれていたのだが,ちょっと寒いが天気もいいからヒマにまかせて二人で行ってみることにした.理科の好きなちょっとひねくれた親父から見れば,ヤママユやスカシダワラ,ヤマカマス(注)が展示されているのが感動ものだった.とは言っても室内での展示だけ,ガイドが付いて構内の林を散歩しながら冬越しの昆虫を探すのかと思っていたのでちょっと期待外れだった.外を散歩できると思っていたのか,娘も不満そうな顔をして昼には自宅に戻った.
昼ご飯を食べていると,娘が「折角だから,実践編に行こうよ」と言い出した.誰に似たのか言い出したら聞かない子だし,こちらも散歩は大好きだから,ちょっと寒いけれど出かけてみるかと腰を上げた.
まず最初に近隣公園から我が家の畑へと行ってみたが,吹きさらしの細かな土の山ができているだけで何もなかった.畝の横でチャレンジしていた堆肥作り(注)のシートを開けて,娘と替わりばんこに混ぜたり踏んづけたりして,また散歩に戻った.本職さんの畑を抜けて近隣公園へ戻ろうとしたら,本職さんの畑の上に可愛い足跡が続いていた.「ウサギかな?」「タヌキかな?」「その辺の飼い犬だったりして」娘と笑いながら近隣公園を突き抜けて保育所の方へと足を伸ばした.
保育所の前は大きな木に囲まれて,風が抑えられている.そのためか日溜まりには春の足音がほんの少しだけ聞こえていた.柔らかな日差しの草むらだけイヌフグリが青い花を散りばめて,まるで小さな宝石のようだった.午前中はちょっと不満そうだった娘も,きれいな花を見てようやく笑顔になった.まだまだ寒い2月だけれど,立春を過ぎて確かに春の息吹が来始めていることを感じた小さな散歩だった.
箱のテヅルモヅル (2008.3)
娘の習い事の送り迎えの車の中でいつも一緒に楽しんでいたものの中に,不気味系生物の話を集めたラジオのシリーズがあった.色々な不気味系生物の話があったが,その中でオキノテヅルモヅルという海星の仲間の話を聞いたのは2月の初めのことだったと思う.インターネットで調べてみたら,確かに滅茶苦茶不気味系の生き物だった.
3月になって,畑にジャガイモの植え付けをして,昨年のサツマイモの食べ残しを始末しようと思ったのは3月中旬のことだった.6月から秋口までは自家製のジャガイモ,11月から春までは職場の芋掘りで掘ってきたサツマイモが,分厚い頑丈なダンボール箱に入れて部屋の暗がりにストックしてある.サツマイモが少し残っていたはずだなと思いながらフタを開けると,なんたること!まるで大量のストローをばらまいたかのように,箱の中一面に真っ白な細い腕が伸びていて,所々で節ができている.「何だこれは〜!」白骨死体でも見つけたかのように思わず箱のフタを閉めてしまった.そう言えば,去年の11月に菜園の芋煮会の時に地主さんからジャガイモを貰って入れておいたのを思い出した.分厚いダンボールの暗闇で4ヶ月,少しづつ芽を出して,明かりを求めて触手を伸ばすが如く,地下の室で栽培したウドみたいな艶めかしくヌルンとした白い腕だった.明るさを求める芽吹きの当然の行動とは言え,ここまで伸びるかと息をのむような光景だった.
「どこかで見たことあるぞ?」「そうだ!オキノテヅルモヅルだ!」娘と2人で大喜びしたこのジャガイモの芽は,さしずめ「ハコノテヅルモヅル」と言ったところだろうか.折角貰ったのに食べなかったのは申し訳なかったが,生きていくってこんなに一生懸命努力することなんだというのを娘に見せられたのだから,充分に役に立ったと言えるだろう.
ジョロウグモの巣作り (2008.10)
10月1日に,学園の中心部にあるメディカルセンター病院で,日帰りの人間ドックを受けてきた.なかなか設備の整った病院で,しかもドック専門病棟なので一般の通院患者の中を検査着を来て歩き回る恥ずかしさもないから,心地よく検査を受けることができる.さらにこの病院は検査が終わってから医師の面談までの間に早めの昼食が付いている.これが結構上出来な食事で,前夜から,場合によっては数日前から検査に備えて日干しになっている胃腸に実に心地よい美味しい食事である.と言う訳で,検査着から私服に着替えて,そそくさと食堂へと向かうのがこのドックの秘められた楽しみでもある.
私は仕事でも日常生活でも周りの人よりも遅れるのが苦手である.別に一番でなければ気が済まないと言うことはないが,それよりも取り残されるのに恐怖感があるのだ.このドックでは20人位が一緒にスタートするのだが,当然それぞれの検査室の前で並ぶ時間があるから,次第に早い遅いができてくる.そこで,受付を早く済ませて,着替えも一番に終わらせて,全ての検査を素早く進んでいくようにしている.先頭の方にいれば,人より遅れることを心配しないで済む.と言うことで早朝7時45分から受付をして,採血,胸部X線,,心電図,腹部エコー,胃の造影検査に視力や聴力,そして体位測定に腹部のメタボ測定と足早に検査を受けて、検査が終わったのは9時15分だった.着替えを済ませて食堂の入り口で待つこと10分,9時半に食堂が開くと同時に入って,窓際の席に座った.今日のメニューは松茸のお吸い物,根菜の胡麻和え,鯖の竜田揚げ,牛サイコロステーキ,野菜の炊き合わせとなかなか豪華である.ゆっくりと味わいながら,ふと窓の外を見ると窓ガラスから20センチ位の所にクモの巣が張られかけている.私の席からはガラスを挟んで丁度50センチ,老眼(注)の目にも最も見やすい距離であるから,クモの身体の模様から,巣の糸の1本1本まで隅々までがよく見える.せっせと巣作りをしていたのは,体長は大きめだがほっそりとして黄色い身体のジョロウグモであった.
もう巣が張り終わって,真ん中にどっしりと構えているのはよく見る光景だが,このクモは巣を張るのに忙しそうだった.窓の向こうの植え込みから軸となる糸を何本も張って,そこに絡め糸を細かな隙間で張り巡らしていく.丁度,絡め糸の半分くらいを張り終えたところで,完成を急ぐようにせっせと糸を紡いでいた.絡め糸は中心からではなく外側から張り始め,次第に内側へと同心円を狭めていく.外側を先に張ることで,巣全体の形が固めやすくなるのを知っているのだろう.そして,8本の歩き足の前6本で軸糸を掴み,後ろ2本で尻から出てくる絡め糸を丁寧に軸糸に紡いでいくのがよく見えた.時々風が吹いて巣が揺れると,足場が狂って絡め糸を前回に張った糸よりも外側に紡いでしまうが,数センチ間隔の軸糸を何本か進むうちに,うまく調整して元の位置に戻していくのがよく分かった.
巣は高い位置に軸糸の足場がなかったからか,半円形になってクモは半円を行ったり来たりしながら次第に半径を縮めていった.最後まで見ていたかったのだが,胃検査のバリウムを排泄するための下剤が効き始めていたので観察はここまでとなったが,8本の足をうまく使い分けて繊細な作業をしているのが印象的だった.我々人間には手足を合わせても4本しかないのだから,もっと効率的に使うことを考えなければいけないと思わせてくれる一時だった.
甲虫発見物語 (2009.7)
いかに「虫捕りカズちゃん」という異名を持っていたとしても,東京生まれ,東京育ちの私にとって自然の中でカブトムシやクワガタムシを捕まえるというのはそう簡単にできることではなかった.実際に小学校時代を過ごした東京都大田区久が原近辺は、当時は東京としては自然に恵まれていたのだが,造園業者が植木を仮植えしている植木畑?に忍び込んで,イチジクの木でたった1回だけコクワガタを2匹捕まえたのが唯一の経験である.それでも,カミキリムシ,コガネムシ,カナブン,ハナムグリ(注),タマムシといった甲虫類は随分目にしてきたつもりだった.
その経験を持ってしても,つくばに来て自然の豊かさに目を見張った.そして,同じ研究室だった矢木修身さんが「所内でカブトムシが捕れるんですよ.夏の朝には子供とよく来ています」と話してくれた.当時はこちらは独身で、朝から連れ歩く子供がいないから、まさか一人で虫捕り網なんか持って所内を駆け回るのはヒンシュク物だろう.暑い夏だからといって半ズボン(注)でもはいていたら本物の馬鹿かと思われてしまう.と言うことで,虫捕り少年にとっては折角の楽園生活も,虫捕り網を持っての夏休みは,子供ができるまでお預けとなった.
独身の夏は,野球と登山,そして時々は職場の女の子たちを誘ってのBBQと忙しく,昆虫のことなどすっかり忘れていた.最初の転機は結婚だった.結婚した相手は見た目は普通の女性みたいだったが,最初の夏が近づいた頃に「小学生の頃にはカブトムシが大好きだった」と白状した.そこで,時々近所の公園や研究所へ散歩に出かけて観察を楽しんだ.小学生の頃には東京でも当たり前のように見ることができたタマムシの飛翔を見たのは91年の夏だった.公務員住宅のベランダの前には梨の木があって,毎年夏になると,貧相な梨の実がなるのだが,傷んで発酵した実に誘われるようにナミカナブンやシラホシハナムグリが大量に飛び回っていた.しかし,カミさん曰く「角がないのはダメ」と言うことで,ベランダにメロンのトラップを出すのは拒否されてしまった.たくさん集まれば,アオカナブンやクロカナブンなどの希少種も見つかるかと思ったし,ベランダ中に何百ものカナブンやハナムグリが狂ったように飛び交う,「オオクジャクサンの夕べ」ならぬ「ハナムグリの午後」(注)も夢見ていたのだが・・・.
94年の夏に土浦の団地で生活排水の調査を行った.6時間おきに4回サンプリングに行くことになり,昼の2回は研究所から手伝いの学生さんを連れて直接出かけたが,23時と5時のサンプルは自宅から取りに行くことになり,夕飯に帰った時に「排水槽の周りでハグロトンボが飛んでいた」と話したら,面白そうだからと言ってカミさんが助手代わりについてくることになった.23時は何事もなかったが,5時の調査のために4時に家を出ると,自宅前の公園のクリの木に羽化したばかりのシロスジカミキリ(注)を見つけて調査どころではなくなった.でも,朝の4時から,公園のクリの木を1本1本嘗めるように覗いている夫婦なんて,誰が見ても変質者だろう.
待ち望んだ子供が生まれたのは98年1月だった.子供は女の子だったが,「門前の小僧」か,「三つ子の魂」か,散歩と称して暇があれば自然観察に連れ歩き,絵本の読み聞かせと言っては昆虫図鑑を一緒に読書している内に,立派な昆虫少女が誕生した.娘の初舞台は01年,3歳の夏だった.保育所の帰り道に研究所のクヌギの木を覗きに寄って、ノコギリクワガタを捕まえたのだった.すっかり喜んだ娘のリクエストで次の週末には昼間から研究所を歩き回った.ノコギリクワガタを捕まえたクヌギには残念ながら獲物はいなかった.しかし,テニスコート脇のクリの木の根元に誰が仕掛けたのかスイカのトラップがあって,すぐ近くに雄のカブトムシがのっそりと歩いていた.ちょっとマナー違反で気が引けるが,3歳の子供が捕まえるんなら許されるかなと考えて,娘に捕まえさせて家に持って帰ったのが2匹目の収穫であった.このカブトとクワガタは娘の希望で飼育キットを買ってきて夏の間ずっと飼っていた.01年8月のひたち野への引っ越しでも荷物としてではなく,娘の膝の上でVIP待遇で新居へと移動した.玄関の下駄箱の上が新しい生活場所だったが,クワガタはともかく,カブトには問題があった.それはウンチとオシッコの量が多い上に,遠くまで飛ばすのである.新築マンションに入居3日で壁にシミを付けられたのでは処分も仕方ない.カミさんの命令で,散歩のついでに公園近くのクリの木に遠島の刑となった.
翌年の夏前に,ベランダで娘と植木鉢の水やりをしていて,鳳凰木(注)に綺麗な赤い虫が留まっているのを発見した.黒い頭以外は全身が真っ赤で充分に鮮やかなのだが,毒々しい赤ではない.紅色というか,ビロウドのドレスにあるような上品な赤のカミキリムシだった.すぐに二人で図鑑で調べたら,ベニカミキリだった.綺麗なカミキリムシと言えば,ルリボシカミキリが有名だが,こちらも劣らぬ見事な鮮やかさだった.この時が初めての対面だったが,その後なんどか顔を合わせる機会があったから,特に珍しい種類というのではないらしい.
03年の秋の夜,家族で外食に出た帰りに,駐車場でコクワガタの雄を見つけた.久しぶりの獲物に娘は大喜びだった.すでに娘は図鑑などで充分な知識を仕入れている昆虫少女である.コクワガタが冬越しをすることを知っている.飼育キットに入れて,このまま来年まで飼っていたいと言うのだが,すでにホームセンターのペット売り場はスズムシに模様替え,甲虫用のゼリー餌など売っていない.飼おうにも飼えない状況で,仕方なく娘に「週末まで飼って,週末に逃がしてやろう」と提案した.その夜,娘は寝付くまで泣いていた.週末に二人で逃がしに行って,「来年また会おうね.」そう言って,畑近くのクリの木の根元の腐植の中に隠すように入れてやったが,娘はまたベソをかいていた.見ているこちらまで涙が出てしまった.
その後の数年は,娘がベランダでゴマダラカミキリを捕まえたくらいでパッとしなかったのだが,07年の夏は大漁だった.まず梅雨明け前にコクワガタの雌がマンション入り口にひっくり返っていた.GWにホームセンターで貰ってきたカブトムシの幼虫の隣に飼育キットを増設して,カブトムシが羽化した時に備えて買っておいたゼリーをセットした.身体は小さいが,よく食べる.1日中食べている様子を見て,娘は「クワシンボウ」と名前を付けて可愛がっていた.さらに夏休みの週末に二人で近隣公園のクヌギと畑裏のクリの木を散歩しながら捜索した.2週続けて収穫があり,ノコギリクワガタの雄を3匹捕まえることができた.さらに7月末に選挙で牛久運動公園に行ったついでに散歩をしていたら,娘が大きなカブトムシを見つけた.これで我が家にはカブトムシが3匹,クワガタムシが4匹と超過密状態になった.娘は毎日嬉しそうに覗き込んでは,父親に餌替えを命じて満足そうだった.カブトムシの産卵を希望しているようで,「頑張れ」と応援していたが,こればかりは神のみぞ知るの世界,残念ながら産卵は行われなかった.
昆虫名人の鹿児島大の宇野博士によれば,ルリボシカミキリなどは筑波山あたりで見ることができると言うし,ベニカミキリも当たり前との話だった.と言うことは,まだまだ探せばいろいろな種類が見つかるだろう.たとえ見つからなくても,仕事にも食生活にも何の影響もない.見つかれば,単にハッピー.ちょっとした満足感で,その日のビールが美味くなると言うだけのこと.残りの人生の楽しみとして,ゆっくりと探してみようか.
君は誰?(注) (2009.11)
11月21日に,上信県境稜線の岩の突起,物見岩の頂上で見つけた赤い虫?!鮮やかな赤い色は,植物につくハダニによく似ている.でも,でかいし,しっかりしている.普通見かけるハダニは1mmあるかないかの小さな赤い点だけれど,こいつは5mm位でまるでテントウムシのような大きさ.それに,ハダニの足は細長くて,歩くと言うよりフワフワと飛ばされていくような動きだが,こいつはがっしりとした太い足で,ザクザクとまるでコウチュウ類の歩み.形はまるでカメムシのようなホームベース型.これも普通のハダニとは違っている.
君は,誰? どこから,来たの?
どうにも気になって,寝られない.仕事も手につかない.仕方ないので,困った時の神頼みならぬ「神様相談」で,鹿児島大の宇野博士にメイル.「この人は誰ですか?」 折り返し,宇野博士からは「ハダニでしょ?」 「でもねえ.5mmもあるんだよ?」 「えっ!5mm!でかい.でかすぎる!」
結局,大先生でも分からない.先生,何を血迷ったのか「宇宙から来たとか・・・」 「君キミ!科学者たるもの,分からないからって宇宙人で逃げてはイカンよ!」
仕方ないので,研究所の図書室へ行って,昆虫図鑑を検索.カメムシの項には該当者なし.続いてコウチュウの項を検索.赤い色,5mmの大きさ・・・.あ!ちょっと似てる!誰だ,こいつは?容疑者はキノコアカマルエンマムシ?なんだこれ!聞いたことない名前だぞ〜!早速,大先生に電話で連絡.大先生も知らない名前で,ムフフフ・・・.でも翌日になって「ネットで見たけど,似てないよ」との否定的なご見解のメイル.
またイチから調べ直し.生憎,研究所にはこの手の虫の専門家は少ない.それなら別方向から攻めるしかない.土壌研究室の村田君から土壌生物の図鑑を借りて・・・.あっ!いたいた!真っ赤な身体.太い足.サイズは3mm.タキケダニという聞いたこともない名前.ネットで検索して写真を確認すると,結構似ている.これで確定として,宇野先生にメイルして一件落着しました.
それにしてもお騒がせなダニである.君は最初はカメムシ,次にハダニになって,一度は宇宙人にまでなって,それからキノコアカマルエンマムシ,やっと本名に辿り着いたんだよ.よかったね.