DREAMS COME TRUE

研究者の世界は能力主義,実力主義だと思っていたのだが,いざ研究職になってみたら,設備の使用予約から研究費の申請,学会賞のノミネートまで,全てが実力で決まっている訳ではないことを思い知らされた.学閥という名のフィルターがかかって,大先生方の「覚え」も色眼鏡の先にある.もともと実力が飛び抜けている訳でもなく,学閥も持たない人間は,そこそこ研究費を貰って,目立たないようにコソコソと実験をして,恥をかかない程度の論文を書くように努力する.出世など考えず,定年までしたい研究ができれば御の字というのが特権階級以外の人の発想であろう.私もそう思っていた.だから,90年代になってJ-POPシーンに「DREAMS COME TRUE」という名前のグループが登場した時,その音楽はともかく,ユニット名には反発した.「DREAMS」なんてまるで特権階級じゃないか.庶民は一生かけてやっと一つ二つの夢を叶えれば幸せなんだよ.「A DREAM COMES TRUE」.どの夢を叶えようか・・・なんて贅沢は言えない.「THE DREAM」ではなく「A DREAM」なのだ.長いこと,僻んだ気分でそう思っていた.でも,ある日突然にこの考えは間違っていたことが分かった.

私が高校の頃,日本のサッカーはとても弱くて話にならなかった.私もサッカー大好き少年だったから,東京12チャンネルの三菱ダイアモンドサッカーは欠かさず見ていたし,74年のワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦は生中継で観戦した.ベッケンバウアーやクライフのスピード,テクニックそして戦術眼に度肝を抜かれ,日本がワールドカップに出るなんて私が死ぬまであり得ないんだろうと思っていた.私のいた高校は都立校にしては珍しく体育専門学科があり,どのスポーツも盛んだった.中学時代にはバレーボール部のアタッカーだった私はスポーツには多少自信があったが,専門科の連中とはとても一緒にやるだけのレベルになく,仕方なく普通科の仲間とお遊びサッカーに明け暮れていた.本チャンのサッカー部は我々から見ればとても強かったが,陸上,水泳,器械体操などが国体に出場したりするのにサッカー部は東京都ベスト8とかベスト16とかで,正直言って冬の風物詩,全国高校サッカー大会に出られそうには思えなかった.

その後も日本サッカーとわが母校サッカー部の低迷は続いた.しかし,歓喜は突然訪れる.1997年11月16日,サッカー日本代表はマレーシアのジョホールバルで開催された第3代表決定戦でイランを破り初めてのワールドカップを掴んだのだ.そしてその僅か30時間前,わが母校は全国高校サッカー大会の東京都第2代表の栄誉を射止めたのである.25年近く前に,一生叶わないと思っていた二つの夢が,たった2日間で両方とも叶ってしまった.正に「DREAMS COME TRUE」.信じていれば,否,例え信じていなくとも,いつの日か「夢達は叶う」のかも知れない.この出来事以降,自分でも少しはあきらめが悪くなったような気がしている.