車窓・ちょっと見・発見伝(注1)
まえがき
乗り物に乗ると車窓から景色を見ているのが子供の頃から大好きだった.父や母とどこかに出かけるとなると,電車に乗れるのが嬉しくて(注2)仕方なかった.靴を脱いで,モケット張りの座席に窓の方を向いて正座して・・・.初めて通るところでも,いつも通るところでも,今日は初めて見る風景だった.例え見慣れた風景も,昨日と同じことは二度とない.だから毎回新鮮だったし,色々なことを観察することができた.季節の変化,時間の変化,人間の変化,社会の変化.車窓は様々な変化を映している.そして時には摩訶不思議なものまで見せてくれる.子供だって,大人だって,関係ない.電車でも,バスでも,はたまた待合室でも.じっと窓の外を見ていれば,おもしろいものは向こうからやってくる.乗り物に乗って見つけた,そんな小さな発見を書いてみたい.
神立駅の橋桁
常磐線で土浦から水戸へ向かうと,最初の駅が神立である.この辺りは随分前から工場が誘致されているし,最近では上野まで直通1時間と充分に東京への通勤圏となっており,マンションや一戸建ての団地もできてきているホットな地区である.この駅の構内ヤード跡から土浦寄りにある住友セメントの敷地内に奇妙なものを見つけたのは,娘と今はなき鹿島鉄道に乗りに出かけたときのことだった.
土浦を出ると,すぐに右手に車両基地があり,これを過ぎると暫くは住宅が続いているが,その隙間から茨城名産の蓮根を栽培している田圃が見えるようになる.一旦ローカルな風景となって,境川を跨いで神立地区に入ると再び住宅が増えてくる.日立建機や東レの工場が並び,最後の踏切を過ぎて構内に入った途端に,右側(東側)の空き地に不思議なものがあるのが目に飛び込んでくる.緑色の鉄の橋桁のようなものが路面に埋め込まれているのだ.構内は線路はなく,コンクリートで舗装されているが,その中に本線線路と平行に埋め込まれ,平行な桁の延長線上にはセメント工場の建家と機関庫のような小屋が建っている.サイズといい,構造といい,周りの雰囲気といい,どう考えても元はターンテーブルで,線路を外した際に埋め込んだものだろう.住友セメントの敷地であるから,おそらくはホッパー車の排出口の向きをそろえるために使ったのだろう.
追記: 近くで見るとターンテーブルというよりもトラバーサーなのか,あるいは重量測定用とも思うが,後ろのセメント工場には線路の幅くらいの複数の引き込み口があるから,いずれにせよその手のものだったのだろう.
最大特急は二つ折れ
学会出張の帰りにまっすぐ帰らずにへそ曲がりルートで帰ってくるのは昔からのことだが,熊本での学会の帰りは週末にかかったので大手を振って豊肥本線に乗り込むことができた.通りがかりのついでに南阿蘇鉄道で高森へ行って,山村酒造の酒蔵を見学し,「純米れいざん」を購入し,阿蘇山のカルデラの中を一杯気分でゆっくりと横断した.乗り継ぎが悪くて大分に着いたのは夕方であるが,急ぐ旅ではない.大分からは寝台特急「富士」のB個室が取れていたので余裕の行動である.「富士」と言えば数多のブルートレイン(注)の中でも名門列車である.以前は西鹿児島まで丸1日かけて走っていたのだが,宮崎空港の充実と共に大分以南の客が減って,今は大分駅がターミナルである.もっとも,以前も12両のフル編成は大分までで,その先は前6両での運行であったから,最後尾の丸い顔は大分までであったが.
さて,元々は東京寄り6両が大分の留置線で待機して,西鹿児島からの6両に繋がって出発だったのだが,今は12両が全て大分で待機となっている.その長さはかなりのものであろう.車両基地は駅ホームの西側正面であるから,この長い編成が蛇のように連なって出てくるのは結構壮観だろうし,腹も減ってきたので入線したらすぐに乗り込んで弁当にしようと思ってホームで待っていた.すると,なぜか6両だけが出庫してさっさとホームに入ってきた.あれっと思う間もなくホームの案内放送が入った.「まだ乗れません.もう半分を繋ぎます.」入れ替えのディーゼルが大急ぎで前半分を運んできて,ホームで連結,無事に12両フル編成の特急「富士」が完成した.多分,大分駅の留置線は12両編成を置ける長さがなくて,仕方なくホームで連結ということなのだろう.西鹿児島まで繋いでいたときには6両しか留置しなかったので問題なかったが,12両では名門特急といえども二つ折れにするしかない.最大特急華やかなりし頃の大国鉄時代の遺物である,長大なホームもこんな時には役に立つこともあるということだろう.
金町のビンゴマシーン
あれはいったい何なんだろう.常磐線快速で上野から松戸に向かい,亀有を過ぎて中川を渡った左側に広大な空き地ができている.その金町よりの端っこに不思議なものが置かれている.球形の炉のような赤茶けた鉄錆の大きな塊がポツンと,と言うよりはドカンと鎮座している.そしてその中川寄りには煉瓦作りの工場のような建物が壊されずに残っている.ここは元々は三菱製紙中川工場の敷地だったところだから,これらは工場に関係するものだろう.でも,他の施設が皆取り壊されているのに,なんで残っているんだろうか.まさか私の仕事に関係するような問題があるのではないでしょうね・・・,なんてここに書いたら問題になると嫌だなあ.
追記: 本当にインターネットの社会は便利というか奥ゆかしさに欠けるというか,こんなことも調べてくれている人がいる.これは「地球釜」と言って昔の製紙用の溶解釜なんだそうだ.工場のモニュメントとして残すために置いてあるとのこと,職業柄ついつい大王鬼神なんぞを考えてしまう血の気の多さをちょっと反省.
追記2: 会議で昼前に東京へ出掛けたが,いつものように車窓をボケッと見ていたら,ビンゴマシーンがクレーンに吊り上げられてトレーラーに乗せられたところだった.帰りに見た時には,ビンゴマシーンも土台も跡形もなかった.常磐線の密やかな秘密が一つ消えてしまった.もう一度,あの不思議な物体を見ることはあるだろうか.(2008.6.25)
東急池上線の木製ベンチ
小学校の頃,大田区調布嶺町(現在は西嶺町)に住んでいた.最寄り駅は東急池上線の久が原駅(注)である.今時はお洒落な住宅地として東京勤務のOLさん達に人気の東急沿線であるが,当時は全くの田舎電車だった.今は銀色のステンレスカーが走っているが,40年前は緑色の旧型電車(注)が3両編成でチンタラと走っていた.今でも都会の通勤私鉄には珍しい10分に1本程度のノンビリとしたダイヤだが,当時はもっと少なかったのだろうか.私の記憶の中の池上線と言ったら,久が原駅の木製のベンチで母と並んで腰掛けて電車を待っている時の日溜まりの暖かさや木枯らしの冷たさである.木製のベンチと言ってもグラウンドの脇や道路際のバス停にある背当てに○△牛乳などと書かれているものではない.何人もが並んで座れる長さがあって,お尻と背中の部分に緩やかなカーブが付いていて,足下まで板で覆われた箱のようなベンチである.まるで小学校の教室にあったオルガンを長くつなげたような形であった.
池上線も時代の流れで改修が繰り返されてきているので,流石にもう懐かしい風景はなくなっているんだろうと思っていた.そんな懐かしいベンチに再会したのは,2008年3月11日に東京へ出張した日のことである.
この日は2時から新橋で会議だったが,昼に五反田の分析化学会本部へ出掛ける用事があり,どうせ朝から出掛けるのならと,母の入院している病院へ見舞いに寄った.病院は用賀なので,二子玉川へ出て早めの昼飯を取って,折角だから東急大井町線から池上線へ乗り継いで五反田へ出ることにした.途中の大岡山は地下駅になって昔の面影はなかった.4月から大井町線にも急行の導入とやらで,旗の台駅も土手の上の対抗式のホームから追い越し線を付けた二重島式ホームに変わっていた.中学1年の秋に転居して,5ヶ月の間電車通学をした懐かしい乗換駅であるが,そのころの面影はなかった.あまり期待もせずに階段を下りて池上線のホームへ入ると,ホームはバリアフリー対応などで部分的に改装されていたが,嬉しいことにその面影は健在だった.そして何より感動したのは,反対側の蒲田行きホームに懐かしいオルガンのようなベンチが残されていることだった.もう50年は経つだろう.焦げ茶色のベンチはニスのテカりも剥げていたが,まだ現役であった.懐かしくベンチを見ていたら,電車に乗るのが日常ではなかった小学生時代,まだ元気だった母と並んでベンチに座ってウキウキしながら電車の来るのを待っていた自分が座っているような気がした.
追記1: 2008年4月交通新聞社発行の「散歩の達人・東急完全案内」にこのベンチが取り上げられていた.表紙はズバリこの旗の台駅のベンチである.本文によると,久が原駅にもまだ残っているとのことだった.なくなる前に再会しに行こうと思う.
追記2: 2008年4月19日の朝日新聞 be on Saturday Entertainmentに池上線池上駅の話題が載っていたが,小学校に入る位まで家の近くに歯医者さんがなくて,虫歯や抜歯となると池上駅前の歯医者さんに通っていた.泣きたいのを我慢すると,母が「よく頑張ったね」と言って池上駅前でケーキを買ってくれるのがいつものことだった.確か「エノモト洋菓子店」でパピヨンという名前のケーキをいつも買っていた.カステラの上にチョウチョの形のパイピングがあって,その内側をイチゴジャムが埋めていたように覚えている.まだ痛い歯を気にしながら,それでもケーキの箱を見る度に笑顔になってくる帰りの電車の待ち時間も木製ベンチの上だったことを思い出した.
カンコー学生服
鉄道車窓からの観察というと,様々な看板もターゲットである.都会では洒落たボードに社名や製品名が意匠の効いたスマートなデザインで並んでいるが,ローカル線では一寸趣が異なってくる.特に,山間部などの昔からの雑貨屋さんなどには珍しいものがぶら下がっていることがある.この話もその一つである.
別に看板が目当てだったのではないが,2008年の正月休みに東北を旅していて目についたのが四角形のホーロー看板だった.3日間で幾つかの古くからの洋品屋さんの店先に見つけたのだが,その錆だらけの古びた看板にはいずれも「菅公」と「学生服」と書かれていた.これはどう見てもテレビなどでもお馴染みのカンコー学生服であろう.なんでカタカナでないんだろう.と言うより,なんでカタカナなのか,そもそも「カンコー」とは何なのかがこれまでは分からなかった.でも,この古びた看板を見てすぐに分かった.学生服だから,学問の神様の菅原道真公,つまり「菅公」なのだった.都会には最先端の文化が散らばっているが,地方には古くからの文化が埋もれている.温故知新,いやいや,行郷掘古,古きに包まれている文化を知るには地方を見直さなければいけないということであろう.
追記: カンコー学生服の由来についてはWikipediaにも取り上げられていた.最近はインターネットのお陰で,こんな密かな楽しみも白日に曝されてしまうのが一寸残念と言ったら贅沢だろうか.
水戸駅のおとぎ電車
初めて昼間に水戸駅を通ったのは,娘と日立電鉄に乗りに行った時だから2003年の秋のことだ.その後も何回か通ったが,こんなものは目にした記憶がない.この2,3年,娘の習い事で日立へ出掛けたり,委員会の仕事で東海の原研へ出掛けたりする時に見かけるようになって気になっていたのが,水戸駅構内北側のヤードの外れに停まっている2両のおとぎ電車である.
3年前に導入された常磐線の新型車両のデザインをしているから,おそらくはこの頃から置かれているのだろう.それにしても何なんだろう.置き場はいつも同じで,JR水戸総合貨物センターのビルの横である.大きさは有蓋貨車ワム70000よりも小さく,大昔に九州の妻線で試験されたディーゼル貨車キワ90をもっと短くしたような形である.そんなおとぼけた車両に,最新鋭の快速用列車のデザインはちょっと悲しい気もするが・・・.車輪がトロッコのように小さいから,モーターなどは付いていないだろう.それにしても,何とも不思議なものがあったものである.
不思議の国,水戸駅
水戸駅の不思議はおとぎ電車だけではなかった.上り特急専用の7番線にはなんとも凄いデザインの売店がある.特急用ホームだから,と言えばそれまでだが,ちょっとやりすぎでは・・・?
そもそもなんで常磐線の最高ランク「スーパーひたち」ではなく,格下の「フレッシュひたち」なんだろう.まさか,「副将軍のお膝元だからナンバー2にした」なんてことはないでしょうね.
都会のトンネル
私の出身高校は京王井の頭線で渋谷から2駅目,駒場東大前駅が最寄り駅である.学区制を敷いた都立高校で第2学区所属となれば,生徒は基本的に新宿,渋谷,目黒,世田谷の住民でなければならない.ある日のこと,通学ルートの調査があり,どんな交通手段で,どこで乗り換えて,どの位の時間をかけて通っているのかを調べることになった.皆でワイワイと騒いでいると,一番の田舎者は誰だろうという話になった.勿論,家庭の事情で転居して遠くから通っている奴もいる.外房線の大網だの,小田急の片瀬海岸だのと東京人にとっては夏休みに泊まりがけで出かけるようなところから通っている奴もいたが,これは比較にならない.学区内,せめて23区内で一番の田舎者は誰なんだろう.そもそも田舎の基準って何だろう.近くに田圃があるとか,トイレが汲み取り式だとか,基準は様々だが比較は難しい.その時出てきたのが,通学中のトンネルの数であった.「トンネル=山間部=田舎」である.勿論,地下鉄は都会を走る電車だからカウントしないことにしよう.こうして間抜けな仲間達がそれぞれ自分の通学経路を思い出して,トンネルの数を数え始めた.
井の頭線を西に向かっていく生徒は小田急や京王本線に乗り換えてもトンネルはないから,都会人だと胸を張っている.一方,神泉駅の両側はトンネルであるから,井の頭線を東に向かって渋谷へ出る生徒は最低でも2つトンネルを潜って登校する.渋谷から国鉄山手線に乗っても学区内にはトンネルはないが,中央線には信濃町と四谷の間がトンネルである.ただし,四谷,市ヶ谷,飯田橋から通学してきている友人はいなかった.高田馬場からの西武新宿線にはここもトンネルはなかった.東急はどうか.渋谷で東横線に乗るとすぐに代官山と中目黒の間でトンネルを通過する.そして私は自由が丘なので計3つとクラスで一番の田舎者であった.
出発駅から終着駅まで僅か1時間の距離でトンネルが3つもある通学経路が学区内にあったのは結構新鮮な驚きだった.東京駅から東海道本線だったらどの辺まで行けるんだろう.中央線でも八王子より先かも知れない.上野から東北本線や常磐線だとかなりの距離まで行けるだろう.都立大学,自由が丘,田園調布,二子玉川と言ったら今や超一流のファッショナブルな町だし,当時でも有名な高級住宅地だった.でも,見方を変えれば超田舎となってしまうのだ.田舎の基準も様々だが,こんな視点で評価するのも車窓風景が目新しく見えて面白いかもしれない.
因みに,この記述はあくまでも1975年当時のことである.今は二子玉川へは田園都市線で渋谷から直通であるから,このルートで通う生徒はいないだろう.自由が丘や田園調布は相変わらずだが.この30年の「ニコタマ」ブームという時代の流れに乗って,二子玉川は田舎ではなくなったのだ.
不思議な待ち合わせ
待ち合わせと言っても,どこかの改札で女の子との待ち合わせではない.各駅停車の列車が後から来る特急に追い越されるために,ホームで止まっている待ち合わせの話である.
女の子との待ち合わせなら色々なパターンがあって,不思議と言えることも様々あるだろう.でも列車の待ち合わせなら,パターンは2つである.先を走っていた各駅停車が待避ホームに入って停車し,そこへ後から来た特急が警笛を鳴らしながら追い越し線を通過するパターンと,後から来た特急がゆっくりと追い越しホームに止まって,客扱いをしてから先に走り出すというパターンである.特急が止まるか止まらないかの違いはあるが,いずれにしても先行していた各駅停車を追い越していくのが当然のお約束である.と,思っていたのだが・・・.
不思議な待ち合わせに遭遇したのは外房線上総一ノ宮駅だった.10:09千葉発の2417M外房線各駅停車安房鴨川行きは10:56に上総一ノ宮駅に停車する.車内には「後から来る特急列車の待ち合わせをしますので5分停車します」と放送が流れ,「ああ,追い越されるんだな」と誰もが思っている.そして隣のホームに11:00ちょうどに特急わかしお5号が入線する.わかしおは客扱いをし,数人の乗客が各駅停車へと移ってくる.そして,ホームに発車のベルが・・・.11:01,ドアが閉まって,定刻通りに発車したのは後から来た特急ではなく,2417Mの方だった.
2417Mは東浪見で客扱いをし,2つ目の太東で待避ホームへと入った.そして4分ほどの待ち時間の後に,上総一ノ宮を11:05に発車した特急わかしお5号にあっという間に抜かれていた.
でも,なんで上総一ノ宮で追い越さないんだろう.そもそも特急が上総一ノ宮で5分も止まる必要があるのだろうか.何となくしっくりこない,不思議な待ち合わせ時間だった.
山里に河豚?
山登りの人たちから「西上州」と呼ばれる山域は,アプローチの便から秩父から志賀坂峠を越えた神流川流域の御荷鉾や赤久縄が中心となっている.しかし,さらにその北側の南牧には,背は低いが個性豊かな岩峰がたくさん隠れている.百名山から外れた山域となれば,人出も少なく,ルートもはっきりしないような,渋好みの山々である.そんな山には下仁田から南回りで観能へ,または北回りで本宿から内山峠へと入ることになる.
下仁田と言えば,「ネギ」と「コンニャク」である.てな訳で,山中ではルート探しに苦労するが,里に戻ればルートは明白.懐かしい風情の旅籠に泊まって,名産品をふんだんに使った上州牛の「すき焼き」や,「刺身コンニャク」を肴に熱燗を・・・というのがいつものルートである.特に,「刺身コンニャク」は薄造りの透き通った雰囲気から「山河豚」と呼ばれている名産品である.
それはよく分かる.美味しいのも認めます.でも,いくら地場産業の振興と言っても,これはちょっとね・・・.何回見ても笑えるし,眠気もすっ飛ぶ名作です?
上州富岡駅の凸電トイレ
山歩きの帰りに乗った上信電鉄.西武からの払い下げ車両を2両編成ワンマンで運行する典型的な鄙びたローカル線だけれど,サファリワールドや銀河鉄道999など,編成毎に派手な塗装をして,営業をかけている.高崎付近は良いとして,下仁田近くの渓谷沿いではちょっと派手だけれど,努力は認めます.沿線は富岡製糸場で有名な生糸の生産地で,上信電鉄は生糸や森林資源の貨物輸送が盛んだった路線.凸型の電気機関車が活躍していたのは有名です.
でも,上州富岡駅の駅舎横に,凸電の形をした建物があるのは驚きました.駅舎は別にあるから,おそらくはトイレでしょう.次に出かけた時には,是非途中下車して覗いてきたいと思います.
鬼太郎のふるさと
JR米子駅に停まっていた境港線のキハ48系.境港は水木しげるの出身地だから,しょうもない絵が描かれている.でもやっぱり,ねこ娘が一番キュートかな!
どんど焼き
新年2週目の週末に,中央本線岡谷から飯田線の各停で3時間.左に南アルプス,右に中央アルプスを眺めながら,のんびりと伊那谷の旅をして,辿り着いた天竜峡の空き地に見つけた人だかり.クリスマスツリーには遅いし,何だろう?飾り付けは真っ赤な達磨!茨城や東京ではなかなかお目にかかれない,信州ならではのどんど焼きでした.
ミカンの国のツリー
愛媛県と言ったら,ミカンの国.八幡浜駅の構内に飾られたクリスマスツリーは,飾りがミカンでした.
なんでもアンパンマン?
アンパンマンの作者が高知県出身なのはよく知っています.町おこしには有効でしょう.でも,JR四国のやり方って,ちょっとおかしくない?
予讃線の松山と宇和島の間を走る気動車に,なんで「かまめしどん」のヘッドマークが付いてるの?山陰の境港線には鬼太郎列車が走っているけど,伯備線や姫新線には走っていない.四国中み〜んなアンパンマンではねえ・・・.
高知へは行かない予讃線の特急「しおかぜ」に,なんでアンパンマン車両が入ってるの?アンパンマン列車は,なんで「僕,アンパンマンです.瀬戸大橋の説明をするね」って車内放送が流れるの?大人も乗ってるんだよ.JALのポケモンジェットのスチュワーデスが「ピッカ〜!」なんて言わんでしょ!
それに引き換え,土佐くろしお鉄道の姿勢はややマトモ.ごめんなはり線の駅にはそれぞれの土地に合わせたキャラクターが作られて,駅名の紹介にはキャラクター名が入るが,それだけ.JRよりずっとスマートな印象でした.