へそまがり見聞録
小さい頃から鉄道が好きだった.だから,電車に乗って遠くまで旅行に行ってみたかったが,でも今みたいに家族で旅行なんて時代ではなかったし,私も母も身体が弱かったから,旅行に出掛けるなんて夢だった.年に何回か焦げ茶色の国電に乗って渋谷や有楽町のデパートに買い物にいくのが贅沢だった時代.隣の線路をツートンカラーの電車が走っただけで,乗ってみたくて仕方なかった.オレンジと緑の湘南色の電車は父の田舎に行くのに乗ったことがあったが,クリームに赤い帯のこだま色の特急に乗るのが憧れだった.あの頃は父親が商社マンでもなければあちこちのお土産を貰うこともなかったし,とびきりの大金持ちでもなければJALPAKと書かれたショルダーバッグは貰えないものと諦めていた.結局,親と泊まりで出かけたのは父の実家と,幼稚園の年に1回だけ父の職場の箱根保養所だった.初めて両親と新幹線に乗ったのは,開業30年の1994年8月に親戚の結婚式で静岡までの日帰りだった.

だから,自分で行くしかなかった.連れて行けないなら,口を出さないで金だけ出してくれ.そう言って,中学2年の春休みに神戸の親戚の家を足場に関西を廻ったのを皮切りに,あちこちへ一人で出掛けるようになった.でも初めての関西で大仏も金閣も食い倒れにも行かないで,仁徳天皇陵と明石の子午線記念碑と甲子園での高校野球を見てきたんだから,やっぱり最初からへそ曲がりだった.そして神戸の帰りは初めての夜行列車「銀河51号」だった.牽引するEF58の暖房器が故障して寒くて仕方ない一晩だったが,これまで感じたことのない自由の喜びと,一人で生きることの寂しさを感じた.その後は中学3年の夏休みに父の実家に「奥伊豆レジャー号」なる何とも不思議な夜行列車で出掛け,中学卒業の春休みには四国へ,高校1年の春は九州へ,2年の夏には7月に京都,8月には只見線から日中線を巡った.

大学時代には,多くの仲間が大自然とロマンスを求めて北海道へ行くのを尻目に,真夏の九州国東半島を歩いた.なんてへそ曲がりなんだろう.自分でも呆れてしまうが,その分色々面白いことも経験したんだろう.最近では学会の行き帰りにちょっとブラつく寄り道旅行.あてもなく彷徨う数日間の18キップ旅.そんなへそ曲がり旅の経験を思い出と共に記録しておこう.