記憶の破片 注釈


  1. 小学校1,2年の担任の先生はとても優しい先生で,尊敬できる人だった.ただ,一度だけ絶対に許せないことがあった.それは,余ったからと言って東京の絵はがきを3枚持ってきて,「お祖父さん,お祖母さんが遠くに住んでいる人3人にあげよう」と言ったことだった.遠いというのは距離で決めるのだから,九州だの四国だのという連中に西伊豆が勝てる訳がない.例え1日で行けないくらい時間がかかっても.一応立ち上がってノミネートしたが,「西伊豆は座って」と言われた時には悔しくて泣いてしまったのを覚えている.故郷の場所なんて,自分では選べないのだ.
  2. 土肥から修善寺へ抜ける船原峠は西伊豆への山側の難関であったが,今は峠の下をトンネルが通っている.昔はバスがつづら折れの道をようやく上がって峠に着くと,船原レストハウスというドライブインで10分間のトイレ休憩があった.傍らには大きな丸い岩が真っ二つに割れた,「頼朝?の運試しの岩」なるものがあったと思うのだが・・・.もし本当に頼朝の伝説があるのなら,石油特会のトンネルは実に貴重な地元の観光資源をダメにしたことになろう.
  3. メチャメチャ細いつづら折れの道で浜辺の集落に出て,また次の湾まで岬をつづら折れで登っていく.そんな道だから時間はかかるが,冬晴れの日には富士山が大きく見えてとてもきれいだった.松の木に彫られた仏像や,黄金崎の金色の岩の中を行く道は今はもうバスで通ることはない.湾ごとの集落の高台にトンネルを通して,片側2車線完全舗装のバイパスができたのは昭和50年代半ばである.きっと,今話題の石油特会の賜物だろう.
  4. 最近はあまり食べる機会がないのですっかり忘れてしまったが,小田原のものには竹輪が,三島,沼津のものにはわさび漬けが入っていたような気がする・・・.
  5. 小さい頃の記憶なので確かとは言えないが,牧場だったと記憶している.今は大きなマンション群が緩やかな谷を埋め尽くして立っている.
  6. 小学校3,4年の担任が戸塚に住んでいて,毎年GW明けの日曜日にクラスの子供と付き添いのお母さんを招待してくれた.おにぎりと水筒を持って出掛け,先生の自宅で昼ご飯.午後はみんなで田植えの済んだばかりの田圃と,ヒバリがさえずっている麦畑を散歩したのを覚えている.
  7. 数年前に幕張へ行ったら,あたり一面クマゼミでびっくりした.都心経由なのか,房総半島経由なのか,DNAでも使って調べると面白いかも知れない.