流血の美学

DC版ベルセルク『喪失花の章』のストーリー本に(ゲームはやってない)、「血を流す価値のあるものを見つける」というフレーズがある。『血』という言葉がやたら出てくるのだ。
コミックスを読み返してたら、ガッツとキャスの初Hシーンでもキャスがガッツに
「私のせいでいつも血を流してるな」というシーンがある。
誰かを庇って傷つき、血を流してる男の姿は、男にも女にもかっこよく映る(と思う)
自分のキャラにそんなことさせたいと思うことだってあるし(笑)
でもベルセルクに限らず、圧倒的に男性の漫画に流血シーンが多いのは何故なんだろう。
昔は、男の攻撃性、好戦性の表れかと思ってたが、今はちょっと違う。
思うに、『血』というのは、実際の血液ではなく象徴なのだ。
血は、自分の一部だ。他の液体と違って赤い。象徴的だ。
例えば人が、自分の魂や愛をかけて何かをしようとしていることを、視覚的に表す時に
魂も愛も絵にはできない。だからそれが宿る肉片の1部として血を捧げることで気持ちを表す。
血ならば、誰でも1度は見たことがあり、イメージしやすい。
だから見るほうも、血を吐きながらキャスカを気にかけるガッツ(断罪の塔の後、ゴドーのとこでのも〜ギュウ対決の話)に、決意と真剣さを感じるのだ。
ねえ、感じたでしょ? え?私だけ? そんなことないよね…ね、ね、ね。(^_^;)。
そして男は、より『血』を象徴的に捉えてると思う。
思うに、「血を流す価値のあるもの」とは「最大の愛」を表すための比喩に過ぎない。
最も高潔で、最も聖なるものの対価として、人間の肉片である『血』なのだ。
医者か前線の兵士でもない限り、男は血の感触ってものを知らないだろう。
どれくらい温かくて、サラサラなのか、ベタベタなのか。
だから、血を流すことに言いようのない美意識を感じてるのかもしれないね。

だって、現実に身内とかが自分庇って流血してたら、「決意と真剣さを感じるのだ」とか言わねえって!
それに、魚とか料理してても、血って生臭いしぃ、洗濯しても落ちないしぃ…
けっこう厄介なんよね。プンプン。=3 (ああ、ファンタジィからリアルに戻ってきてしまった。)
ちゃん、ちゃん♪

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