『聖魔戦記の章』は今後の序章?

YA15号を読んだけど、かれこれ3ヶ月ぐらい戦闘シーンがない気がする。
「いいんじゃねーの、元々そいつの鬼退治だし」(byガッツ)。この章をそいつの戦の章にするんだろうか。そいつってやっぱ魔女とトロール?
『聖魔戦記の章』って、聖が魔女で魔がトロール?いや、魔女が聖魔で、ガッツが闘ってきたバケモノに対峙する存在として新たな世界観を加えたんだろうか。実際魔女と会ってから、ガッツも夜に剣を振り回すことがなくなった。フローラはシールケに「ガッツとの出会いの意味」を示唆していたし。

どっちにしても、これだけ長い間ウンチクを並べながら新たな戦いに入っていったことは今までない。もしかしたらこの『聖魔戦記の章』は
グリが今後夢を実現して、自分の世界(グリの言う国は、もう領土のあるようなレベルじゃない。今は幽界そのものなんではないかと個人的に思っています。)に君臨した際に
このグリの世界に対して、ガッツがこれから属して闘うべき世界を用意するための序章なのかもしれない。そう考えると、ガッツはかつてグリが言った「全力で阻止する」友になりえる。
ガッツがこれから属すべき世界→グリフィスと拮抗する新しい別の世界観。
それがどういうものかはわかりましぇん。フローラが語った言葉が意味するもののどれかだと思う。
私は、今までのテーマから言っても、言わせた言葉やこの話の構造から言っても、三浦先生は必ず最後にはガッツVSグリフィスに戻るべきだと思うし、先生はそうすると思っている。
例えばグリは幽界の覇者となり、現世をすべて幽界に変えてしまおうとするかもしれない。
だったらガッツはグリの野望を阻止することに全力をかける。ガッツ自身は自分の怒りと復讐のために闘い、それが結果的に現世を、つまり私たちを救う。ファルネーゼ゙が知りたかったこともここにある気がする。
PROTOTYPEで既に言われていた台詞「俺は俺の敵を殺っただけだ」のままに。
おっと、勝手に展開を作っちゃったよ。(笑)

それにしても、長期連載の作品にありがちなことだけど、ちょっとダレてきたな。今のガッツは主人公としての魅力を出してるとは言えない。投稿者ががこういう主人公を書くと「主人公に魅力がない」とか「主人公が何もしてない」とか言われそうだな(笑) 
ずっと読んでるものにとったら経緯も成長も噛みしめて、今のガッツの大人なところや、つかの間平和なことを喜ばしく思うけど、初めて読んだ人には『影がうすい』ようにみえそう…
理由はわかってんのよ。影がうすいのは当然。ガッツの葛藤やガッツの問題を描いてないから。って、私がいつも言われてることじゃんーーっっ!やっぱり主人公の心理で追わないと存在感って出ないもんだな。ベンキョーベンョー。

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