真打ち登場(第207話)

ベルに闘いが帰ってきた。群がるトロール軍団にセルピコが魔法の剣の威力を試している。
でも今号の最大のカタルシスはやはりガッツのドラころ一振り。
このシーンに持って行くまでのカット割、上手かったです。

「私たちを逃がすために…」村人を助けて立ちふさがるヒーローの噂。まずは台詞のみ。
(知ってるけど誰のこと?)
続いて見慣れた黒いマントの部分。ガチャガチャという甲冑の音。
(わかってるのよ。早く見せて)

「人の手にはおえない」と焦る司祭。
(高まる緊張感、でもあの方なら大丈夫んなのよ)
見慣れたグリップを握り締める手。
(あーいよいよ出る出る)
そしてページをめくったらやっぱりというか予想通りというか、ぶった切るガッツ。
(出た〜っ!真打ち登場!

最後の見開き直前の左ページ最後のコマ、殺戮という自らの性(サガ)をまとった人間の横顔に、ほとんどの読者は釘付けになったのではないだろうか。
思えば長い助走期間だった。難しい世界観の解説、魔法や妖精やメルヘンな展開、ゆったりお風呂、もう3ヶ月もそういうものを見せられた読者があの人の登場に胸を躍らせた。
「来る」「ヤツがまた来る」「あいつがまたアレを振り回して始まる!」という期待感。
あの横顔は、全ての人の期待と高まりを受け止めているように私は感じた。
そしてめくって見開きに斜めに煽った全身像。これ以上ないくらいの真打ちの登場の仕方だ。
これ、誰より三浦先生がこのシーンにおもくそカタルシス感じてるな〜と思いました。
本人かなり溜まってたんだろうなぁ、長い間観念的なシーンが続いて台詞は多いわ、コマは多いわ、描くのは時間かかるわで。
きっと、すっげこのシーン描きたかったんですよ(笑)
すっげートイレ我慢して我慢して家に帰ってきて、トイレに駆け込んで「ふ〜っ」ってぐらい…
って、何ゆうてんねんっっ!(汗)

ところで、今号のガッツはその剣の意味において今までとだいぶ違うように感じたのは私だけだろうか。
というのは、ここに至るまでにガッツの位置付けがだいぶ変わった。
今のガッツは女、子供を引率する大将で、昔のガンビーノのように子供に剣を手ほどきする師匠で、自分の敵ではなく人の鬼退治を手伝っている。
怨恨の一撃ではないのだ。その剣にあまりにも多くの人の希望や命がかかってる。
かつてキャスカ一人を守って「こんな重い剣を…」とかのたまっていたとゆーのに。
三浦先生がインタビューで「これからは大人になたガッツとグリフィスの関係」と言っていたが
自分のためではなく誰かに責任を負った行動。これは正しく大人の行動というわけだ。
三浦先生が考える大人の男の姿がこれから描き出されるのだろう。
きっと相変わらず、口が悪く愛想なし、言葉足らずの無神経男のままで…。
勿論女もそうでなければならないと思うけど、誰かを守っていく男の姿ってのは
やはり色っぽいものだなあ…ジュル(自爆)

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