*Background*

漫画家になれた理由
漫画家になれた理由は、もちろん漫画家になろうと思ったからなんだけど(笑)、それとは別に私の場合、漫画家になろうと思うまでに必要な過程があったんです。
それは「漫画家になってもいい環境」。
子供のころは漫画をとても嫌う環境だった。環境に逆らって漫画家になろうと思わなかった根性なしなんです(笑)。結婚してから私の環境は変わりました。
ダンナが、大学時代に私が漫画研究部発行の同人誌に描いた漫画を見て、熱心に薦めてくれたんです。この環境が漫画家を目指す礎になりました。だからそれが漫画家になれた理由なんです。
でも、漫画家を目指すためには更なるステップが必要でした。

漫画家を目指したきっかけ

ダンナに薦められてもなかなかすぐその気にはならなかった。
まず何をどう書いたらいいのか、絵は描けたけどストーリーが全然作れなかったから。
大きく気が変わったのは、ターミネーター2を見てハマり、4,000円もする脚本とスチール写真と解説のついた分厚い本(『COMPLETE SCREENPLAY TERMINATOR2』キネマ旬報社刊)を買って読んだ時。それには使わなかったシーンの写真やセリフ、どのカットで何を伝えたかったか、このセリフでこれは表現できているからここのカットは要らない、とかキャメロン監督のフィクションを作っていく過程が事細かに載ってたんです。
これを読んで、「ストーリーを作るということは、まず何を表現したいかというイメージを自分の中で決め、それを表現するためのバーチャルなステージを用意する、ということなんだ!」って気がついたんですよ(笑)
それまで、漫画を描くということは思いついたシーンや会話、キャラクターの一場面を表すだけだったんだけど。
言いたいことならいろいろある。感じることも。そういうものを表現してみたい、と思ってから仕事を辞める決心がつきました。生まれて初めて「デビューしよう」という明確な意志を持った瞬間?
目指してなれるとは思わなかったけど、一度くらい本気で目指してみる価値はあるかなと…^^;
その時に就いていた職には未練はなかったけど、納税し、年金や健康保険を払う一社会人としての立場を捨てるのは怖かったです(汗)

投稿時代

ほぼ2年間投稿してました。後の2年間は担当がついたので作品数は少ないです。
投稿を始めたころ、人工的に絵柄を作りました。「読者(当初はLaLa)に気に入ってもらえるような絵柄」を目指した。体のデッサンに比べて顔が苦手だった。今でもですが(恥)
当時の絵を見て思うことは先ず、健康だったんだな〜(笑)ってこと。あの頃のペンタッチ(オールカブラ)、実は好き。
LaLaでは下位賞にとどまり、通信欄に「自分に合う雑誌を見つけるのも手でしょう」と、暗に三行半をつきつけられました(笑)。はっきり言ってもらえてよかったと思う。プチコミックに出逢えましたから^^
ただ、この通信欄に書いてあった字が判別不能で。。。上手く書いてるつもりなんだけど形状が原型を留めていない、って字だったなぁ。って、まいっか。そんなこたぁ・・・。

漫画家って
最初の担当さんに、漫画家って名乗るのは漫画で家が一軒建つくらいになってからだと言われたので、最近まで自分を漫画家と呼ぶのがはばかられました。でも世の中には家の建たない「〜家」、なんていっぱいいるじゃん?格闘家、勉強家、最後まで認められない画家、努力家…。ってことで、最近は開き直りました(笑) だって他に良い表現がないんだもん。家が建つとか、建たないとか、そんな金銭的なことばかりを基準にすることはないじゃない・・・…って負け惜しみだけどね(汗)

デビューして変わったこと

今まで呼び捨てで呼んでいた作家氏のことを、「さん」もしくは「先生」付けで呼ぶようになった(笑)
デビューした瞬間から大先輩になっちゃったから。
変な話、手塚治虫や藤子不二雄になると呼び捨て。もう歴史上の人物になってるんですよね。織田信長とか豊臣秀吉みたい。

漫画家に必要なもの

肉体的、精神的において
・漫画が描けること
・表現したいものがあること
・描ける努力ができること
何事にもライトスタッフ(正しい資質)というのがあるそうです。某対談で某Y田先生が仰ってました。

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