民主主義

  平和とは、あまりに言い尽くされた陳腐な表現であるかもしれません。しかしながら、古来、平和は、人々が望む統治の価値の一つに数えられてきました。最後に、この価値について考えてみたいと思います。
 民主主義、自由、法の支配、平等といった価値は、主に国内の統治において働く価値です。一方、平和という価値は、国民国家体系にあって、一つの国の行為のみでは実現不可能という特色があります。そうして、この価値が働く主たる領域は、戦略系の諸政策です。

1.政治的アプローチ

 人類の歴史における戦争の発生件数は、内乱を含めて決して少ない数ではありません。それは、戦争が、人間集団の拡大要求の物理的手段であったこと、そうして、それを禁ずる合意がなかったことに依ります。むしろ、様々な国の神話や伝承が語りますように、戦争が、英雄的な行為であった時代すらあったのです。平和を実現することは、人類にあって至難の業でした。しかしながら、それでも、幾つかの方法によって平和が確立される場合がありました。
 それは、一つの軍事力によって平和がもたらされる場合です。かつては、軍事力に勝る強大な国が、他の諸国を従属させて帝国を建設するか、もしくは、圧倒的な軍事力を持つ国が、他の諸国間の戦争を抑え込む場合がありました。また、バランス・オブ・パワーや二極対立構造なども、力の均衡によって平和が保たれる事例です。

2.法的アプローチ

 相次ぐ戦争状態から国際法が発展してきた理由は、国家間の関係を法的に律することによって、国家相互が、お互いの関係を安定化しようと努めたからです。国境を定める条約は、相互の勢力範囲の線引きを意味しており、条約の有効期間は、当事国間の平和が保障される期間でもありました。
 そうして、この法による平和は、法の違反者という立場を明瞭化してゆきます。やがて、法破り=平和の破壊者という構図が出来上がってくるのです。第二次世界大戦後の戦争の違法化過程とは、この流れの延長戦上にあります。そうして、いかなる国も、国際法上において認められている領土主張要件を満たさない限り、新たな領土要求はできなくなってきたのです。
 この文脈における国際秩序維持とは、国内の秩序維持と同様に、他国の権利(国民・領域・主権)の侵害する行為の禁止ということになります。そうして、国家の行動規範を定める条約もまた数多く成立してくるのです。現在の正戦論とは、こうした国際社会の行動規範に反する行為を行った国に対して、どのような形で制裁を科すのか、あるいは、対抗するのか、という問題となっています。平和とは、警察活動なくして治安維持ができないように、違反者の処罰なくして、実現することはありません。そうして、仮に、国際社会にこのような制裁機能が欠如しているならば、侵害を受けた国は、自力で自国の権利を回復するか、あるいは、軍事的な同盟を用いて対抗するしか道は残されていないです。
 このように、平和とは、他の諸価値と比べてみますと、如何に実現が困難であるのか理解できます。帝国支配を受け入れた”奴隷の平和”でも困りますし、平和を希求したいばかりに法の違反国に妥協し、国際の法秩序までもが、葬り去られてしまっては、元の木阿弥です。これでは、平和のために平和の基礎を壊す行為となってしまうからです。


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