Posted by 倉西先生 on 2013/11/01 19:01:20:
ドイツ、イタリアと日本との間に敗戦後の扱いの違いがあるのですか?日本が最後まで抵抗したからですか。ドイツとイタリアも日本と同じくらい内政干渉されましたか? 回答 イタリアは、1947年2月に「パリ講和条約」を締結しています(憲法制定は1948年)。この条約の第46条以下には、軍備制限の条文が続きますが、条約上の軍備制限は、イタリアが、”連合国、あるいは、国連加盟後における安保理と合意”するまで、効力が続くとしています。同様の条文は、連合国とオーストリアとの間で1955年に締結された「オーストリア国家条約」にも見られ、オーストリアの場合には、中立政策と一体化しています。結局、両国とも、1955年には国連に加盟し、イタリアは、1949年にNATOにも加盟することで、軍備制限は事実上解除されます。オーストリアも、冷戦崩壊後に国境を接するバルカン半島で激しい紛争が発生したことから、軍備制限を解くことになります。ドイツは、東西ドイツの再統一を前にした1990年12月に、東西ドイツと米英仏ソの間で「ドイツ最終規定条約」が調印されていますが、この条約では、国連憲章の範囲内での軍事力の行使が認められる一方で、大量破壊兵器の放棄、NPTの継続、並びに、CFE協定(NATOとワルシャワ条約機構との間の軍縮協定)で合意された兵力削減の実施が定められています。ドイツの場合には、”第二次世界大戦の戦後処理”に加えて、”冷戦の戦後処理”の側面もありますが、一般諸国と比較して著しい軍備制限が課せられているわけではないのです。
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