ベネズエラ旅日記
2004/08/19〜09/07 ベネズエラ旅日記
8/19成田からロスアンゼルスへ
機内はビジネスは白人系の人達で私達の乗るCクラスは日本人は少なく中国人が殆どだった。
ロスアンゼルスで乗り換えマイアミに向かうが、飛行機の旅そのものは少しは慣れているが、預けた荷物はマイアミでは受け取れず、そのままアメリカ入国となってしまった。空港の荷物の職員に問い合わせるが私達のチケットを見てカラカスへ直行すると言っている。大事なのはお土産だけだといい聞かせ入国する。ホテルは空港近くであるがタクシーを利用するが、シートを目一杯に下げ、さらにリクライニングにしないと運転できないほどの大男で、運転席と後座席一人分を彼が使ってしまっている。
英語も通じず6$位で済むところを結局12$も払ってしまった。
ホテルは観光用というよりは本当に空港利用の為のホテルと言う感じで、旅行客も多かった。
明日のモーニングコールを依頼して早々にベッドに入った。
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08_20Miaki-Caracas
朝4時30分のモーニングコ−ルに起こされ目が覚める。辺りはまだ真っ暗であった。身支度をしロビーに向かうともう3人ほどのお客さんがホテルのシャトルバスを待っていた。部屋の中は冷房が効いていたが外は湿気が多く蒸し暑かった。近くのもう一軒のホテルで乗客をのせて空港に向かうが、多くの人の会話はスペイン語でスペイン語圏に近いことが実感した。
フロリダ空港では危うく国内便のターミナルで降りそうになったが、なんとかAA航空のロビーに着いた。
早朝にも関わらずロビーには非常に多くの乗客が並んでいた。時間がかかりそうだと思っていたが、私達のボーディングパスには座席番号まで決まっていて、荷物も昨日受け取っていなかったので、不安であるが何も手続きせずにX線検査を受け手続きが済んでしまった。
アメリカから出国し違う国に出かけるのにこんなに簡単でいいのかと不安であった。出国手続きが早く済んだのでロビーでの待ち時間が長くなってしまった。コーヒーとドーナッツを食べ機内食の朝食に期待をかけた。
雨のフロリダ空港を定刻に出発した。飛行機から見えるカリブ海の青さは何とも言えない美しさだった。私は眼下に見える海や次々に現れる島々の景色を堪能した。
やがて雲がかかる山々から急激にカリブ海へと続くベネズエラの陸地が現れた。第一印象は「山国だな」だった。海岸線の狭い地域は斜面に続く住宅街はオレンジ色の屋根と茶色の土地が印象的だった。
初めてのカラカス空港のため同じ飛行機に乗ってきた乗客のあとに続きイミグレーションの場所へ移動した。
若い女性の担当者であったが近くの同僚と雑談?をしながら何も質問もせずOKとなった。
ターンテーブルの荷物を受け取る場所からは、ガラス張りの壁からは外が良く見える。荷物が出てくるまで外を見ると昭彦が出口正面で手を振っていた。
東京では「必ず迎えに行くから出国手続きが終わって出てきたら、その場所から動かないでいてくれ」と』注意を受けていたのでこれで一安心だった。
いまは人の心配より自分たちの世話を見てもらう立場なのだが1年半ぶりの再開で元気そうで安心した。
予約をしてあったタクシーに乗り市内へと向かう。道は車が多く高速道路のようなスピードで走っている、それもジグザグの追い抜き・追い越し運転だ。乗ったタクシーも静かな運転の方なのだが周りの運転には驚かされた。40分ほどで市内に到着するインターチェンジから下りると道は渋滞していて、道路脇や中央には新聞・宝くじ・車の掃除道具などを売る男女が多く立っていて、これもはじめての光景なので驚かされる。
ホテルのあるAltamira地区は市内へは比較的治安が良いところで、このホテルも隊員達もカラカスの上京する際に利用しているようだ。チェックインを済まし7階の部屋に行くが、最初に驚いたのは入口が2重のドアだった。外側には鉄格子のドアがその中にももう一つドアが付いていた。そのドアの鍵も複雑な鍵のかけ方であった。鍵のかけ方を確認すると、具合が悪いようで直ぐにフロントに連絡し様子を見てもらうが結局交換してもらった。ドアの鍵などセキリュティに対して昭彦は思った以上に気を配っていた。これも隊員として訓練された成果なのだと思った。
休憩後は近くのJICA事務所に挨拶のため向かう。日本からのお土産を持参して行くが、治安が悪いと聞かされているので歩くにも不安だらけだった。更に交差点では信号が守られておらず、また歩行者など優先されていないため道の横断が大変だった。
事務所では日本人職員が会議中のためベネズエラ人の女性が応対してくれた。メグさんと言う女性で隊員の方々とも懇意にして下さっている方で、昭彦の事やベネズエラのことを説明してくれた。
事務所の方とへの御挨拶を終え、帰りはホテル近くのスパーマーケットへ出かけた。品数も多く日本のお店と変わらない、今夜の夕飯の食材などを買って帰った。
今夜のメニューは買ってきたパン、野菜サラダ、グラタン?、チーズそして昭彦がアスリータで作った鱒の燻製、そしてベネズエラのビールだった。
初めてのベネズエラの夜は時差ぼけもあり、また夜中にはデモ隊らしき騒音に悩まされ熟睡は出来なかった。
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08_21Caracas_Athillo
今日はカラカス郊外のAthillアティージョの町に行った。
ホテル前で客待ちしているTaxiに乗り込むが、ベネズエラではタクシーメータが付いてなく料金は事前に運転手と決めて乗り込む。
大型のタクシーは高速道路を飛ばして行くが、やはりかなりのサーキット運転だった。
カラカスは盆地となっていて目的地のAthillアティージョは盆地を越えたところにある、スペイン時代のカラフルな色の壁が続く小さな町だった。
最初お土産屋に立ち寄る、ベネズエラ各地の物産が置いてあり昭彦が説明をしてくれる。
木彫りの熱帯魚、インディオの竹篭、瀬戸物の食器、ハンモック、アティージョの町並みの焼き物等等、カラフルで可愛くてどれもこれも買ってゆきたい物ばかりだったがまだ旅の始まりのため帰りに買うことにする。
お土産屋さんを出るとレストランの呼び込みが各店の前で声をかけている、迷ったが向かい側にあったスペイン料理のレストランで食事をする。
フランスパンと生ハム、パエリア、赤ワインとビールをたらふくご馳走になるが日本円で数千円だった。こちらの食事などの物価は非常に安い。
待ちを散策しタクシーで帰るが、アクセルとブレーキの繰り返しのサーキット運転でスリル満点だった。途中空が暗くなりそのうち土砂降りとなりまだいルの前で落ち合う。カリブ海の漁村で働いているとか、さすが真っ黒に日焼けしていた。Altamira地区にあるベネズエラ料理のレストランに向かう、肉料理が主体でソーセージや芋なども美味しかった。マルガリータ島の様子も聞くが真っ青なカリブ海でのんびり、そんな旅もしたい。だが今回は訪れることは諦めるしかなかった。
美味しい料理とビールで遅くまで話し込んでしまった。
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08_22Caracas_Rodony
昭彦がベネズエラに到着ご語学の勉強のためホームステイしていたロドニーさんの家を訪ねる。
前日買っておいたパン、チーズと果物で軽く朝食をとる。
ホテルから地下鉄も利用できるが歩いて行くことにする。Altamiraの街中を抜け高級住宅、韓国大使館、ゴルフ場を過ぎると両側には車が駐車してある。そこは中華街で日本食の材料を買いに来る場所だとの事。
もう一つの体育館ほどの広さの建物のなかは、市場となっていてCDから衣類、野菜、肉、魚がところ狭しと置いてあり、中国語が機関銃のように飛びかっていて成田からの飛行機と一緒である。
明日のお寿司の食材として「絹さやインゲン」を買った。
ロドニー先生の家は直ぐ近くのコンドミニアムで玄関からインターホンで到着を告げると、玄関まで迎えに来てくれた。
有田焼の雛人形と扇子そして和菓子をプレゼントすると大変喜んでくれた。
先生は昭彦を「クレバーなgoodboy」だと大変ほめてくれ。親として嬉しい事である。
もの静かなジェントルマンで語学学校の先生というのもうなづける。
昭彦が滞在しているあいだ一緒にビールを飲んだことを話すと嬉しそうに笑っていた。
先生は日本語の辞書を持ち出し、自分自身も勉強しているのか、片言で話しかけてくれる。
昭彦のベッドルームも案内され、名残惜しみつつ部屋を後にした。
天気がよくなってきたのでAvila山に向かうが、ケーブルカーは長蛇の列であった。並んでいる人に聞くと「直ぐだよ!」の答えが返ってくるが、スキーで並んだ経験がある私たちは、1時間は待つようだと思い登山をあきらめ、昼食に向かった。
昼食はアレパと魚のフライと豚肉のベネズエラ料理を注文した。
食事の途中、大統領賛成派のデモがあり、まだ混乱しているなと実感した。
今日は旅行会社の千葉さんに夕食の招待をうけているので、早めにホテルに帰り明日の準備も整えた。
千葉さんのコンドミニアムはホテルの数軒先にあり、室内はきれいに整理されていて、やはり日本の装飾品が飾ってあった。日本を離れ永住しているのだろうけれど、日本の雰囲気の室内にこだわるのだろうか、それともやはり懐かおしいのか?
空手の先生の***さんも一緒に同席し、日本についてあれこれ話が弾んだ。
食後は早めにお暇しホテルへと戻った。
今夜もまだ時差ボケが直っていなかった。
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08_23Caracas-Merida-Azurita
いよいよカラカスからメリダ経由でアスリータに向かう。
昨夜の夕食後、少し寒気がするので持参した寿泉堂の特効薬を飲んだ。
まだ時差ぼけが消えず、二人とも3時ころには目が覚めてしまった。
また熱も少しあるようだがチェックアウトを済まし空港に向かう。
タクシーは到着した時と同じ運転手だった。
ラッシュアワーの高速道路を走るが、早く着き過ぎるということで、隣の町まで車を飛ばす。
気分もすぐれずまた飛行機のこともあり、あまり楽しく観光する気分ではなかった。
時間前に到着したが、朝食をとる間もなく飛行機に乗り込む。
一番最後に乗り込んだため、座席は一番前しか空いていなかった。
スチュワーデスが何か話しかけるが判らない、一人の男性が英語でこの席は非常口なのでスペイン語
を話す人しか座れないと言ってきた。
仕方がないので1列後ろの男性に席を代わってもらう。
飛行機はYS11程度の4−50人乗りのプロペラ機だった。
そのためか高度も低く、地上の景色を楽しみながらの飛行だった。
海側から山岳地帯へ航路を変えてゆき暫く飛行を続けると、白い岩肌の山々に囲まれたメリダに到着する。
カラカスと同様に盆地であった。
空港内のレストランでお茶を飲み休む。これから始まる「タクシーの旅を思って休憩してくれたんだネ」と佳子が囁く。
あまり遠いのでタクシーも行かない不安もあったが、乗り場で値段交渉をはじめるとすぐにOKとなる。
初老の運転手である、若い人よりも運転が優しそうなのでこれも安心する。
タクシーを利用しない場合は定期バスの利用となるが、未舗装の山道をくねくねと所要時間3時間。
昭彦いわく必ず車酔になる、彼もなれるまで3回も酔ったそうだ。
メリダの町は標高1600mそこからマラカイボ湖の0mに向けてどんどん車は下る。
幹線道路のようで車も多い、その中を100kmのスピードで飛ばして行く。
もちろん中央分岐帯など無く、大型車を追い越す時は冷や冷やものであった。
期待道理に運転手は意外とテクニックもあり途中から安心して乗れるようになった。
カラカスの運転手はアクセルとブレーキの連続で疲れたが、今日の運転手はエンジンブレーキも使い、見通しの悪いカーブなどでは絶対に追い越しをかけなかった。
メリダを出発して2時間、距離では110kmを過ぎたころ左手には広大なサバンナが広がりはじめた。
どのくらいの大きさか判らないが多分数十キロ先まで人間の住まないサバンナが続いている、その先にはマラカイボ湖があり、その先がカリブ海となる。
どちらにしても、あまりにも広大な大地であり釧路湿原の何倍あるのだろうか?
ちょっとした集落のT字路がアスリータへの分岐路であった。
ここの場所はほぼ海抜0メートル、アスリータまでいっきに1600mを上る事になる。
ここからは未舗装の部分も現れるが、TAXIはそれなりのスピードで進む。
やがて狭い道路の集落に到着、ここがアスリータ村であった。
私たちが泊まる宿は更にここから山道に入って行く、途中昭彦の働くINCEも現れたが更に奥まで進まなければならなかった。
もう完全に村からは離れてしまったが、道路脇にはぽつんぽつんと民家もある。山道の中腹で車は突然止まった。
Fenix先生の宿の入口に到着した、タクシーは奥までは行かずここで下車となった。昭彦が到着を告げに家まで行くが500mはあるのではないかと思われる距離であった。
タクシーに26日に迎えに来るように頼んだが、本当にこんなに遠くまで来てくれるのであろうか。
ここアスリータでもメリダの飛行場からのタクシーは珍しいようで、通過するたびこちらを不思議そうにみていた。
この村の人は絶対にメリダからはタクシーでは来ないと昭彦は言った、ここまでメリダから130km、東京でも絶対にタクシーに乗らない距離である。
Fenix先生の宿に到着後、荷物を片付けて持参したお土産を渡す。
日本というよりも東洋文化に興味のある方のようで、ところ狭しと収集した「いろんなもの」が飾ってある。
広い敷地を昭彦が案内する、牧場もあり高原のなか涼しく静かなところだ。
昭彦は植物の名前も良く知っていて、いろいろと説明をしてくれる。
10数人の観光のお客様グループも到着し、道を前後しながら一緒に歩く。
今日も移動で疲れていて、シャワーを浴びるが水量も少なく温まることは出来ない。
夕食は野菜スープと魚のフライにご飯、それにチーズが数種類。
ベネズエラではチーズを良く食べるようだ、今夜の食材は全て自家製、ここでは自給自足に近い生活を送っている。
夜ここのご主人(Fenixフェニックス先生)の奥さん(Ebaエバさん)の妹さん(Coniコニーさん)の友人二人がやってきた、一人の女性の誕生日なのでケーキを焼いてお祝いをする。私たちも一緒に参加させてもらった。
3階の部屋に戻るとすぐに床に入った。
連絡先
http://es.geocitis.com/ciudadelafenix/Ciudadela.htm
email:ciudadelafenix@yahoo.es
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8/24アスリータ村へ
今朝も夜中に目が覚めてしまった。
静かにしなくてはと思いつつ、早めに起きて広大な庭を散歩する。
朝食の後、弟夫婦の車に同乗してアスリータ村のINCEへ向かう。
幹線道路から1kmほど分岐したところがINCEだった。
今週は理由は分からないが授業が無いそうで、こんなことがしばしばあり理解できないと言っていた。
入口を入るとそこは寄宿舎で顔見知りの職員や研修生が「オラAKI」と声をかけてくる。
寄宿舎の中の昭彦の1室を案内されたがベッドとトイレ、浴室のついた3畳ほどの薄暗い室であった。
左隣が貴島さんの部屋だが不在であった。
寄宿舎は中央にバレーボールやバスケットコートの大きさの四角い広場を取り囲んで、売店、キッチン、会議室などがあり、
生徒は自分たちの部屋の前のベンチに座って日本人を珍しそうに見ていた。
その後寄宿舎の反対側の山の斜面にある研修施設を案内された。
前日Fenix先生の施設を見学に来たグループと再会し、一緒に見学を始めた。
コヒーを醗酵させる施設、サトウキビから砂糖を作る施設、コヒーの苗木を作る施設、養鶏場、養豚場、牛舎、の順に見学をする。
道路からはずっと斜面を登ってきて一番上が昭彦のいる「養鱒場」だった。ここまで毎日30分歩いて登ってくるとか。
一緒に歩いたが流石その足は速かった。
「養鱒場」には4.5畳位の3つの小さな部屋がある建物があり、倉庫、教室、産卵孵化場だった。
教室には椅子が10脚ほどと黒板があり壁には手作りのグラフなどの資料が貼られていた。
同行したベネズエラ人の一行はここで引き返したが、私たちは更に奥へと案内された。
「養鱒場」を抜けバナナ林やジャングルを過ぎると、更に1軒の「養鱒場」があった。
民営の方が立派に施設を運営しているそうだ。
「養鱒場」にでるとそこはメリダへの道路で、くねくねとした山道が続いていて、ここは舗装がされていてまだ良いほうで、
この先は未舗装のデコボコ道のため来る時には使わなかったそうだ。
車に慣れた私たちでも絶対に車酔いになると言っている。
道路を歩くこと10分で、大きな青い羽の蝶々が飛んできた。この蝶々を見せる為に足を伸ばしたとか。
さらに道路から山道に入ると数羽の蝶々が飛んでくる。
いつもはもっと多く飛んでいるようだが、今日は少なかった。
この辺はハミングバードを良く見られると言っていたがそれは見つけられなかった。
「養鱒場」に戻り、山道を下り始めると途中の小屋で大きな山刀を持ってきた、草刈用だと言っている。
暫くするとまた山道に入るが、そこはサトウキビ畑であった。
このために山刀を持って来たのかと納得した。
一刀両断、1本のサトウキビを切り倒すと、大きな刀で皮をむき始める、TVなどでよく見る光景であるが、
佳子は「危ない、気を付けて」等と言っている。何たることやここまで来て。
器用に剥かれたサトウキビを噛み砕く、砂糖ではあるが凝縮された甘さでないため上品な甘さが口の中に広がる。
昔の安いキャンディーのような味だった。そうか昔は砂糖が少なく大半は氷だったのだと思った。
1本のサトウキビを「齧っては吐き出し」「齧ってては吐き出し」ながら歩いて行くと、INCEの入口に到着した。
寄宿舎に入ると午前中とは違って多くの生徒がバレーボールやバスケットボールで遊んでいる、
廊下を通るとAKIの他いつもとは違う見慣れぬ人間がいるせいかじっと見つめてくる。
再び何人の人達が「AKI」と声をかけてくる、みな抱き合って挨拶を交わし、私たちも紹介されて歓迎してくれた。
集会所では調度先生達のミーティングが始まるところだったので、持参したTシャツを持って入って行くと拍手で歓迎された。
渡したTシャツは先着順で争うように取り合っていた。手にした先生は順次挨拶にきてくれ、どうもプレゼントには弱いようだ。
全員で写真を撮りたいと言ったところ、喜んで外の木の下で撮影が始まり、最後にお礼の挨拶をスペイン語でするとまたもや拍手をしてくれた。
INCEでの生活の一部が見えたようで、安心したと言うよりもなんとなく嬉しい気分になった。
INCEから通りかかった4WDジープのタクシーで村に行く。
小さな村なので歩いても1時間で隅々まで回れるだろう。
レストランで遅めの昼食をとった。卵スープとアレパを各1人前を3人で食べるが、ビールは勿論欠かさなかった。
八百屋で今夜のための野菜などを買って、再び4WDジープのタクシーでFenix先生の家に戻る。
夕食は持参した五目飯の素で五目寿司を作って一緒に食べる。
先生は箸の使い方も上手く、大盛の寿司を平らげた。
今夜は完全な菜食料理であった。
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08_25LaAzulita_BikeRace
時差ボケは何とか収まったようだが、就寝時間が早いためか今朝も夜中の3時に目が覚めた。佳子も眠れないとか、でも計算すると6時間は寝ているので安心だ。
窓から村の方を覗くと雷がピカピカと光っている、デジタルカメラの動画を撮影するが何も写っていない。
あきらめてベッドに戻り再び目を閉じた。
窓から見えるサバンナが気になって仕方が無い、もう何枚撮影しただろうか。でもサバンナからの先マラカイボの湖らしきものがはっきりと見えることは無い。
朝快晴でもその辺りは白い雲と入道雲に覆われている。今朝は水平線らしきものが見えている。6時30分くらいに日の出となった。
今朝はFenix先生の自室に朝のお茶に誘われている。3人でドアをノックするとデビさんが出てきた。
部屋はほぼ六角形の2階建てで1階には二人の部屋とキッチン、2階は先生の「遊び部屋」みたいな部屋がある。キッチン近くにはプレゼントした掛け軸が飾ってあった。
兎に角いろんな物が壁に飾ってある、弓矢や刃物などの武器類や東洋やアフリカ系の装飾品などなど。
ありとあらゆるものを収集しているのではなかろうか。
2階の「遊び部屋」での説明時間が一番長かったのも一番気に入っているからだと思った。
佳子には藁で編んだ小さな箱(4cm立方の蓋付)と小さな磁石の機能のある宝石、私には豆本をプレゼントしてくれた。この本は一番最初に作った本だと言っているが真相は不明である、多分購入したものと思う。
記念に裏表紙にサインをしてもらう。
朝食後、昨日と同様に妹夫婦の車に乗って村まで出かける。
車には野菜が積んであり村の八百屋にでも売るようだ。
村はマウンテンバイクのレースが開催されていて大賑わいである。
村の中心である教会前広場がスタート&ゴール地点である。教会まえの四角形の道は通行止めになっていて、選手が一人ずつ紹介されてスタート地点に並んでいる。
サッカー中継などのあの早口のアナウンスと大きなラテン音楽が耳をつんざく。
少しの時間であれば外国気分も味わえるが、長時間であればもう騒音以外の何もでも無くなってしまうが、後で気がつくとこれが半日続いていたようだ。
レースはスタート後、メインの4角形を周回した後、郊外へと走っていった。
47kmのレースなので2時間くらいあとがゴール時間となりそうであった。
自転車が走り去った村は相変わらず騒々しいが、村を案内してもらう。
今日も何人かの知人と会い紹介をされる、また行きつけの店にも立ち寄って買い物をした。
(その1:立ち寄ってはビールを飲んでいる雑貨や)
間口2間ほどの雑貨屋さん。店にはちょうどビールを飲んでいる男のお客もいた。男の子供が二人いて、昭彦は長男と良く話をしているようだ。
夏休み中で英語を勉強している最中なので、私たちのいい加減な英語を指導する。
私の持参した辞書を見ながらとても熱心に勉強している、昭彦が勉強が好きか?と聞くと大好きと答えたそうだ。最後に店の前で全員で写真を撮った。
(その2:折り紙をやっている集会所のまえの紙やCDなどを売っている店)
最初に会ったのは買い物に来ていたクアトロの先生だった。挨拶をしていると店の奥さんがやってきてこの方もお馴染みさん。そして娘さんとご主人と全員を紹介された。
娘さんは「折り紙教室」に通ってきて一緒に遊んでいる子供だった。
その店の前から階段が始まり途中には帽子を被った白い男性像が立っている。
これも教会に次ぐ村のシンボルと思われた。
町を十分に散策しFenix邸に帰るためタクシー乗り場に向かうが自転車レースのため通行止めになっていた、何台かの車が停車し解除を待っていたが、その中にコニーさんの車も待っていたので同乗させてもらい一緒に帰った。
夕方、Fenix邸裏の遠くの山の方向では雷鳴が低く響いている、先生はあの方向で雷鳴がすると雨になると言っていたが、暗くなるとそのとおり雨が降り出してきた。
自然の中で生活している証拠を示してもらったようだ。
外は真っ暗で雷鳴のなか今日も一日が終わった。
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08_26Ciudadela_Del_Fenix
今日は一日Fenix宅でノンビリ過ごす。
午前中習字をお客さんも交え楽しむ。
日本人に共感を持っているので先祖は日本人だろうとフェニックス先生は言っている。
日本文化に興味を持っていたので習字などは良かったと思う。
ただし先生夫妻が書く文字は、自分たちのシンボルマークで習字ではない、しかし自分の小筆まで取り出して来たのには驚いた。
半紙への白と黒の文化はそう簡単には理解できない筈である。
カラカスから来た3人家族も加わり一人ずつ半紙でそれぞれの名前を書き込んだ。
コニーさんは落款印の変わりに口紅を塗り半紙にキスマークを付けて仕上げとした。ワンポントでとても素敵な書になった。
最後にキッチン脇の壁に何か書き残すことになりフェニックス先生のスペイン語でのシンボルを日本語で「不死鳥自然特別区」と昭彦は揮毫する。
昼食が出来るまで2時間ほどあるので、近くのヒッピーが住んでいる周辺を3人で散策する。
昭彦について山道を登り小高い丘や沢を越えると、ポツンポツンという感じに広大な敷地の中に家が立っている。有刺鉄線で囲まれた敷地で簡単な玄関から家まで100mはあるだろうか。どの家も人間を避けるような雰囲気だった。昭彦から聞くとその殆どが大工さんを使わず自分で建てるそうだ。そういえば途中に見かけた家でも家族総出でコンクリートを練って工事をしていた。
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08_27LaAzulita-Merida
午前中チェックアウトの準備をすませ、新鮮な野菜をもらうため畑に出かける。
ニンジン、ピーマン、にら・・・・・・・沢山いただいた。
Fenix宅を12時にTaxiで出発する。
途中INCEに立ち寄る、ちょうどBIKEレースの最中で、実習場内の通路から寄宿舎正面玄関に向かって下ってくる、すごい迫力で選手は通過して行く。
INCEを後にしてMeridaまで来た道を飛ばして帰る。
Merida市内は渋滞がひどいが、3時過ぎにはホテルに到着する。
荷物を整理して京谷さんのアパートへ向かい、ルームメイトが作ってくれていた夕食をご馳走になる。
3人で遠慮なくご馳走になった。
京谷さんの活動内容を聞くが、大変のようだった。
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08_28Merida_shoping
朝食はホテル近くの喫茶店(パンやさん)でコーヒーとクロワッサンで軽く済ませる。
その後市内の市場に出かける。途中橋を渡るが振り返ると5000m級の山々が迫っている。一番奥の山肌は黒い岩に白い雪が被っていた。ここは山岳地帯なのだった。
市場は4回建で小さな八百屋、洋服屋、御菓子屋、お土産屋さんがびっしりと並んでいて物凄い数のお客さんだった。兎に角人混みの中お土産をさがした。
お土産を買ったあと、アスリータから貴島さんがバスでやって来たので市場前で合流する。
ホテルまで一緒に荷物を置きに行き、再び市内へ向かう。
ホテル前からバスに乗るがひどい渋滞であった。どうしてこんなに車が集まるのか不思議である。
バスを下車し教会と博物館を見学する。その後楽器屋さんでクワトロを買うが値下げ交渉が大変だった。
結局77ドルで比較的高価なものを購入した。
午後は佐久間さんたちと合流し昼食をとる。その後全員で歩いてショッピングをしながら京谷さんのアパートへ向かう。
昭彦と佐久間さんは旅行の手配や宿に残した荷物を取りに行き、残りの4人で夕食の準備をする。
夕食は「炊き込み五目ごはん」「てんぷら」「そうめん」「アレパ」「トマトの木とまとサラダ」「梅干」「」久しぶりの日本食に歓声を上げて喜んでくれ、写真まで撮ってくれた。
何よりも喜んで料理を平らげて下さったことが一番うれしかった。
ビールもケースで買ってきたが大半は昭彦と私たちで飲んだのだと思う。
日本からの菓子などを味わって9時半過ぎにホテルに帰った。
佐久間さんと貴島さんとはここでお別れとなった。
来年4月以降会えれば良いと思う。
ホテルへ帰るとシャワーも浴びず、明日の準備を整えベッドに入った。
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08_29Merida-SanLafaelu
朝9時にアドベンチャーツアーガイドがやって来る。事務所へ向かいお金を支払って出発する。
車は20年も経って要るだろうかトヨタのランドクルーザーだった。
今日の目的地はアンデス山脈の方向で最終宿泊地は3000m地点だそうだ。
2泊3日でガイド付昼食もついて一人105$とのこと、昨日までは95$の約束が「ボラレタ」と昭彦が言っている。
Merida市内を抜けると次第に山間部となり谷間の美しい広大な景色が続づいてくる。
途中の村の教会に立ち寄ってくれるが、教会の周りは多くの人達が集まっている。私たち3人を見ると必ず珍しそうに顔を覗き込み、子供などはクスクス笑う事も多い。
早目の昼食をと昭彦が一度行ったことのある「養鱒場」に行くが、昼食の準備が出来ていなかった。
その店の鱒料理は旨いという事なので昭彦は残念がっていた。
近くの別の店に立ち寄り、鱒料理を注文するが日本とは違って大変美味しく料理してある。
隣の席のベネズエラ人と暫く話をする。最後には彼らが写真を撮ってくれた。
その後車は更に高度を上げてゆく、途中何度か景色の良いところで車を止めてくれる。
景色は今まで見たこともない広大な景色が楽しめた。
午後4時10分に今日の目的地に到着する、街道の道筋にあるその辺りではきれいな、ホテル&レストランだ。
荷物を片付けると、ホテルの道の反対側のお土産屋さんで買い物をする。
この国のこの様な小さな店では子供達が店員している事がほとんどだ。午前中に立ち寄った小さなレストランもジャムやワインやコーヒーの販売は全て子供たちだった。その店では小学4~5年生位の男の子がジャムを、中学生位の姉らしき女の子がコーヒーと会計をやっていた。土産物屋では値下げ交渉まで行っている。
日本の30年以前の光景と思う。
ホテルの周りには10数件の家しかなく見るところも無いので、早々と部屋に帰る。部屋にはシャワーが付いているが「お湯」が出るか判らない、お湯のコックを捻っていたが水しか出てこない。「水だったら俺は入れないヨ」と言っていた昭彦が諦めてシャワーを浴びるが、そのうちお湯が出てきた。部屋に備え付けの暖房機も少し暖かくなって来た。
いつ水になるか判らないので3人で手早く入浴を済ませた。
ホテルのレストランは1階にあって照明も明るくきれいだった、しかし頭上の電球は半分しか点灯していない。
広々としたレストランは私達ほか1つのテーブルにしかお客がいなかった。
寒々としている、テーブルの横の壁には気圧計、湿度計、寒暖計がかかっている、ウエイターに標高を尋ねるとここは3800mだと答えた、富士山より高いところだった。
夕食込みの料金ということなので3人分を注文する。
佳子はチキン料理、昭彦は牛肉、私は鱒料理を注文する。
前菜としてマッシュルームとポテトの合えたものを食べたが美味しかった。
これのほかにスープを注文するがアンデス風の牛筋スープを美味しかった。
いつものように3種類の料理を3人で分け合い、それぞれの味を楽しむ。
やはり3人分は食べきらず残してしまった。
「日本では残した事がなかったが、ベネズエラでは残してしまう」と昭彦も言った。
身体の大きいベネズエラ人のためかやはり料理も多かった。
部屋に帰るとすることもないので早々にベッドに入ってしまった。
夜中、いやな寝汗をかく標高のためなのか心配だった。
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08_30 SanLafaeluから4000mの峠へ朝9時にガイドがやって来る。いよいよ今日は4000m越えである。走り出すと直ぐにここは3300m位だと言う、昨夜のホテルではホテルの標高が3600mだと言っていた、どちらが正しいのか、昨夜の体調などからして3000mが多分正しいと思う。
車は壮大な谷を遡ってゆくが、日本では絶対に見られない景色である。走り始めて直ぐ、集落の外れに石で出来た教会がある。観光客も車を止めて見学してゆく。この道路は幹線道路で山間部を上り隣の州までつながっている。道路はほぼ右手に谷にしながら登ってゆく。狭いヘヤピンカーブが続くが、そんななか「レストランと宿屋」を掲げた看板が定期的に現れる。その周辺には土産物店が数店連なっている。昨夜泊まった所もそのような処である。
この辺の山肌には開墾された畑が多く見られ、急峻な斜面のため機械化ができず、全て人力だけでありそのパワーに感心するとともに偉大だなとも思ってしまう。
ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎなどを主に作っているようで、ジャガイモ畑は花がきれいに咲いていた。ジャガイモ畑の収穫の後には菜の花が咲き、まるで日本の春のようである。しかし菜の花については何も利用していないので、勿体無いような気もする。
車は更に高度を上げてゆくと広い谷間に広がる村に到着する。車を止めてその大きな景色をカメラに収める。この村はベネズエラで一番高いところにある村で、正面に見える山の頂上には天体観測のドームも見える。帰りにも立ち寄ったが道の脇には展望台もありここには古い時代の伝説になっている女性像が立っていた。ベネズエラにはこうした像がいくつも立っていた。
高度が上がるにつれて景色も変わり周りには大きな木は無くなり高山植物である*****フロールが多くなってくる。道の遠く先は雲のなかで暫く走ると、私達もその雲の中に入ってしまった。
やがて霧の中の4000m峠の頂上に到着する、車はそこを素通りして更にわき道にはいりおく奥へと上っていった。大きな建物がありガイドに尋ねると気温が低いのでこの周辺で収穫したジャガイモを保存するための倉庫であった。車はほぼ頂上に近いところにとめた、雲が周辺の山々の景色を隠しているが時々切れ目から山が見える。眼下には小さな湖が荒涼とした景色のなかに寒々と湖面が見えた。明彦から高度が高いので走らないようにと注意をうけるが、4000mを始めて越えたがそんなに息苦しくは感じられなかった。霧の中周辺で散歩をしながら珍しい高山植物の写真をカメラに収めたりした。
身体も冷えてきたので峠に戻りレストランで暖かいココアを飲んだが、ここの売店にはINCEで生徒だった青年もいて昭彦と話などをしていた。レストランの向かい側には教会があり多くの観光客と共に私達もが霧の中を歩いていった。
峠からの下り高山植物が沢山生えているところでは、佳子と二人で写真撮影を楽しんだ。
今日はもう一つの観光地LagMucubajiムクバヒ湖に向かった。
湖も天気が悪く景色も良く見えず、湖の周辺を散策のため歩き始めたが雨もぽつりぽつり降り出して来た。
昭彦もガイドも私たちをなんとか楽しませようとしているが天気が悪いのではあまり乗り気がしなかった。湖から少し下った別ポイントに移動すると途中に、馬で先ほどの場所まで上るツアーがあり折衝してOKとなったが、ここでも私は霧のなかでの乗馬も面白くないので断った。折角交渉してくれたのにと昭彦は言っていた。
周辺を散策した後もう一度ムクバヒ湖に戻ると、雲が切れ始めアンデスの山々も見え始め、戻った甲斐があった。
今日の観光はここまでで、昨日来た道を戻りホテルへと向かった。
夕食時ホテルのウエーターが硬貨を収集していると言うので、日本の硬貨1円5円10円100円をプレゼントした。食事は昨夜と同様とても美味しく、広いレストランは私達だけの貸切だ、すると先ほどのウエーターがギターを抱えてテーブルの脇で歌を歌い始めた、とても上手だ。結局2曲もサービスをしてくれた。これも先ほどの硬貨のお礼なのだろうか?
食事前には明日のサンフェリコのロープウエイの予約が取れなかったと連絡があったので、少し残念だったがこの歌を聴いて少しは気がまぎれたようだ。
今日も一日が終わった。
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08_31 SanLafaelu-Merida
朝になると昨夜取れなかったロープウエイのチケットが取れたと言う連絡がホテルに入っていた、8時30分にはガイドがやってきた。今朝はお父さんも一緒に乗って来た。昨日来た道を下って行く、朝早いためか車も少なくかなりのスピードで下っていった。事務所に到着すると荷物を預け、朝食に出かけた10時にロープウエイに乗ると言っていたが、大丈夫なのだろうか。牛乳入りコーヒと甘いパンを食べ軽く済ませる、多くの人はこんな朝食を摂るようだ。ベネズエラではこの様なお店が多かった。ここから待つこと数時間結局ロープウエイに乗ったころは、山の上は雲がかかって何も見えない時間となっていた。最初のロープウエイに乗り込んだあとは、途中の中継所では15分程度の連絡で上へのロープウエイに乗ることが出来た。
Meridaの町全体が見渡すことができ、素晴らしい景色である、これで晴れていれば言うこと無しなのだが。
ロープウエイを3回のり4000Mを越えた中継所に到着した。ここから最後のロープウエイなのだが午後4時に乗るから3時半に集合してくれという。今の時間は12時15分、3時間以上も待たなければならない、更にここでも雲の中であたりは何も見えないので、上に行ってもなおさらなので引き返すことにした。
ここでは馬に乗って周辺を回ることも出来たり、歩いて散策をする事も出来る。3人で近くの池まで出かけることにしたが、道が岩場で急でまた帰りは登りのため途中で引き返した。そうここは4000Mを越えたところなので無理をしないことにした。
それでも多くの人は上まで行くため、狭い中継所でじっと順番を待っているようで、下りのロープウエイは待つことも無く乗ることが出来た。
麓へ着くとそこはまた汗ばむほどの気温で、数時間のうちに数千メートルの高度差を味わった事になった。
今夜は京谷さんのルームメイトのサンドラさんが帰ってくると言うので、ちらし寿司を作って一緒に食べることになっていたが、帰宅できないというので夕食は作らず京谷さんの案内でメキシコ料理を食べた。あまり楽しみの無い隊員にとって食べる事がストレス解消の一つなのか、皆さん美味しい店などは良く知っている。
食後タクシーでホテルまで帰った。京谷さんは明日の朝空港まで見送りに着てくれると言っていた。
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09_01 Merida-Caracas-Canaima
ホテルからTaxiで空港に向かう。朝早い便なのにもう多くの人が集まっていた。玄関にはビデオカメラやカメラを抱えた記者らしき人が多くいた。空港内の数人の男性を取材していた。多分VIPなのだろう、昭彦は大学の関係者ではないかと言った。
不規則な時間に慣れている昭彦も今朝は列の一番を守っている。出口に一番先に並んだが、違う便のようだった、そこで京谷さんが見送りに来ているのに気がつくが私たちはもうチェックインしてしまった後だったので、のんびりとお茶を飲みながらのお話は出来なかった。
見送りまで来てくださるなんて本当に有難く思った。
Meridaからの飛行機はいつも遅れると言うことで、8時30分の飛行機に乗った。それでも定刻より数十分遅れだった。Caracasで乗り換えなければならないので、この便であれば11時のKanaima行きでも間に合うが、それは日本式であって、ここでは通用しないと言うことで13時の飛行機を予約してあった。
Kanaima行きの飛行機案内が不明で心配したが、案の定定刻より1時間30分遅れた14時30分に出発した。カナイマのアナウンスがされたがバスに乗り込む乗客は3人のみ、16人乗りの飛行機のパイロットと副パイロットを従えた貸切フライトである。
Kanaimaの飛行場は本当のローカル空港で滑走路は未舗装のデコボコ道であった。
飛行場の事務所は簡単な建物があるだけで空港と言う雰囲気ではなく、土産物屋さんのテーブルが数軒と小さな売店があるだけだ。
子供や男女の大人が20人くらいいるが何をしているのか判らないが、集会場と言った感じの所かもしれない。
トラックは数分で林の中にある平屋の建物に到着する。そこでチェックインの手続きをするが、そこはホテルの事務所兼お土産屋さん兼スーパーマーケット兼私達の食堂であった。
地元の子供たちはお菓子やアイスクリームを買いに、観光客はお土産を買いにやってくる。店の前の広場にはいつも数人の人が集まっていた。
手続きが終わり鍵を受けとってランドクルーザで部屋まで送ってもらった。SARAIと名が付いていた。50mほど離れたところに数軒同じようなホテルがあるが、お客さんはいないようだった。部屋にはベッドとシャワーとトイレがあるだけの4.5畳ほどの部屋で窓が一つだけあった。
荷物を片付けて時間もあるので湖を散策する、静かな湖畔には子供達が水浴びをしたりしていて、その先にはコーラ色の水飛沫を上げた滝が幾つも見える。
かなり遠くに見えるがゴウゴウと水音も聞こえるほどの迫力だった。
散歩から帰りシャワーを浴びて食事に向かう。レストランは受付を行った事務所の隣の、ここから500mほど歩いたところにあり歩いて出かける。
出かける前に足や腕には蚊よけのクリームを塗り、蚊取り線香も持っていった。
時間よりやや早く出かけたため暫く待たされたが、薄くらい電球の元に運ばれた料理はスープから始まりアエパ、ポテト、サラダ、デザートと思いもよらない豪勢なものだった。
今夜もビールの追加注文のスピードも速かった。
食事のあとは真っ暗な道を懐中電灯を頼りに歩いて帰るが、何人かのインディオとすれ違ったり追い抜かれたりしたが、彼等は電燈など持たず真っ暗な中突然現れてきて驚いた。それにしても暗い中を平気で歩いてくる彼らの自然に対する力は凄いものだと感心する。
途中、道の脇には多くの蛍が飛び交ってとても真っ暗ななか幻想的な光景であった。
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09_02 Kanaima-Kavac
朝食後も後11時のフライトの予定だった。もう遅れることになれている。昨夜一緒に夕食をしたパイロットと談笑しながら一時を過ごす。
11時30分ころ予定の飛行機と違う6人乗りのセスナで出発する。乗客は今日もまた我々3人である。天気が良ければテーブル状のところを飛んでくれるとの事、天気が悪かったら滝の周辺を回ってくれるらしい。昨日は天気が悪くエンジェルの滝は見ることが出来なかったと、湖で会ったに日本人が言っていたが、今日は天候も良く、テーブル状のところと滝の周辺を数回飛んでくれた。これは決して遊覧飛行ではなく、行き先のあるフライトなのだがこれもサービスに入っているらしい。
エンジェルの滝を旋回したあと、セスナ機はテーブル状の大地を横切ると広大な草原が現れた、その中に機上からレンガ色の滑走路だけが見えてきた。セスナは大きく左に旋回すると、見る見るうちにその滑走路に近づいて行く。緑色の大きな草原の中の滑走路に着陸する、そこは未舗装のデコボコ滑走路だったが、機長は慣れた様子でランディングした。セスナ機が到着するとトラックが1台やってきて、我々の荷物を運んでいった。
村人は数人いるだけで、直ぐに中央の事務所らしきところで宿帳に記帳し、部屋に案内された。
ホテルといってもコテージ風の建物で、住民と同じ建物であった。部屋が二つに分かれていて、3人分が準備されていたがしっかりと蚊帳も準備されていた。この意味は夜になると判ることだった。
昼食後インデオの集落に出かける。滑走路を横切り期大草原をひたすら歩くこと1時間、草原の外れのブッシュを通ると新たな草原に10戸程度の集落が現れる。インディオの言葉の挨拶をするが、出てくるのは子供ばかりである。大人は女性が数人家事をしているのに気が付くが、自分の生活範囲へは観光客は入れないとガイドは言っていた。
その村には学校や教会があったが、みな木造の小屋と言った方が正確な建物であった。そのうち子供たちが私達の周りに集まりだしてきた、一緒に写真を撮ると、次から次へと子供たちが集まりだしてきた。何枚も撮影したが、彼らにこの写真を見せてあげる事が出来ないのが残念だ。
更に奥の村に地酒があると言うので更に歩き出す。途中はジャングルとなっていて,蚋が多くあまり気持ちが良くなかった。焼畑のバナナ畑や芋畑を過ぎた頃、ガイドがもう遅くなったと言ってそこから引き返すことにした。360度に囲まれた山々や宿泊する村の方向にあるテーブルマウンテンには雷雲がかかっていて、もう降り出している様子だ。道の右手方向には天と地が繋がった天雲がこちらに向かっている。あの雷雲と我々が村に到着するのはどちらが早いかとガイドに尋ねると「私たちが勝つ」と一言。昨日の飛行機の音を聞き分ける耳からして本当だろう。しかし途中からポツリポツリと降り出してきだが本降りにはならなかった。
ホテルに到着後、やや強く降り出したが風呂代わりになるほどではなかった。到着後昭彦と二人で近くの川原に行くが、結局二人で水浴びをし風呂の代わりとした。
陽も暮れかかりテーブルマウンテンを見上げるとテーブル状の大地から無数の滝が落ちてきている。テーブル全体が滝と言っても大げさでないだろう。山の上では相当激しい雨が降っているのだろう。近くの川から』大きな水音がしてきた、あの雨が直ぐに川になると聞いていたので昭彦と二人で見に行った。
先ほど泳いだ川が1M以上も水位を上げた激流になっていて地元の少年たちも見に来ていた。本当にすごい変化である、自然のなせる業と言うか、この様な景色を見られたのはラッキーだったと思う。乾季では見られずまた雨季でも雨が降って山が見えなければまた見られず本当に絶好のチャンスだったのかもしれない。
薄暗くなって行く山と滝を3人で持参したビールと納豆のおつまみで見えなくなるまで見続けていた。白いご飯と納豆の日本食の話にも話が弾んだ。
夕食は今朝ホテルの主人から渡された私たちと一緒に運んできた食材を使った鶏肉料理だった。私たちだけの為に準備してくれたのだ。
今夜は私たち3人だけの宿泊だった。
村の中央にあるレストランから真っ暗な村の中を歩き部屋に戻ったあと、蚊帳がつるされたベッドにもぐりこんだ。
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09_03Kavac- Kanaima
朝のテーブルマウンテン雲のなかであった。雲が切れ始めると急速に青空が広がってきた、早目の朝食の後迎えの飛行機が来るまで近くの渓谷ツアーに出かける。
テーブルマウンテンの方向の草原に向かって歩いて行くが、もう日は高く昇り陽射しが強くなっていた。暫く進むと川は狭くなり右側の大きな石の上を伝って遡る、やがて4mほどのロープが渡してある2つほどの渡渉をすると、大きなプール状の場所に到着する、そこからは泳いで上流を目指す流れはやや強いが短い距離なので水流に逆らって泳ぐ。狭いゴーロに到達すると右に急角度に流れは曲がっていた。その20mほどの先にはゴウゴウと音を立てた滝が迫っている。
物凄い水量で眼も開けていられない。佳子と私は水泳のゴーグルをつけて滝の直ぐ近くまで右に張られたロープを伝い急流に逆らいながらにゆく。滝の落ち口直下は当然入れない、そこから7−8mのところに着くが、物凄い水飛沫とその風で眼も開けていられないほどだ。話も聞こえない位の音である、ただただ圧倒されるばかり。水飛沫と風で身体も冷えてくる長時間はいられないところである。
暫くその圧倒的な状況を堪能した後、今度は流されながら下っていった。途中プール状のところでは3人で水泳を楽しむ。
来た道とは少しルートを変えもう一つの滝にも立ち寄る。ここは水量は少ないがきれいな日本的な滝であった。
沢から外れ歩き出すと冷えた身体はたちまち強くなった日差しの中額に汗がにじんできた。
振り返るとあの滝は何処だったんだろうと思うくらい、平凡な林の後ろに壮大なテーブルマウンテンが聳え立っていた。
今日は11時にセスナがやって来るというので、到着後急いで帰り仕度を済ませ準備されたお茶を飲みながら物静かなガイドと話をしたりお土産を買ったりしていた。
やがてガイドが「飛行機が来た」と言うが私達には聞こえない、10秒ほどすると飛行機のエンジン音が遠くから聞こえてきた。すごい本当にやってきた、インディオは耳も良いのだった。
飛行機からはドィツからやってきた若いカップルが降りてきて私たちと挨拶を交わしてから、私たちは飛行機に乗った。
乗り込むと直ぐに滑走路に向かいそのまま離陸する。岐路も乗客は私たち3人だけであった。昭彦がインディオの集落の上空を飛ぶようにリクエストしたので、山から少し離れた集落の上空を飛んでくれた。飛行場から徒歩で2時間、自動車で40分、Kanaimaの村よりも大きいとか、Kavacの飛行場の集落へは此処から通ってくる。村はトタン屋根が多く、棕櫚で覆われた屋根は少なかった、また水力発電もあると聞いたが発電所らしきものは見つからなかった。自らの生活には近代化を、観光客には昔のままの生活を体験させているようだ。このむらはKanaimaより大きい村だとガイドは言っていた。また、この村の村長(酋長)さんは今でも他の村から暗殺を狙われているとか。その暗殺方法も毒を使い、毒を盛られた場合1週間苦しんだ後死んでしまうそうだ。近代的な装備を持った村でも昔のままの生活は続いている。
飛行機は帰りもエンジェルフォールの周辺を何回も遊覧飛行をしてくれた。二日前は雲に隠れて全く見えなかったと、湖であった日本人が言っていたが、私たちは2回も大きな滝の景色を堪能することができた。
この数十分間だけでで撮影した写真は512MBにもなってしまった。
最後にはkanaimaの滝の上空も飛んでくれた。
40分のフライトを終え、デコボコ道の滑走路に静かに着陸する、そこには何時ものように地元の人達が、何をするでもなく集まって雑談しているような光景だった。
Kanaima到着後、昼食のあと湖の周辺をボートで散策に行く。
湖を横切ったあと上陸し、山道を暫く歩くと、道は狭くなりそこで上着を脱ぎ水着姿となる。
そこから滝の裏側を歩く事になる、上流に向かって右手は岸壁をくりぬいた壁、左側には滝から落ちる物凄い水量、左手でロープを伝いながら歩くが、バケツの水を頭からバシャバシャとかけられている状態だ。そこを50mほど歩き通過すると、目の前に本当に物凄い量の水が落ちてくる。日本とは違い茶色い水だが、水しぶきは真っ白である。午前中にも味わったが、本日これで2回目の猛烈シャワー経験である。ボートで来るとき私のカメラは電池が無くなったので、途中に靴などと一緒に置いて来てしまった。兎に角この光景を撮影できなかったのは残念であった。滝下から今度は落ち口へ移動する。そこからはkanaimaの村も一望でき集まってきた水が一気に落ちて行く様子が堪能できた。滝の落ち口では若いカップルの2組が水着のままでいつまでも抱き合っていた。
他の滝の落ち口を回りながらもと来たボートのところまで帰り、ボートに乗り込むともう一つの滝に向かった。
ここも先ほどの滝と同じようにゴウゴウと水飛沫をあげ落ちている。試しにカメラのシャッターを押すと普通に撮影できるではないか、こうなるとさっきの滝で撮影出来なかったことが更に悔しくなった。
悔し紛れにここで夢中になってシャッターをきった。
10分ほどで滝を離れホテルに向かった。
シャワーを浴びた後、暑い部屋を避け道路に出ると、暗くなり始めた林の中に蛍が光っている。無数とはいえないがかなりの数である。数年前昭彦の住む群馬県で見たときと同じ位である。1昨日は夕食を終えホテルに戻る時にも見つけ感激したが、今日も蛍を楽しませてもらった。日本人には情緒のある蛍であるが、こちらの人たちは気味が悪いと言って好んではいないらしい。
部屋に戻り暑苦しい中ベッドに横になった。
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09_04Kanaima―Caracas
今日はカラカスへ帰るだけである。朝食後隣のホテル近くのお土産屋さんへ買い物に行く。洒落たお店でインディオの竹の笊を買う、昭彦も買って日本に持ち帰ってと頼まれる。佳子と二人でカナイマの湖に行くが、ボートも出ておらず、他のお客さんもいないのでとても静かだった。
11時にホテルのランドクルーザーが迎えに来る、荷台兼座席に乗って数分のところの飛行場に行く。
カナイマの飛行場は職員とお土産屋店員とお客とツアーガイドが大勢いるが、その見分けがつき難い。
ボリーバールに帰ったパイロットがまたやって来ていた。今日は彼が早くボリーバール行きのお客を乗せて飛び立って行った。
フライトの手配をするとき、私達の乗る飛行機は11時にカナイマを飛び立ったので1時間40分後に到着すると言っていた、予約した時間は12時にカナイマを出発する機なのだ。もうこの様な事には慣れてしまったが、スケジュ−ルと言う感覚がこの国の人には無いように感じた、でもこれがベネズエラ流なのかも知れない。
到着した飛行機は13人が乗ってきた、私達の場合は3人だったが、今日は何人乗るのかと思っていたら直ぐに搭乗し始めた、ほぼ満席の15人位だろう。乗り込むと直ぐに機は飛び立ったが、こんなに素早く飛び立つとは思いもよらなかった。
2週間ぶりのカラカスに到着すると外は雨だった。迎えのタクシーに乗り込んで市内に向かうが渋滞が激しい。
雨が降るとこうなると運転手が言っている。
アルタミラホテルに到着し荷物を片付け、帰国の準備をする。夕方マルガリータ島からやってきた伴さんがホテのフロントにやって来た。今までお会いした隊員と同様伴さんも少し日焼けをして元気そうであった。4人で夕食を一緒に食べたが、入ったレストランは生バンドとカラオケの音が大きく、ゆっくりと話をするどころではなかった。のんびりとマルガリータ島の話なども聞きたかったが早々に引き上げ隣のカフェに逃げ込んだ。
明日天気が良ければロープウエイでAvila山に一緒に登る約束をして別れた。
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09_05Caracas-El Avila
朝8時30分に我々のホテル前で合流し、早速ロープウエイ乗り場へと向かった。
到着するともう10人程度の人が並んでいたが、ロープウエイの乗車は10時だったが我慢強く待つ事にした。
9時30分過ぎに受付が始まったが、後ろからグループがどんどん前に割り込んでくる、結局100人位に追い越されただろうか、昭彦と伴さんはこんな事に慣れているのか文句も言わず只々順番を待っていた。
ロープウエイに乗り込むとカメラで伴さんのビデオレターを作ろうと言うことになり、近況などをカメラに収めた、同乗したベネズエラの家族のメッセージも収録し、ビデオレターへ追加するつもりだ。多分・・・多分スペイン語を話す彼女を家族は見ていないと思うので、家族が見たときの表情がちょっと楽しみでだ。
ロープウエイからの景色を楽しみながら10分程度で頂上へ到着する。頂上は少し寒くマルガリータ島で生活している伴さんには少し寒そうである。持参したジャケットを貸してあげるが、Meridaでは私たちが京谷さんからフリースなどを借りている。この国の広さと幾つもの表情を持っていることが体感できる。
頂上からはCaracasの空港方向が見えるが飛行場は見えなく飛び立った飛行機だけが時々見える。
ロープウエイを降りるとそこからは舗装された上り道が続いている、右側にはカラカス市内が左側には斜面に点々と続く住宅、その先にはカリブ海が見える。道は10分も歩くと終点となり、そこには今は使われていないホテルとその施設が残っていた。
それ以外の見どころも無く観光客はのんびりと散歩を楽しんでいるようだ。散歩道の脇には売店もあるので、私達もドーナッツの食感でバナナ状に上げたお菓子とコーヒーで休憩した。いつも思ったのだったがベネズエラのケーキ類の甘さはしつこい位であった。
下りのロープウエイの待ち時間には、クアトロ、ハープ、マラカスを持った3人の若い男性が演奏をしている。ロープウエイを待つお客さんに囲まれて演奏しているが、とても上手で私達もロビーにおかれた帽子のなかにチップを入れた。服装からするとロープウエイの会社の職員のようだが、これも仕事なのだろうか?
ロープウエイの発車時間が近づくと演奏も終わり私達も下っていった。
8月28日にMeridaでお別れした佐久間さんが昨日からカラカスに来ていた。昨夜は風をひいているためホテルで休んでいたが、再度昼食を一緒にと連絡して市内で落ち合うこととした。
落ち合う先は市内の大きなデパートで沢山の人で賑わっていた。女性隊員たちも上京するとこのデパートで買い物をするのが楽しみのようであった。元気そうな佐久間さんと合流し近くのエストランで食事をするが、いくつか注文した料理を皆で小分けにし、少しずつその味を楽しむ方法は隊員流なのかもしれない。
明日の朝にはそれぞれ伴さんはマルガリータへ帰島、佐久間さんはブラジルへ旅行、私たちは日本へ、昭彦はアスリータへとわかれて出発する
デパートからホテルへは市内を初めて歩いて帰るが、休日のためか車も少なく混雑した様子は見られない。時間がと安全が許せるのなら隅々まで歩いて周ってみたかった。
ホテルへ帰ると明日のため荷物の準備をし、近くで買ってきたサンドウイッチとビールで最後の夕食をすませる。
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09_06Caracas-Miami
目を覚ましベランダから外の景色を見ていたら、寝ているはずの昭彦がサンドウイッチを買って来てくれた。二種類の野菜サンドとジュースだった。最後の朝まで我々二人の面倒を見てくれた。
チェックアウトは私のクレジットカードで払うと言ったが、ボリバールの方が安くなると言い私には払わせなかった。では100$を受けとってくれと言ったら、何とか受け取ってくれた。最低の金さえあれば良いとの考え方なのだろうか、この旅行中お金はあまり受け取ってはくれなかった。
昨日と同じ見慣れたタクシーが迎えにやってきて、市内は渋滞が激しかったが無事空港へ到着した。チェックアウトのため手続きをするが、アメリカン航空の職員がまるで出入国のような質問を浴びせてくるが、最初にスペイン語も英語も話せないそぶりを示したので、英語でゆっくりと質問してきた。近くには昭彦もいたが寄せ付けないでいた。質問内容も「荷物はいつ、何処で、誰が」準備したかとか、知らない人からの預かり物はないかなどだった。その場所はまだ一般の人も入れるところなので、昭彦は早く出国手続きをして少しでも安全な場所に移動して欲しかったのだろう、出国の書類などスペイン語文を訳してくれた。空港税や書類その他を準備するといよいよお別れだ。
昭彦は「来てくれて有難う」と言ってくれた。本心で言ってくれたのだろう。隊員仲間ではどの様な評価なのだろうか、多少は「減点」だとは思うが今回のベネズエラ旅行をして良かったと思った。
予定とおり、とは言ってもベネズエラ時間(多少の遅れと説明が無い)だが飛行機はマイアミに向け出発した。途中の機外の景色はカリブ海に浮かぶ島や珊瑚礁がとても美しかった。
マイアミに到着する、今日は此処で荷物を一旦ピックアップしなければならなく、大きな荷物を3個抱えてタクシー乗り場を探した。後で気がついたが到着階は3階で、エスカレータで2階に下りたがTAXIは見当たらない、近くの人に聞くともう1フロア下がった1階がtaxi乗り場だった。ベネズエラもアメリカもtaxiに関しては不安が多く、係りの人にホテル名を言うと口笛でTaxiを呼んだ。荷物をトランクに詰め乗り込み行き先を告げると直ぐに走り出すが、到着した時とルートが違っていた。暫くするとホテルに到着、料金を尋ねると12$だと言う。前回は16$と言っていた、正式な料金は12$と表示してあった。20$札で払うと、お釣は17$だった。しっかりとチップを1$差し引いている。正直だがしっかり者の運転手だった。
ホテルへ到着すると時間はもう午後5時をまわっていたので、夕食を買いにホテルの前の道路沿いの店を捜すが適当な店が無く、結局マクドナルドでハンバーガーとアップルパイを買ったが、セット物だったらしくコカコーラとフライドポテトが2組ずつ付いてしまった。何時も思うのであるがアメリカでのこの種の買い物には苦労する。ビールはあるかと訪ねるが、カウンターの少年は無いと言った。日本でもマックにはビールが無いので当然のことだった。ホテルの数件隣のガソリンスタンドの販売コーナーでビールを見つけたので買うことにした。数人お客さんがいたが、そこでの会話はやはりスペイン語だった、先ほどのマクドナルドでも店員もお客の警察官もほとんどがスペイン語だった。当然泊まっているホテルもほとんどがスペイン語でアメリカでのヒスパニック系住民の多さに改めて驚く。
ホテルへ到着後風呂を浴び買ってきたハンバーガーで夕食を済ませる。もうこんな夕食も慣れてしまった。
ホテルから見るマイアミの景色は広々とした低層の家屋が広がり、夕焼けがきれいだった。
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09_07Miami-Tokyo
朝4時30分にモーニングコールで起こされた。昨夜は久しぶりに寝られたので、モーニングコールが無ければ寝過ごしただろう。シャトルバスに乗り込みMiami空港へ行く、5時30分前には到着したが、チェックインで30分待たされる。その後のX線検査では2つのバッグが目の前で開封されチェックを受ける。私は手も出せず鍵の番号を言うだけである。勿論何も発見されず「チェック?」の一声で開放されるが、サンキュウの声もない。
ロスアンジェルス行きの飛行機はほぼ満席で4時間40分のフライトは幸いに天気が良く、広大な山や砂漠や畑の景色を楽しんだ。半世紀も前こんな大きな国と戦争をして勝てる筈がないなと思った。広大な手付かずの大地があるこの国では、これからいくら人口が増えても、宅地開発をする土地が十分にあるので全員が住むことが出来ると思った。これに引き換え日本は狭いとつくづく感じた。1時間半も出発が遅れたので、その分ロスアンジェルスでの乗り換え待ち時間が少なくなって、小1時間で出発し東京へ向かう飛行機に乗った。
機上ではロスアンジェルスに住むアメリカ人の夫と日本人の夫婦と席が前後した、その夫婦には1歳くらいの女の子がいて、Momoチャンといってとてもかわいかった。聡子ももう少しでこのような夫婦になるのだろう。
おわり