†† 夢 守 教 会 ††  第二話「痛みの在処(アリカ)」1/(1)

 そういえば、今年見た雪の白さをあまり鮮明に覚えていないな。
 一九九九年の四月某日、舞い散る桜にフと降り注ぐ雪の情景を重ねて見た僕は、隣を歩いていた理子に話をふってみた。
 校庭を取り囲むように並び立っている葉明学園敷地内の桜並木は、趣深いとこの近隣では有名だったりする。そんな薄紅色に染まった空間の中を、僕と理子は並んで歩いている。
「奇遇だな。実は私も今年の雪は今イチだと思っていたんだ。こう、彩度が低くて、立体性に欠けていたよな」
 そんな答えを返してくる。どうでもいいことだけど、理子が片手で持っている学園の備品である椅子一脚に比べて、僕が抱えている近所のホームセンターから購入してきたソファは非常に重い。
「実は私は雪景色が好きだ」
「僕も好きだよ」
 知り合って一ヶ月ちょっとの間柄の僕と理子なので、お互いに何が好きなのか、まだまだ知らないことが多い。その事実を踏まえた上でも、好きなものが一致しないよりは、一致した方が良いと思ったので、僕たち二人が雪景色を好きというのは好ましいことに思えた。
「うん。だからな。こんな雪景色は納得がいかんと、去年の暮れから今年にかけて、随分と町の色んな場所を回って綺麗な雪景色スポットを探したんだ」
「それで?」
「だから言ったろ。今年は今イチだったと。結局どこに行っても綺麗な雪は見られなかった」
 僕と理子は、連れ添いながら、校舎から離れた部室棟と呼ばれる建物に向かって行く。
「それは残念だったね」
「まったく残念だった。例年、ピカ一で最高の雪景色スポットだと思っていた場所でさえ今イチだった時は、軽く絶望したな」
 桜並木を抜けると、やがて煤けた橙色をした部室棟が見えてくる。三年前に新築されたという近代的なコンクリート造りの校舎本体に比べて、旧時代から放置されたままの部室棟は、軽く廃屋の趣がある。まあ、それでも最低限衛生的で、ガスも水道も通っているらしいけど。
「この町の最高の雪景色スポットってどこさ?」
「それはな、模造の塔の屋上だ。あそこから見下ろす町一面の雪景色はマジですごい」
 聞き慣れない単語を耳にする。
「模造の塔って何?」
「そうか、優希は高校から編入でこの町に来たんだったな。ローカルな呼び方とか知らないか。アレだ」
 言って、理子は椅子を片手に持ちかえ、空いた手で遠方に映る二つに並んだビルディングを指さす。
 そのビルディングは僕も知っている。どちらかというと住宅地よりに位置する葉明学園からそう遠くない、市街地と住宅地との境目辺りにそびえている、非常に目に付く「つがい」のビルディングだ。なんだ、この町のシンボルとも言えるヤツじゃないか。
「ええと、ツインタワーのこと?」
「一般的にはそう言うな。だが、ローカルな呼び名だと、ここから見て右側のビルディングを『既存の塔』、左側のビルディングを『模造の塔』と呼んでいる」
 なるほど、同じような外見のビルディングなものだから、僕の中では「ツインタワー」と一括りにされていたのだけれど、どうやらビルディングにも個性があり、各々に名前があったらしい。確かに、顔がそっくりな双子がいたとして、いつまでも「双子さん」と二人一括りで呼び続けるわけにはいかないだろう。個体を識別する名前は大事だ。
「しかし随分詩的な名前だね」
 それはな、と前置きして理子が解説してくれる。
「『既存の塔』が建設されたのが五年前、『模造の塔』が建設されたのが三年前だ。二つのビルディングは外見も中身も構造が全て同じ。もともとあった『既存の塔』をすっかりそのまま真似て、『模造の塔』は作られたんだ」
「ああ、それで『既存』と『模造』な訳か」
 一人、納得する。あらゆるモノの名前に、なんらかの由来があるものだと感心する。
「それだけじゃない。優希は――Life is like a Parody.の事件は知っているか?」

――Life is like a Parody. ……?

「生は模造でできている?」
 無い英語力で咄嗟に訳す。ちょっと、意訳が過ぎるだろうか。
「知らないんだな。それはな、いや待て」
 言いかけた所で理子が立ち止まり、抱えていた椅子を下ろす。場所は、もう部室棟の目の前まで来ている。
「それ、開けたいのか?」
 理子は、部室棟の前で何やら段ボール箱を前に試行錯誤している女生徒に声をかける。   
印象からすると、女生徒は下級生だ。
「あ、ハイ。すごい、ガムテープでキツクぐるぐる巻にされちゃっていて」
 言われたとおり、四方がガムテープでぐるぐる巻にされている大きめの段ボール箱が一つ。今日は部室棟の整頓日なので、そこかしこに何らかの荷物を抱えている生徒達の姿が見える。何部かは分からないが、この女生徒もそんな中の一人だろう。そういう僕たちも、部室棟の整頓日に便乗してこうして荷物を運んでいる途中だ。
「私が開けてやる」
 そう一言いい放って、理子は腰の後ろからいつもの炭素鋼のナイフを取り出すと、素早くガムテープが巻かれた部分を一閃して接合部分を分離してしまう。
 後には、開かれた段ボール箱と、呆然とした表情の女生徒が一人。そして、何事も無かったようにナイフを鞘に収め、再び椅子を手に取る理子。
 混乱してよく状況が理解できていない女生徒が助けを求めるかのような視線を僕に向けてくる。
「良く切れるペーパーナイフなんだ」
 なので、フォローになっているのかなっていないのかよく分からない言葉を、ソファを両手に抱えたまま見下ろして女生徒にかけておく。だから理子、君のそのナイフの携帯は、一般的にはアウトな部類だというのをもう少し理解して欲しいなんて思う。
「着いたな」
 僕の溜息をよそに、理子は辿り着いた部室棟の一階の「哲学研究会」のプレートが貼ってある扉の前に、椅子を下ろして腰に手をあてたポーズで立っている。
「何の話をしていたっけ? まあ、とりあえず作業を終わらせてしまってからにしよう」
 そう、この日の僕らの作業は、この哲学研究会の部室を、僕ら好みに、というか主に理子好みにデコレートすることだ。
「哲学研究会」は去年で最後の部員が去ってしまってから、現在は活動を休止している。そこに、晴れて理子と僕が入部して、部室を譲り受けたという訳だ。ちなみに顧問は菖蒲さんだったりもする。
 でも、もちろん、それは建前。
「ここが、私達の教会になるわけだな」
 そう言って理子が扉を開ける。
 そう、僕としては哲学と宗教の原理的な区別も今イチついていないので、これが不謹慎なことなのかそうでもないのかあまり実感が持てていないのだけど、今日から、僕たちは哲学研究会を装った新興宗教組織としての活動を開始する。目的は、「この世でもっとも確かなもの」を探すこと。
 先に扉をくぐって中に入っていってしまった理子を追って、僕もソファを抱えたまま部室、改め教会の中に入る。
 扉をくぐった時、そういえばさっきのお話の『既存』と『模造』は、いったいどっちが「確かなもの」だったのだろう。そんな疑問が、フと頭を過ぎった。
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