†† 夢 守 教 会 ††  第二話「痛みの在処(アリカ)」5/(6)

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 照明が落とされた弓道場を後にする時、既に弓道着からカーゴミニのスカートにジーンズのジャケットというその日着ていた私服に着替えていた理子が、暗闇の中で話かけてきた。
「優希は、シーモアグラスって名前をどう思った?」
「カッコイイ響きだけど、まあ、偽名だなと思ったよ。どう見ても、あの人は日本人に見えたし」
「まあそうなんだけどな。シーモアグラスっていうのは、小説に出てくる登場人物の名前だ」
 それは知らなかった。理子が僕よりも相当本を読む子だというのは知っている。そっちの方面の知識も、僕より格段にあるのだろう。
「J.D.サリンジャーの『グラース・サーガ』と呼ばれるシリーズに出てくる重要な登場人物なんだけどな」
「へー」
「名作と呼ばれる類で、私もすごい文学性を感じているシリーズなんだけど、驚くべき事に、こんなに有名なのに、まだ未完なんだ」
「なんで?」
「さあ、それは作者に聞いてくれ」
 それはそうだ。さすがに理子もサリンジャーさんについて何でも知っているわけじゃないだろう。
「だけど、私としてはちょっと好きになれない物語でもある」
「なんで?」
「まだ、未完なのに、シーモアグラスは自殺して終わるってことが既に描かれていて、もう分かっている物語だからだ」
 僕は沈黙する。なるほど、妖精はだからその名前を名乗ったのか。今年の七月に自殺して終わる存在。だから、シーモアグラス。
「自殺で終わると分かっている物語は、ちょっと嫌だ」
 そう口にした理子がどんな表情をしているかは暗闇で見えない。だけど、さきほど弓道場で見せた強い意志を秘めた瞳で、じっと眼前の闇を睨み付けている。何故だか、僕はそんな気がした。
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