†クリスマス創作小説†


【クリスマスの舗装道】


 舗装されたどこまでも続く小綺麗な道を、それなりに優雅な自動車でずっとずっと走っていくのだと思ってたんだ。運転手は僕じゃない。僕は後部座席に座って、移ろいゆく外の風景を感性に任せて眺め続けるだけ。
 だけどやがて自動車は立ち止まり、僕は後部座席から下ろされる。
「ここからは、君の足で歩いていくんだ」
 運転手が言った。
 前面に広がるこれから僕が歩いていく道を見て僕は呆然とした気持ちになる。
 そこは、舗装された道なんかじゃなかったんだ。長く伸びた草が生い茂るその道は、とてもとても歩きづらそうで、ここをこの先、生身で歩いていくのは、たいそう痛みを伴う作業のように僕には思われた。
 そして何より僕を驚かせたのは、その道には、道しるべが無かったことだ。
 数瞬の葛藤の後、僕は正面の藪の道に向かって最初の伸びた草をかき分けた。例えしるべが無くても、痛くても、僕は進むしかないんだ。何故だかそのことだけ、僕には分かった。誰を呪おうとも思わなかったけど、ただ、できるなら、勇気が少しだけ欲しかった。

  ◇

「ガオガオ、がおー」
 シロクマの着ぐるみを装着した麻巳子(まみこ)さんが玄関からこっちに向かってのっしのっしと歩いてきた。
「がおー」
 キッチンを通り過ぎてリビングに辿り着いた所でもう一吼え。
 訪れるしばしの沈黙。
「あれ、あれあれ?」
 困惑する麻巳子さん。どう声をかけたものかと思案する僕に対して、最初に言葉を発したのはコタツを挟んで向かえに座っているシンディの方だった。ちなみに彼の本名は真司(しんじ)。とりあえず外国人っぽく呼んでみようってことでシンディ。
「あのな、麻巳子、正直……」
 そこでハシッと人差し指でシロクマ麻巳子さんを正面から指さして、
「微妙だ!」
 がっつりと言い切る。
 ああ、言っちゃった。
「え、ええ!なんで、なんで?クリスマスなのにシロクマかよ!とか、トナカイじゃないのかよ!とか、つっこみは?つっこみは?」
「くー、惜しいかな。シロクマはあまりにクリスマスと遊離し過ぎてんだよ。お前、トナカイくらいにしておくべきだった。血のついたトナカイくらいにしておくべきだった」
「もしくは実際にトナカイを連れてくるとか」
 僕も控えめに意見を述べてみる。
「そう、むしろ乗ってくるとかな。トナカイにまたがってのっしのっし……って、それオレの部屋に入れないじゃん!大きさ的に!」
 ジェスチャー付きで一人ノリつっこみを披露するシンディをよそにシロクマ麻巳子さんを見やると、何やら目を細めて天を仰いでいる。天って言っても天井の蛍光灯が眩しいくらいなんだけど。
「うー、ハズしてしまったのか、私。もう、これ、レントワンでわざわざ借りてきたのに……」
 ちょっと涙目。
 レントワンっていうのは学祭時なんかに使うタコ焼き焼き機各種から、イベント用の着ぐるみまで貸し出してくれる近所の大手レンタル屋さん。そうか、わざわざ借りてきたんだ。イベント用の着ぐるみってレンタル料も高そう。っていうか麻巳子さん絶対それ趣味で選んだでしょ。麻巳子さんシロクマ好きだから。
「あー、何て言うかダメ。ヘコんだ。着替えてくる」
 回れ右をしてのっしのっしと玄関に向かって去ってゆくシロクマ麻巳子さん。
 ああ、玄関のドア開ける前に外で着替えたのね。シロクマのまま車運転してきたわけじゃなかったんだ。
 微妙に(シロクマの)背中から漂う哀愁。
 シンディがその背中に声をかける。
「可愛い!その落ち込んだ後ろ姿可愛いよ!シロクマ的に!」
 シロクマ麻巳子さんは振り返らずに右手をちょっとだけ上げた。着ぐるみのフカフカが邪魔してよく分からなかったけど、中では親指を立てていて、ささやかにサンキュを伝えていたのかもしれない。狙いは良かった。ただ登場シーンから大技過ぎたんじゃないかな、麻巳子さん。次は良質の小技で勝負のシンディの番だ……。

  ◇

 大学4年のクリスマスともなると、出来ちゃってる人は出来ちゃってる、がっつりと聖夜を共に過ごすパートナーが。
 今日は幸いにもそんなパートナーが今晩までに見つからなかった仲間内のおこぼれさんでシンディの部屋に集まって、一つクリスマスにアンチテーゼを掲げながらバカ話でもしようかと、そんな趣向。
 熱いけど切ない。
 切ないのはパートナーがいないことよりも、そろそろこのメンバーで集まれる機会もカウントダウンに向かっていたから。着実に僕たちは卒業という区切りへと向かっていた。皆、卒論も提出し終わり、それぞれがそれぞれの道への活動を始めていた。そんな季節に訪れたサンタクロースのプレゼントの、一夜の仲間内の邂逅。僕は笑って過ごしたいと思う。世間で思われてるほどに、僕は大学時代というものを笑って過ごしてもこなかったような気がするから。せめて最後くらいは楽しい思い出を作りたい。結局は社会に出てからには繋がらない学問に追われ、試験のたびにこんなバカな!と叫びたくなりながらも、まっすぐと前へと進んでいく世間という名のエスカレーターから降りる気にもなれず、経済的に生きていくためだけに必死の就職活動をこなしてここまで来た。それが、僕だ。

  ◇

「あれよね、小山田(こやまだ)くんがまだ来てないのよね。小山田くんなら私のシロクマネタで壮大に爆笑してくれたかもしれないのに」
 シロクマ麻巳子さん改め、普通の麻巳子さんがつぶやく。トレードマークの長い前髪は相変わらずモノを見るのに不便そうだ。だって、完全に目までかかってるんだもん。
「ああ、なんか前原先生のゼミの飲み会で、そっちの一次会終わってからこっち来るって。大丈夫、急に彼女が出来て来れないとかじゃないよ、何しろ小山田くんだから」
 シンディが返答する。
「何しろ小山田くんだから」はないだろうと思いながら、頷かざるを得ない自分もいる。小山田くんのフラれフラれてのモテないロードは仲間内では有名な話だからだ。そんな小山田くんも教採受かって来年からは高校の社会科教師だというのだから立派なモノだ。なんというか、なりゆきの就職活動で中規模のガス会社に就職を決めてしまった僕に比べて、ポリシーというモノが感じられる。
「まあ、いいわ。小山田くんが来るまでシロクマでいるのも暑かったし。で、小山田くんが来る前に一通りやっちゃうんでしょ?次はシンディの番よね」
 麻巳子さんの言葉を期に、シンディが僕に向かって目配せをしてくる。実はシンディのネタは僕はもう確認済み。これはいわば、麻巳子さんのためだけに披露する、麻巳子さん仕様のネタだ。
「キューピー贈呈ッッ!」
 突如、板垣漫画の「ッッ」みたいな感じで僕は叫びをあげる。
「たーらーたらりらー」とよく分からないBGMを口でつぶやきながら、シンディが懐から一体の裸ん坊人形をゆっくりと取り出してくる。そして一体のキューピーは麻巳子さんのもとへ。
「メリークリスマスッッ!メリークリスマスッッ!シンディから麻巳子さんへクリスマスプレゼント贈答ッツ」
 相変わらず板垣漫画のアナウンサーのように絶叫解説を入れる僕。
「あ、甘いわね。これ、私と同じじゃん。クリスマスプレゼントにキューピーはねーだろ!とか、そんなつっこみ待ちじゃん。そんなんで私を笑わせようなんて……」
 と、そこまで言った所で麻巳子さんの様子が変わる。
 ビンゴ!
 麻巳子さんは発見してしまったのだ。キューピーの額に例の文様が判で押してあることに。
 急速にのけぞる麻巳子さん。お腹を押さえてクックッと笑いをこらえている。というかむしろもう笑ってる。
「クリ●ンじゃん!クリ●ン!」
 ドラゴンボールネタ好きの麻巳子さんのツボに入った。
「オレは怒ったぞ!フ●ーザ!」
 何故か叫びをあげる麻巳子さん。いや、それはクリ●ンが死んだ時の台詞だから。
 グッとサムズアップのジャスチャーでミッションコンプリートの合図を送るシンディ。やはりシンディはあなどれない。
 次は、僕の番か……。

  ◇

「トト小山田!トト小山田やろう!」
 僕は声を大きくして僕のネタ、というか企画を発表する。こういうのは、他人を巻き込んじゃったもん勝ちだ。特にギャグキャラの小山田くんを巻き込んじゃえば、これはもう勝ったも同然みたいなもんだ。
 ルールは簡単。缶ビールを一缶用意して、小山田くんが駆け付け一杯でどこまで飲み干せるかを賭の対象にして、あらかじめ缶に各々の目標を入れておくというものだ。
「そうねー、じゃあ、この辺りで。根性ないから、小山田くん」
 麻巳子さんが上から2センチくらいの所に標をつける。それ、一口二口レベルじゃん。見くびられてるな、小山田くん。
「オレはここでしょ。いや、やる時はやりますよ、彼は」
 シンディがぐっと缶の底の部分に標をつける。つまり、小山田くんは一気で飲み干すとシンディは言っているのだ。その買い方も、ある意味漢だ。
「じゃあ、僕は、飲み干す直前まで行って……」
「行って……?」
「そこでむせるに賭ける」
 軽く麻巳子さんとシンディが笑い合う。小山田くんのキャラを知ってるだけに、イメージがマッチして愉快な気持ちになったのだ。それが、小山田くんのイイ所。早く、小山田くんこないかな。

  ◇

 小一時間ほどの後、小山田くんが合流してからはクリスマスのロマンチックなムードなどかけらもない酒池肉林の宴となった。いつもアルコールは飲まない麻巳子さんはともかく、既に出来上がって登場した小山田くんに、シンディがお得意のシンディ話術で浴びるように追加で飲ませたのが悪い。
 ちなみにトト小山田の結果は、小山田くんが最初の一口を口にした瞬間にむせたという、想像を絶する結末となった。正解者無し。だけど爆笑。

  ◇

「だからね、教育とは、ヤキトリみたいなものなんだよ!わかる?シンディくん?」
「わからねーよ」
 いつもの小山田くん失恋話も一通り終わって、なにやら小山田くんの酔いどれ教育論が始まった所で麻巳子さんが席を立った。
「あー、アルコールくさー。私、ちょっと外の空気吸ってくるね」
 ああまただ。
 麻巳子さんは薬を飲んで来るんだなと僕は考える。偶然見かけてからいつも気にしてるんだけど、麻巳子さんは飲み会の時、いつも席をちょっとだけ抜け出して薬を飲んでいる。あんまり込み入ったことは聞いたことがないんだけど、多分アルコールを飲まないのもそのことに関係あるんだ。

  ◇

 宴も終演。例によって小山田くんが半分酔いつぶれてしまったので、車で来ていてかつノンアルコールの麻巳子さんが小山田くんの部屋まで送り届けることになった。僕も便乗で送ってもらうことになる。運転席に麻巳子さん、助手席に僕、後部座席に小山田くん、なんだけど……。
「ああ、シロクマ、邪魔よね。シンディ預かっててくれる?明日取りに来るから」
「今日着て寝てイイか?」
「いいわよ。超温かいし。寝返りとか打ちづらいけど」
 そんなどうでもいいやり取りのあと、麻巳子さんカーの後部座席に小山田くんを押し込んでシンディ宅を出発。今夜は解散となる。
「シンディまたな」
 僕は声をかける。
「おう、またな。まだ会えるさ」
 そう、僕たちはまだ会える。

  ◇

 小山田部屋へ向かうには、学園線と呼ばれるストレートの大通りをひたすら走り、最後にちょっと左折という道のりだ。
 今、麻巳子さんカーは闇夜の中、ひたすらに真っ直ぐな舗装された道を走っている。
「思うにね、ムラッチにも世話になったわよね」
 麻巳子さんが語りだす。ムラッチ。僕のことだ。村上だからムラッチ。普通だ。
「ガス会社頑張ってね」
「まあ無難に頑張るよ」
「いや、そんなんじゃなく、ガスバス大爆発な感じで頑張ってよ」
「爆発しちゃダメだよ」
 くだらない会話も、次の四月からは気軽にできなくなると思うと感慨深い。
「麻巳子さんは……」
 僕も酔ってたし、なんだか卒業をひかえた夜というシチェーションにセンチメンタルになってしまっていたのかもしれない。僕は言葉軽く、今まで疑問に思っていたことを聞いてしまっていた。
「麻巳子さんこそ驚いたよ。学部の成績とか、トップクラスなのに、実家に帰って翻訳やりながら在宅で仕事するなんて。麻巳子さんなら、東京でどうにでも就職できたんじゃない?」
「それは君、ひとそれぞれだよ、ムラッチ」
 麻巳子さんが何か言いかけた所で、後部座席の小山田くんが声を上げた。
「前原先生が、言ってた……」
 半分酔いつぶれ状態の小山田くん。ちょっと、酔い泣きしてる?
「教師を続けてきたけれど、本当は自分はくだらない人間なんだって。本当に尊敬できる友人は、学生運動の時に死んでしまったんだって。それでものうのうと生きながらえてる自分は一体なんだろうなって。あくせくと働き、日常に追われ、せいぜい子供に夢を託して死んでいく、そんな人生になんの意味があるんだろうかなって……。ボカァですね。なんか、それを聞いて猛烈に悲しいんですよ」
 ウインカーのチカチカとした点滅音がこだまする。麻巳子さんが車線を真ん中に変更した。
「それでも生きるんだよ小山田!」
 麻巳子さんがアクセルをふかす。
「何?私もちょっち病んじゃってるせいで就職無理だったよ。心のビョーキ。何がどう苦しいとかは言わない。言うと自分で悲しくなってくるから。それでも私負けない。実家戻って翻訳やりながらでも、絶対に前に進んでみせる。 シンディも本当は東京就職組だったけどお母さんの介護の関係で地元就職にチェンジしたんだよ、それでもきっとシンディも頑張って生きていく。ムラッチだって、きっと色々悩んでるのさ、それでも、皆生きていく」
 気が付けば雪が降り出していて、ウインドウの視界が少々悪くなっている。
「でも麻巳子さん」
 僕はずっと尊敬していた麻巳子さんから卒業する前に言葉が欲しくて吐露した。
「僕も少し不安なんだ。なんだかこれから自分が進もうとしている道は、険しくて、それでいてしるべも無いようでさ」
 すると麻巳子さんはあっけらかんと言ってのけた。
「そんなのあたり前なんじゃん? 痛くて、辛くて、迷って、皆そりゃ大変だよ。だけどそれでも、平坦な道じゃつまらなくない? 私思ってた。この学園線。まっすぐ過ぎてなんの障害もなくてつまらないって。今は、雪が降り出してワクワクしてる。どんなに窓が曇っても、私、エイってワイパーかけちゃうつもりだもん」
「麻巳子さんは強いなぁ」
 僕は率直な感想を述べた。
「そう?だけど、勇気はシロクマとキューピーとビール缶から貰ってる」
 そう言って麻巳子さんはトレードマークの長い前髪をかきあげた。
 その下から現れた麻巳子さんの両の瞳が、予想外に夜の暗闇に褪せてしまわないほどの凛とした黒色を称えたものだったので、僕は再び酔いつぶれてしまった小山田くんの大学生にしてはちょっと出てるお腹をボンと手で叩いた。
「大丈夫っぽいよ?小山田くん?」
 ポヨポヨとうなる小山田くんのお腹を眺めながら、なんだか僕は、藪の前に立ちつくした時に最も欲しかったものが、このお腹の中に入ってるような錯覚をおかした。
 麻巳子さんカーが漆黒の闇を切り裂いていく。雪で視界が悪くなる窓に向かって、麻巳子さんがヤアッとワイパーのボタンを押した。
「メリー苦しみます!」
 そう叫びながらテンションを上げる麻巳子さんを横目に、何故だか僕は、これなら僕も歩いていける、そんなことを考えていた。
    <完>
      2005.12.24 presented by Yuji Aiba.






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