†† 夢 守 教 会 ††  第一話「少女のケニング」2/(3)

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「学校では教えてくれない、新聞にも載っていない、この国の、いや、世界中の大人が教えてくれない、けれど我々だけが皆さんに教えてあげられる、そんな、『本当の話』を今日は皆さんにしたいと思います」
 そう切り出して、青年は話を始めた。服装は落ち着いたグレーのスーツを着ているが、右の耳に三つ、左の耳に二つのシルバーのピアスをつけている。以後、私はこの青年を「ピアスの青年」という呼称で認識することに決めた。
 場所は西公園と呼ばれる市街地に位置する中規模の公園の一角。その中にある小規模の野外ホールに、私は今、傍らに島谷を携えて青年の話を拝聴しようという所だ。青年は勿論ブレイン教会の講演者。回りにはそう、目算で七十人以上百人未満の人間が集まっているだろうか。たいそうな盛況ぶりだ。やはり事前調査通り若い人間が多い。
「まずは皆さんに聞いてみましょうか、そこの、赤い帽子を被っているあなた」
 ピアスの青年は、手前に座っている少年に声をかけた。声をかけられた少年は若く、私達と同じか、それよりも幼いくらいに見える。高校に入学したばかりか、あるいはまだ中学生なのか。
「まず最初のお伺いなんですが、あなたは、人が人を殺すことについてどう思いますか?」
「どうって……」
 文脈が無いために唐突と思われるピアスの青年の問いに、赤帽子の少年は戸惑いを見せる。
「いけないことだと、思います」
 幼さが残る少年は、少年なりに思考を巡らせた上に出てきたであろう至極一般的なつぶやきを漏らした。
「そう、いけないことですね」
 ピアスの青年は落ち着き払った態度で答える。何か妙だ。何なのだろう。この青年の中ではこの講演で話す説話の俯瞰図が既に完成品として存在し、それをただ無機的に披露しているだけなのではないだろうか。
「そう、いけないことなのです。でも、いけないことなのに、ここ最近の世の中の、社会の動きに思いを馳せると、一向に人は人を殺しているし、人は人を犯しているし、人は人を蹂躙しています。先日も、話題になった殺人事件がありましたね。十五歳の少年だったでしょうか、そう、今日ここに集まって頂いている皆さんの中にも同年代、あるいは年が近いという方がいるんじゃないでしょうか。父親を野球用のバットで殴打した上で携帯していたサバイバルナイフで刺して殺害したというニュースが報道されていました」
 一区切りつけて、ピアスの青年は再び問いを発した。
「さて、ここで問題です。果たして、そのニュースの少年はどうして父親を殺してしまったのでしょうか?」
 問いは、会合に集まった全員へ向けて発せられたものという印象を受けるが、さし当たっては引き続きさきほどの赤帽子の少年に答えを求めているらしい。赤帽子の少年は、さきほど以上に困惑の表情を見せる。
「わ、分かりません」
 その少年の答えを、ピアスの青年は何か暖かいものでも見るような柔和な視線で包容する。
「それは、正しい答えではないけれど、偽りを正当化するほどには下劣でない、上質な答えです」
 そう、ピアスの青年は前置きする。
「何故殺したのか? この問いに対して、あなた達が耳にするニュースはきっとこう説明しているでしょう。『少年は父親が日ごろから態度が冷たく家庭内で陰湿な嫌がらせをすることから殺意を持ち殺した』とね。でも、これ、本当に説明になっているんでしょうかね? お隣のあなた、あなたは『態度が冷たかったから』とか、『嫌がらせをされたから』とか、そんな理由で、人を殺しますか?」
 ピアスの青年は今度は赤帽子の少年の隣に座っているワンピースの少女に向かって尋ねる。
 少女は、首を横に振る。
「そうですね。そんなことで人は人を殺さない。つまり、ニュースで説明されているような説明は、およそ人一般に当てはまる真実の説明ではないんです」
 上手いなと、私はそう思い、菖蒲さんから聞いた話術の話を思い出した。人を惹きつける優れた話術とは、まずは聞き手の心の中にある一般概念を破壊することらしい。心の中にある一般概念を破壊された後、それに変わるような魅力的な概念が提示されるとすれば、まずほとんどの人はその新しい概念にハマる。そう菖蒲さんは言っていた。菖蒲さんの話が本当なら、ピアスの青年は次に、およそ魅力的な人を殺す理由の代案を提示するはずだ。
「ニュースで語られているような一般的説明は、人が人を殺す理由について何ものをも説明しない。だとすれば、人が人を殺す本当の理由とは何なのか、これから、私はそれをあなた達にお教えしようと思います。それは――」
 予想通りだな、と私は思う。だけど、実際にコレは人を惹きつける問いかけ方じゃないだろうか。人が人を殺す理由。この青年はどんな言葉でもってそれを説明しようというのだろうか。

「それは――人が、自分を『本当の自分』だと誤認しているからです」

 その言葉を聞いた時、私は軽く身構えた。何か冷たい冷気が首筋を撫でたような感覚を覚える。この青年は、これから危険な話をしようとしているのではないか。そう思った。ありていに言えば洗脳といった類のものを。これは、煙に巻かれてはいけないな。私の直感がそう告げる。私は拳を握りしめる。
「そんなことをする子には見えなかったのに……これが、重犯罪を犯した少年に対して、少年に近しい人が漏らす言葉の雛形です。この定型句がね、実にある種の真実を示唆しています。すなわち、普段の少年と、義父を刺した少年は結びつかない。あたかも別人のように。これはいかがなことでしょう? フフ、でもね、それはそうでしょう。何故なら、その時、少年は『本当の自分』ではなかったのだから」
 ピアスの青年の言術が加速する。
「一体どれほど多くの人々が、『本当の自分』を誤認して生きているのでしょうか。義父を殺した少年もね、日常の自分も、義父を殺した時の自分も『本当の自分』だと思っていた。しかしね、それはやはり誤認だったのです。普段の自分も、人を殺した時の自分も、実際は偽物の自分だった。偽物ですからね、それは人を殺すかもしれないし、人を犯すかもしれない。ここにいる皆さんの中に、自分が『本当の自分』であることを証明できる人が何人いますか? 一週間前の自分と一週間後の自分、あるいは一分前の自分と一分後の自分、両者が、紛れもなく同じ『本当の自分』だと証明できる人はいますか? 実際の所、それを証明できる人はいないんじゃないでしょうか。
 何をそんな馬鹿な、私は私だ。一分前も、一分後も私には変わりない、そう思うでしょうか。しかしね、フフ、その思いこそが、実は誤認された自分が作り上げているかもしれないのです。何故なら『自分』とは何処にあるのか? この問いに対して、『心の中に』と、心臓が位置する左胸を押さえる人は今の時代にはもういないでしょう。そう、皆さんすでにご存じのように、『自分』という意識はここ、頭の中の、脳の中にあるのです。でもね、ここまでが皆さんの見ているニュースでも教えてくれる一般的な知識ですが……、『自分』は脳の中にある。ならばこの脳が物理的に存在する以上、ここにいる『自分』は、一分前だろうが、一分後だろうが、『本当の自分』であるはずだ。多くの人がそう思っています。しかしながらですね、実は、それが誤認なのです。実際には、物理的に存在する脳の何処に『本当の自分』があるのか、未だ誰にも分かっていないのです。真実を教えましょう。脳とは分散的なものなのです。脳とは、実に多数の部分の集合でしかないのです。ある部分は視覚を司り、またある部分は嗅覚を司る。またある部分は触覚を、言語を……そのように部分部分の領野がそれぞれ別の機能を司っている。さあ、ここで問題です。果たして今、あなた方がここにいる『自分』だと思っている『自分』は、脳のどの部分が司っているのでしょうか? 記憶、認識・学習などの機能を担う大脳皮質連合野でしょうか? 運動系の中枢である大脳基底核でしょうか? 感覚を担う大脳辺縁系でしょうか? いいえ、フフ、実はどこにも『自分』を司っている部分など無いのです。それとも、物理的な脳の部分ではなく、脳の中にある神経細胞、ニューロンのネットワークを流れる電気信号の方にこそ『自分』は存在していると考えることもできるかもしれない、そう思う人もいるでしょうか。しかしね、電気信号が『自分』とはこれ如何なることなのか、いよいよ持って一分前に生じた電気信号と、一分後に生じる電気信号は同じものなのか? いかがですか? こうして考えてみると、今あなたが『自分』だと思っている『自分』が、『本当の自分』である確証などいよいよ無いことが、段々と分かってきたでしょう?」
 ここまで聞いた時、隣に座っていた島谷がそっと席を立った。
 島谷は無言のまま野外ホールの外へと歩いてゆくのだけれど、熱が入ったピアスの青年は特に気にとめる様子もない。
 私はピアスの青年の顔と島谷の背中とを交互に見比べる。
「実にぃ――多くの人々がぁ――脳の知識ぉ備えぬままにィ――自分というものぉ――誤認しています――」
 ピアスの青年の弁舌は加速しているが……。
――私も、もう十分か。
 続いて私も席を立つ。
 そのまま島谷を追いかける。
「しかしィ我々はぁ――我々だけがぁ――本当の自分というものの存在をぉ――突き止めたのですっ――」
 ホールの出口に差し掛かった時、ピアスの青年の話が核心を迎えたようだった。
――聞いてから帰るべきだろうか?
 しかし私は思い直す。
 いや、なんだか私はあの青年が気にくわない。
――それに。
 多分、後で菖蒲さんに聞けば十分な程度の話だろう。
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