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夢 守 教 会
†† 第一話「少女のケニング」4/(4)
◇
「菖蒲さん!」
全力で菖蒲さんがいる旧体育館脇のプレハブ小屋へと走りついた僕は、とても整然とは言えない口調で今自分が目撃したこと、今まさに起こりつつあるであろうことを息を切らしながら早口で説明した。
菖蒲さんは始めの方こそ僕の様子に驚いたようだが、すぐに事態を理解すると、僕の話の途中から既に立ち上げてあったメインPCのキーをカタカタと叩き始めた。
「そのブチ撒けられていたカバンの中身に、理子のPHSはあった?」
「いや」
「よし、イケる。PHSは理子がジャンパーのポケットか何かに携帯していると考えられる。詳細は省くけどね、電源さえ入っていればこのPCでそのPHSの位置を特定できるんだ」
タッチタイピングと形容するのもはばかれるようなものスゴいスピードで何かを打ち込むと、菖蒲さんは一つの画面を眼前のモニターに導き出した。
「北西へ三キロの廃マンション。今、理子はそこにいる」
僕はその言葉を聞くやいなや、菖蒲さんの部屋のドアへ向けて駆け出す。
一瞬でも疾く、理子の元へたどり着く。
菖蒲さんに説明されるまでもない。状況証拠が、限りなくモトムラくん絡みの事件だということを指し示している。
けれども、そんな急く僕に向かって、菖蒲さんが後ろから僕を引き留めるように声をかける。
それがあまりに荘厳な響きを宿した口調だったもので、僕は思わず立ち止まる。丁度、この前立ち去り際に広津和郎の話を始めた時のような菖蒲さんの視線と意志を感じて、僕は振り向く。
菖蒲さんは、何か大事な言葉を僕にかけようとしている。
◇
「優希。確かに理子は陵辱されるかもしれない。そして君はそれを助けることができるかもしれない。だけど。陵辱されてしまった理子だとしても。陵辱されなかった理子だとしても。どちらだとしても。理子という人間は半年かそこらの内に。この世界から消えてしまうんだ。それでも。それでも君は行くの?」
拳を。僕は拳を握りしめる。
「理子がね、とてもステキなケニングを思いついたんです。この不可解な世界に投げ出された僕たちの『心』というものを、少しの不安定さと、未来への希望とを込めて、『夢』とケニングで表現しないかという、なんだか少女趣味なケニングを思いついたんです。
はじめは僕は、なんだかイイな位にしか思わなかったんだけれど、ブレイン教会の話を聞いて、菖蒲さんの話を聞いて、そして自分で『死ぬこと』について考えて、そうやって考えているうちに、なんだか、このケニングがとても愛しいものに思えてきたんです。
いずれ僕たちは死にます。それは、半年後に死ぬ理子も、いつまで生きられるか分からないけれど、もう数十年ほど猶予が与えられている僕にしても、同じ事何じゃないかと思います。全ては、朽ち果ててしまう。
ブレイン教会が『確かなもの』だなんて言っている『脳』にしたって、死とともに朽ちてただの物体になります。そう、全ては朽ちて、この世界から消えてしまう。
だけど、だけど僕は思ったんです。その朽ちていく『脳』は、『心』という名の『夢』を見ているんじゃないかって。
『夢』は、抱いたその人が死んでも、誰かが受け継ぐことが出来ます。『夢』は僕たちの『心』で、『心』は僕たちが見ている『夢』です。例え『死』とともに『脳』が朽ちても、『夢』は続いていきます。
そんなことを考えた時、ああ、理子が考えついたケニングは、なんてステキなんだって、僕は心から思ったんです。
そんなステキなケニングを紡ぎ出す理子の『夢』が、もし理子が陵辱されたとしたら傷つきます。僕は、理子が死んでしまうとしても、理子の身体が、理子の脳が、幾人の先人達がケニングで形容してきたようなただの『肉の着物』や『血に満たされた固まり』になってしまうとしても、彼女の、理子の『夢』だけは傷つけたくない。理子の夢(こころ)だけは守ってやりたいと思い始めているんです。菖蒲さんは世界で『もっとも確かなもの』を探せと言ったけれど、僕はそんなもの凄いものを探し当てられるほどにまだこの世界というものを知りません。けれど、これはまだ弱々しい確かさかもしれないけれど、この気持ちだけは、この気持ちだけは今、僕にとって『確かなもの』のように思えるんです」
僕の言葉を、真正面から両の瞳で捉え、僕の発した言語音声の一音一音を彼女の夢に刻み込んでくれたかのような菖蒲さんは、何者にも揺るがないような確かな存在感を持って両の足で立ちながらも、穏やかな視線のまま、僕の言葉にこう応えた。
「君は、自分で自分をそう決めるんだね?」
僕はうなずく。何か、僕の内側から、熱い、炎のような気持ちが怒号を揚げながら押し寄せてくるのが分かる。
「この想いを初めて抱いたのは三十分ほど前のことなんです。そして、三十分後の今も、僕は同じ気持ちでいる。そしてさらに三十分後の僕も、ずっとずっと先の僕も、同じ想いを抱き続けています。ああ、僕は何を惑わされていたんだろう。理子の夢(こころ)を守りたい。この気持ちを持ち続けてる僕は、誰が何と言おうと、僕にとっての僕なんです」
菖蒲さんは微かな微笑みを返すと僕に向かって何かのキーを投げてよこした。
「表に私のZZR400があるよ。二百キロは堅い。君なら使えるだろう? 島谷優希くん?」
「ありがとう」
再び駆けだしたとき、僕はさっきまで傍らにいて僕を苦しめていたハズのもう一人の僕が消えていることに気がついた。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。
一年とちょっとぶりだろうか。今は、闘いの時だ。
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