のぞみ×うらら【キズナノカタチ】 窓から夕日が差し込む教室に一人。 放課後の部活動もあらかた終わろうという時刻だ。日中、小鳥たちがさえずるような声でこの教室を賑わせていたクラスメイト達も、今頃は帰路についている頃だろう。 静まりかえった教室の中、うららは次のお仕事で口にすることになる台詞を一人発声する。 「この苦しみに耐えるような力を貸してくれる人はどこにもないのね、お母さまもお父さまもいらっしゃらないし、神さまだって遠いところにいらっしゃるみたいで、私にはお姿も見えないわ！」 シンとしていた教室に、うららの一人稽古の声が響き渡る。 次のお仕事は小さな舞台での演劇で、演目は「若草物語」だ。うららに割り当てられたキャストは、光栄なことに主人公のジョー。明朗でバイタリティー溢れる少女小説史に残る名ヒロインだ。 「ここの台詞だけは、上手く言えるんだけどなぁ」 ハァ、とうららは溜息をつく。 主役に抜擢されたのはとても嬉しいことだったのだけれど、今、気持ちが沈んでいるのは、その後の練習を通して演出さんのうららへの評価が低いからだ。 ――笑顔の演技がわざとらしい。 それが、演出さんからもっとも多く受ける注意だ。ジョーはそんな風には笑わない、とのことらしい。あまりにも沢山注意を受けるので、こうしてできるだけ一人の時間を作って自主練習をしている。笑顔の演技が苦手だなんて、女優としてそれはどうなのだろうと自分で思う。スマイル、スマイル。うーん、自分では笑えてるつもりなんだけれど。 一方で、今演じていた場面は、作中でジョーが珍しく弱さを見せる場面だ。落ち込んでる演技の方が得意だなんて、我ながらこんなんで女優志望としてやっていけるのかと気分が暗くなる。自分が女優を志したのは、沢山の人に笑顔になってもらうためなのに、これでは、かえって見に来てくれた人を落ち込ませてしまうんじゃないだろうか。 ハァ、と再び溜息をついてぐるりと夕暮れ時の教室を見渡す。 昼間とあまり変わらないな、それがうららの感想だった。日中の少女達の喧騒に包まれている教室でも、今、この夕暮れ時の静けさに包まれている教室でも、うららが一人なことに変わりはなかった。 一人で頑張るんだって自分に言い聞かせて、小さい時からずっとそうやって女優を目指してきて、だけどのぞみさんと出会って、りんさんと、こまちさんと、かれんさんと出会って……。 いつの間にかうららは一人じゃなくなっていたけれど、それでもまだ同学年のクラスメイト達には馴染めていなかった。 ハァ、と三度目の溜息をつく。 ――のぞみさんに会いたいな。 なんだか、うららは無性にそう思った。 ◇ 翌朝、サンクルミエール学園の登校風景の中にのぞみさんを見つけたうららは、破顔して歩み寄ろうと歩を進めかけた。 だけど、自然と浮かんだ笑顔は次の瞬間その明るさを無くし、うららはその場に立ち止まる。 （りんさんだ……） のぞみさんの傍らに、のぞみさんと楽しそうに笑い合っているりんさんの姿があった。 そういえば、のぞみさんとりんさんは同じバスで登校していると聞く。それ以前に二人はずーっと小さい頃からの幼馴染みで、今でも大の仲良しの親友同士。同じ学年で同じクラスということもあって、学園の中でも、ふたりが一緒にいる時間はうららとのぞみさんが一緒にいる時間よりもずっとずっと多い。 そんなのぞみさんとりんさんが一緒にいるという事実は当たり前のことなのだけれど、ここ一週間あまりの間、うららが放課後の教室に残って一人で舞台の稽古をしている一方で、のぞみさんとりんさんは一緒の時間を沢山持っているというのが、なんだかうららには不公平に感じられた。 （のぞみさん……） 出かかった声を押し殺して、この日の朝は結局のぞみさんに声をかけるのをやめた。のぞみさんの横にりんさんがいたというだけなのに、我ながらおかしなことだと思った。 ――昨日からとっても会いたかったのに。 結局、一時間目の授業がはじまって、いつもと同じ同学年のクラスメイト達に囲まれながら、一人教科書を広げた時に、声をかけなかったことを後悔した。 ◇ 前日の後悔を反省して、今日はうららは制服の内ポケットに切り札（カード）を用意してきた。きちんとした理由があれば、色々とバカなことを考えないで、自然とのぞみさんとお話ができるはずだ。基本的に、うららはのぞみさんとお話したいことが沢山沢山あるのだから。 お昼休み。のぞみさんを探して学園内を歩き回ったのだけれど、こういう時に限って見つからないものだった。昨日の朝みたいに、普段は至る所で会えるのに。 ちなみに、お昼休みは５人そろってオタカさんの所で昼食を食べることが多いのだけれど、かれんさんが生徒会のお仕事で、こまちさんがちょうど図書委員のカウンター当番で、りんさんは大会が近いとかでフットサル同好会の人達との方の集まりに顔を出さないといけないということで、ここ数日は皆そろってのお昼のランチタイムは休止になっている。しかしそうなると、残るのぞみさんは何をして昼休みを過ごしているのかということになる。 （のぞみさんは暇なはずなんだけどなぁ） 「うららさん」 渡り廊下の所で、背後から声をかけられる。振り向くと、そこには図書館にいると思っていたこまちさんの姿があった。 「こまちさん。今日は、図書委員のお仕事じゃないんですか？」 「今日は別な人が担当の日なの。担当週といっても、一週間ずーっと一人でカウンターに座ってるわけではないのよ」 ニコニコと、いつもと変わらない穏やかな表情でこまちさんが説明してくれる。 「うららさんはお一人？」 「え、いや、はぁ。実はのぞみさんを探してるんですが……」 何故かドギマギとして、こまちさんはこれからかれんさんの所に行くのかな？ などということを考えてしまった。 「のぞみさん？ どうかしら？ 昨日は、図書館に本を借りに来ていたのだけれど」 こまちさんが顎に人差し指をあてて思案するような仕草をみせる。どうやら、のぞみさんの居場所について心当たりを思いだしてくれているらしい。うららはと言えば、のぞみさんも図書館で本を借りたりするんだ、なんてちょっと失礼なことを考えたりしてしまっていた。 「図書館ですね。分かりました、行ってみます。あ、そんなに急な用事じゃないので、大丈夫です！」 言い残して、図書館に向かってみる。のぞみさんに、会えるといいなぁ。うららは、ギュっと小さく拳を握りしめた。 ◇ 「のぞみさん！ 今度の日曜日、私と一緒に映画に行きませんか！」 結局、のぞみさんには図書館の入り口付近で会うことができた。昼休みも終わろうという時間だったので、勢いで単刀直入に用件を述べた。そう、胸のポケットにしまっていたものは、映画のチケットでなのである。 「私、やっぱり上手い人の演技は勉強になるんで、沢山映画を観るんです。だけど、その、一人で観に行くのもなんなので……」 「いいよー」 何故だか言い訳がましく映画に誘う理由を並べ立ててしまったのだけれど、のぞみさんはあっさりとＯＫしてくれた。 自然と頬の筋肉がゆるむ。 「あ、だったら皆も誘おうよー。皆で、映画、いいねー。こまちさんも、かれんさんも、あと……」 ゆるんだ頬の筋肉が再び固くなる。あの、のぞみさん、そういうことじゃなくて……。 「それと、りんちゃんも！」 「りんさんはいいんです！」 思わず強い調子で言い返してしまう。まずい、なんだかこれだと自分がりんさんを嫌ってるみたいだ。だけど、いきなりのぞみさんを映画に誘えたのも、昼休みが終わるからとかそういう時間的なことよりも、たまたま今はのぞみさんが一人で近くにりんさんがいなかったせいなのかもなんて考えが頭を過ぎる。 「うららー？」 うつむいてしまったうららの顔を、きょとんとした表情でのぞき込んでくるのぞみさん。まずい、何か、言わないと。 「あ、あの、りんさんも……というかこまちさんもかれんさんも、ちょっとマズいんです。映画のチケット、事務所経由から貰ったもので２枚しかなくて。他の３人だけ自腹というのはちょっとおかしいかな……って」 思わず、そんなでっち上げを語ってしまう。ああ、なんだか罪悪感が。 「うーん、そうかー」 うららの作り話を真に受けて、何やら腕を組んで真剣に考えているような素振りを見せるのぞみさん。 だけど、やがてパっと表情を明るくして、いつもの「けってーい」のノリで、のぞみさんはこう言ってくれた。 「分かった！ じゃあたまには二人で行くのもいいかー。今回は、こまちさんにもかれんさんにもりんちゃんにもナイショの、うららと私だけの秘密ってことで！」 それは、うららが待ち望んでいたのぞみさんの返事だった。その返事を聞けた嬉しさの前に、微かに感じていた罪悪感も、不謹慎ながら吹き飛んでしまった。 日曜日は、のぞみさんとデートだ！ ◇ 日曜日当日は、公園で待ち合わせして、二人でアイスクリームなどを食べながらちょっとばかり、それこそデートのように歓談の時を過ごして、それから映画館に向かった。のぞみさんはＴシャルの上に薄いブルーのパーカーをはおって、下はフリルミニという格好で、特にオシャレを決め込んで来たという感じではなかったけれど、自然な感じがのぞみさんらしいと思ったし、何よりどんな格好にしろ私服姿ののぞみさんと二人きりというのがうららには嬉しかった。 今日、観る映画は、とある巨匠の娘さんが映画監督をやっている話題作で、歴史上のマリー・アントワネットの物語を新解釈して再構築したものだ。 のぞみさんにはちょっと難しいかな？ なんて失礼なことを考えてしまったりもしたけれど、そこは単純に自分の嗜好として、脚本家、女優業、写真家、デザイナーと手広い分野で一流として尊敬されているその女監督さんの新作を是非とも観てみたかったので、うららの判断で選ばせてもらった。のぞみさんにも軽く内容だけは話ておいたのだけど、のぞみさんの方も特に異論はないらしかった。今ひとつのぞみさんの嗜好がうららには分からないのだけれど、こういうクラシックな乙女にとっての夢空間的な映画も、普通に観ることは観るらしい。 そうして、のぞみさんとうららは、映画館という非日常にトリップしていった。 少々混み合った映画館の入り口付近で、どさくさにまぎれてのぞみさんの手を握ってしまったのは、うららだけの秘密として、胸の中に大事にしまっておくことにした。 ◇ 「映画、面白かったねー」 夕暮れ時の高台で、映画の感想を述べ合う。のぞみさんは、映画の途中で眠ってしまったなんてオチは特になく、最後まで楽しんで観てくれたようだ。 「私は、面白いというより、凄いと思いました……」 自分でもよく分からないけれど、話す態度が暗くなってしまっているのをうららは自分で感じていた。 これは、のぞみさんとの楽しい時間の中にいた自分というよりも、女優としての自分の感想だ。 「なんだか凄すぎて。あの映画を撮った監督さんは、一人でデザイナーも女優も何でもできちゃう本当に凄い人なんです。なのに、撮った映画もやっぱりあんなに凄くて。それに比べて私は何やってるんだろうな、なんて……」 「あはは、うららも凄いよ。一生懸命自分の夢に向かって頑張ってるもん。私には見える。見えるよ、今度はうららがマリー・アントワネットを演じて、世界中のお客さん達を笑顔にしている姿が」 見える、見える。そう言って目をつむって夕日に向かって顔をあげるのぞみさん。そこには、本当に未来のうららの華やかな姿が映っているかのようだ。 風が吹いて前髪が乱れたので、かきあげる。そして、何とは無しにうららは口にした。 「のぞみさん、私の演技、見てくれませんか？ のぞみさんにだけ、見て欲しいんです」 「うん」 のぞみさんが、同じように前髪をかきあげながら頷いてくれる。 「うららがうんとうんと有名になる前に、私にだけ見せてくれる演技、大事に見るよ」 一呼吸おいて、女優の自分になる。そして、例の台詞をゆっくりと紡ぎはじめる。結局、自分が一番自信をもって演じられる場面は、ジョーのこの場面なのだから。 「この苦しみに耐えるような力を貸してくれる人はどこにもないのね、お母さまもお父さまもいらっしゃらないし、神さまだって遠いところにいらっしゃるみたいで、私にはお姿も見えないわ！」 ジョーに同調して、悲観的な気分に落ちる。ベスを失うかもしれない。そんな過酷なジョーの心境には及ばないとは思うけど、あるいは、女優という夢の話も、大好きなのぞみさんのことも、沢山苦しんだ果てに、誰が助けてくれるという問題ではないかもしれないわけで……。 どうだろう。のぞみさんは、今の自分の演技をどう評価してくれるだろう。舞台練習の演出さんのように、悲観的なこの演技だけは上手いと褒めてくれるだろうか。 そんなことを考えた時、のぞみさんが、うららの台詞を受けとるようにして、こんな言葉を続けた。 「僕がいる、僕につかまりたまえ、ジョー」 そう言って、のぞみさんがうららに向かって手をさしのべる。 うららが演じた悲観にくれるジョーの台詞に続く、そんなジョーを励ますローリーの台詞だ。どうして、のぞみさんが？ いや、もちろん「若草物語」自体は有名なお話だけど、こんなピンポイントな台詞を暗記しているなんて、普通に考えてあり得ない。 「どうして……？」 思わず差し出された手を取りながらも、うららは困惑の表情を浮かべた。 だけどのぞみさんは、そんなうららの困惑も、舞台練習が上手く行かなくて鬱屈としていたうららの気持ちも、そもそもの女優業に対する夢の不安も、全部飲み込んでくれるような笑顔で……。 「あはは。最近みんな忙しそうだったけど、うららは何をしてるのかなって気になって、放課後にうららの教室に行ってみたんだよ。そしたら、一人で稽古してたでしょ？ あんまり熱心だったから声かけづらくてさー。でもでも、こっそり見てたら、うららがあんまりにも同じ台詞だけくり返すから、そこだけ覚えちゃった。なんだか気になってこまちさんの前でその台詞言ってみたら、それは『若草物語』だってこまちさんが。さすがこまちさんだよねー」 あ、とうららは得心する。じゃあ、こまちさんが言ってたのぞみさんが図書館から借りてた本って。 「そう、『若草物語』。まだ最初のヤツしか読んでないけど、アレかな？ アレかな？ ジョーはローリーと結婚するのかな？ だったら、私がローリーでうららがジョーじゃ、女の子同士で結婚できないねー」 ――のぞみさん。 瞳から、少しづつ涙が零れているのに気付く。 「私、なかなか笑顔の演技が上手くできなくて、それで……」 のぞみさんの胸に、そっと額を預ける。そんなうららの頭を、幼児にするようにヨシヨシとのぞみさんはなでてくれる。 「うららは笑った顔もステキだよ。別に演技しなくても、いつものうららの笑顔でいいんじゃないかなぁ。そりゃ、ローリーも惚れるよ、っていうような笑顔でさ」 ――のぞみさん。ジョーとローリーは結婚しないんです。だけど、二人が深い絆で結ばれていることに変わりはないんです。 そんなことを考えながら、今だけは、と、お母さんに甘えるみたいにのぞみさんの胸に顔を埋めた。 うららはジョーとローリーの結末を知っている。だけどのぞみさんはまだ知らない。そのことが、なんだかうららには嬉しかった。 たぶん、ジョーとローリーの物語にはもう結末があるけれど、うららとのぞみさんの物語はまだ途中で、これから続きが書かれていくのだと、その事実が嬉しかったのだと思う。 そこで、それまでうららを支配していた迷いや不安が、すーっと引いていくのを感じた。その後からは、内側から怒号のような強い気持ちが沸き上がってきた。 のぞみさんは私をちゃんと見ていてくれたから、明日の演技はちゃんと笑ってみようなんてうららは思う。何故なら、のぞみさんがステキだと言ってくれた笑顔なのだから。 「のぞみさん、ありがとうございます。私、もう大丈夫です」 そういって顔をあげたうららが大好きなのぞみさんに見せた笑顔は、どんなにエラい演出さんでも、ちょっとダメ出しを出せそうにない、そんな、とびっきりの笑顔だった。 [キズナノカタチ]＜完＞ 2007.9.2 presented by Yuji Aiba. ＜感想頂けると嬉しいですm(_ _)m＞ →WEB拍手で感想を送ってみる →メールフォームで感想を送ってみる |
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