†† 夢 守 教 会 ††  第三話「輝きの先」1/(1)

 中学時代の終わりの頃、リューシと一緒に雪を見た。
 たわいもない恋愛話や、学業という作られたレールの上を進むためだけの研鑽。なんとなくみんな一緒であることが心地よいという同調化の圧力に流されているだけの交友関係。そういったものに価値を見いだせなかった私にとって、リューシは武道という共通の話題を通して同じ方向を見ていられる、共に高みを目指していける数少ない友人だった。恋愛感情こそなかったけれど、私にとって一番の理解者であり、尊敬できる他者でもある。リューシが私にとってそんな貴重な存在だったのは明らかだった。
「そうか、リューシも、祝詞(のりと)を決めたんだな」
「うん、理子ちゃんも、決めたんだね」
 弓道場の射場に二人並んで座りながら、所在なく降り続ける雪を見ていた。
 「祝詞」は弓村に伝わる弓術の極地、「映認」を行うために必要な鍵であり、一種の起動スイッチだ。私という存在を最も規定したその一綴りの言葉を心の中で発した時、私が身につけた「映認」は起動する。幼少の頃から弓村の弓術を学んだ私だったが、「祝詞」を持つことをお父様から許されたのはつい最近のことだった。これで、名実共に私が弓村の後継者になる。その事実は、幼い頃から弓村の弓術に特別な価値を置いてきた私にとっては、誇らしいことだった。
「雪って綺麗だよね」
 不意にリューシが呟いた。
「? ああ、私は雪を見るのが好きだ」
「いやさ、理子ちゃんが映認の最中に視る雪景色っていうのは、僕が視ているそれより、もっと綺麗なのかな、なんて思ってさ」
「どうだろう。リューシの視点を私は持てないから、比べることってできないな」
「でも、綺麗なんだろう?」
「ああ、まあ、綺麗だ」
 ゴロンと、リューシが上半身を倒して、板張りの射場に寝ころんで空を見上げる。
「それは、羨ましいな」
 リューシが見上げる空を、私もそっと見上げる。パラパラと降り続ける雪で、視界が白色に覆われる。私とリューシという別々の個体が、たぶん、今だけ、同じ風景を見ている。
「でもな」
 どうしてこんなことを話す気になったのか、私はその頃の私を惹きつけていたある想念をリューシに向かって語り出した。
「先があるんだ」
「先?」
「ああ。映認で視た雪景色は、白銀の輝きだ。目映すぎて、観測している私自身の存在があやふやになってしまうほどの、圧倒的な白銀。この風景に辿り着けただけでも、私は弓村の弓術を継いで良かったと思ってる」
「うん」
「だけどな、その白銀の輝きの美しさを認識できてしまうからこそ、気付いてしまったんだ。まだ先があるって。その輝きの先に、まだ私が認識していない、先の風景があるって、分かってしまったんだ。細く、本当に細く煌めく、入口が見えるんだ。その先にある、白銀を超えた、「何か」。それを表す言葉が無いから伝えられないんだけど、そこはどこまでも、神々しくて、だけど温かくて……」
「待って」
 熱っぽく語り始めていた私を遮って、リューシが体を起こした。
「やめておいた方がいいよ、理子ちゃん」
「え?」
「たぶん、その『輝きの先』の世界を理子ちゃんは自分で視てみたいって話だと思うんだけど、なんだか、俺はそこまでは行っちゃいけない気がする。きっと、その場所は、神様の領域なんじゃないのかな? 限られた認識の檻の中に閉じ込められている俺たち人間が、手を出していい場所じゃない気がする」
 この想念を他人に話したのがそもそも初めてだったので、それに対する意見を貰ったのも初めてだった。そして、リューシは私にとって、その意見に耳を傾けるべき貴重な友人だった。
「そう、なのかな?」
「そうだよ。人間は、神様には、なれない」
 リューシが白銀の空ではなく、私のことを視ているのに気が付いた。
「分かった。参考にしておく」
 そのように私は理解を示したが、リューシは引き続き私を見つめ続けている。その視線が熱っぽい、というか随分と真剣だったので、私は少しばかりはぐらかした。
「なんだ。私のことが好きにでもなったか?」
「はは、俺はずーっと理子ちゃんのことは好きさ」
「お前は誰にでもそう言うし、エロいから、信じられん」
「あ、相変わらずヒドイ切り返しだな、理子ちゃんは」
 フン……。リューシと私が見つめ合うなんて、らしくないんだよ、と心の中で毒づく。勘違いしないで欲しいのは、リューシは私にとって大事な存在だからこそ、思春期の情動に振り回されるかのようなありふれた恋愛関係、そういうのは嫌だ。私はそう思っていたということだ。
 リューシが板張りの射場から大地に飛び降りる。
「ちょっと思っただけだよ」
「何を?」
「いや、こうやって自分の好きな人と、同じ風景を視たり、お互いを視たり、そういうのって、いいなってね」
「リューシ、今日は随分青臭いことを言うんだな」
「まあ聞いてよ、理子ちゃん。君が弓村の『映認』で理解したことがあるように、俺も甲剣の『破認(はにん)』で理解したことがある」
「うん」
「それはね、人は、誰からも認識されなかったら、寂しいってことなんだ。『破認』の最中の誰からも認識されない場所に辿り着いて、俺はそのことが分かった」
「お前……」
 大地に降り立ったリューシは私に背中を向けたまま、降り続ける雪に身をさらして、言葉通り寂しそうに語った。
「それを言い出したら……」
「そうだね。弓村の弓術が神様の視点を手に入れることを目的としているならば、甲剣の剣術は神様の視点から逃れることを目的としている。こんなことを言い出しては、ダメだ。
 でもさ……」
 リューシがゆっくりと振り向く。
「このまま行けば、君は認識しようとするし、俺は認識から逃れようとする。最強の矛と、最強の盾、そういう話になっちゃうよ」
「矛盾か」
「うん、矛盾は辛苦だ。理子ちゃん、君は、俺と戦いたいかい?」
「いいや、その……」
 少し言い淀んでしまったが、そんなことの答えは決まっている。
「私は、リューシ、お前とは、友だちでいたい」
 私もリューシにならって射場から大地に飛び降りる。
 リューシが歩み寄ってきて、そっと私に手を差し出す。
「だったら約束しないか? 君は神様の視点なんて持たないし、俺も神様の視点から逃げたりしないって。お互いがそう思っていれば、きっと俺たちは、ずっと友だちだよ」
 私は、そっと差し出された手を握り返した。返事は、言葉には出さない。
 そして、リューシも私の沈黙を攻めずに、ただ手を握り返して、こう言った。
「君が『輝きの先』って言葉で呼んだモノだけど、もっと簡単な言葉を俺は知っている。それは、『理想』って呼ばれる人の業(ごう)だよ」
 私もただ握る手に力を込めて、こう伝えた。
「だったら、お前が辿り着いた『誰からも認識されない場所』にいる人間を指す言葉を私も知ってるよ、それは……」

――『孤独』って言うんだ。
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