第2部 夢探偵  ― Dream detective ―

「夢探偵? …なんだ、そりゃ?」
 刹那は誇らしげに胸を張って解説した。
「夢に関わる一切の悩みごと、事件を解決するのが私の仕事よ。…悪夢払い、夢捜索、夢占い、…まあ夢のことならなんでもOK、夢問題のエキスパートっていったところかしら」
「夢問題の…エキスパート?」
 そう言って少しの間名刺を見つめた雅之は、急にプッと吹き出し、やがて大きくゲラゲラと笑いだした。刹那はムッとして言った。
「なによ、…ここは笑いをとる場面じゃないはずだけど」
「だってさ、…おかしいじゃないか。…これが夢だとしたら、君だって俺の夢の登場人物の1人にすぎないわけだろ。偉そうなことを言ったって、君はしょせん俺自身が作り出した幻なんじゃないか!」
 今まで空中を漂っていた刹那は、とん、とボートに舞い降り、雅之の顔を覗き込むように身を乗り出した。
「確かに、私はあなたの夢の登場人物よ。でも、あなただって私の(・・)夢の登場人物なんですからね!」

「え?…なんだよ、それ」
「つまり、私とあなたはまったくの同格なの。目を覚ませば別々の生活を持っている2人の人間が、今はたまたま夢の中の同じポイントにいる…まあ、そういうことよ」

「夢の中の…ポイント?」
 雅之は理解に苦しんで首を捻った。刹那は上体を寝かせ、船縁に身をあずけてから億劫そうに言った。
「説明すると長くなるけど、…聞きたい?」
「ああ」
「つまりね。こういう事。…夢っていうのは1人1人がばらばらに見るものじゃなくて、全部つながった――とてつもなく巨大なたった1つの存在なの」
「?」
「…その…、何て言ったらいいのかなあ。…ああ面倒臭い! 口でいうより、実際に見てもらったほうが早そうね」
 そう言い終わるなり、2人を乗せたボートはいきなりものすごい速度で上昇を始めた。一体どれくらいの高さまで上がったのか。震えながら向井千秋さんの気持ちを少し分かりかけた雅之は、今度は急停止の反動で外に飛び出しそうになって慌てた。
「下を見てごらんなさい。これが夢世界全体の姿よ」
 落ち着いた刹那の声に、恐る恐る下を覗いた雅之が目にしたものは、いまだかつて見たことのない広大極まりないパノラマであった。山あり、都市あり、荒涼とした砂漠あり…とにかくありとあらゆる物が不自然に入り組んだ風景が遥か彼方まで延々と続いている。雅之はどこに視点をおいていいか分からず、目を動かしているうちに軽いめまいを覚えた。刹那はうっとりと遠くを見ながら独り言のように呟いた。

「眠りに就いた人間の魂は必ずここにやってくる。…そして、朝になれば全てを忘れて、またそれぞれの生活に戻っていくの」
 雅之は首筋に冷たい物を感じながら言った。
「つまり、…世界中の人の見る夢が1つにつながっている、っていうことなのか?」
「そうよ。だから私たちはこうして夢の中で会っている。不思議なようだけど、考えてみればごく当然のことなのよね」
「…」
 そんなことがあり得るのだろうか。雅之は無言のまま刹那の顔を凝視した。しばらくの間、遠くの景色をぼんやりと眺めていた刹那は、はっと思い出したように膝を叩いて言った。
「しまった! 仕事の途中だったんだわ!! すっかり忘れてた!」
「仕事?」
「こう見えても私は『夢探偵』ですからね! けっこう忙しいのよ。ああ、どうしよう、夜明けまでもう時間がないじゃないの!」
 彼女は立ち上がり、空中にポン、と飛び出した。
「悪いけど、これで失礼するわ! …また、機会があったらどこかで会いましょう。それじゃ!」
 雅之が返事をする間もなかった。クルリと身を翻した刹那は、燕のように風を切って虚空に消えた。
「な、何だったんだ…」
 しばらくの間刹那の消えた空を見つめていた雅之は、ふと誰かに名前を呼ばれたような気がして振り向いた。何も聞こえず気のせいかと思い直したとき、その声ははっきりと彼の耳に飛び込んできた。
『タカ…』
「ま、…まさか!」
 彼が叫ぶと同時に、船体が真っ二つに割れた。凄まじい引力を全身で感じとった雅之は、急速にズームアップされていく下界の景色の中に、彼を手招きするかのように渦巻くオレンジ色の炎を見た。
『タカ…』
「うわあ〜っ!!」


 目の前に迫ったオレンジ色の光を払い除けると、ガタン、という音がして枕元のスタンドが倒れた。冷静に周囲を見回す。紛れもない、ここは自分の部屋だ。窓から優しい光が差し込み、雀たちが朝の訪れを告げている。ほっと息を吐いた雅之は、しばらくの間、ぼーっと宙空を眺めていた。それから思い出したように目覚まし時計を手にとった瞬間、――完璧に目が覚めた。
「なに!?」
 彼は自分の目を疑った。それからテレビのスイッチを入れ時報を見たが、表示はやはり7:22となっている。――なんてこった! 寝過ごした!! 雅之はベッドから跳ね起きた。
 カロリーメイトを啜りながらスーツに着替え、玄関を出てから腕時計に目をやると、すでに10分が経過していた。白い息を吐きながら駅まで走る。
 階段を一気に駆け降りる。

 地下鉄に乗り込んで乱れた息を整えながら、雅之は自分の体がやけに軽いことに気が付いた。肩を動かし、首を回してみたが、どこにも疲れが残っていない。だいいち、あの距離を走破したのに腿が全く痛まない。10時間ぐっすり眠ったことで、あれほどまでに衰えていた体力がすっかり回復してしまったのである。睡眠がこんなにも重要なものだったとは…。雅之は満員電車の片隅で一人感心して頷いた。
 ――それにしても、ずいぶん変わった夢を見たもんだ。
 ドアの細長いガラスに写る自分の姿を見ながら、彼は夕べの夢を反芻していた。しかし、起きてからまだ数十分しかたっていないにも係わらず、その記憶はすでに曖昧で頼りないものになっていた。炎の怪人に殺されそうになり、『夢探偵』と名乗る女に助けられ、最後にどういうわけだか高いところから落ちて目が覚めた…、そういう大筋については覚えているのだが、その細部、例えば『夢探偵』の名前や台詞、顔形といったものについては忘却の彼方へ消し飛んでしまっているのである。ふと、なにかとても大事なことを忘れているような気持ちにとり憑かれ、彼はもどかしい思いに苦悶した。だが、それが何であるか思い出せないうちに、電車は目的地に着いてしまった。
 会社のビルの前に立った雅之は、襟元を正して頭を仕事に向けて切り替えた。企画書の締切りは明日だ。今日中に目途を立てなくてはならない。
 アイディアを捻りながら会社の廊下を歩いていると、同期の杉本誠一を見掛けた。
「おはよう!」
「た、高野…、大丈夫なのか?」
 杉本は振り向くなり怪訝(けげん)な面持ちで言った。
「大丈夫って、…何が?」
「おまえ、昨日早退しただろう。…ここんとこ、体調悪そうだったしな」
 雅之は軽く笑った。
「ああ、確かに体調は悪かったけど、ま、峠を越えたってとこかな。…しっかし、『アイスマン』のお前に心配してもらえるとは、光栄だな」
「ふん、そんな皮肉が出てくるようなら本調子だよ」
 杉本は雅之の背中を叩いてエレベーターに消えた。その姿を見送りながら、雅之の頭に電撃のように閃いたものがあった。
「これだ!!」
 雅之は自分のデスクに走り、パソコンを開いた。データベースを起ち上げ、キーワードを選ぶと、建設業関係の知人のリストが画面に呼び出された。
「あ、もしもし…、私アトラス・プランニングの高野と申しますが、…営業の宮下さんをお願いできますか?」
 電話で何件かのアポを取り付け、メモを入力しているとき、課長が雅之の席にやってきた。
「こほん…」
「ん? あっ、課長! 昨日はどうもすいませんでした。お陰様ですっかり回復しまして…」
「うん。…高野君、ちょっと部長室に行ってもらえないか」
「え?、…はい」
 いやな予感を抱えながら、雅之は席を立った。大沢部長の顔を見るのは例の「居眠り信号無視事件」以来のことである。まだ怒っているのかもしれない。震える手でドアを開けると、窓際に立って外を眺める部長の後ろ姿が目に入った。
「高野君…」
「は、はい」
 部長は雅之に背中を向けたまま、一人ごとのように呟いた。
「私は今まで賭けに負けたことがないのが自慢でね」
 雅之は言葉の意味を計りかねて息を飲んだ。部長の声は穏やかだが、そのクールな低音には一種独特の凄味がある。顔が見えないのも不安だ。もっとも、この人の場合顔が見えても何を考えているのか分からないときがある。とりあえず、雅之は言葉を選んで当たり障りのない返答をした。
「それはよく存じ上げております。…麻雀でも部長はいつも一人勝ちなさるので、その秘訣をお伺いしたいと思っておりました」
「秘訣ね。…簡単なことさ。負ける賭けはしないこと。それに尽きる。私は今まで仕事でもゲームでもそうして勝ち抜いてきた」
「はあ…」
「ところで、船井産業の社長は私の高校の先輩でね。とても大事なお客様だ。イベントがある度にうちを使ってもらっているが、私も船井さんの仕事には特に力を入れて最高の出来栄えになるよう気を配っているつもりだ。それは知っているね」
「はい」
 船井産業とは今まさに雅之が取り組んでいる企画の依頼主(クライアント)だ。とうとう話が核心に触れられてきたか、と雅之は唾を飲んだ。大沢部長はゆっくりと振り向き、微笑みを湛えた目で雅之をとらえた。
「今回のイベントに若い君を起用したのも、君の能力を見込んでのことだ。社内には危険な賭けではないか、との反論もあったが、私はそうは思わなかった。君の今までの仕事ぶりを見ていて、確信があったのだ。君ならば、人並みはずれた大胆な発想と細やかな配慮で、必ずや最高の仕事を成し遂げてくれるとね。“ギャンブル王”の私が言うんだから、間違いない判断だと思うんだ」
 その時雅之は、部長がなぜ自分をここに呼んだのかを理解した。このところ、仕事で小さなミスが続いている自分のことを心配して激励しようとしてくれているのだ。雅之は自信を込めて答えた。
「部長、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。ここ数日、体調を崩しておりましたが、昨日十分な休養を採らせていただいて、すっかり回復いたしました」
「おお、そうか」
 部長は大きく頷いた。
「はい。…体調がさっぱりしたら頭も冴えて、さっそくいい考えが浮かんだところです。最後の懸案となっていたオープニングセレモニーの件なのですが」
「…うむ、出演者が舞台に上がる場面だな。特に派手な演出が必要な見せ場の1つだ。…で?」
 部長は関心を示して雅之に近付いた。
「はい、…そこで船を使ってはどうかと」
「船?」
「そう、空飛ぶ船です。出演者一同は船の形をしたゴンドラに乗って、客席の後方から頭上を越えてステージへ、…文字通り上陸するのです!」
「なるほど! 船井の“船”に掛けたわけだな。…しかし、安全性やコストの面ではどうなんだ?」
「戸田建設の技術を使えば両方ともクリアーできると思います。今日、先方とコンタクトを取る予定でいますので、いずれはっきりするでしょう」
「そうか…、船が空を飛ぶか。ははは、君らしいいいアイディアだ。この私までわくわくしてくるよ」
 大沢部長は雅之の肩に手を添えた。
「期待しているぞ。頑張ってくれたまえ」
「はい」


 夕方、雅之は地下鉄のホームを歩いていた。会う約束をした会社は全部回り、だいたいこちらの目論見どおりに事が運びそうだという目途がついたので、あとは社に帰って文章にまとめるだけである。
 仕事のほうはこれでなんとかなりそうだ。そう思って安心したとたん、雅之の脳裏に千春の顔が浮かんだ。誤解されたまま、彼女とは連絡が取れていない。こっちの問題のほうもなんとかしなくてはいけない。

 携帯を取り出し、千春にかけてみた。
「お掛けになった電話番号は――
 ――やはりだめだ。次に、勤め先の番号を押した。
「あいにく、川島は今日は出勤日ではありません。私で宜しければご用件を承りますが」
「あ、いえ、結構です。…あ、あのう、…川島さんの休日って、確か月・木でしたよね」
「今週からローテーションが変わったんです」
「えっ! …そうですか…」
 …
 溜め息を1つつき、グレーな気持ちでホームの壁に寄り掛かっていると、前を数人の女子高校生が通り過ぎて止まった。彼女らの会話を聞くとはなしに聞いていた雅之だったが、次の言葉を耳にしたとき、驚いて思わず身を乗り出していた。
「ねえねえ知ってる? 3組の佐々木さん、“夢探偵”に会ったんだって!」
 ――夢探偵? …まさか! 彼は耳を澄ました。
「チョ−信じらんな〜い!」
「まったあ、ガセとちゃうの? レミのときだって大嘘だったしぃ」
「でも、今度のはチョマジらしいんよ!」
「じかに聞いたん?」
「ううん。…ちゃうけど…」
「私は信じないよ。“夢探偵”なんて実在するわけないじゃん!」
 ポンポンと進んでいく話を聞きながら、雅之は身震いするような不思議な感覚にとらわれていた。夢と現実との交錯――。こんなことが実際にあり得るのだろうか。沸き上がってくる好奇心を押さえ切れず、彼は前に歩み出て少女らに声を掛けていた。
「ねえ、君たち!」
 少女らは別に驚くふうもなく、振り向いて雅之を見た。
「今の話、詳しく聞かせてもらえないかな」
「…何のこと?」
「“夢探偵”がどうとかって話してたじゃん」
 少女らは黙って顔を見合わせた。無理もない反応だ。突然現れた見ず知らずの男からこんな“怪しい”願いごとをされて警戒しないほうがおかしい。彼女らを納得させるため、雅之は咄嗟に考えついた嘘八百を並べた。
「あ、俺さ、…実はメディア関係の仕事してて、そういう謎めいた噂とかを集めてるんだよ。ぜひ聞かせてもらえないかな」
 素早く名刺を取り出し、全員に次々と手渡した。知名度ゼロの会社ってのは、こういうとき役に立つ。彼女らの表情がちょっと緩むのを見て、雅之は無邪気に両手を合わせた。
「お願い! ケーキおごるからさ」


 結局、2人の女の子を駅前の喫茶店に引っ張ってくることができた。2人は今、出てきたケーキにパクつきながら、あれやこれやと品定めをしている。話が一段落するのを待って、雅之は口を開いた。
「で、夢探偵のことなんだけど、知ってることを話してもらえないかな」
 紅茶をちょっと口に含んでから、1人が言った。
「夢探偵はね、3人いるの」
「3人?」
「そう。1人はハンサムなお坊さんでしょ。それから白い(あご)(ひげ)をのばした爺さんと――
「あと1人が黒い服のタカピーな女!」
「なに!?」
 雅之はつい大声を出してしまい、咳払いをしてから質問を続けた。
「それって、学校で噂になってるわけ?」
「うん。うちの高校で知らない人はいないよ。本当に会ったことある人だっているんだから」

「会ったって…夢の中で?」
「モチ。だって夢探偵には夢の中でしか会えないもん」
「どうやったら会えるのかな」
「夢探偵は12時に仕事の受け付けを始めるって話よ。みんな事務所を持ってて、イケメンの坊さんは金閣寺、髭の爺さんはアンコールワット、黒服の女はサグラダ・ファミリアで依頼人が来るのを待ってるから、夢の中でそこに行けばコンタクトが取れるはずなんだけど、…なかなか行けないんだって」
「サグラダ・ファミリアってスペインの聖家族教会のことだよね」
「ピンポ〜ン」
「夢探偵の仕事の内容ってどんな感じなんだろ」
「んーとォ、怖い夢を見ている人を助けたりィ、夢の中で迷子になっている人を案内したりィ…」
「あと、告白の手伝いとか」
「告白?」
「そう。夢探偵にお願いして片思いの相手に気持ちを伝えてもらうの。夢探偵って他人の夢の中に自由に入れるから、そういう事もできるわけ」
「へえ。…そりゃ便利だな」
 少し会話がとぎれたあと、少女の1人が目を爛々と輝かせて聞いてきた。
「ところでおにいさんって、テレビ関係の人? それとも出版社?」
「えっ? …いや、あの、それはね…」
 雅之の額に汗が流れた。その時、だれかが後ろから彼の名を呼んだ。
「高野!」
 振り向くと、なぜだかそこに杉本誠一が立っている。
「杉本! お、おまえ、なんでここに?」
 杉本はつかつかと雅之のとなりに来て腕を引っ張った。
「ちょっと来い!」
「お、おいおい!」
 とにかく雅之は、慌ててレジで支払いを済まし、杉本に連れられるままに店を出た。
「な、なんだよ、いきなり」
「おまえなあ。どういうつもりだよ。こっちが一日中足を棒にして営業に走り回ってるってときに、おまえはコギャル達とお茶会か?」
 杉本は冷たい視線で雅之を睨み付けている。雅之は笑いながら言った。
「や、やだなあ。ちょっとした情報収集だよ。仕事上あらゆる方向にアンテナを伸ばしておかないとな」
「うそつけ! あんなガキどもからどんな情報が掴めるってんだよ」
「おまえ、夢探偵って知ってるか?」
 雅之の口元から笑みが消えた。
「なんだ、そりゃ?」
 雅之は遠くを見つめながら、抑揚を失った低い声で呟いた。
「今、高校生の間でブームになってる噂だよ。口割け女、人面犬、走る二宮金次郎…、こういう類いの奇っ怪な噂はいつだって学校にはごろごろしている。確かな証拠など何1つない、口コミで広まった真偽不明の話ばかりだ。しかし、その全てを他愛のない作り話、単なる都市伝説として片付けていいものだろうか。そういう不確実な噂の中には、時として意外な真実が隠されていることだってあるのかも知れない」
 語気を強める雅之を、杉本はあきれかえった顔で見ている。

「おまえ、頭大丈夫か?」
 雅之はシリアスな顔を杉本に向けた。
「まあな。いたって健康だ」
 杉本は額を押さえ、首をゆっくりと横に振りながらぼやいた。
「おまえのような奴が社運を賭けた仕事を任されているのかと思うと頭痛がしてくるよ。…うちの会社もお先真っ暗だな」
 雅之は豪快に笑った。
「ははは。なあに、見通し明るいぞ! 今度の企画、成功間違いなしだ!」


 巨大な会場は数千人の招待客で埋め尽くされていた。夜空にひしめく星々の合間を原色のレーザー光線がゆっくりと動き回っている。
 雅之はステージの端に立ち、腕時計に目をやった。まもなく、ショーの始まる時刻だ。
 突然、レーザーの動きが変わり、全ての光がステージ上のスクリーンに集まった。テンポの早い音楽に合わせていくつかの幾何学模様を形作った後、光の束は「FUNAI FESTIVAL」のロゴマークを白壁に色鮮やかに浮かび上がらせた。同時に花火が上がる。観客の視線が空へと向かい、喚声が飛び交う。派手な光のショーが幕を閉じたとき、上空に向けられたサーチライトの白色光がなにか巨大な物体をとらえた。――船だ! どよめく人々の頭上を、巨大な船体はゆっくりとうねりながら移動していく。伝統ある船井産業の社史を物語る演出に、荘厳な音楽が華を添える。船乗りに扮した出演者一同がデッキから手を振る中、船はステージ上にゆっくりと降下していった。――全てが計画通りだ。雅之がほっと気を抜いたとき、突如船体が炎に包まれてステージに落下した!
 船の構造物は火の粉を撒き散らしながらバラバラに砕け飛んだ。悲鳴を上げて逃げ惑う人々。ステージに燃え広がった炎は、意志あるもののように観客に襲いかかっていく。祭りの会場は一瞬にして火炎地獄と化していた。『タカ…』
 ステージの隅にただ1人呆然と立ち尽くしていた雅之は、炎の海の中をゆっくりと歩く人型のシルエットを見た。
『タカ…』
 奴は観客には目もくれずに、真っすぐ雅之の方に進んで来る。
 雅之は、このとき初めて自分が夢の中にいることを認識した。生々しい悪夢の記憶が、重苦しい絶望感と共に蘇り、彼は恐怖心に促されるまま、非常口に向けて駆け出していた。
 火は街に広がった。
 細い路地を逃げ回る雅之を炎は執拗に追い詰めていく。
 ――また同じ繰り返しだ。なんとかならないのか!
 雅之の脳裏に、懐かしい神秘的な笑顔が浮かんだ。『夢探偵』! 夢探偵の“真木刹那”なら、なんとかしてくれるに違いない! だが、どうすれば彼女に会える? 連絡を取る方法は? ――そうだ! 名刺を受け取っていたはずだ。
 走りながら内ポケットを探ると、果たして名刺はあった。だが、表面に『夢探偵 真木刹那』と印刷されているだけで、その紙っぺらには住所も電話番号も記載されてはいなかった。――これじゃあ、何の役にも立たないじゃないか! 絶望に駆られたとき、熱風にあおられた名刺は手元を離れて宙に舞った。1回、2回、雅之の頭上で小さな弧を描いた後、名刺は自らが放った白い閃光の中に姿を消した。その光の粒を払い除けるようにして、白い小鳥が夜空に向けてはばたいたように見えたが、目の錯覚かもしれない。すぐにその姿は後方から押し寄せてきた煙と火の粉に隠されて見えなくなってしまった。
『タカ…』
 声がさっきよりも近くなっている。もう奴から逃れる手立てはないというのか… 
 足をふらつかせて走る雅之の正面に、白い小鳥が現れた。鳥は雅之の顔をじっと見ながら数秒間空中で静止(ホバリング)をした後、路地を何メートルか飛んでまた止まった。高い声で1回鳴き、クルリと身を翻した鳥はすぐ先の角を曲がって視界から消えたが、それら一連の動きを見て、雅之の胸は急激に高鳴った。――もしや、自分を案内してくれているのでは? 藁をも掴む思いで、彼は鳥の後を追った。
 雅之にスピードを合わせながら、白い鳥は幾度となく角を曲がった。そしてその度に、まわりの様子がどんどん変わっていくのが分かった。ごてごてとした木造の建物の集まりが石造りの西洋風の町並みに変わり、満天の星空が抜けるような昼間の青空に変わった。やがて広葉樹の生い茂る公園の向こうに巨大な4本の塔が姿を見せたとき、雅之は興奮のあまり叫び声をあげていた。
聖家族教会(サグラダファミリア)!! ははは、やったぞ!」
 木々の間をすり抜け、鳥は眼前に迫った教会へ真っすぐに飛んでいき、正面に彫られた角張ったキリスト像の頭に留まった。その後を追って建物の前に立った雅之は、大きな期待を胸に玄関の扉を叩いた。だが、何の応答もない。どこにも人の気配はなく、固く閉ざされた扉は押しても引いてもびくともしない。焦っていると、頭上から弱々しい男の声が聞こえてきた。
『いらっしゃいませ。ご用件をどうぞ。』
「えっ!?」
 見上げたが、どこにも人の姿は見えない。見えるのは巨大な玄関のひさしと、その下に彫られたいくつかのシュールな彫像だけた。雅之は中心部にあるキリストの像のあたりに向けて、大声で呼びかけた。
「誰かいるんですか? …助けてください!」
『いいえ、誰もいません。私は留守番役を言いつけられているのです。』
「うわあ!!」
 彫像が喋った。――十字架につながれたキリスト像の四角い顔が、確かにゆっくりと動いたのである。
「な、何だおまえは!? ――敵か見方か!?」
 キリスト像はまた口を動かした。
『私は真木刹那探偵事務所の番人です。今真木は留守にしています。ご用件をどうぞ。』
「よ、よ、用件って、そりゃあ、おまえ、見てのとおりだよ。…ゴホゴホ、あれを何とかしてくれ!!」
 雅之は煙に咳き込みながら、自分の来た方向を指差した。
 公園の木々は、おおかた炎に包まれていた。彫像はそちらに目もくれず、虚ろな視線を泳がせながら事務的な発言を繰り返すだけだった。
『夢探偵・真木刹那は、ただいま留守にしています。ご予約のない方は、恐れ入りますが、明晩12時から12時30分までの間にお越しください。またのご来場をお待ちしています。』
「ダメだこりゃ」
 木がメリメリと音を立てて倒壊し、数メートルの火柱の中心に巨大な人型のシルエットがくっきりと浮かび上がった。それは勝ち誇ったかのように悠然と教会に近づいてくる。
『タカ…』
 煙に咽びながら、雅之は力の限り叫んだ。
「夢探偵、どこにいるんだア!?」
 その声と同時に、雷鳴が轟いた。空は見る見る黒雲に覆われ、その直後、目の前に滝ができた!――と、思えるほど激しい雨が落ちてきた。
 雅之は玄関のひさしの下で、燃え盛る炎がわずか数秒で消えていくのを、驚愕の目で見守った。火が消えるとすぐに雨もやみ、再び明るさを取り戻した空に女性の澄んだ声が響き渡った。
「まったく! 貴重な建物を灰にするつもり?」
 玄関の前に、ひらりと黒い影が舞い降りた。いや、降りたのではない。その――黒い衣服を纏った人物は、水溜まりの上数センチのところを幽霊のように浮遊している。雅之は目を見開いた。
「刹那さん!」
 その人物もまた雅之を見て表情を変えた。
「あ、あなたは…」

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