第7部 集結   Concentration

「と、父さん…、それ、どうしたの!?」
 父親は小型のフォークリフトを自在に操り、雅之の回りを素早く一周して止まった。
「レンタルだよ。文明の利器は活用しなくちゃね!…さあ、そのスピーカーをここに乗せなさい」
 フォークリフトに取り付けられたパレットがゆっくりとせり上がり、雅之の腰の高さで止まった。背中の荷物をその上に置いた雅之は、あらためてそれを見て驚いた。そのスピーカーは高さが2メートルほどもあり、ちょっとした自動販売機並みの大きさだったのである。――こんなもの、一人で運べるかっ!!
 雅之が大げさに息を吐いて額の汗をぬぐっている間に、父親はフォークリフトを器用に操作してスピーカーをステージ上のスタッフに預けると、再び華麗なフットワークで雅之のところに戻ってきた。
「あの辺の荷物をステージまで運べばいいんだね?」
「う、うん…」
「ラジャー! 後は父さんに任せなさい」
 父親は茶目っ気たっぷりに敬礼のしぐさをしてみせてから、機材の山のほうに車体を走らせた。――よかった。これでなんとか間に合いそうだ。
「ありがとう、父さん」
 フォークリフトで作業を続ける父親を横目に見ながら、雅之はそーっと講堂の出口に走った。
 ――もう自分がいなくても大丈夫だ。父さんやスタッフのみんなには申し訳ないが、こっそり消えさせてもらおう。とにかく、急がなければ…。
 外に飛び出した雅之は、校庭の真ん中でハタと立ち止まった。
 ――あれっ、どこに行こうとしてたんだっけ??
 強烈な向かい風が雅之を襲った。
 彼はこらえきれず、ズルズルと何メートルか押し戻されてしまった。
 数秒後、風が治まるのを待って顔を上げると、微妙に景色が変わっていた。なんだか、校舎が小さくなったような気がする。
「おい、高野! ずいぶんと遅いお出ましだな」
 振り向くと、ジャージ姿の少年たちが、雅之を睨みつけていた。
「辻部長!、花崎先輩!、木村先輩!」
 彼らは、高校のサッカー部の先輩たちだった。
「まさか練習をサボるつもりじゃないんだろうな」
「誰のせいで試合に負けたと思ってる!」
「お前には特別メニューが組んであるんだぜ」
 意地悪そうな笑みを浮かべた辻は、足元のサッカーボールを雅之に蹴ってよこした。
「?」
 ボールをサイドステップで受け止め、困惑ぎみに顔を上げる雅之。辻が怒鳴った。
「まず、ドリブルでグラウンド10周だ!」
「は、はいっ!」
 雅之は言いつけどおりにボールを蹴りながらトラックを走り始めた。フィールドでは、他の部員たちがパス回しの練習をしている。走らされているのは自分だけのようだ。
 ――なんで、俺だけ…
 しかし、このようなシゴキにも、雅之は黙って耐えるしかなかった。彼にはそれだけの負い目があった。前の試合で奪われた2点は、いずれも自分のミスによるものだったのだ。1点はクリアミスからシュートチャンスを与えてしまい、もう1点は痛恨のオウンゴール。自分のボールコントロールの甘さが原因で試合に負けた、といっても過言ではない。チームのためにも、もっともっと練習しなければ…
 しかし、今日のランニングはいつも以上につらい。足が重く、胸が苦しい。それに、なにかとても大切なことを忘れてしまっている気がする。――なんだろう。…どこかで、誰かが待っているような…。しかし、頭がもやもやしてどうにも思い出せない。そのもどかしさが、彼の胸をさらにきつく締め付けていた。
 息を乱しながらも、なんとか、3周こなした。チームメイトたちは1列に並んで、シュート練習を始めている。風に乗って、彼らの会話が聞こえてきた。
「…高野の奴、懲りずにまた来てるぞ…」
「よくやるよ」
「…しっかし、相変わらずドリブルヘッタクソだなあ…」
「なんであいつがレギュラーなんだよ」
「先生のお気に入りだからだろ…」
「…あんな奴、辞めちまえばいいのにな!」
 視界がゆがんだ。
 強烈な向かい風が雅之を襲った。
 全身の力が抜け、踏ん張ることができない。
 どんどん、どんどん、彼は後ろに押し戻されていく。
 ――まずい、このままでは、このままでは…。なんとかしなくては…。
 薄れていく意識の中で、彼は澄んだ女性の声を聞いた。
「右腕を横に伸ばして! ――早く!!」
 目を閉じたまま、反射的に手を右に突き出す――と、指先が何か硬いものに触れた。
 なんとかそれにしがみつき、必死に耐え忍ぶこと数分、やっと風が止まった。
「ふう…」
 ゆっくりと目を開ける。
 すぐ目の前に、角ばった黒っぽい柱のようなものがある。――そうか、自分はこれにつかまっていたんだ。周囲を見回すと、そこは古ぼけた木造校舎の昇降口だった。すぐ横でバタバタと足音がした。振り向きざまに、雅之はポンと肩を叩かれた。
「急げ、タカ!」
「チコクすっぞ!!」
 黒いランドセルが2つ、彼を追い越して校舎に入っていった。…顔は見えないが、同級生達らしい。何気なく背中に手をやると、自分もランドセルを背負っていた。
 キーンコーンカーンコーン
 始業のチャイムが鳴った。――まずい、急がなくちゃ!!
 慌てて上ばきに履き替え、廊下を走って教室に向かう。体が重い。ほとんど走れてない。やっとのことで脚を持ち上げ、階段を一歩ずつ上がり、4年1組の教室の前までたどり着いた。中から出席を取る先生の声が聞こえる。――おそかった!
 焦りながら教室の戸に手を掛けたが、建て付けが悪いのかビクともしない。渾身の力を込めて引いたが、全然動かない。おかしいな、と思って手元をよく見ると、入り口には幾つもの南京錠がかけられていた。それどころか、その木製のガラス戸全体に何重にも鎖が巻き付けられている。――どうなってんの? 誰がこんなイタズラをしたんだ!? 慌てて、もうひとつの入り口のほうに走ったが、やはり厳重に閉鎖されていた。――どうしよう…。そうだ、なにか使える道具があるかもしれない! 彼はランドセルを肩から外し、床の上でひっくり返した。
 中のものがドサッと廊下に散らばった。縦笛、ものさし、筆箱、教科書…。出てきたものを物色していく。――これも使えない、これもだめだ! 自由帳を退かすと、小さな短冊状の紙きれが現れた。――何だろう…?
 その紙に描かれたイラストを目にしたとたん、熱い血潮が彼の全身をドッと駆けめぐった。
 巨大な観覧車、ツインループのコースター、色とりどりのパビリオン…
 それは、あの遊園地の“入場チケット”だった。
 ――そうだ、こんなことをしている場合じゃない!! 
 電撃のように記憶が甦り、一瞬にして意識が鮮明になった。
 ――千春に会いに行かなくては!!
 雅之は立ち上がった。
 同時に、巨大な騒音が四方八方から押し寄せてきた。
 右からメリーゴーランドの軽快な電子音楽、後ろからイベントの開始時間を告げる場内アナウンス、上からジェットコースターの通過音と絶叫、そして全方位から、数知れない人々の歓喜に満ちた声の固まりが怒涛のように渦巻く巨大な遊園地の中心に、雅之はスーツを着込んだ大人の姿で立っていた。
 行き先は決まっている。彼は、センターハウスを目指して走った。
 人込みを掻き分けて進んでいくと、間もなく、ガラス張りの巨大な建築物が見えてきた。建物の前のベンチに、若い女性が独りちょこんと座っている。
「千春!!」
 思いっきり叫んだが、まだ声が届かない。スピードを上げ、あと10メートルほどの距離まで迫ったとき、横合いから彼女に駆け寄る男の姿が視界に入った。ソフトクリームを両手に掲げ、爽やかに笑いながらスキップをしているその男の顔は――
「す、杉本ぉ〜!?」
「千春ちゃんごめ〜ん、遅くなっちゃったぁ。はい、アイス」
 無邪気にソフトを差し出す杉本を、千春は満面の笑みで出迎えた。
「ありがとう、杉本せんぱい!」
「“先輩”なんて水臭いぞ! 誠一って呼んで!」
「ん〜とぉ、じゃあ“せーちゃん”!! きゃは☆」
「それイイー!!」
 ――ま、まさか、そんな…
 全身の力が抜けた。
 強烈な向かい風が雅之を襲った。
 どんどん、どんどん、彼は後ろに押し戻されていく。
 ――どこまで行くんだろう。このままだとヤバイかも…
 しかし、彼はもう風の力に抗わなかった。もう、全てがどうでもよくなっていた。何もかも忘れて、とにかく休みたい。頬に当たる風がなんだか心地いい。目を閉じると、だんだん眠くなってきた…
「だめ!! しっかりなさい!!」
 澄んだ女性の声が聞こえた。誰かが雅之の腕を掴んだ。それから、彼はその人にしっかりと抱きとめられた。――温かい…。額にさわさわと髪の毛が当たる…。
 それから、風が止むまでの数分間、雅之はその“誰か”の胸の中にいた。
 やがて、彼を取り囲んでいた圧力がふっと消えた。
 静かに目を開ける。
 …
 何も変わっていない。
 遊園地のセンターハウスの前に、雅之は独りで立っていた。
 周りをたくさんの人たちが通り過ぎていく。なんか――みんなエラく背が高い。
 ふと横を見ると、ガラスの壁に自分の姿が映っていた。黄色い帽子、くまさんのリュック、半ズボンにぴったりキマった幼稚園の制服。――なんだ、ぼくがちいさいのか!
「お〜い! 雅之!!」
 懐かしい声がした。振り向くと、人込みの中から父親が大きく手を振っている。
「パパ!」
 雅之はパタパタと父親のもとへ駆け寄った。父親は雅之の頭を軽くなで、優しく諭すように言った。
「遠くに行ったらダメじゃないか。迷子になっちゃうぞ」
「うん…。パパごめん」
「さ、次はどこ行こっか?」
 雅之は、ブンブンと首を横に振った。
「もういい…」
「じゃあ、おうちに帰ろうか」
「うん」
 二人は手をつないで遊歩道(プロムナード)を歩き始めた。


 遊園地の雑踏の中、その男は真剣なまなざしで千春を見つめていた。
「…今度こそ、…本物の雅之だと思います」
 彼女もまた、男の顔をじっと真剣な面持ちで見返しながら、ゴクッとつばを呑み込んだ。二人の様子を見守っていた彰幻が、男に向かって言った。
「では、質問です。ハットトリックって、何のこと?」
 男は胸を張った。
「簡単です。一言で言うなら、伊賀の里からやってきて、シンイチ君の家に居候している忍者です。口癖はニンニン!」
「残念ながら、クセ者――いや、偽者です」
 彰幻が首を振ると、その男は煙のように姿を消した。
 千春はがっくりと肩を落とした。何組ものカップルや家族が、彼女の横を楽しそうにすり抜けていく。底抜けに明るいラテン系のBGMが、紺碧の空高く鳴り響いている。彰幻は一歩前に踏み出した。
「今日はこれで4人目です。…あなたの焦る気持ちも分かりますが、その想いがかえって夢捜索を難しくしているのかもしれません」
「そんな…、私、どうすれば…」
「気分転換のために、捜索場所を変えてみましょう。…確か、海とか、コンサート会場など、他にも思い出の場所はたくさんありましたよね」
「ええ…」
 千春は力なく頷いた。彰幻は懐から数枚の絵馬を取り出し、その中から一番大きいものを選び出して言った。
「静かな海岸の風景…。ここにも、かなり思い入れがあるようですね」
「はい。ドライブで行った秋の九十九里浜です」
「よし、ここに決めましょう。いつものように、絵に触れてみてください。瞬時に、そこに移動するはずです」
 彰幻は、手にした絵馬を千春の前に突き出した。
 その後ろを一組の父子(おやこ)が通り過ぎていった。小さな男の子の手を引く優しそうな父親。彼らの姿を何気なく見送ってから、千春はゆっくりと手を伸ばした。指先が絵馬に届く…。
 ――ん?
 懐かしい香りが漂ってきた。
 ――この匂いは…。
 千春は手を引っ込め、人込みの中に視線を走らせた。ほどなく、小さな男の子の背中が目に留まると、彼女の鼓動はにわかに高鳴った。くまさんのリュックの横で、小さな巾着袋が揺れている。――間違いない、自分が作った匂い袋だ!
「雅之!!」
 千春は思いっきり叫び、そして走った。

 ラテン系の音楽が、一瞬聞こえなくなった。
 石畳の上に、千春の靴音がこだまする。
 男の子がゆっくりと振り向いた。
 つむじ風が吹きぬけた。

「千春…」
 風が止んだとき、そこにはスーツ姿の雅之が立っていた。
「雅之…」
 黙ったまま、見つめ合う二人。
 その間に、サッと人影が割って入った。
「何だね、君は?」
 それは、雅之の父親だった。彼はにこやかな表情をガラリと変えて、千春にガンを飛ばしている。
「あなたこそ、誰ですか?」
 千春も負けじと、ヤンキー風に顎を突き出した。
「私は、雅之の父親だ。どこの誰かは知らんが、家族旅行の邪魔をしないでくれたまえ! さっ、行くぞ、雅之」
 千春の顔からサッと血の気が引いた。
「雅之の…父…親…?」
 それから、彼女は言葉を失い、呆然とその場に立ち尽くした。
 父親はそんな千春に背を向けると、強引に雅之の腕を掴んで立ち去ろうとする。
――待って!!」
 千春は、ズルズルと引きずられていく雅之に向かって叫んだ。
「その人は本物のお父さんじゃない! …思い出して! ――あなたの、…あなたのお父さんは――10年も前に亡くなってるのよっ!!」
「えっ!?」
「なんですと!!」
 そう叫んだのは、後ろで様子を伺っていた彰幻だった。
――さてはこやつ、死霊(ゴースト)かっ!!」
 彰幻は絵馬を懐に戻しながら、小走りで彼らのもとに向かった。
 ――まさか…。
 雅之は、自分の手を引いている男の顔を凝視した。男は引きつった笑顔を雅之に向けた。
「騙されるな雅之。あんな女の言うことを信じちゃダメだ。…あの女は、さっき他の男とイチャついていたじゃないか!」
「あ…」
 いやなことを思い出し、動揺する雅之。そこに駆けつけた彰幻が、懐からお(ふだ)を取り出して、父親を名乗る男の顔に勢いよく貼り付けた。
「迷わず成仏せい!!」
「ぐわ〜っ!!」
 男は大きく()け反って雅之から手を放した。
 すかさず千春が飛び出した。
「えいっ!!」
 お札を()がそうともがく男の胸に、千春の両手突きが炸裂!! 男の体はまるでワイヤーアクションのように宙を舞い、遊園地の案内板に背中からぶつかって、ストンと地面に落ち、動かなくなった。
 …
「おいおい、なにかのアトラクションか?」
「あのお姉ちゃん、コワイ…」 
 呆然と立ち尽くす3人を遠巻きにしながら、人々が足早に通り過ぎていく。
 やがて、肩で息をしていた千春が、雅之に視線を移した。
 雅之もやや硬直した顔を千春に向けた。
「ち、千春…」
「雅之…」
 二人のシルエットが1つに重なった。
 嗚咽とともに、千春の口から言葉が漏れた。
「逢いたかった。…やっと、…やっと見つけた」
「俺も、逢いたかった…」
 少し離れた場所から、彰幻がその様子を安堵の表情で見守っている。
「やれやれ、今度こそ、本物の雅之さんのようですね」
 ラテン系の楽曲が紺碧の空いっぱいに広がっている。
 しばし、ゆったりとした空気が流れる。
「…」
 音楽に混じって何かが聞こえた。
「…」
 耳障りな不協和音。千春は雅之の胸にうずめていた顔を上げた。
「この音、…何?」
 地鳴りのように低く、長く尾を引くその雑音は、例の案内板の方から聞こえてくる。二人は顔を見合わせた後、いやな予感を抱えつつその方向に目を向けた。
「…うう…うううう…」
 うめき声がはっきりと聞き取れた。
 遊歩道(プロムナード)を行き交う人々の流れが変わった。
 雑踏が2つに割れ、案内板の前から人影が消えた。
「…ううう…、許さん…」
 顔にお札をつけた男が、ゆっくりと起き上がった。
 全身から異様なオーラを放ちながら、男は両手の拳を天に突き上げて雄叫びを上げた。
「うおおおおおおおお!!!」
 彼の全身が発火した。
 顔に貼り付いたお札が、ジュッと音を立てて灰になった。
 その瞬間、猛烈な熱風が巻き起こり、数十メートルの高さに及ぶ火柱がそそり立った。
『タカ…』
 炎の怪人がそこにいた。
 オレンジ色の紅炎(プロミネンス)の中央に、黒々とした人形(ひとがた)の影がうごめいている。
 その姿はいつもよりも大きく、火焔の勢いも、いつもより激しい。
「な、何なの!? どうなってるの!?」
 その姿を初めて目にした千春は、混乱して雅之にしがみついた。
「炎の怪人――俺の悪夢の原因…。すっかり忘れてたのに、なんで今頃になって…」
 そう(つぶや)きながら、雅之は自らの胸にこみ上げる絶望的な恐怖感を必死の思いで飲み込んだ。 金属製の案内板が、グニャリと溶けて崩れ落ちた。火の粉をかぶった街路樹が次々と炎上していく。パニックに陥った人々が、慌てふためいて逃げ惑い、消えていく。
『タカ…』
 炎の怪人は、雅之に向けて右腕を突き出した。
 その掌から火の玉が勢いよく飛び出し、回転しながら雅之に迫った。
 千春を抱えたまま間一髪で身をかわす雅之。その横をかすめた火の玉は、はるか彼方でセンターハウスのガラスの壁を突き破った。
 建物がメラメラと燃え上がった。休む間もなく、怪人はニ発、三発と、続けざまに火の玉を浴びせかけてくる。――()けきれない! うずくまる二人の前に、彰幻が身を躍らせた。素手で火の玉数発を弾き返した後、彼は少し焼け焦げた袖を見ながら、キッと唇を噛み締めた。
「悪霊め!」
 それから、怪人を睨みつけた。
「よかろう。…私も本気を出させてもらう。…君たちは下がっていなさい」
「は…はい」
 彰幻に促され、二人は互いをかばい合いながら後方に退いた。
「“火には火を”だ!」 
 彰幻は怪人を見据えたまま懐からお札を取り出し、なにやら念仏を唱えながら自らの額にそれを貼りつけた。
「のうまくさんまんだ、ばざらだん、せんだん、まかろしゃだ、そわたや、うんたらた、かんまん!」
 彰幻の体が黄金(おうごん)の光に包まれた。
 1秒後、やや落ち着いた淡光(コロナ)の中に、変化(へんげ)を遂げた彰幻が圧倒的な存在感を放って立っていた。2メートルを超える背丈。白い巻き布の間に見え隠れする隆々たる筋肉。大仏像を彷彿とさせる金色(こんじき)()(はつ)。右腕に剣、左腕に縄を持ち、背中からゆらゆらと黄金(こがね)色の炎が立ちのぼっている。
「攻めの型、不動明王!」
 かっと目を大きく見開いた彰幻は、仁王像のような憤怒の形相で突進(ダッシュ)した。
 怪人の手から次から次へと火球が撃ち出された。その全弾を払いのけ、彰幻は瞬く間に怪人の懐に飛び込んだ。
「必殺、破邪の剣!!」
 右手の剣が振り下ろされた。左肩から袈裟(けさ)()けにバッサリと斬られ、怪人の体はものの見事に真っ二つになった!――かに見えた。だが、一瞬ゆらりと歪んだだけで、黒い人形はまた元の姿に戻ってしまった。二度、三度、彰幻は刀身を返して怪人に斬撃を浴びせた。しかし、その切っ先は虚しく宙を泳ぎ、怪人は一向にダメージを受けた様子がない。
「破邪の剣が効かない! …こやつ、邪心がないのか!?」
 怯んだ彰幻に対し、怪人は口の辺りから勢いよく火焔を吐き出した。身を翻して危うくそれをかわした彰幻は、防御の姿勢をとりつつ(しば)し思慮を巡らせてから、思い切ったように剣と縄を投げ捨てた。
「武器が効かぬなら、力と力で勝負するのみ!」
 彰幻は金色(こんじき)の炎を身に(まと)い、怪人に殴りかかった。
 怪人は紅色(くれないいろ)の炎で壁を作り、その拳を止めた。
 灼熱の衝撃波が大地を走った。
 二色の火柱が空高く立ちのぼった。
 拮抗する二つの力。
 数分の膠着の後、状況に変化が現れた。金色の炎に押され、紅色の炎が揺らぎ始めたのだ。彰幻の放つ炎はますます勢いを増し、怪人の上に覆いかぶさっていく。紅色の炎は次第に弱まり、同時に怪人の姿もだんだん小さくなっていった。
 いつの間にか、紅色の炎は金色の炎にかき消されて、ほとんど見えないまでになっていた。黒い人形も、いまや赤ん坊ほどのサイズに押し潰されている。勝敗は、もう誰の目にも明らかだった。
 左手で怪人の首の辺りを掴んだ彰幻は、その体を高々と持ち上げた。小さくなった怪人は力尽きたように抵抗もせず、両手をダランと下げている。それでも、全身はまだ弱い炎に包まれていて、容姿をはっきりと視認することはできない。
「とどめだ! 今度こそ、西方浄土へ行くがよい!」
 彰幻は、右手を引いて正拳突きの構えを取った。
 黄金の光が右腕に集まった。

 ――やめなさい!

 澄んだ女性の声が響いた。
 彰幻が打撃を繰り出すより早く、天空の一角から飛来した黒い影が彰幻の顔面を捉えていた。ほんの一瞬にして、彰幻の巨体は5、6メートルほど撥ね飛ばされた。ミニサイズの怪人は彰幻の手を離れて地面に落ち、やや遅れて彰幻の体も地響きを上げて地べたに沈んだ。彰幻を一蹴した黒い影は、さっきまで彼が立っていた場所にヒラリと着地すると、何事もなかったかのように悠然と顔を上げた。
「刹那さん!?」
 雅之が驚きの声を上げた。
 彰幻が、不動明王の姿のまま怒りを顕わにして立ち上がった。
「…刹那、これは一体何のまねだ?」
 真木刹那はゆっくりと彰幻に近づきながら言った。
「あんた、いまだにゴーストとシャドウの見分けもつかないの?」
「な、なんだと?」
 彼女は地面に倒れたままのミニ怪人を指差した。
「それは死霊(ゴースト)じゃない。分身(シャドウ)よ!」
 釈然としない表情の彰幻。刹那は続けた。
「そいつを殺したら、所有者(オーナー)も死ぬわよ。――あれを見なさい!」
 刹那はサッと雅之の方に手を向けた。
 彰幻は息を呑んだ。
 千春が悲鳴をあげた。
 彼女の腕の中で、雅之の姿が陽炎のように揺らいでいる。彼の手や足は、向こう側の景色が見えるまでに透き通り、まさに消え(・・)かかっていた。
「雅之! ま、まさゆき!?」
 目に涙を浮かべた千春は、動揺のあまり言葉を失っている。
「ま、まさか…」
 彰幻も目を見開いたまま佇んでいる。ただひとり、刹那だけが冷静だった。
「この炎の化け物は、ただの(シャドウ)じゃない。所有者(オーナー)の心の中の「核」とも呼べる部分を占有している、まさに分身(ぶんしん)よ。分身(シャドウ)が力を使えば所有者(オーナー)は消耗し、分身(シャドウ)が死ねば、所有者(オーナー)も消滅してしまう。――2人は切っても切れない一心同体ともいうべき存在なのよ」
「なんと…」
 彰幻はがっくりと(ひざまず)いた。
「私はなんということをしてしまったんだ。…ただでさえ病に苦しんでいる人に、あれほどの力を使わせて、これほどまでに消耗させてしまうとは…。不覚であった」
 その間も、怪人の体は徐々に小さくなり、雅之の手足は少しずつ透明になっていく。彼の体を支える千春の手の感触もだんだん不確かになってきた。千春は、顔を上げた。
「お願いです! 彼を助けてください!!」
 彰幻はすっくと立ち上がった。
「かくなる上は、私が命に代えてもお助けする!」
 彼は胸倉(むなぐら)から1枚のお札を取り出して自らの額に貼った。
「おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか」
 彰幻はまた眩い光に包まれた。
 光が収まると、彼はまるっきり違う姿になっていた。
 身の丈は150cmほど。なで肩のぽっちゃり体型で、女性的なふくよかな顔には微笑みをたたえ、左手に小さな壷を持っている。
「癒しの型、薬師如来でございます!」
 声までオネエ系になっている。彼は上品な足取りで雅之にそそくさと歩み寄ると、手にした壷を雅之の胸のあたりにかざし、蓋を開けた。すると、壷から柔らかい瑠璃(るり)色の光が溢れ出し、雅之の全身をゆっくりと優しく包み込んでいった。
 数秒ほどで、雅之の体の揺らぎが止まった。さらに全身に血が行き渡っていくように、手足の存在がしだいにはっきりしてきた。彼を抱く千春の手にも確かな感触が戻った。
「よかった…」
 安堵の息を漏らす千春。彰幻もホッと胸を撫で下ろしながら壷を閉じた。
 だが、瑠璃色の光が消えるとすぐに、雅之の体はまた揺らぎ始めた。震える手足の先が、徐々に透き通っていく。
「まさかそんな…」
 彰幻は慌てて壷の蓋を開け、再度雅之の胸に当てた。
 瑠璃色の光を浴びて、回復する雅之。――しかし、彼が元気なのは光を浴びている間だけだった。彰幻が壷の蓋を閉じると、雅之の体はすぐに揺らいで消え始めた。
「あり得ないわ。…これだけの力を注ぎ込んでいるのに、回復しないなんて…」
 声を裏返して嘆く彰幻の口元から、微笑が消えた。
「もしかして、雅之の病状が悪化しているんじゃ…」
 千春がか細い声で言った。
「そうじゃない。力を吸い取られているのよ。――あいつにね!」
 刹那がサッと鋭い視線をむけた先で、紅色の炎が揺らめいた。
『タカ…』
 炎の怪人がふらふらと立ち上がった。火の勢いはまだ弱いが、黒い人型はいつの間にか2メートルくらいの大きさに戻っている。
「力が――あいつに流れたっていうの!?」
 彰幻が叫んだ。
「ようやく分かったようね。あなたが施した力は、あの化け物が全部持っていってしまったのよ。さっきの治療をすればするほど、化け物はどんどん活力を得て、また暴れまわることになるでしょう。その結果、雅之さんはますます衰弱していく。とんだ悪循環だわ」
 深刻な状況を説明しながら、刹那はなおも落ち着き払っている。彰幻はオカマチックに手をバタつかせた。
「分からない! そんなことをすれば、分身(シャドウ)である自分も死んでしまうでしょうに!」
「そうね…。理由は分からないけど、あの怪物は自分が死ぬことも顧みず所有者(オーナー)の命を狙っている。もしかすると、自分が分身(シャドウ)であることに気付いていないのかも。…それよりあんた、いつまでその姿でいるつもり?」
 刹那はじろりと横目で彰幻を睨んだ。即座に、彰幻は額に別の札を貼ってイケメンの僧侶の姿に戻ると、真剣な面持ちで唇をかみ締めながら唸った。
「う〜む…。このまま放っておいても、あの怪物は彼を襲い、両者とも衰弱して共倒れになるというわけか。かといって、怪物に攻撃を加えれば、そのダメージは即雅之さんにも伝わり、衰弱を早めることになる。一体どうすればいいんだ!」
『タ…カ…』
 よろめきながら、炎の怪人は一歩、また一歩と雅之に迫った。
 千春の手の感触がふっと軽くなった。
「みんな、ありがとう…。もう、十分だよ」
 諦めの笑みを浮かべた雅之の顔が、急速に透き通っていく。
「ま、まさゆきっ!!――いやああああああああああ!!!!」
 煙の立ち込める遊園地に、千春の悲鳴がこだました。

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