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雅之の体は、実体のない3D映像のように透き通り、揺らめきながら消えかかっていた。
『タカ…』
一方、おぼつかない足取りで彼に近づく炎の怪人は、一歩進むごとに小さくなっていく。
彰幻が苛立って叫んだ。
「まずい、時間がないぞ! 何かいい方法はないのか、刹那?」
炎の怪人に目を向けながら、彼女は冷静に答えた。
「方法はあるわ。あの化け物に大きな力を与え続ければいいのよ」
「大きな力を? しかし、どうやって…」
刹那の瞳が、漆黒の光を放った。
「あんたには、…例のアレがあるでしょう」
彰幻は首を振った。
「いや、『瑠璃の壷』程度の技では埒があかんぞ」
刹那も首を振った。
「そっちじゃない。奥の手のことよ!」
彰幻は慌てた。
「奥の手って、お前、まさか、…いや、さすがにアレはまずいだろう!?」
刹那はじろりと彰幻を睨んだ。
「何恥ずかしがってんのっ! あんた、さっき、命に代えても彼を助けるって、言ったでしょ!」
「し、しかし、アレをやったら大変なことになるぞ! 勢いづいた怪物をどう止めるつもりなんだ?」
「あとは私の仕事よ。なんとかして、分身を所有者と同化させるわ。――彼の悪夢払いを引き受けた夢探偵としてね!」
彰幻は、覚悟を決めたように大きく頷いた。
「わかった。――刹那、後は頼んだぞ!」
彼は怪人の前に立ちはだかった。幼稚園児ほどの身長になった怪人は、よろよろと身構えた。
彰幻は自らの額のお札を剥がし、叫んだ。
「秘技、無我の境地!」
ポン、と煙が立ち昇った後、彰幻のいた場所には、小太りの冴えない中年オヤジが素っ裸で佇んでいた。炎の怪人は、なんとも無防備なその男に襲いかかった。あっという間に男の全身は炎に包まれ、まさに火達磨状態になった。
「きゃああああ!」
それを見て、千春が叫び声を上げた。
黒い人形は中年男と一体化して見分けがつかなくなった。
とたんに炎は勢いを増した。金色の焔が渦を巻きながらメラメラと燃え上がり、天を焦がした。怪人は雄叫びを上げた。
『うおおおおおおおおおおお!!!』
黒い人形は急速に巨大化した。
「来た!」
一瞬ニヤッと笑った刹那は、身を翻して千春と雅之を両脇に抱えると、忍者のように跳躍し、数十メートル離れたホラーハウスの屋上に退避した。
数秒後、辺り一帯に熱風が吹き荒れる中、眩い黄金の炎の中に、黒い人形が『おとぎの城』と肩を並べて立っていた。
「ひいいいいい!」
ホラーハウスの屋上で、畏怖と嫌悪の入り混じった声を上げながら、千春は雅之の体にしがみついた。全身に確かな弾力とぬくもりを感じる。彼女はハッとして彼の顔を見た。
「雅之、――元に戻ったのね!」
今、彼の体はまったく透き通っていない。
「本当だ!」
雅之自身も、自分の体をしげしげと眺めて驚いている。
「伏せて!!」
出し抜けに刹那が叫び、2人を押し倒した。
『タ〜カ〜…、ド〜コ〜ダ〜…』
巨大な怪人の声が、遊園地一帯に轟いた。怪人は地響きを上げながら、雅之の姿を探してゆっくりと園内を闊歩している。怪人が背を向けるのを待って、刹那は2人の体を起こし、屋上に設置された大きな看板の裏に導いた。
「奴に見つかったら厄介だわ。しばらく、ここに隠れていて」
「あ、あの…」
立ち去ろうとする刹那に、雅之と千春が同時に声をかけた。2人とも困惑しきった顔をしている。刹那は声を潜め、口早に語った。
「詳しいことは後で話すけど、とりあえず、ざっくばらんに今の状況を説明すると、『彰幻と怪物が合体して大きくなっちゃった』ってところね」
「…?」
2人は顔を見合わせた。刹那はちょっと考えてから、言い直した。
「合体というより、憑依ね。…さっき炎に包まれたときに、彰幻は怪物に取り憑かれて、体を乗っ取られてしまったのよ。その結果、彼のパワーを得た怪物は巨大化し、あなたもその“おこぼれ”で回復することができたってわけ。ま、すべて計算の上なんだけどね」
千春は、困惑の表情のまま恐る恐る聞いた。
「あの…、彰幻さんは大丈夫なんですか?」
刹那は軽く笑った。
「平気平気。ま、もともと変身マニアだし、バリエーションが増えて喜んでるんじゃない?」
「変身マニアって…」
雅之の台詞を遮るように建物が揺れ、爆発音とともに隣のパビリオンが炎上した。
3人の頭上を巨大な火の玉が流星群のように飛び交っている。遊園地のいたるところで爆発が起き、火の手が上がった。
『タ〜カ〜…、ド〜コ〜ダ〜…』
炎の怪人が闇雲に火の塊を撒き散らし、雅之をいぶり出そうとしているのだ。刹那は舌打ちした。
「やりすぎよ! いくら夢の中といっても、人々の憩いの場所がこれ以上荒らされるのを黙って見ていられないわ。…ちょっと、ここで待っててね!」
そう言い残して、刹那は飛び去っていった。
看板の陰で身を寄せ合って座る2人に、束の間の平和が訪れた。雅之がちょっと俯きかげんに言った。
「千春、すまない。…俺の悪夢に、君まで巻き込んじゃって」
千春は彼に笑顔を向けた。
「ううん、私、全然平気よ。だって、それを承知でここに来たんだもん」
「えっ?」
雅之は顔を上げて、千春を見た。今度は、千春がちょっと視線をそらした。
「…さっきのお坊さん、夢探偵なの。…私、あの人に『夢捜索』の依頼をして、あなたを一緒に捜してもらってたのよ」
「俺を…捜してた?」
千春は、雅之の方に向き直り、まっすぐに彼の目を見た。
「私、あなたにどうしても伝えたいことがあるの!」
刹那は観覧車のてっぺんに立って、炎の怪人の様子を観察していた。
『じゃ〜ま〜だ〜』
怪人は目の前の『おとぎの城』にぶちかましの一撃を加え、ツッパリの連打を浴びせかけて粉々に破壊してしまった。それから、またゆっくりと辺りを見回しながら、でたらめに何発か炎の塊を撃ち出していくつかの建物を炎上させ、豪快に火焔放射を吐き出してフリーフォールの塔を根元から焼き払った。
刹那は呆れ顔で呟いた。
「ある程度予想はしていたけど、ほんと、彰幻の力って底なしね。…あの力を衰えさせることなく押さえ込むには、…やっぱり、アレを使うしかないか」
刹那は右手で黒いロングスカートの裾を捲り上げた。露になった刹那の白い右脚には、いくつかの抽象的なマークが銀色のタトゥとして刻まれている。そのうちの1つに触れたとき、タトゥは彼女の柔肌からスッと浮かび上がり、右手に実体となって収まった。それは、細いスティックの先に6メートルほどの青いリボンがついた、新体操の手具だった。
刹那はリボンをくるくる回しながら飛び上がり、素早く怪人の頭上に移動した。
「封印の卵!」
彼女がスティックを振り下ろすと、青いリボンは発光し、円を描きながら地面までスルスルと伸びていった。怪人の巨体が青いらせん状の光の帯に囲まれたとき、刹那がスティックに念を加えると、らせんの帯は急速にその間隔を狭め、滑らかに形を変えた。まず円筒形になり、その上下がだんだん絞られ、首のない花瓶のような形になった。最後に、スティックの先端を離れたリボンが花瓶の口を塞いで、巨大な造形物が完成した。
『うお…!?』
青白い半透明の光の中で、怪人は動きを止めて首をかしげた。
「それじゃあ、…俺はもう5日も寝込んでいるのか…」
雅之はうなだれた。その様子を見て、千春はちょっと慌てた。彼を励まして元気付けるために捜していたのに、動揺させてしまったら意味がない。
「で、でも、…難しい病気じゃないのよ! 倒れたのは過労が原因みたい。悪夢のせいで、ちゃんと寝れてなかったんでしょう?」
「うん。…だから、刹那さんに悪夢払いをお願いしたんだけどね」
「あ…」
今度は千春がうなだれた。
「そうよね。…あの日、雅之、そう言ってたもんね。…私、それを信じてあげられなくて…、雅之にあんなひどいこと言って…。ほんと、ごめんなさい!」
千春はさらに頭を下げた。今度は雅之が慌てた。
「謝るのは俺のほうだよ! 最初、なんとなく千春に本当のことが言えなくて、寝不足は仕事のせいだ、なんて、嘘ついちまって…。俺、マジ馬鹿だった! ごめん!」
彼は土下座をした。
2人が頭頂部を突き合せたまま、数秒が過ぎた。
「お二人さん、いつまでそうしているつもり?」
いつの間にか、横でその様子を眺めていた刹那が、痺れを切らして声をかけた。
二人は照れて顔を見合わせながら、そそくさと立ち上がった。
「あれ、…刹那さん、あの怪人は?」
「とりあえず、応急処置をしておいたわ。…見てごらんなさい」
恐る恐る看板の横から顔を出すと、二人の目に異様な光景が飛び込んできた。
青白く光る、巨大な半透明の“卵”の中で、炎の怪人が、じたばたと手足を動かして暴れている。パンチやら、キックやら、体当たりやら、いろいろな攻撃で卵の殻を破ろうとする怪人。しかし、よほど丈夫なのか、その光の壁はビクともしない。
「封印の卵――引きこもりの少女を扱った事件で、報酬としてもらった造形物よ。…頑固な子でね、卵の中から引っ張り出すのに3週間もかかったわ」
「はあ…」
刹那の説明に、二人は生返事だ。
「とにかく、これでしばらくは時間が稼げそうね。…その間にやるべきことをやってしまいましょう」
「やるべきこと?」
「あなたの悪夢払いよ。…でも、その前に、その人を私に紹介してもらえないかしら」
「あ…」
ごく当然の成り行きだった。刹那と千春は初対面なのだ。雅之はちょっと照れながら、でもちょっと誇らしげに千春の背中に手を当てた。
「恋人の川島千春です。病気で寝込んでる俺のことを心配して、会いに来てくれたんだ」
「は、はじめまして」
千春はペコッと頭を下げた。刹那も会釈して微笑んだ。
「それから千春――この人が夢探偵の真木刹那さん。…炎の怪人に襲われているところを、何回も助けてもらった恩人なんだ」
「よろしくね」
「こ、こちらこそ」
緊張気味の千春。刹那は雅之に視線を移した。
「さて、感動の再会を果たしたばかりで申し訳ないんだけど、あまり時間がないの。あの卵もいつまで持つか分からないし、悪夢払いを始めましょう」
「はいっ!」
「私にもお手伝いをさせてください!」
興奮気味の千春。しかし、刹那は首を横に振った。
「もう夜明けが近いわ。あなたは現実の世界に帰りなさい」
「で、でも…」
必死に訴えかける千春に、刹那は厳しい眼差しを向けた。
「ここから先は、雅之さんが一人で解決しなければならない領域よ。彼一人で、自分の内面としっかり向き合わなければならない。…あなたがいたら、気が散って邪魔になるだけだわ」
雅之は、千春の肩にそっと手を当てた。
「千春、…あとは大丈夫だから」
「雅之…」
振り向いた千春の表情が、ふっ切れたように軽くなった。
「わかった。…私、帰ります。…刹那さん、雅之のこと、よろしくお願いします」
刹那に深々と頭を下げてから、彼女は雅之の胸に飛び込んだ。
「私、あなたのことを信じてる! 悪夢なんかに負けないで、絶対、ゼッタイ、元気になって帰ってきてね!」
「ああ」
千春は顔を上げた。
「雅之――愛してる!!」
「俺もだ、千春」
二人は唇を重ねた。
「あれ――?」
雅之の両腕が宙を掴み、彼はタコのように口を突き出しながら、前につんのめった。どこにも千春の姿がない。雅之はうろたえた。彼の中で、自分が消えかかった時の恐怖の記憶と、今、まさに目の前で瞬時に消えていった千春の姿が重なった。
「千春、――千春!?」
「大丈夫よ。目を覚ましただけだから」
腕を組んだ刹那は、落ち着き払っている。
「…ほんとに? だって、急に消えちゃったよ!」
「目が覚めれば、夢の世界からは消えるのよ。あたりまえでしょ」
「でも、さっき、俺が消えそうになったときは、みんな、そうとう慌ててたじゃないか。俺が死ぬ、とかなんとか言って」
「あれはかなり特殊なケースよ。肉体が衰弱していた上に、あの怪物のせいで、想念もかなり弱りきって、魂そのものが消えかかっていたの。そういう場合、体が揺らいで、手足の先のほうからゆっくりと消えていくように見えるわ。…今の千春さんみたいに、パッと消えたりはしないのよ」
「そういうものなのか…」
雅之は安心して大きく頷いた。
「それより、心配なのはあなたのほうよ。今は、彰幻の力でなんとか“もってる”けど、いつまた消え始めるか分からないわ。今度消えたら、もう打つ手はないからね!」
「そ、そんな…」
雅之は震え上がって唾を飲み込んだ。
「そもそも、もう5日も夢の中をさまよってるようだけど、あなたの肉体は一体どうなってるわけ?」
雅之は千春の言葉を反芻した。
「過労で倒れて入院してるみたいなんだ。…悪夢のせいで、最近全然寝れてなかったし、それに、仕事やらなにやらで無茶苦茶な生活してたしな…」
「ふ〜ん、『眠れない生活』から『眠りっぱなしの生活』に逆転しちゃったってわけね。…そういう事情なら、約束を守れなかったのも、仕方ないか」
「約束って…?」
刹那は雅之を軽く睨んだ。
「忘れたの? 日、木、12時半! あなた、私との約束を2回もすっぽかしたのよ!」
「あ…!、そ、そうだった。…ごめんなさい!」
拝むように手を合わせて懇願する雅之のしぐさに、刹那は頬を緩めた。
「まったく! …でも、そのおかげで、貴重なデータを集めることができたけどね」
刹那は、どこからともなく取り出した手鏡に目をやった。
「ここ1週間のあなたの夢を記録させてもらったわ。…見る?」
差し出された手鏡の円い鏡面には、灰色の階段が映し出されている。雅之は目を丸くした。それは、自分が必死になって上ろうとしていた駅の階段だった。
「あなたはここで、ずいぶん長い間向かい風と格闘していたわね。ちょっと上っては押し戻され、疲れてちょっと休んではまた立ち上がり、また、ちょっと上っては押し戻され…」
「ああ…。あの時、かなりつらかった。千春のアパートに行こうと、その思いだけで必死に風と闘ってたんだ…」
「たぶん、この風はあなたの『病気』を象徴しているのね。…この後も、あなたは何度も向かい風に襲われている。その度に、あなたの病状はちょっと悪化していたんでしょう」
鏡の中に会社の会議室が映り、続いて大学の講堂が現れた。どれも、雅之が夢の中で見た光景だ。雅之は感心した。
「すげえな、ビデオみたいだ! 夢探偵って、こんなこともできるのか!?」
「ちょっとした小道具を使ったのよ」
刹那は、空いたほうの手で雅之の胸を指差した。すると、彼の背広の襟元から白いものがサッと飛び出し、吸い込まれるように刹那の手の中に収まった。それは、彼女自身の名刺だった。
「この間、あなたにこれを返したとき、追跡と監視の念を仕込んでおいたの。それで、夢の中にいる間だけは、あなたの様子を見ることができるようになった。…まあ、隠しカメラ付き発信機みたいなもんね」
「007なみだな…」
青ざめた笑いを浮かべながら、雅之はいつかの刹那の言葉を思い出していた。
…
『それに――、私がいないとき、その名刺があなたのピンチを救ってくれるかもしれないし』 …
「さ、本題はこれからよ」
刹那の表情がちょっと厳しくなった。
「この5日間、あなたが夢の中をあちこちさまよっている間、炎の化け物は一度も姿を現さなかった。――そうよね?」
「あ、ああ。…それまで毎日のように現れてたのに、なんでだろ?」
刹那の目が妖しく光った。
「恐らく、あなたが本当に死にかけていたからじゃない?」
「えっ――?」
雅之は絶句した。
「あの化け物は、あなたの命を狙っていた。だから、あなたが元気なときは、あなたを焼き殺そうとして、積極的に恐ろしい怪人の姿で夢に現れて、直接襲ってきた。…でも、その脅しが功を奏して、あなたは病気になり、放っておいても死にそうな状態になってしまった。…自ら手を下す必要がなくなったので、奴は身を潜めていたんじゃないかしら」
「俺って、そんなに危険な状態だったのか…」
「そうね、――ここ何時間かの間、あなたは確実に死に向かっていた。その証拠が“退行現象”として表れてるわ」
「退行現象??」
「だんだんと過去に戻っていく現象よ。…死に直面したとき、人間の脳は過去の記憶を走馬灯のように甦らせて、その人の人生を振り返らせようとする。それを見て、まだ悔いがあれば、その人は生命力を取り戻して快方に向かうし、満足ならば、そのまま死を受け入れていくことになる。普通、そういうフラッシュバックは一瞬のうちに起こるんだけど、あなたの場合、じわじわと病気に蝕まれていたから、ゆっくりと時間を遡るように表れたみたいね」
「そうか…」
雅之は、鏡像を見ながら頷いた。今の仕事――大学の学祭――高校時代のサッカー部の体験…。確かに、夢に出てきた場面は、どれも自分にとって、精神的に大きな意味を持つ出来事ばかりだった。
「退行現象の中で、脳はその時代時代のあなたの“生”を象徴するシーンを描いて見せた。そして、それを投げ出したり、諦めたりするたびに、あなたは生への執着を失い、死へ近づいていった。…実際、何回か死にかけたしね」
「えっ?」
「本当に危なかったのよ。私もなんとかできる限りの手を打ったんだけどね」
「そうか…。向かい風に負けそうになったとき、刹那さんの声が聞こえた。それと…、少しの間、誰かに抱きしめられていたような気がしたけど、あれって…」
雅之にまじまじと見つめられ、刹那は視線をそらした。
「私よ。――ちょっとだけ、力をあげたの。…でも、幼稚園児の姿になって、父親と一緒に家に帰ろうとしたときには、もうダメかと思ったわ。遡れる記憶がなくなったら、退行現象は終わり、あなたの人生も尽き果てる。――その絶体絶命のときに、千春さんが現れた。あれで、あなたの生命力のボルテージは一気に跳ね上がったのよ」
刹那の声のボルテージも上がっていた。
「――その時、炎の怪人が本性をむき出しにして、あなたに襲いかかってきた! ただ待っていても目的を達成できないと悟って、自分で手を下すことにしたのね」
彼女は、巨大な卵の中の暴れん坊に目を向けた。雅之も無言でその視線を追った。青白い光の殻に向かって、炎の怪人は火を噴いたり、頭付きを食らわしたりしている。
「さて…、悪夢を終わらせるには、あの怪物をなんとかするしかないわけだけど、あいつの正体について、なにか心当たりはないの?」
雅之は首を捻った。
「それが、さっぱり…。前に精神科医にも聞かれたけど、火事に遭ったこととかないし…」
『…タ…カ…』
かすかに怪人の声が聞こえてきた。どうやら、ホラーハウスの屋上にいる雅之の姿を見つけたらしい。ドンドンと光の壁を叩き、前にも増して激しく暴れまわっている。
「あの化け物、あなたのことを『タカ』って呼んでるみたいだけど、それって、あだ名なの?」
雅之はまた首を捻った。
「さあ…。今まで、そんな風に呼ばれたことないけどな…」
「待って、――そういえば…」
刹那は手元の鏡に視線を戻した。
鏡面に木造校舎が現れ、2人の小学生が横を走り去る光景が映った。すれ違いざま、1人が雅之の肩を叩いた。
『急げ、タカ!』
『チコクすっぞ!!』
「あ…」
「やっぱり! この子、あなたのことタカって呼んでる! 小学生のときのあなたのあだ名なんじゃないの?」
雅之は歯切れの悪い返事をした。
「それが…。分からないんだ。…俺、小学校のときの記憶がなくて…」
刹那の目が鋭く光った。
「記憶が…ない?」
「ああ…。俺、小学4年のときに転校してるんだけど、引越しの日、車の中で突然倒れて意識を失ったらしくて…、気が付いたときには前の学校のことを全部忘れていたんだ。…幼稚園のこととかはちゃんと覚えてるんだけどね」
刹那の目に興奮の色が表れた。
「そう! これは重要なヒントだわ!」
それから彼女は鏡面に見入った。鏡の中の映像は早送りされ、木造校舎の廊下を舐めるように映し出し、やがて、「4−1」という看板が掲げられた教室の前で止まった。その教室の前後の入り口は厳重に施錠され、幾重にも鎖が巻きつけられている。刹那は叫んだ。
「これを見て! 他の場面が比較的まともな日常風景なのに、ここだけ妙に違和感があると思わない? …教室の入り口がこんなに厳重にふさがれているなんて、どう考えても普通じゃないわ」
「そういえば…、前にも同じような夢を何回か見たことがある。…教室に入ろうとするんだけど、どうしても入れないんだ」
刹那はニヤッと笑った。
「なるほどね。…やっと、解決の糸口が見えてきたわ」
「ほ、本当ですか、刹那さん!」
「ええ…。全ての答えは、この教室の中に隠されている。…間違いないわ!」
雅之はポカンとしている。
「どういうこと?」
刹那は誇らしげに胸を張って説明した。
「人は、ショッキングな体験をしたときなどに、その記憶を自分で封印してしまうことがある。…まあ、心を大きなストレスから守るための一種の防衛策ね。でも、そうやって、記憶を封じ込めた人って、頭のどこかに『その記憶を忘れたままではいけない』という思いも残っていて、それが夢に出ることがあるの。…鍵のかかった宝箱とか、閉ざされたドア、といった形でね」
「閉ざされたドア…」
雅之は鏡の中の引き戸を見つめた。
「そう…。たぶん、あなたは前の学校でかなりインパクトのある体験をして、それを思い出さないように封印してしまった。…そして、あなたのことを『タカ』と呼ぶあの怪人は、恐らくその記憶と密接な関わりがある。…あの教室の扉を開ければ、すべてを思い出して、怪人の正体も明らかになるはずよ」
雅之は憧憬の目で刹那を見つめた。
「刹那さん、かっこいい! …さすが、夢探偵!」
刹那は目を細めた。
「…なんか、まだ他人事みたいに思ってない?」
それから、サッと真顔を突き出した。
「いい? さっきも言ったけど、ここから先は、あなたが自分自身で解決しなければならない問題よ。この扉は、あなたが、自分の手で開けなければならない。20年近くも封鎖されていたんだから、そう簡単には開かないでしょう。それに、扉の向こうには、あなたが耐えられないような記憶が隠されている可能性もある。…いずれにしても、この先、大きな試練があなたを待ち構えているのは間違いないわ。分かった?」
雅之は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「はい…」
「とはいえ、私もできる限りのバックアップをさせてもらうわ。まず…これを貸してあげる」
刹那は、手にした鏡を雅之に差し出した。
「えっ…?」
「潜望鏡――覗き癖のある大学教授から巻き上げた造形物よ。…ほんと、困った教授先生でね。日頃押さえ込んでいたスケベ心を夢の中で爆発させて、お気に入りの女子大生を盗撮するわ、追い掛け回すわのストーカー行為のし放題! 挙句の果てに――」
「あ、あの、刹那さん?」
宙を睨んでいきり立っていた刹那は、ハッと我に返った。
「あらっ、…ごめんあそばせ! ――とにかく、この鏡にはいろいろ便利な機能がついていて、今回のようなケースにはもってこいなのよ」
「はあ…」
――やっぱりこの人、なんか面白い! こみ上げてくる笑いを抑えながら、雅之は手鏡を受け取った。刹那は真剣な面持ちで説明を続けた。
「この鏡には、映像を蓄積したり、再生する機能の他に、2つの空間を繋ぐ力があるの。…ちょっと、鏡に触ってごらんなさい」
左手で柄を握りながら、雅之は右手を鏡面に近づけた。
「あ、あれ…?」
腕が鏡の中にズボッと入ってしまった。焦っているうちに、そのままグイグイと全身が吸い込まれていく――。
「――!!!――」
一体何が起こったのか、雅之には理解できなかった。フラフープをくぐり抜けたような感覚に襲われた後、気が付くと、周りの景色が一変していた。すぐ目の前に木製のガラス戸がある。幾つもの南京錠が掛けられ、鎖で厳重に縛り付けられた引き戸――それは、今まで鏡の中に映し出されていた、4年1組の教室の入り口だった。
「そんな…。どうなってんの!?」
雅之は、木造校舎の廊下にたった一人で立っていた。
第9部「炎の中の少年」へ つづく
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