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「ちょっと、――あなた、それでいいの?」
白煙の中から、刹那が絶妙なタイミングで姿を現した。
亮太は動きを止め、彼女を横目でジロリと睨みつけた。雅之は目を閉じたまま、苦渋の表情を浮かべて言った。
「いいんだ。…俺は、亮太を殺してしまった。この命を差し出すことで、こいつの恨みが晴れて成仏できるんだったら、それでいい!」
刹那は腕を組んだ。
「ふ〜ん。…でも、その子、亮太クンじゃないわよ」
「なぬ!?」
雅之は目を開けた。イガグリ頭は修羅の形相で振り返った。
「なに言ってやがる! おれは加藤亮太だ!!」
「違うわ。キミは加藤亮太の死霊じゃない。…高野雅之の分身よ!」
「なに…シャ、シャド? …くそっ、わけのわかんねえ言葉つかいやがって!!」
「ごめんね。私たちの業界用語なの。…今、分かりやすく説明してあげるわね」
刹那は、2人の周りをゆっくりと歩きながら講義を始めた。
「夢の中にはね、『人の姿をしたもの』が4種類存在するの。1つは、雅之さんみたいに、昼間は現実の世界に生きていて、寝ている間だけここにやって来る“本物”の人間。『魂と肉体を持つ存在』という意味で、私たちは所有者と呼んでいるわ。そして、2つめは、所有者によって作り出され、所有者の意のままに動く操り人形――傀儡。夢に出てくる『人らしきもの』のほとんどがこれよ。さっきまで、この遊園地を埋め尽くしていた人々も、9割がた傀儡だった。そして――彼女もね」
刹那が横を向くと、白いもやの中から千春がすーっと現れた。雅之は立ち上がった。
「千春…。俺のことを心配して、戻ってきてくれたんだね」
千春はペロッと舌を出して笑った。
「はずれ!!、…私はニセモノよ」
次の瞬間、千春は「へのへのもへじ顔」の案山子に姿を変えた。
「な――」
雅之は、口をあんぐりと開けている。刹那は苦笑した。
「ごめんなさいね。…彼女は、あなたに本気を出してもらうために、私が作った傀儡よ。…現実の世界に帰っていった千春さんが、ここにいるわけないでしょう?」
「――て、刹那さん!」
雅之は笑いながら怒った顔を刹那に向けた。
「まあ、苦情は後でゆっくりと受け付けることにして、話を戻すわね。…夢の世界で『人の姿をしたもの』の3つめは、死霊。これは文字通り、死んだ人間の魂よ。現実の世界で肉体が滅んだ後も、魂はしばらくの間夢の世界にとどまり、人の姿で存在し続ける。…だんだん力は弱くなっていくけど、『その人のことを覚えている人』が生きている限り、魂は消えない。なかには、自分が忘れ去られた後も、他人の脳の力を借りて強引に存在し続けようとする死霊もいて、私たちはそれを悪霊と呼んでいるわ。…最初、彰幻はキミのことを悪霊だと勘違いしていたようだけどね」
亮太は、鼻で笑った。
「ふん、くだらねえ。…話はまだ終わらねえのか」
「いい子だからもうちょっと待ちなさい。…いよいよ、4つめ――最後に登場するのが分身よ。これは、傀儡と同じように所有者によって作り出された存在だけど、傀儡と違い、魂を持っていて自分の意志で自由に動き回ることができるの。所有者とは1つの肉体を共有した兄弟みたいなもので、“別人格”なんて呼ばれ方をすることもある。…ズバリ――キミのことよ」
刹那は、亮太少年をまっすぐ指差した。一瞬、体をこわばらせて押し黙った亮太に対し、刹那はもう一度宣告した。
「そう。――キミは雅之さんの分身よ。…加藤亮太なんかじゃないわ」
「ちがう! おれは亮太だ!」
少年は叫んだ。刹那は彼のもとに歩み寄って言った。
「じゃあ聞くけど――、キミのお父さんとお母さんの名前は?」
彼は堂々と答えた。
「父ちゃんの名前は和雅。母ちゃんは裕子だ」
雅之が言った。
「…それ、俺の両親の名前だ」
「えっ!?」
驚く少年に、刹那は追い討ちをかけた。
「では、第2問。キミの誕生日は?」
「5月14日…」
「それも俺と同じだ」
「…」
言葉を失う少年。刹那はふっと息を吐いてから言った。
「分かった? 生年月日と両親の名前がまったく同じだなんて――そんな偶然ありえないでしょ?」
「ばかな…」
少年は頭を抱え、フラフラとよろけた。
「おれが亮太じゃない…? じゃあ、おれはいったい何なんだ…。おれは、おれは…、ずっと、タカのことがニクかった。…こいつを幸せにしちゃだめた、絶対フクシュウしてやるんだって…、ずっと、思ってた。…こいつが笑ったり、成功していくのを見るたびに、その思いがどんどん強くなっていって、おさえられなくなって、…それで、火を見せておどかしてやったんだ。おれが亮太でないなら、いったい、なんのためにこんなことをしてきたんだ…」
刹那は、震える少年の両肩に、そっと手を置いた。
「キミはね――雅之さんの良心なの」
「リョウシン…?」
彼は顔を上げた。
「そうよ。『自分が亮太くんを殺した』と思い込んだ雅之さんは、記憶を封印してしまった。自分の“脳の一部”を隔離して、そこに忌まわしい思い出を閉じ込めたの。…でも、その結果、彼の罪はすべて、その“脳の一部”に押し付けられてしまった。『人を殺した自分は、幸せになってはいけない』という強い贖罪の念と一緒にね。…つらかったでしょうね。逃れられない罪の意識を何十年も背負わされて。…叫んでも、叫んでも、――その声は誰にも届かない」
少年の目に涙が揺れている。刹那は続けた。
「…やがて、その声にならない良心の叫びが、彼の頭の中にキミという別人格を作り上げた。キミが炎の怪人の姿になって雅之さんに襲いかかったのは、彼に“亮太が味わったであろう苦しみ”を思い出してもらうためだったのね。そして、今、――キミの頑張りのおかげで、彼は記憶を取り戻し、罪としっかりと向き合うことができた。…もう、キミ一人が苦しみを背負う必要はなくなったのよ」
「う、ううっ…」
しゃくり上げる少年の体を、刹那が力強く抱き寄せた。彼は、彼女のキャミソールに顔をうずめて号泣した。
「うわあああああああ!」
刹那も、雅之も、ただ無言のまま、彼が慟哭する様を見守った。
やがて、刹那は少年の頭を撫でながら言った。
「いい事を教えてあげる。…雅之さんは、亮太クンを殺してないわ」
少年は顔を上げた。
「えっ!?」
「本当かい、刹那さん!?」
雅之も身を乗り出した。刹那は、目に力強い光を宿して言った。
「ええ。…だって、考えてもごらんなさい。小学校の校庭から子供の焼死体が見つかったりしたら、大変な騒ぎになるわ。センセーショナルな怪事件として、マスコミは大げさに取り上げるでしょうね。…でも、テレビや新聞で、そんなニュース見たことある?」
「いや…、ない」
雅之は首を振った。
「仮に、…もし死体が見つからなかったとしても、1人の小学生が行方不明になれば、それだけで大ニュースよ。前に住んでいた町でそんな事件が起こったことを知れば、あなたのご両親がそのことを話題にしないわけがない。…だいたい、日本の警察は優秀だから、すぐあなたのところに事情聴取に来たでしょうしね」
「そうか…。そうだよな」
安心した雅之は、緊張から解放されフニャッと体勢を崩した。
「亮太クンは、火が着けられる前に焼却場を自力で脱出したんでしょう。私の推理ではそうなる。…でも、残念ながら、証拠は何もない。…事実は、あなた自身が、自分の目で確認するしかないの」
刹那は、雅之にちょっと厳しい目を向けた。彼は姿勢を正した。
「分かってる。…目を覚ましたら、俺、リョウに会いに行くよ。…そして、彼に謝る。いくら子供がしたこととはいえ、怒りに身を任せて彼を突き飛ばしたのは事実だからな」
刹那は頷き、イガグリ頭に視線を戻した。彼女は身をかがめ、少年と同じ高さの目線で優しく語りかけた。
「もういいでしょう? キミの想いは彼に伝わった。…そろそろ、帰ろっか」
「ウン」
少年は、涙をぬぐって、こくんと頷いた。
「さあ、雅之さんのところに行って、――彼と仲直りの握手をしなさい」
少年は振り向き、雅之のもとへ駆け寄った。互いに手を取り合い、固く握手を交わす二人。にっこりと笑った少年の体が、陽炎のように揺らいだ。白い輪郭だけを残して、透き通った彼の体がふわりと宙に浮き、雅之の体と重なって――消えた。
後に残された“白い人形”は、ゆっくりと形を変えて、冴えない中年オヤジの姿になり、霧のように消えていった。
雅之は立ち尽くした。
刹那は、フーッと大きく息を吐いてから言った。
「悪夢払い完了よ」
雅之は、ゆっくりと刹那のほうを向いた。
「あ、あのう、刹那さん。…一応、どういうことになったのか、説明してもらえないかな」
刹那は疲れた顔で笑った。
「そうね。…まず、あなたの分身だったあの少年は、あなたと同化して1つになった。…もう二度と、あなたが炎の怪人の悪夢を見ることはないでしょう。…それから、最後に出てきた中年オヤジ――彰幻は、憑き物から解放されて、現実世界に帰っていった。さすがに、あれだけの力を使ったから、もう限界だったみたいね。…目を覚ましてからも、半日くらい、だるくて動けないんじゃないかな…」
「なんか、…あの人には悪いことしちゃったな」
「いいのよ。彼、修行の一環として、この仕事をしているの。…今度のことは、彼をステップアップさせるいい経験になったんじゃないかな」
「はあ…」
「でも、私は違う。ボランティアでこの仕事をしてるわけじゃない。…あなたには、ちゃんと報酬を支払ってもらいますからね」
刹那の目が、キラリと光った。雅之は動揺を隠すようにおどけた。
「え、えーっと、…確か、オブジェとやらを君にあげるんだよね」
「そう」
「な、何がいい? 俺、たいした物持ってないと思うんだけど…」
刹那は腕を組んで考え込んだ。
「そうねえ…。あの“炎の怪人”は魅力的だったけど、消えちゃったし。――な〜んてね。実は、もう決めてあるのよ」
彼女は天を仰いだ。
煙の合間を縫うように、1羽の白い小鳥が舞い降りてきた。刹那が右手を差し出すと、小鳥は名刺に姿を変えてヒラリとその掌中に収まった。
「この名刺をいただくわ」
「でも、それ…、もともと君のものじゃ…」
「あなたが原型を作って、私が機能を加えたの。いわば、二人の合作ね」
「そんなもので、いいの…?」
「あら、これ、けっこう便利な道具よ。…これからよく使うことになると思うから――そうねえ、ここに登録しましょう」
刹那は、左腕に名刺を押し当てた。ジュッという音がして、名刺は消え、代わりに銀色の四角いタトゥが皮膚に刻み込まれた。よく見ると、キャミワンピースからはみ出した彼女の白い肢体には、銀色の紋様がいくつもちりばめられている。雅之は目を丸くした。
「刹那さん、…それって…?」
刹那は顔を上げ、誇らしげに言った。
「私の勲章よ。解決した事件の報酬をショートカットにして焼き付けてあるの」
「ショートカット…?」
「パソコンのそれと同じよ。…このタトゥに触れることで、私は依頼主の心と繋がり、作品を呼び出すことができるの」
「へえ…。でも、…なんか痛々しいな」
「そうね。…普段、こんな格好を人目にさらすことはないんだけど。…今日は、ちょっと力を使いすぎて、もとの衣装に戻れなくなってしまったみたい…」
弱々しくそう言った刹那は、ふらっとよろけた。
「刹那さん!! …大丈夫かっ!?」
雅之は素早く飛び出してその体を支え、それから自分の上着を脱いで彼女に着せた。
「ありがとう。あなたに助けられるなんてね。…でも、大丈夫よ。時間がたてば、回復するから」
「そうなの?」
彼女は微笑み、スックと身を起こした。雅之は心配になった。――自分でさえ、スーツや野球のユニフォームに簡単に着替えられたのに、『夢問題のエキスパート』を自負する刹那が、自分の服装一つ変えられないほど消耗しているなんて…。
「あ、あの…」
雅之の言葉は、不意に聞こえてきた陽気な電子音楽に遮られた。
音の方向に目をやると、煙の立ち込める灰色の瓦礫の山の一角が、なにやら光り輝いている。
「あれは――」
2人は目を見張った。小さなメリーゴーランドが、絢爛豪華なイルミネーションとともに回転している。その中に、白馬にまたがった金髪の少女が満面の笑顔ではしゃぐ姿が見えた。…と、メリーゴーランドから一直線に真っ白い石畳の遊歩道が伸び、その両側に街路樹がにょきにょきと生えてきた。道の上に、ぽつぽつと人の姿が浮かび、瓦礫の山の中から、1つ、また1つとパビリオンが建ち上がった。
「ヨーロッパの子供たちが眠りに就いたのね。…こうして、世界中の人たちの想念により、遊園地は復元されていく。…かなり、時間はかかるでしょうけどね」
刹那は目を細めて呟いた。
「すげえな…」
雅之は、しきりに感心している。刹那は思い出したように言った。
「さて…。いつまでもこうしてるわけにはいかないわ。あなたは、千春さんが待つ現実の世界に帰りなさい」
「あ、ああ」
刹那と正対した雅之は、ペコッと頭を下げた。
「刹那さん、本当にありがとう。…それから、なんか、かなり疲れさせちゃったみたいで、ごめんなさい!」
彼女は軽く笑った。
「いいのよ、仕事だからね。…なかなかてこずったけど、無事、悪夢払いができてよかったわ」
「また、…何かあったら、会いに来てもいいかな」
「もちろん。…もう名刺はないけど、大丈夫よね」
「ああ。…夢世界の案内人は、自分自身の想念――だろ?」
「そうね。…あ、それから――最後に1つ、お願いがあるんだけど…」
刹那は、どこからともなく1枚の写真を取り出して、雅之に見せた。それは、中学生くらいの少女のピンナップだった。
「これは…?」
「中村直美さん。…半年前に夢捜索の依頼を受け、私が捜している子よ。夢の中のどこかにいるはずなんだけど、まだ何の手がかりも掴めてないの。…私の、唯一の“未解決事件”よ」
「はあ…」
「もし、夢の中で似たような子を見かけたら、連絡をもらえないかしら。…とにかく今は、少しでも情報が欲しいの」
「…わかった。この子の顔、…忘れないように目に焼き付けておくよ」
「ありがとう。…よろしくね」
刹那は、はにかむように笑った。
…
「…」
白いもやの中に、丸いものが2つ並んでいる。――なんだろう…。
「…」
何かが聞こえる。2つの丸いものが、小刻みに揺れながら、断続的に高い音を発している。
「…マサユキ…」
――自分の名前…。すると、ここは…。
しだいに焦点が合い、意識がはっきりしてきた。真っ白い天井。その下に並んだ千春と母親の顔が、自分を心配そうに覗きこんでいる。――そうか、俺、目を覚ましたんだ…。
雅之はパッチリと瞳を開いた。。
『雅之!!』
二人が同時に叫び、一瞬笑顔になった後、揃ってベッドの上に泣き崩れた。
「よかった…。本当によかった…」
「…千春、…母さん…」
雅之は体を起こそうとしたが、背骨の辺りが痛くなり、首を動かすのがやっとだった。母親は、顔を上げて優しく語りかけた。
「まだ無理よ。…あなた、5日間も昏睡状態だったんだから」
「あ、ああ…」
知ってるよ、という言葉が喉まで出かかったが――呑み込んだ。千春が耳元で囁いた。
「無事に、悪夢を退治できたのね」
「ああ。――あの人のおかげで、すべて解決した。…君にも、お礼を言わなくちゃね」
「うふふ…」
「ねえ、なに? ――何の話?」
母親が、不思議そうに顔を突き出した。
「な、なんでも――ありません」
慌てる千春。雅之はニッと笑った。
「二人だけの秘密だよ、母さん」
「もう…」
母親は、呆れながらむくれた。
時刻は午前10時を回っていた。まもなく医師がやってきて、「もう大丈夫だ」と笑って太鼓判を押してくれた。母親は「店が心配だから」と言って、後のことは千春に任せて静岡に帰っていった。ベッドの傍らに座った千春に、雅之が話しかけた。
「仕事はいいのかい?」
「休みを振り替えてもらったから大丈夫よ。…今日は、雅之が絶対目を覚ますって分かってたから、朝一で上司に懸け合ってOKもらってきたの。ノープロブレムよ」
雅之は、弱々しくお爺さん風の声を出した。
「…すまないねえ…」
「もおっ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
窓から柔らかな日差しが注いでいる。平和な時間が、ゆっくりと過ぎていく。
雅之が、遠くを見ながらぼそっと言った。
「あんなことがあったなんて、信じられないな」
「うん…」
二人は、夢の中の出来事について語り合った。遊園地での再会のこと、炎の怪人との対決のこと…。しかし、二人とも、「夢探偵」の顔と名前については、思い出せなくなっていた。「お坊さん」と「べっぴんさん」。…とりあえず、そういう愛称で彼らのことを呼ぶことにして、二人は共通の夢体験を確認し合った。それから、雅之は千春が目覚めた後のことも話して聞かせた。閉ざされた教室のこと、亮太とのこと…。
「とにかく、体力が戻ったら、故郷に帰って事実を確認しなきゃな…。リョウが元気でいてくれればいいんだが…」
「きっと、大丈夫よ」
千春は、雅之の手を握った。
…
午後、菊地課長以下企画開発課の面々が大挙して見舞いに駆けつけた。
「皆さん、すみません。…大変な迷惑をかけてしまって…」
神妙な面持ちで、雅之は首だけを動かしてなんとか謝意を伝えようとした。菊地課長は表情を崩した。
「いいんだよ。…とにかく君はゆっくり休んで、体をちゃんと治してから、会社に出てきなさい」
「で、でも、船井の件が…」
「あれね…。あれ、大丈夫になったから」
「は?」
課長は身を乗り出した。
「今日ね、実は大沢部長を交えて船井の担当をどうするか、話し合いを開いたんだよ。…君がこんなことになってしまって、企画書も完成してないみたいだし、別の人に引き継ぐという方向で話が進んでいたんだが…、ちょっとしたハプニングがあってねえ…」
「ハプニング?」
課長は、傍らの和田に目配せをして後ろに下がった。課長と入れ替わり、和田が説明を始めた。
「今朝、課長たちが別室で打ち合わせをしているときに、杉本さんが血相を変えて課にやってきたんスよ。…なんか、高野さんがうわ言で企画書のファイル名を言ったから、すぐにパソコンを見てくれって…。で、杉本さんの言うとおりに操作していったら、『FUNAI FESTIVAL』のスライドが開いたんっスよ!」
「それ…。俺が、企画書代わりに使おうとしてた奴だ…」
「あ、やっぱりそうだったんスか? 『とにかく部長に見せなくちゃ』って、杉本さん、ノートパソコンを抱えて会議室に乗り込んでいって…、なんか、ものすごい手際のよさでプロジェクターをセットして、…勝手に提案説明を始めちゃったんスよ」
そこで、課長がまた前に出た。
「いやあ、…すばらしかった! 君、いつの間にあんなもの仕上げていたんだね? 最初はみんな呆気にとられていたんだが、スライドショーが終わったとたん、拍手…、拍手の嵐だよ。部長も『イメージがはっきり分かった』とおっしゃって、たいそうご満悦だった。まだ、本番までには日があるし、あそこまで案ができていれば、君の回復をもうちょっと待ってみても大丈夫だろう、ということになってね」
「それじゃあ…」
雅之は首をもたげた。
「ああ。…君には、引き続きチーフをやってもらう。…社に戻ったら、また忙しくなるぞ」
課長は、上機嫌で雅之の肩をぽんと叩き、付け加えた。
「それにしても、――あの杉本っていう若僧、なかなかやるねえ。提案説明のときの迫力ある語り口、説得力のある言葉遣い、そして、あの度胸! 大沢部長もたいそう気に入られて、どうやら来年あたり、うちの部に引っぱってくるおつもりじゃないかな…。いやあ、君もうかうかしておれんぞ!」
課長の笑い声を残して、彼らは会社に戻っていった。
「杉本の奴…」
そう呟きながら、雅之はひとり目頭を熱くした。
…
夕方、母親が静岡から戻ってきた。
「千春さん。…あとは私が付き添うから大丈夫よ。…いろいろと面倒をかけたわね」
「い、いえ…。じゃあ、私、帰ります。また明日、顔を出しますから」
千春を廊下まで見送った母親は、ニコニコしながら枕元に引き返してきた。
「千春さんとは、うまくいってるみたいね」
「うん…」
雅之は照れくさそうに笑った。
「お前もそろそろ適齢期だもんね。――はい、これ。うちに届いてたわよ」
母親は、バッグから白い封書を取り出し、雅之に手渡した。それは結婚式の招待状だった。――最近多いんだよな。今度は誰だろう…。出費のことを考えながら差出人の名前を見た雅之は、驚きのあまりガバッと跳ね起きた。
『 加藤亮太 』
『 秋星美緒 』
何度も目をこすって確認したが、見間違いではない。そこに並んでいたのは、紛れもなくあの二人の名前だった。メッセージも添えられていた。
よお! 俺様をケンカで負かした唯一の男、元気か!
あの一撃は効いたぜ!! さすがに俺も反省した。
で、お前の代わりに美緒を守ることにしたんだ。
これからも、こいつのことを一生守ってやる。
どうだ、うらやましいだろう!
亮太
手紙、待ちくたびれちゃった。
私のこと、忘れてないよね…
美緒
――あの二人が結婚!? あの後、いったい何があったっていうんだ? 何をどうすればこういうことになるんだ?
頭がクラクラして、雅之は再びベッドに身を沈めた。同時に笑いがこみ上げてきた。――なんだよ、それ? こんなオチありかよ!? 手紙を顔に当てて、彼は笑った。怪訝そうな母親の視線も気にせず、彼は、ゲラゲラと、涙を流しながらひたすら笑った。
――でも、…ヨカッタア!!
――
「海外出張ご苦労様。…今度は、どこ行ってたの?」
紅茶をカップに注ぎながら、千春が言った。
「韓国に、中国に、ロシア――4日で3ヶ国、12都市を回る強行軍だよ。…まいったよ、ほんと。…ここんとこ、忙しくってさ。今日もあんまり時間取れないんだ」
岡村香代は、コーヒーをかき回しながらぼやいた。
「そうなの? …残念。香代ちゃんに、話したいこといっぱいあったのにぃ」
「ごめんな、千春。…今度、ゆっくり時間作るから。あ、そうだ。…それで、高野とは仲直りできた?」
「うん。…今度、一緒に暮らすんだ」
「え――ええ〜っ!!! な、なんだよ、その急展開!! いきなり同棲かよ!? 喧嘩したって聞いてから、まだ2週間しか経ってないってゆうのにぃ?」
「あれからいろいろあってね。…そういうことになっちゃった。…えへ☆」
「ちぇっ! うらやましいなあ。ちくしょ〜」
「そうだ。…あれ、ありがとね」
「ん? 何のこと?」
「夢探偵のこと、教えてくれたじゃん。あれで、彼とも仲直りできたんだよ」
「そ、そうなの?」
「うん。それで、そのお礼に、夢探偵の最新情報を教えてあげようかな〜と思って」
香代は考え込んだ。
「う〜ん。…それ、もういいや」
「えっ、何で?」
「今、それどころじゃないんだよ。…とんでもないスクープ追ってるんだ」
「とんでもないスクープ?」
香代は、身を乗り出した。
「ああ。聞いて驚け!! 1週間前の午前5時頃、日本中で何百人もの人が一斉に同じ夢を見たんだ!!」
「同じ…夢?」
「そう。…“炎上する遊園地”の夢! しかも、日本だけじゃない。中国やロシアとかからも同じ夢を見たって人が続々と現れてる。こんな怪現象、聞いたことないだろ? 次号の特集はこれで決まりだよ!」
「あ、あの…、香代ちゃん…」
その時、香代の携帯が鳴った。
「はいっ! 岡村です。…えっ!? あ、はい、分かりました! すぐ行きますっ!!」
携帯をチャッと閉じ、香代は立ち上がった。
「ごめん、千春! …職場に戻らなきゃならなくなった。なんか、また特ダネが入ったらしいんだ。…話の続きは、また今度。…そうだ、高野にもヨロシク伝えといて――じゃあ!!」
喫茶店のテーブルにバンっと代金を置き、香代はつむじ風のように走り去った。
「もう、香代ちゃんったら、せっかちなんだから」
窓に目を向けると、寒空の下、脚をバタバタさせて信号待ちをする香代の後姿が見える。
「がんばってね、香代ちゃん。…あ、そうだ。雅之にメールしとこ」
千春は、紅茶を口に含みながら携帯を取り出した。
完
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