「ちょっとぉ、アンジェリークってば、日にち間違ってるんじゃないの? 今日はまだ12日だよ?」
部屋に一歩足を踏み入れた途端、猛烈なチョコレートの匂いに酔いそうになったレイチェルは、エプロン姿のアンジェリークに声をかけた。
「レイチェル! よかったぁ、来てくれたんだ。これ、味見してくれる?」
「アナタ、ワタシの話聞いてなかったでしょ? 明日は13日、バレンタインデーは14日だよ?」
「あの、あのね、レイチェル。これバレンタインデー用じゃないの。えっとね、お誕生日のケーキなの」
「お誕生日・・・? あっ! そっかぁ。なーんだ、アンジェリーク、そーゆーことだったんだね。ふーん、アナタの好みって変わってるね」
変わってると言われて少しむっとしたアンジェリークだったが、レイチェルが面白そうに笑っているのを見て、諦めたように肩をすくめ、味見用のケーキを差し出した。
「えー、コレってケーキなの? 土の塊みたいに見えるけど?」
「もう、レイチェルったら。とにかく食べてみてよ」
レイチェルは観念したように塊を口の中にほうり込んだ。
「オイシイ!」
「ほんと?」
「うん、ホントにホント。やるじゃない。でもねー、この見栄えの悪さったらないよ。もうちょっと何とかならない?」
「これでもずいぶん良くなったと思ったんだけど・・・」
レイチェルはチョコレートの匂いが充満している部屋を見回した。
アンジェリークは今日一日この部屋にこもって何度もケーキを焼いていたに違いない。
ひょっとしたら今日だけではないのかも知れない。
昨日も、一昨日も、時間があればケーキ作りにいそしんでいたのかも知れないのだ。
「ま、まぁ、要は中身よね? これだけオイシイんだから、きっとセイラン様も喜んでくださるよ」
セイランの名を聞いて真っ赤になったアンジェリークは、レイチェルに感謝の言葉を言い、押し出すようにしてドアを閉じた。
『きっとセイラン様も喜んでくださるよ』
レイチェルの言葉に励まされ、出来上がったケーキを丁寧に包み、リボンをかけて明日を待つことにした。
次の日の朝早く、白い紙袋を大事そうに抱えたアンジェリークは、学芸館の前で行ったり来たりを繰り返していた。
そこにひとりの学芸館職員があくびをしながら出てきた。
「あ、あの、すみません! これ、セイラン様にお渡し下さいっ!」
職員の返事も聞かず、紙袋を押しつけると、アンジェリークは猛スピードで寮へ駆け戻った。
『はぁ、ダメ。とてもご本人に渡すなんてできない・・・。セイラン様喜んでくださるかなぁ』
その日は気もそぞろで、とても育成どころではなかった。
かといって学芸館に足を向けることもできず、上の空で育成のお願いをし、寮に帰り着いた時にはわけの分からない慰労感にぐったりとしてしまった。
「ハーイ、首尾はどう? ・・・ナンダ、お疲れ?」
好奇心に輝いた顔でドアを開けたレイチェルは、ベットにくたっと座り込んでいるアンジェリークを見つけて部屋に入り、自分もベットの端に腰掛ける。
「どう? ちゃんと渡せた?」
「・・・職員の人に頼んで来ちゃった」
レイチェルは俯くアンジェリークの背中をポンポンと叩いた。
「今日のセイラン様って何となくなんだけど、嬉しそうだったな」
アンジェリークの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「やだ、アナタにウソついてどうしようってゆーの。ホントだよ」
「レイチェル、大好き!」
「ハイハイ。でもね、そーゆーセリフは好きな人のためにとっとかなきゃ。じゃ、ワタシは帰るね」
「うん、ありがとうレイチェル」
次の日、アンジェリークはあるたけの勇気を振り絞って学芸館に向かった。
だが、お目当ての感性の教官はいない。
誰に聞いても知らない様子で、庭園の噴水でさえ、恋しい人の行方を教えてはくれなかった。
次の日も、またその次の日も感性の教官は姿を現さない。
アンジェリークは段々心配になってきた。
次の日の朝早く、アンジェリークは固く拳を握りしめたまま、学芸館の前で行ったり来たりを繰り返していた。
そこにひとりの青年があくびをしながら出てきた。
まさか。
アンジェリークの鼓動が早くなる。
「やぁ、今朝はずいぶん早いね」
アンジェリークに気付いたセイランが微笑みながら声をかけた。
「セイラン様! 私のケーキのせいで具合が悪くなったんじゃなかったんですね! あー、よかったぁ」
「へぇ、そんな事を気にしてたのかい? でも、それもあながち間違いでもなかったよ」
「えっ? あの、じゃぁ、やっぱり具合が・・・」
「勘違いしてもらっちゃ困るね。体の方はこの通りぴんぴんしてるよ。具合が悪くなったのはこっちの方さ」
そう言って胸のあたりを指さす。
「くっ、何て顔だい? わからないって? いいよ、じゃ、こっちへ来るといい」
手を引っぱって連れて行かれた場所はセイランの私室だった。
一歩足を踏み入れた途端、むせかえるようなチョコレートの香り。
そして、所狭しと置かれたチョコレートの山。
目を丸くしているアンジェリークに、セイランはラッピングされた小さな箱を差し出した。
「誕生日おめでとう」
思わず両手を出して箱を受け取る。
「おや、僕の勘違いだったかい? 確か今日は君の誕生日だって思ったんだけど」
「・・・! あ、はい。はいっ! 誕生日です。あの、あ、ありがとうございます!」
箱を両手に乗せたまま弾かれた人形のようにお辞儀するアンジェリークに、セイランは思わず吹き出してしまった。
「くっ、・・・あははは! まったく君って人は僕の予想以上の反応を返してくれるんだから。本当に退屈しないよ。それより、箱の中身が気にならないかい?」
アンジェリークは手の上の箱をしげしげと眺めた。
落ち着いた青と緑の配色できっちりとラッピングされている。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
そっと開いた箱の中には、それは小さなチョコレートケーキ。
パータ・グラッセでコーティングされた表面は艶やかで磨き込まれた宝石のように光沢を放っている。
ホワイトチョコで作られたバラの花が唯一のアクセントとしてケーキの上に乗っていた。
「これが僕の4日間の成果さ」
「すっごく綺麗です。食べちゃうのが惜しいくらい」
「そうだね、見かけだけはかなり上手くいったと思うよ。じゃ、お茶を煎れるからそこら辺に座ってて」
セイランは奥に引っ込んだかと思うと、すぐにポットを手にして戻ってきた。
ケーキを皿に移し。カップにお茶を注ぐ。
「さぁ、どうぞ」
「ありがとうございます」
アンジェリークがケーキを口に運ぶのを興味深げに眺めながら、セイランは自分用に煎れたお茶を飲んだ。
「あの、セイラン様は召し上がらないんですか?」
「僕が? この4日間というものチョコレート漬けだった僕に勧めるのかい? 知らなかったな、君が僕を太らせたがってるなんて」
「えっ? あの・・・」
「それで、僕の作品の感想を聞かせてくれるかな?」
「あ、はい、おいしいです」
「君は嘘をつくのが下手だね。・・まぁ、及第点は取ってると思うよ。でもね、君のとは全然違う」
セイランは片肘をついていた手を下ろし、まっすぐアンジェリークを見つめた。
「実際、君のケーキは見るも無惨なものだった。香りを嗅ぐまでは食べ物だとは思えないくらいにね。これをケーキだと言い張るんなら僕は感性の教官として君に何を教えてきたんだって自分を呪ったよ」
アンジェリークは肩を振るわせ、真っ赤になって俯いた。
「顔を上げて、アンジェリーク。ところが一口食べてみて驚いたんだ。素晴らしかった。いつもは食欲のない僕が瞬く間に食べ尽くしてしまったんだからね」
アンジェリークは顔を上げ、信じられないという風に目を瞠った。
「それから僕はにわかケーキ職人さ。君のケーキの味を何とか再現できないかってね。でも、それは無理だった。当たり前だ、あれは君にしか出せない味なんだから。僕にできることはせいぜい見栄えを良くすることくらいなんだ」
アンジェリークは徐々に緊張を解き、セイランの言葉に聴き入った。
「アンジェリーク、君はおいしい物を創り出すことができて、僕はそれを飾ることができる。君と僕、どちらが欠けても駄目なんだ。これはケーキに限った事じゃない。
ねぇ、アンジェリーク、僕は今までたいていひとりだったし、ひとりで生きていけると思っていた。でもそれは錯覚だったんだ。僕は片翼のまま危なげに飛んでいたに過ぎなかったのさ。
今まではそれで何とかなってきた。でもそれに気付いてしまったらもう羽ばたくことはできない。君というもう一方の翼がなくっちゃね」
アンジェリークは立ち上がり、セイランの傍に寄ってそっと背中に手を置いた。
「私でセイラン様の翼になりますか?」
「ああ、とても力強い翼だ」
「それなら私をセイラン様の翼にしてください」
「・・・ありがとう」
背中にアンジェリークの重みを感じて、セイランは自分が全うき人になったと感じた。
これで大空を羽ばたいていける。
未来に向かって。
Fin
るーさんのお誕生日(2月17日)に合わせて書いたお話です。
お誕生日祝いに差し上げたお話ですが、るーさんのご厚意で「お話」の部屋で公開いたします。
なぜチョコレートケーキか。。。この時期、材料のチョコレートが手に入りやすいから、じゃ駄目ですか・・・。では、別の理由を。
まゆが一大決心(?)をして本命さんにあげたのがチョコレートケーキだったから。えへへへ。。。えっ?その本命さんですか?今は隣の部屋で本を読んでいますねぇ。
チョコレートケーキは縁起がいいんです。(*^_^*) (これはおのろけ?)
2003.2.14
|