スイセンの丘 (大阪府千早赤坂村・楠公「奉建塔」の下) 2009年2月16日

奉建塔(ほうけんとう)

奉建塔は、延元元年5月の湊川の戦いで戦死した楠木正成の死没600年を記念して、楠公崇拝者の一人である徳島県人森下白石氏が発起人となって、地元の協力と全国の児童・生徒たちの浄財寄付により昭和12年に起工、15年に完成した。
 石塔は総御影石づくりで、高さは尺貫法で43尺(約13メートル)あり、これは正成戦死の年令にちなんだものである。正面に家紋の菊水と、旗印の「非理法権天」(ひりほうけんてん)の字が刻まれている。
 「非理法権天」とは、非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、という意味です。
(以上、案内板より)
楠公誕生地

 楠木正成は永仁2年(1294年)、この地に誕生したと伝えられている。文禄年間に増田長盛が豊臣秀吉の命をうけ、土壇を築き、建武以後、楠木邸にあった百日紅を移植したという記録が残っている。また、元禄年間には、領主石川総茂が保護を加え、その後、明治8年、大久保利通が楠公遺跡めぐりの際、ここに石碑を建立し顕彰した。
 碑文の「楠公誕生地」は幕末勤皇派の三剣豪の一人で、当時誉田八幡宮の祠官であった桃井春蔵直正の揮亳によるものである。
 明治41年、近郷有志による楠公誕生地保勝会が組織されたが、終戦とともに衰退。昭和49年に楠公史跡保存会が有志で組織され、保存顕彰にあたっている。
(以上、案内板より)

 この左横に「郷土資料館」があります。
※この前の駐車場に車を置きました。(2009.02.16)