MASH MUSIC HISTORY
幼児期 父が音楽教師だったせいか、「ピアノ弾いてみるかい?」とMASH坊やに言ったらしいが、答えは、「イヤ」だったそうな・・・・
小学生時代 音楽の授業で、先生から「歌がうまい」と誉められたぐらいで、特に 音楽に興味なし。ただし、森 進一の「港町ブルース」だけは、大好きで歌っていた。
中学生時代 ギター(クラシック)に興味を持ち始める。「禁じられた遊び」をコピーする。 同時に、海外ポップスの魅力に引きずり込まれて、記念すべきファースト・バイ・シングルは、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーにくちづけ」だった。以降、ミーハー志向で、ヒット曲のレコードを買いあさる。中三の頃、クラスメートが、サイモン&ガーファンクルの大ファンで、MASHも洗脳される。この時期、やたらとブルーになることに憧れていた。早速、曲をコピーしまくる。「スカボローフェア」をマスターしたときは、感動した。フォークへの興味は強くなっていった。この頃、同時に、ピアノのコードを自己流で覚えていく。
高校時代 日本で、フォークが市民権を得た直後で、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などが、続々とTVに出始めた。MASHも早速、これらミュージシャンのコピーに没頭。高三の時、文化祭などでステージへ。(大げさ) バンドが、女の子にモテることを この時、体感。

大学時代

入学して翌日、「フォークソング同好会」というサークルに見学に行ったが、そこで練習してた先輩連中は、何故か フォークをやっていなかった。「なんじゃ、こりゃ 完全にロックじゃん。」とショックを受ける。しかし、何故か 分別のないMASHは、そのまま入部。
その年の夏、初の帰省を果たし、何故か、高校時代の仲間を誘って、ワンマン・コンサートを故郷で開催。オリジナル曲も披露。一人前に、お金も取っちゃいました。(怖いもの知らず) 集まってくれた仲間に大感謝・・・
いきなり、Eベースをやることに・・・ 自己流の演奏は、当然、酷評を受ける。それでも、めげずに、ロック・バンド、フォーク・バンドの2つを掛け持ち。

二回生の頃、「自己流ではダメ。基礎から勉強」ということで、ベース教室に入門。とりあえず、1年経過し、ほんの少し テクに自信をつけて、当時のカシオペア(プログレ)、ドゥービー(ウエストコースト)、UFO(ハードロック)など、いろんなジャンルに挑戦。

三回生の頃、何故か 会長にされてしまい、「縁の下」のサポートも経験。ステージ裏の仕事の面白さも体験。
四回生の頃、さすがに学業のために、「現役引退」 しばらく腑抜け状態が続く。
社会人 軽い気持ちで「音楽関連の会社」と決め付けて入社。とりあえず、社内イベントで「つまごい」のステージへ。しかし、ここで、自分の本業が何かを悟り、仕事に没頭?した。
結婚、子供の誕生 という大イベントを経て、これで、MASHにとっての音楽半生も終わり・・・ と思っていたが、二人の子供が、ピアノを4歳からやり始め、娘は、今、音大浪人生。 息子は、一時中断していたが、大学入学と同時に音楽サークルへ。
現在 ときどき、ギター弾き語りするぐらい。