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ましゅらの妊婦なお話
〜極チビに出会うまで編〜 Last Updated On 2000.07.03.
1.結婚してからのワタシ。 いつのころからか生理痛に悩まされ、仕事を始めてさらにきつくなってきて前の勤務先にいた時に 初めて婦人科を受診。基礎体温を付ける・・・と同時にいきなり不妊治療っぽいことをされた。 「今すぐ、子供を望んでいるわけじゃないのよぉぉ・・・。」ってゆーてるのに 排卵誘発剤等のホルモン治療が施された。 何度かそれが原因で夜中に救急車で病院に行ったりもした。 その時は食中毒の大流行の時期でもあったのでたいがい「下痢していませんか?」 ・・・栄養士が食中毒になって救急車で運ばれてどーすんねん。
とか、「急性胃炎」というのでごまかされてきた。コレが原因というか、他にもいろんな要因で体調をガタガタに崩し前の職場を退職。 今の病院に移ってからというもの生理痛で動けなくなる日が出てきて仕事を休むようになった。 次第に「子宮内膜症」という病気がクローズアップされるようになり、「ひょとしたらこれかも?」と思うようになった。 2.97年子宮内膜症初期 「ひょっとしたらこれかも?」と思うようになって近くの国立病院へ。 一通りの検査をしてみたけど異常は見つからず。 主治医のT先生は「後は・・・腹腔鏡でのぞいてみるしかないなぁ・・・。」と。 でも、「毎月毎月何でこんなにしんどいねん!!」とかなりいらだっていた私は 「とりあえず開けて下さい!!」とT先生にくってかかっていた。 そのとき、T先生は「開けても何もないでー。」とゆーたはったのだが・・・。 開けてみると右側の子宮と腸に癒着があり、それをレーザーではずし、 あちこちにも散らばっていた内膜症もレーザーで散らしてもらった。 あと、生理痛の痛みを和らげるために仙骨子宮靱帯をレーザーで焼く処置をしてもらったらしい。 さらに卵管造影も同時にしてもらったのだが、左側の卵管が詰まっていたそーな。 どこに何もないねん!!これだけあったら充分やろ!! T先生をちょっと恨んだりもしたが、もっとひどい状態の人も いるし、自分はまだこの程度で済んだんだと思うように・・・・・せざるを得なかった。 その時に出た診断名は「子宮内膜症T期」 3. 「私って子供の出来る体?」 腹腔鏡の検査(手術)をしてからは生理痛も少しはマシで まわりに、「子供はマダ?」と聞かれても知らん顔してすごしていた。 (人の家の子供の心配は余計なお世話やっちゅーねん!!)
しかし、まただんだん生理痛がひどくなってきて、「再発?」という文字が頭をよぎるようになった。 ・・・・・子宮内膜症は生理を止めない限りは進行していくもんやから
「再発」というのはおかしいんですな。 国立病院で受診するのは仕事を休んでいかないといけなかったので 恥を承知で勤務先の病院でちょいと相談してみた。 もういい加減トシもトシなのでぼちぼち子供・・・?? とも考えかけていたときだったので、診察して 排卵の状態を見てみようということになった。 腹腔鏡の時に卵管が詰まっていたということが どうも引っかかっていたので卵管造影の検査の予約を入れて 生理が終わるのを・・・・・ と思ったら、来ない。 内診をすると排卵が済んでいて、受精→着床しているか どーか・・・というところで「どっちやね〜ん!!」という感じやった。 尿検査も「+−」という反応。 でも、万が一できているかもしれなかったので HCGホルモン(流産止め)の注射を打った。 さらにはちょうどこの時風邪をひいてしまって 薬を飲んでいいのかどうかわからん状態で自分で尿検査をしてみた。 そしたら・・・「+」!! 後からわかったことなのだが、市販されている尿検査の検査薬は HCGホルモンに反応するんですわ。 っちゅーことは、「+」とでて当たり前。 何回も内診をして極チビの卵が確認できるまでは 「ぬか喜びしちゃダメ!」と言われた。 でも、ちゃんといてくれたんですわ。極チビ。
それまでの経過をちょっとまとめてみたりなんかした。
で、現在に至る。 まぁ、こんな感じやったんですわ。ドタバタしてますやろ。 |