WE LIVE HERE

BIO GRAPHY

1954年8月12日ミズーリ州カンサス・シティのリーズ・サミットに生まれる。13歳の頃から独学でギターを始める。初期のアイドルはウェス・モンゴメリー、マイルス・デイヴィス、ゲイリー・バートン、オーネット・コールマン達。

マイアミ大学在籍時にカンサス州ウィチタの大学の音楽祭で、アイドルの一人ゲイリー・バートンに売り込みをかける。ゲイリーに実力を認められ、ボストンのバークリー音楽院の講師に就任するとともに、正式なバンド・メンバーとして迎え入れられる。

その後1974年にゲイリーのアルバム「リング」で公式レコーディング・デビューを果たす。また同じ1974年の秋にカンサス州ウィチタの音楽祭で、盟友ライル・メイズと出会う。

1975年にはマイアミ大学在籍時の同僚ジャコ・パストリアスらと共に、初リーダー作「ブライト・サイズ・ライフ」をレコーディングしている。1977年ゲイリー・グループを脱退し、翌1978年には初のグループ作品「パット・メセニー・グループ(邦題:思い出のサンロレンツォ)」をレコーディング。1979年リリースの「アメリカン・ガレージ」は大ヒットになると同時に、初めてグラミー賞にノミネートされる。

1980年、その後事あるごとに集結する事になる最高峰のセッション仲間、マイケル・ブレッカー、ジャック・ディジョネットらと共に「80/81」をリリースする。

1981年にはグループのベーシストがマーク・イーガンからスティーヴ・ロドビーに変わり、「オフ・ランプ」がレコーディングされる。この作品がパットにとってのグラミー初受賞作となる。翌1982年にはグループの集大成ライヴ作品「トラヴェルズ」をリリース

1984年、ドラマーがダン・ゴットリーブからポール・ワーティコに変わり、その後グループの象徴のひとつとなるマルチ・インスト/ボイス・プレーヤーのペドロ・アズナールを加えた、新生パット・メセニー・グループのレコーディングによる、ECM最終作「ファースト・サークル」をリリース。

1985年、ゲフィン・レコード移籍第一弾として、デビュー前からの偉大なアイドルであるオーネット・コールマンとの共演(競演/狂演?)作「ソングX」をリリース。大いに話題を振りまく。また、この頃から今まで以上に積極的にレコーディング・セッションに参加するようになる。

1989年、現在のグループの最重要曲「ハヴ・ユー・ハード」を含む、パット・メセニー・グループのひとつの頂点と言える「レター・フロム・ホーム」をリリース。また、このアルバムのカバー・ツアーは、「トラヴェルズ」以来の集大成ライヴ作品「ザ・ロード・トゥ・ユー」として1993年にリリースされている。

1992年、ジャズ・フュージョン史はもちろん、20世紀の音楽史上でも5指に入ると言っても過言ではない、最高傑作「シークレット・ストーリー」がリリースされる。同年、パット史上最大の問題作「ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス」がレコーディングされ、1994年にリリースされる。

1995年、グループ名義としては約5年振りとなるR&Bテイストが気持ちいい「WE LIVE HERE」をリリース。同年のカバー・ツアーの終盤に行われた日本公演が映像作品として、翌年リリースされる。

1997年、ゲフィン・レコードからワーナー・ブラザーズへ移籍し、よりワールド・ワイドな音楽を取り入れた「イマジナリー・デイ」をリリース。

戻る