シルビオ・ゲゼル研究室

Virtuelle Institut für die Forschungen Silvio Gesells
Virtual Institute for Researches on Silvio Gesell
Instituto Virtual de Investigaciones sobre Silvio Gesell
Institut Virtuel de Recherches sur Silvio Gesell

最終更新:2003年8月29日

〜代表作「自然的経済秩序」〜
第3部 お金の実態
3-16 金(きん)と平和?


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「全ての犯罪の元凶である金(きん)を追放したリュクルゴスを讃えよ」(ピタゴラス)

持続的な国際平和をもたらすことができる唯一の精神が成り立つための条件は、国内平和である。だが国内平和は一方で不労所得である金利という特権と、つまり地代生活と矛盾する。他人の労働収益に対する権利とも言える地代と金利は、国内外の平和を享受しようとする限り、徹底的に犠牲にされなければならない。

削減した軍備支出を自分たちの意見広告に充てようとする多くの平和主義者が常に考えているほど、国際平和は簡単には達成されない。戦争時の軍備費は確かに、平和時の軍備費に比べたらわずかなものである。このわずかな額については、誰も語ろうとはしない。ドイツでは平和時の軍事支出はわずか10億マルクだったが、平和時の軍備費のために地代や資本金利から年間200億マルクもの支出を余儀なくされた。20倍である。

確かに紙の上では平和条約は安く済むが、そのような条約が何の役に立つのか。ベルギーやイタリアとの条約は紙で書かれ、紙の上で立証された。条約が有効なのは、両者にとって正当なものである限り、つまりそれを必要とせず、条約が無用の長物になっている限りである。条約の目的としていた状況が変わり一方に不利になるや否や、その条約が書かれた紙は破られるのが常である。紙の上に書かれた条約が以下に虚しいものであるかは、国内平和をその上に打ち建てようとするとすぐに明らかになる。憲法の前で尻込みするかどうか、労働運動のリーダーに聞いてみよう。だが、国内平和の継続を保証することができる憲法は、現実に即してなければならない。全市民の法のもとでの平等、不労所得の完全な排除が、紙を必要とせず、いかなる破壊行為からも守られる憲法である。

連盟や条約の制度、軍縮、それに仲裁裁判所などで諸国が互いに拘束され、戦争が完全に不可能になった場合をちょっと想像してみよう。少なくともその状況の想像はできる。だがこくさいせんその代わりに何がもたらされるのだろうか。国内で戦争が起こらないための安全弁として古くから用いられてきた国際戦争や、今まではストライキという不完全な武装しか持たなかったが、すでにしばしばゼネストという形で市民社会を脅かしてきた世界戦争ではないのか。まさに内部の事情によって絶えず展開する状況が、平和時には急速に、時には恐ろしいほど荒々しく進展する。10年か20年の平和の後で、国際労働機関によって事態は限界を迎えるだろう。世界市民戦争はこうやって起き、これは従来のおぞましい戦争同様、世界中のあらゆる都市や村で、敵を征服し勝利を収めるまであらゆる手段を用いて行われるだろう。この世界戦争では、確実に人が死ぬだけでなく、国内での戦争も再燃する。状況が展開すると、資本主義的な秩序の転覆の可能性がプロレタリアに「幸運にも与えられ」共産主義的な経済に移行した国の政府が、そのような経済に本性的に備わっている欠陥の結果、すぐに不利な状況に陥り、その国の政府は反乱分子を抑えつけ資本主義的な「秩序」を救出する事態に抗し切れないだろう。

支配階層が自分たちの特権の救い出すためにプロレタリアの暴動を無分別に、流血に訴えてでも鎮圧しようとする事態になることを、どんな楽観主義者でも認めるだろう。

この状況では、国際平和への努力が何になるのかと問われる。国際平和への努力を行っても、その基盤である国内の平和をないがしろにして何の意味があるだろうか。これこそ、砂上の楼閣ではないか。次々と壁が崩れている建物の屋根の改善を考えるようなものではないか。そのためこの状況では国際平和は単に、今日全世界を支配している社会秩序という安全弁によって密閉されている状況に過ぎず、世界大戦までの猶予期間を縮めるだけだ。

それに対し、われわれの資本主義の安全弁を今までどおりさらに機能させ、本当の国内平和の基盤を確立し、永遠に続くと確約できる協調協定(社会契約)を締結するほうが、おそらくより好ましく人間的ではないか。世界大戦後に何をするか、われわれは知っている。戦争はそのうち終結を迎える。至る所にある瓦礫の山の上に座り込み、がれきの破片で腫瘍を払いのける。だが技術的な裏づけを持った経済秩序のもとでわれわれは労働を行い、その成果を享受する。だが、世界市民戦争の勃発後起こることがかつてのようにもう頭を悩ませることはない。これは今までのように、完全な破滅とは逆の方向に向かうものだ。

以上の説明は、平和を地上にもたらさんとする人全てに向けられ、国内の平和と国際的平和の間に成り立っている連関に人々の注意を喚起し、同時にあらゆる場所で平和を乱している金(きん)の正体を彼らに見せつけ、それが人類の宿敵であり、かつ諸国の階級的対立を煽る内戦の原因であり、さらにその最終目的が戦争であるということを、理論立てて示さなければならない。

市民と国家の平和は、金本位制と両立するのか?

どの国でも戦争党、つまり考察や研究の結果、自らあるいは他人の理論から、またはその他の理由で、国内外での平和が狂信であるという意見を持つに至った人たちがいる。だが平和を信じられない人間は必然的に戦争を信じ、そのすべての行為もしくは黙認を通じて戦争を推し進める。戦争党に登録した党員でない場合も、追従者とみなしてかまわない。そこでは、当事者が戦争を望んだり、その勃発に喜びを覚えたりする必要は全くない。戦争が不可避であると信じるだけで十分なのだ。あとは自然にことは進んでゆく。神託で告げられた災いを避けようとしてその災いを必然的に起こさなければならなかった古代とこの点では変わりはない。中世では次の秋に世界が終わると予言されると、この世の終わりともいうべき事態が各地で実際に起こったが、それは土地の耕作をムダだと考えたからだ。そして企業家が経済危機を信じ、計画していた事業を中止して労働者の解雇を決心すると、同じことが今でも起こる。危機を信じると、それが直接その勃発の原因になる。人々が広く戦争が不可避だと思うことと戦争の勃発は時間的にも同時に起きる。

そのため、私は繰り返す。国際平和を信じられない人はその意味で戦争党に追従する者であり、一蓮托生なのである。そのような人は戦争の準備をしながら、自らの発言や学説で戦争に対する疑念を深めている。

戦争党員は、戦争のとらえ方によって4つのグループに分けられる。
  1. 神の審判
  2. 野心的な人間の意思の表れ
  3. 生物学的な自然淘汰現象
  4. 経済的困窮に反する方策
国内外で災いが起こっている時に、偶然、戦争が起こる時期についての一致した見通しができてしまうと、この4つの戦争党グループがどの国でも力を合わせ、彼らがそれに対する処置を講ずることによって、いつ戦争が起きてもよい状況が作り出される。ここでさらに強調したいのは、これらの4つのグループの支持者たちガ全く争いごとを好んでいるわけではなく、むしろ個人的には平和願望で満たされていることもあるということだ。彼らが戦争へ向かうのは、単に平和を信じられないからである。

ここで私は、これら4つの戦争党グループの意見や理論をそれぞれ検討したり、その浅はかさを証明するつもりはない。経済的な困窮への万能薬と戦争をとらえている4番目のグループについてのみ取り扱うことにしたい。それは4つのグループの中でも、そもそも規模も影響力もはるかに最大のものである。その支援がなければ他の3つのグループは消え去る運命にあるため、余計彼らのその立場の克服と彼らを否定する可能性を示すことが意義のある任務となる。実に、残りの3つのグループがその指導原則を立証するにあたってグループ4の戦い方から非常に助言を与えられているため、平和に向けたこのグループ4の戦いで勝利を収めるほうよりはるかに有益と思われる。グループ4の武装解除に成功したら、残り全ての力を弱めることもできる。

このことをよりよく理解するには、以下のことも役に立つだろう。グループ1や2の本質を形成している、世界が悪化しているという信念は悲観主義的な人生観に由来しており、この人生観は多くの人々の場合、その置かれた状況によっていかに強められるかということも知られている。経済的にうまく行かず、配当がなくなり、労働者が虚しく働き口を探し求め、元帳に頭を抱える流通業者が期限切れの手形のために現金の調達を必要とする場合、悲観主義はお祭り騒ぎをする。そこでは涙の谷のことが話題になり、僧院は一杯になり、罪深い人類への懲罰と向上のために戦争が必要となる。悪天候のときには何でも汚れて見えるように、そのような時期にはこのようなやつらにはなんでも罪と汚れのように見えるのであり、彼らはそれに突き動かされるのだ。

グループ4を形成する人たちは、基本的に宗教的な訴えだけを受け入れる人々と同じである。彼らが悲観主義へ至ったのはひどい経済状況のためであり、苦難の時代に現れる謎めいた宗教的な教えは、たいていその盛衰を苦難の時代と共にする。彼らを悲観主義から転向させるには、一般的に彼らの経済状況の改善さえすればよい。経済状況が満足できるものであれば、若者は労働と収入を得、自らの家庭を持てるようになり、娘は老人の元を離れるが、そうなると誰もが涙の谷や、堕落した人類へのムチとしての戦争の必要性を嘲笑の的としてしか語らなくなる。

生物学的な基盤から戦争を試練や自然淘汰の手段ととらえるグループ3の人たちの多くにとっても、状況は似たようなものだ。長期にわたる経済苦境や経済危機は、彼らの考えからすれば退廃と同じである。失業や粗末な食事・服装・石鹸・粗悪な住居・それに貧しい精神状態は人間を消耗させる。これに無傷で耐えられる人はいない。たとえば1873年から1890年のようにこの苦境が続けば、専門家ならさまざまな種類の測定方法で学問的にその退廃を確認し、犯罪統計に至ってはパーセントで立証することができる。

そのため、生物学的理論にその拠り所を持つ戦争論者も、経済苦境から有力な論拠を引き出している。

これが単なる誤謬であって、戦争を試練とみなしているグループ1から3が期待する人たちの反対の結果を戦争がもたらすことは大した意味をなさない。信じるだけで十分なのだ。自らの理論のままに行動しそれを語ればすぐに、その見解の由来が健全なものか怪しいものかは関係なくなってしまう。誰かが頭に石を投げつけてきた場合、その人間が間違った方向に石を投げたといっても何の慰めにもならない。

経済苦境の原因が突き止められるなら、われわれは4つの戦争党グループの中でも最大のものを解体するだけでなく、残りの3つも完全に無力とすることになる。

経済苦境はそもそもどうやって発生するのだろうか、その原因は何なのか。この問題への回答に今から取りかかろう。

昔話(※1)は私たちに、夢のような黄金時代のことを語ってくれる。ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャはこの時代を、自分のものと他人のものとの区別がなかった時代として描写している。彼にとっての黄金時代は、共産主義の時代である。そして、「鉄の時代に非常に価値が上がる」金(きん)を簡単に手に入れることができたからではなく、誰もが自然の宝を自由に利用できたために、この時代をエル・ドラードと呼んだのである。

※1:私の説明のために開戦前の経済状況を証拠として引き合いに出すことは、私にとってたやすいことである。だが私は単にわかりやすいということで、われわれ全てが偏見なしで見ることができる過去を振り返ることにしたい。

こういった愛すべき哲学者の見解は、私は間違っていると思う。逆に私は、交換道具であるお金としての金(きん)の導入と黄金時代が直接結び付けて考えられたからではないか。金(きん)は最初の、商業や分業の必要にかなり適した交換道具であった。

このお金の導入で、分業ははるかに自由に発展することができた。それ以前に使われていた種類のお金と比べても、商品の交換がはるかに確実かつ速く、さらに手軽になった。だが、よりよい貨幣経済の導入で当時の分業が発展した黄金時代の物語の説明は、これで十分だろう。というのは、人類が動物的な状況から脱却できたのは専ら巨大な発展を促す力が分業にあるからだ。利用できるお金の素材が不足して分業が展開できなくなると、どこでも人々は自らの手で自らの周辺で見つけたものをもとにして物を作る生活に依存することになった。この状況で人類が送る生活は極端に貧しく動物的なものとならざるを得なかった。当時は飢えが、荒野の肉食獣のように永遠に支配していた。この貧しさを理解するには、国立銀行が戦争の勃発時に市民が埋め隠した金属貨幣を紙幣の発行で置き換えることはしなかった場合を考えればいいかも知れない。至る所で悲劇や窮乏が起こっていることか。欧州でお金をわずか3年でも廃止したならば、人口の半分が窮乏の中で息絶えるだろう。残った人々もすぐに原始的な言えに済める程度の文化水準に落ちるだろうが、この水準がおそらく、交換の媒介道具としてのお金がないときに達成できる文化の最高水準になるのだろう。

ある日、交換手段としての金(きん)の導入で原始的な住居に住んでいた人間が分業に引き込まれ、各人が自分の得意分野を極め、限られたその分野で熟練技術を身につけたとしよう。今や同じ労働時間でどれだけの石斧や魚網、釣り針が作られ、これらの道具がどれだけ改善されていたことか。それぞれの能力が百倍になり、すべての人が驚くほど豊かになるだろう。ここに至って初めてより高邁な目的に向かってあれこれと考え思索することができるのだ。そして商人たちが遠くの国から運んでくる魅惑的な対象物と彼らが自分の生産物を交換できるようになると、今まで原始的な住居に住んでいた人にとって文化は単に快適なもの以上の存在になるのではないだろうか。同じ粗末な家に住んでいた人たちが後になって自分たちの孫に昔のことを語るとき、それは黄金時代に他ならず、その思い出の中で、金(きん)が分業への道を開き産業の発展を促しながら豊かな文明をもたらしたのだということにはならないだろうか。だが、黄金時代という言葉は比喩的にではなく、文字通りにとらえるべきだと私は思う。金(きん)は確かに、黄金時代を作ったのだ。

だが、あり得ないことを多くの人間は語る。あらゆる金属の中で最も生気に欠け、死の象徴である金(きん)は、どのような形であっても人類の運命に積極的に関与することはできない。金(きん)がどれだけ生気に欠けているかは、金本位制度の熱心な提唱者の賛歌を聴けばわかる。金(きん)の名声のために何を挙げればよいのだろうか。まず終わることのない否定の羅列である。賛歌の歌詞によれば、金(きん)はさびることも匂いもなく、はぎ落ちることも破壊されることもなく、腐らずカビも生えず、化学的な親和性もほとんどなく、硬くも軟らかくもなく、道端ではなくごく限られた場所でのみ見つかり、道具を作るためにはほとんど役に立たず、その希少性のためにわずかな人間がごくわずかな寮を自由に使うことしかできない。つまり、他の物質を特徴づけ人類にとって役に立つあらゆる能力を、金(きん)はほんの少ししか持っていないのだ。否定的な特性は金(きん)の特徴である。そしてこれらの否定的な特性を考えるなら、金(きん)によってあの黄金時代が、あの力強い広がりを見せた時代が生まれたといえるのだろうか。

このように問うことには十分な理由があり、答えが見出されなくてはならない。実際その通りだ。金(きん)はこの地球の全物質の中でも最も工業的な使い道がない。あらゆる金属の中でも金(きん)は死んだ金属である。だが、これこそがまさにお金としての特性なのだ。というのも、お金として利用するには金(きん)ほど適した素材がないからだ。われわれが金(きん)から全く何らかの特性もしくは有用な特性を発見できないために、誰にとっても同じ価値であるという、お金として利用するために本当に必要な特性を持っている。お金の物質特性が否定的であればあるほど、交換手段としての役目を果たせるのだ。

牛を売ってお金を得るとしよう。お金に一瞥がやられ、お金はポケットへと消え行く。目が向けられるのは牛を連れ帰る人間のほうである。牛については一瞥で十分だろうか。牛をあちこちから観察し、実際に触ったりしないだろうか。天まで届くような喜びや、深い悲しみをもたらす特性を日々新たに見出したりしないだろか。お金が物質としてわれわれにとって同じ価値を持つものでなく、それぞれのコインを牛や斧や本を吟味するようにお金を観察して100マルクを数えるとしたら、それだけで日が暮れてしまい、誰もお金にそれだけの価値が本当にあるのか確信を持てなくなる。それは単に、われわれが全員お金の素材について無関心であるからこそ、新旧あるいは色に関わらずコインが同じ価値で流通できるのである。このように万人にとって価値が同じであるために、万が一にも一定の近海にどれだけのマルクが相当するか迷うことはない。自然的素材として希少であるがゆえにその特性が同じ価値を持つ天の配剤のゆえに、何のためらいもなく金(きん)は人の手を次から次へと渡り、その量については、たとえ裁判沙汰になっても何の問題も起こらない。このことを見れば、かつての未開人たちがどれだけ自分たちを幸運だといってもおかしくはない。

古代ではいつでも、どのような自然財がお金に向いているのかが問われてきた。紙幣など人工貨幣の製作に必要な技術は、金貨の助けを借りた分業によってはじめて生まれた。分業の力を借りて人々が原始状態を脱却させた唯一のお金は、金(きん)であった。

金(きん)が各国の間で交換手段として定着し、どこでも金(きん)が追い求められるようになると、金(きん)にとって人間は誰でもかまわないという逆説も登場する。だがこれは、あくまでも表面的なことにすぎない。金(きん)を追い求めて奔走する投機家や高利貸が、モルガン家やロックフェラー家かどうかは、この金属にとってはおそらくどうでもいいことかもしれない。彼らは、他の全ての市民が労働生産物の交換のために必要とするお金、すなわち交換手段を金(きん)の中に探し求める。このお金は彼らに権力を与え、その権力を彼らは追い求める。金(きん)がお金でなければ、今や誰も想像できない銀の独占同様、金(きん)の独占は非常に小さな影響力しか持たなかっただろう。だが金(きん)の独占でモルガン家はすでに8000万人ものアメリカ人を肌の色にかかわらず失望へと追いやった。金(きん)をめぐっての競争は、そのためお金をめぐっての競争に他ならない。そしてこの競争は、お金が金(きん)や紙、あるいは銅でできていようが変わらない。そのため、ゲーテの「誰もが金(きん)を求め、金(きん)次第である。ああ、われら貧者よ」という文句は文字通り受け取ってはならない。というのは、誰もが求めているのはお金だからだ。以前は銀が追い求められていた。ユダは自らの師を1袋の銀貨で売ったが、それは当時銀がお金だったからだ。銀でお金が作られなくなってから、誰も銀を追い求めなくなった。「誰もが銀のスプーンを求め、銀のスプーン次第である。ああ、われら貧者よ」と言っていたら、確実にゲーテは笑われていただろう。

既述したように、お金になった金(きん)のおかげで、未開人が分業することを身につけ技術的に商品生産をする道が開けた。金(きん)は原始人の前に現れる指導者で、彼らを洞窟から明るい文明の高みにのし上げた。だがこの指導者は過ちも冒し、その過ちは人類がその高みに登れば登るほど大きくなる。

古代の文明人たちがどれだけ劇的な速度でその文明の頂点に到達したかということは、今でも多くの人にとって全く謎めいている。ギリシア人やローマ人や彼ら以前の古代人たちがしばしば極めて短い期間に成し遂げたことを考えると、驚きを禁じえない。この謎の答えは金(きん)であり、このことを理解するとこういいかえることもできる。この謎を解くのはお金であり、そのお金で可能となった分業であり、その発展を促す力はいくら高く評価しても、決して過大評価されることはない、と。これらの人々が驚くべき速度で発展したことは、お金の意義を最もよくわれわれに示してくれる。鉄道の発明と比べてみると、お金によって可能になった分業で人類がどれだけのことができるようになったかについては、おぼろげながらしか把握できない。お金は文化の基盤であり、他のもの全てはこの基盤の上に成り立っている。全てにまさるお金の意義は、この基盤が一度崩れるとはっきりする。その基盤の上に築かれたものが全て再び砂塵に帰す。そして実際、お金、ここではすなわち金(きん)が消え去ると、これら古代の文明国は無へと帰っていった。人類は金(きん)とともに未開を脱し、金(きん)とともに未開へ戻った。

こうして金(きん)は発見された。金(きん)にお金としての目的を与える唯一の方法は、「発見」にある。金(きん)が発見されると、そこにお金が登場し、金(きん)がなければそこにはお金もない。バビロニアや古代ギリシア、あるいは古代ローマの時代には金(きん)の発見に今以上に頼っていた。バビロニア人は今のわれわれと同じように自分たちのお金を持たず、金(きん)を探し求めた。商品の交換の必要、あるいは分業や文化の発展に伴ってバビロニア人、古代ギリシア人、古代ローマ人がお金を作り始めたのではなく、お金が作られるようになったのはたまたまの偶然によるものだった。アラスカで多くの金(きん)が発見されれば、今日ベルリンやロンドンやベルンの人間が多くのお金を鋳造するように、金(きん)が多く発見されればバビロニア人は多くのお金を製造した。そしてわずかな金(きん)しか発見されなければ、少ないお金で何とかやり繰りしていた。金(きん)がもはや見つからなくなると、未開状態へと戻るしかなかった。少なくともバビロニア人やユダヤ人やギリシア人やローマ人の状況はそうであり、見たところでは欧州の当局や専門家、金融界の人間も同じ状況である。金(きん)の不足のために分業をあきらめ、ホッテントット族と同じ経済状態に戻ってしまうのである。古代の諸々の民の現状はこのようなものであり、このことが文明を持った民がナゾのうちに滅亡したわけを説明してくれる。

さて、このことを念頭に置いた上で、目の前にある現実を明らかにしよう。金(きん)は次々と発見され続けるが、いずれその発見がなされなくなると、人間にはお手上げの状況になる。人にとって必要な他のもの全てについては、需要に応じて作り出せると言えるだろう。牧草やわら、金本位制度に関する文書や価値学説など、全ては必要に応じて創造されたのだ。だがお金を作る素材であり、全ての文化や国家の権力の基盤となる金(きん)は、必要に応じては創造されるのではなく、たまたま発見されるものである。国立銀行の総裁のズボンのポケットに穴が開いていて、鋼鉄でできた金庫の鍵をひんぱんになくしたとしよう。現在でも国内での全商業活動は金(きん)の発見次第だが、同様にその鍵の発見次第ともなってしまう。総裁が鍵を探している間、全国でのあらゆる商業活動は停滞するだろうが、古代の民がその失われた鍵を再び発見できなかったために、その文化が衰退したのである。これは、全ての金鉱が枯渇し、ローマのコインの主要な原材料を産出していたヒスパニアの銀鉱の生産高が激減した、アウグストゥス帝時代のローマにあてはまる。

こうして、ローマ帝国の没落が始まった。ローマの権力は、他の長く続いた国家権力同様、商業や分業、それに貨幣制度といった経済面に基盤を置いた権力であった。ローマの貨幣制度がうまく行ったところでは分業が発達することができ、生活が向上した。この貨幣制度が各地に広がり、生活の向上が顕著になったのは、ローマの行政統治のおかげだとされている。ローマはこうして、支配の統治は広く知られるところとなり、帝国は1つのものとなった。だがローマ人が金銀を発見できなくなると、ローマ人はもはやお金も作れなくなった。手持ちのお金は徐々になくなり、失われるか、たいていは東方からの輸入代金として、その代わりに輸出するものもなく流出していった。そのため、特に軍備を増強するための分業の再確立が必要となった。生活水準は次第に落ち込み、耐えられないぐらいにまで税負担が増し、今まで優位にあったローマ帝国に崩壊が訪れた。

黄金のはしごは壊れ、ローマ帝国は徹底的に崩壊したが、それは駆け上がったはしごがそれだけ背信的だったためだ。そして今日、旧ローマ領で羊飼いたちが、金(きん)が無から魔法で作り上げ、ローマやバビロニア、ギリシアやエルサレムと同じよう煮、貨幣制度に隠された壮大な文化の力を持ったローマの栄光の残照を巨大な遺跡の残骸として意味も分からず見つめている。

古代国家の滅亡の説明するものとして挙げられるものは全て、金(きん)が発見されず分業が制限、あるいは放棄されており、惨めで飢えと卑屈さが蔓延していた中世を支配していた陰気で修道院的な世界観から来ている。ローマの支配階級が自堕落だったために滅亡が引き起こされたというのは正しくない。国の運命を何世紀にもわたって左右するほど強力な人間はいない。健康で創造的で豊かで、分業行われている国は、堕落した人間にいつまでも蹂躙されていはいない。経済的に成功した人間は、「私自身の価値」と書かれている手形のように自尊心が高く自由だが、それは自分の経済力に確信を持っているからだ。経済的に繁栄しているときも、彼らはいつまでも続く専制を許さない。こうして、国を導く能力のない人間は見捨てられる。経済とともに全て、特に自由な考えや各民族の自尊心が発達する。だがその国で分業が放棄されると、ローマやバビロニア、エルサレムで起こったように原始経済に次第に戻ってゆく、それはお金の量が常に減り続け、鬱病という疫病が国中に蔓延し、物乞いのみすぼらしい振る舞いがあちこちで見られるようになると、無能で腐敗した人間を向上させたり、あるいは自ら向上しようという自尊心や覇気を持つ人がいなくなるからだ。

いや、ローマは道徳的退廃から滅びたのではない。退廃した人間は勝手に退廃するが、国とは関係ない。領主や支配階級の退廃で国が退廃するのであれば、欧州諸国は何度崩壊していたことか。ローマは分業とともに崩壊し、分業が崩壊したのは金(きん)がもはや発見されなくなったからだ。

また、ローマの人々がすべて退廃していたという主張もウソである。今日コーヒーや酒、タバコや梅毒が民族を退廃させる原因だとされている。これらの害毒がなければ、現代の医者はそもそも退廃について考えることもできない。だがローマ人は、これらの害毒を知らなかった。知っていたのはワインだけだが、今日ほど多くのワインを持っていなかったのは確かだ。本当のところ、民族全体がそのために堕落するのはありえない話だ。

また、ゲルマン人がローマの滅亡を引き起こしたというのもウソである。この部族が何を成し遂げたかを見てみよう。活発な行動力や生真面目さ、高邁な目標への努力はゲルマン人の特徴である。未開部族(ゲルマン人はお金も分業も知らなかった)がローマ帝国を打ち破ったとき、なぜゲルマン人による支配が再び生じなかったのか。新しい生活は廃墟から力強く発展するというだろう。だが、分業のためのお金を鋳造する金(きん)がないローマの瓦礫から、ゲルマン人は何ができたというのか。そして分業なしではゲルマン人はいかなる文化も創造できなかった。ローマはお金がなくなるとともに滅び、この死の病がローマ以降諸国を襲った。ローマの瓦礫からは新たな生活も、ゲルマン人の支配も起こらなかった。

そしてルネサンスで再生するまで、ローマは1500年間眠り続けた。そしてこの再生は、合金コインの発明という、史上最大の発明のおかげである。贋金作りでローマが目を覚ますとともに、全欧州も中世の冬眠から目が覚めた。純粋なコインを作るだけの原材料がないため、合金コインを作ったのだ。ルネッサンス時代の芸術家や発明家、それに商業主はそのことによって生まれたのであり、欧州を蘇らせたのではない。すばらしい発明家はいつの世にも生まれる。お金という偉大な助産婦がいれば彼らは能力を開花させて繁栄するが、お金がなければ破滅する。ルネサンスの本当の原因は、そのためより深いところにある。実際、15世紀に欧州各地、特にイタリアで流通していたローマ時代以来のわずかなお金に銅を加えてその量を増やし、合金のコインに完全な法的支払能力を認めたことで、ルネサンスは知られるようになった。こうしてドゥカーテンから3、5、10、50などのコインが作られ、こうして鋳造されたコインで彼らは債務を支払えた。ユダヤ人のヨベルの年(※2)を改善したものといえる。利用できるお金が増え、社会の各層に行き渡った。アウグストゥスの時代から物価はずっと下がり続けており、商業はリスクが大きく、計算上は不可能になっていたが、その物価が上がり始めた。あえて小切手を引き受けようとする商人は、確実な見通しの下にもはや債務という牢獄にとらわれることがない。物価が上がり、その結果販売価格が仕入れ価格を上回る見通しがつくようになった。純粋に儲けを得るため領主たちがコインに混入した銅のおかげで、再び商売が計算できるものとなった。領主たちがこのことをおおっぴらに行い、悪貨が市場にもたらされる限り、つまりは贋金が使われるようになって、分業ができる体制が再び整えられ、世界が息を吹き返した。ここで、「悪貨は悪意によって生まれ善をなす」ということばがぴったり来る。ローマを破滅に追いやったのは腐敗した領主ではないが、そのローマを再興したのはほかならぬ腐敗した領主だったのだ。悪貨は分業に再度活気を与えたが、ルネッサンスはそもそも分業の再生に他ならなかったのではないか。というのも、分業は全ての文化の基盤だからだ。悪貨のおかげで詩人や画家は自分の作品の購入者を見つけることができ、新たな創作意欲が刺激された。当時、絵筆やのみだけで作品を作る仕事を与えた芸術の本当の友人は、新しく人工的に品質を落としたコインだった。他にも、グーテンベルクが自分の発明を活用してくれる資本家を見つけられたのも、この悪貨のおかげである。確かに彼はろくでもない資本家に過ぎなかったが、だからどうしたというのだろうか。ファウストのお金がなければグーテンベルクの発明はおそらく失われ、彼はおそらく債務の牢獄の中で死んでいったことだろう。悪貨は商品の販売先を生み出し、本の販売を増やすために、グーテンベルクは機械的複写の考えを思いついた。発明家は常にそこにいる。いまや販売だけを気にすればよく、残りの技術的な問題は自ずとそれに合わせて発展してゆくのだ。

※2(訳注):ユダヤ教の50年に1回の聖年。この年には、それまでの債務が帳消しにされた。

最初に示したように、商品を売ってお金を必要とする人たちにとってはお金の材料はどうでもいいわけで、その悪貨は人の手を次々と渡り歩き、(混入を通じて)悪貨の色が赤くなればなるほど、それはより速く流通していることになる。そして悪貨が流通し、お金としての役割を果たすと、その悪貨が生み出す仕事は、その悪貨が仲介する取引の量に比例して増加する。100万枚の悪貨が毎年100回所有者を変えたならば、それだけの商品が生まれるわけで、都市全体がその豊かさの恩恵に沸くことだろう。こうして都市の富は、コインの純度や領主の公正さと反比例の関係にある。当時の領主がマルティン兄弟とともに「私は他ならぬここにいる」とふれまわり、偽コインという不当な要求に憤慨しそれをはねつけていたら、ルネサンスはなく、マルティン兄弟はおそらく反乱を起こす勇気を持たなかったことだろう。というのも、僧侶の良心の呵責以上のものが革命には必要だからだ。分業で生活し、創造的で勇気があり、自由で裕福に生きる人々が周りにいたのだ。物乞いは革命家ではない。

悪貨への賛歌には、株、偽りの貨幣による創造物を新時代への転換点にする願いがなくてはならない。恥辱よりも栄誉をむしろ悪貨は得る。弱い人々をだまして利益を得る金利生活者や高利貸しは、とうの昔に消え去っている。だが悪貨が創造した作品は、「エオニアへは零落しない」。悪貨に向けられ、奇妙にも従来「国民経済」が大まじめに関わってきた何千もの呪いは、国民経済ではなく個人経済についての考えから来ている。悪貨の所有者が常にさびる(すべての商品の価格上昇)ことで蒙る損失しか考慮されてこなかった。だが、損失は大したものではない。さびてしまった巨大な国民経済のてこが見過ごされてきた。分業や取引、国民経済やお金の目的を広い観点から眺めた場合、悪貨はお金に唯一必要な商品交換能力を持っている。いずれにしても合金コインが寄与したことについては政府による介入の先駆者として、大きな変革へのきっかけと呼ばれる全ての出来事に先立って、お金の営みにおける「新時代への転換期」という名誉が与えられる。同様にこの栄えある称号を求めるアメリカの発見、宗教改革、印刷術の発明や火薬発明は、分業や商品の交換に対して全く直接の影響力を何ら持たなかったのに対し、今日の好況と同じように悪貨は分業を目覚めさせたムチと見るべきである。

「金(きん)の異常な流入に起因しない経済的な繁栄を私は知らない」と、ベルリンのゾンバート教授は述べている。

だが、金(きん)がこのような影響力を持ちえたのはそのお金としての特性によるのであり、悪貨もまたお金であり、金(きん)の流入によってお金が増大したのと全く同じ経済的な効果を持った。

ここで話を、4つの部分に分けよう。
  1. 金(きん)を一般的な交換手段にして、洞窟生活から分業を拡大する時代
  2. 金(きん)の発見の中断の結果として滅亡するまでの古代諸国の興亡
  3. 悪貨の誕生までの中世の氷河期
  4. 金(きん)の不規則な流入の結果としての、それ以降の断続的な文化発展
15世紀に悪貨の登場であちこちで生活が活気付き始めたが、このことによって金鉱石や銀鉱石を発掘する鉱夫達にもやる気と自信が見られるようになった。タイでエビを釣る人がいないように、わざわざ金(きん)を費やして採掘や試掘を願い出る人はいない。だが毎年サビてゆく悪貨は、不確かなビジネスをする気にさせる。そして実際に悪貨はその勇気に報いるものであり、ここで彼らは進歩の先駆者であることが明らかになる。1500年の間あえて探そうとはされなかった銀鉱石が、ボヘミアやザクセン、モラビアやハンガリーで発見された。1485年にヨアヒムスタール(※3)で、最初のヨハヒム・タラー銀貨が鋳造された。悪貨を導入した領主の土地のみでなく、この領主が悪徳を及ぼそうとしなかったところでも、生活は活気付いた。そして銀貨はドイツの国境を越え、その恵みはそれに続いて広がった。ローマのサン・ピエトロ寺院は、敬虔な贖罪者がささげたドイツの鉱山の銀で蘇った。この銀がなければ、ミケランジェロもラファエロもその創造能力を示す機会が全くなかったのは確かである。

※3(訳注):現在チェコ領ヤヒモフ。

ボヘミアのタラーであるヨアヒム・タラーが、スペインに行く途中で足を止め、同様の奇跡を起こすことはなかったのだろうか。それが起こらなかったのは、当時世界中で銀の流れを遮るものがなかったためだ。それによってのみ、状況が今や明らかにされる。1942年にコロンブスがパロス(※4)で乗り込んだ船が建造されたのは、お金が広がり分業によって生産したものを販売するようになった場所では至るところでよく見られた進取の気性のおかげである。

※4(訳注):スペイン南部アンダルシア地方の西部、ウエルバ県に位置。

そのため私は、古代の国々が自然貨幣とともに盛衰し、1500年間も続いた中世の氷河期がお金の不足の結果であり、ルネサンスが始まったのは悪貨のおかげだが、ルネサンスの拡大とアメリカの発見は15世紀の後半に悪貨によって開発されたドイツの銀山によるものであると主張する(※5)。

※5:鉱山の採掘が完全になされなくなったわけでは無論ない。だが、採掘量はわずかで、せいぜいその時代までに採掘されてきたものの目減り分を埋め合わすほどもないだろう。

アメリカで行われた金(きん)や銀の大発見で、中世がようやく終結した。金(きん)の流入は欧州全体を貨幣経済に導き分業の体制をとらせるのに十分だった。旧世界も新世界も金(きん)が生み出したものである。金(きん)は旧世界を崩壊させ、そのときになれば新世界も崩壊させる。

不規則かつ断続的に起こった金(きん)の流入が欧州の発展に与えた多様な影響について語ればきりがない。ここではもう一度、アメリカでも金(きん)は必ずしも常に発見されていたわけではないことを示すだけで十分だろう。今日は多くても明日は少なく、それからまた大量にということもありえる。この断続的に起こった金(きん)の流入は直接、地底で起こる自身のように間接的ながら全世界を揺るがしていたし、今もそうであろう。中世に起こったように金(きん)がもはや発見されなくなると、文明はほとんど途絶えてしまい、金(きん)の流入が不足してしまうと、再び人類は活気のない中世に立ち戻り、すべての地域で進歩の歩みは滞ってしまう。このような時代の最後は1872年以降、あらゆる国の国会で投機家が権力を得て、銀を締め出してお金の生産を彼らの特権としたときである。投機家や地主のもくろみのもとに当時貨幣の生産が過剰になされ、お金は値下がりした。労働者や農民は、いわゆる豪勢な暮らしをしたが、それはしてはならないことだった。そのため、銀の追放とともに物価は下落し、そのおかげで地主は地代でもっと贅沢な暮らしを送れるようになった。だが、この頃にまた金(きん)の発見が激減したことも時代を変えた偶然として指摘したい。こうしていわゆる慢性的危機が1890年ごろまで続き、配当や株相場へのさまざまな働きかけを通じて、いわゆる投機家集団は農民や労働者に資金の暴落を補填させることとなった。投機家集団はやりすぎて、金(きん)の卵を産む雌鶏を殺してしまったのだ。

1890年以降今日まで金(きん)の発見された量は増大し、それまで常に下落しては企業家や流通業者、それに農民を落胆させてきた物価の再上昇を助けた。お金の素材となる金属の発見される量が、1866年から1870年までに間に40億マルク(金銀の形で)にも達し、その後5年間(銀の非貨幣化以降)では25億マルクに下落し、それからほぼ70億マルクにまで上昇したことを見るだけで、自然貨幣があてにならないのは明らかである。だがわずか30年の間を見ただけでも、われわれの社会の最も根幹にかかわる制度が全くの偶然に翻弄されてきたのだ。もし1856年から1885年まで金(きん)の採掘量が恒常的に減少し、そこから回復どころかさらに減っていたら、どうなっていただろうか。金(きん)の発見が運次第である以上、このように問いたくなるのも当然だろう。

お金の生産の恒常的な減少は、物価を常に押し上げる働きをする。企業家精神が阻害され、現状では何もしないことが最良という悲観主義が正しいとされる。川の流れに逆らって泳ぐ人間のように、下落する物価の流れの中で企業家や流通業者はなかなか成果を上げられない。そう試みる人間は常に奈落に引きずりこまれ、その不幸が他山の石とされることとなる。

こうして最終的に、飢えて無気力な国民全体が腕組みをしたまま立ちすくみ、見も心も物乞いのようにして待ち続ける。愚者は何を期待するのか。そんなところに開けゴマという感じで再び金(きん)がもたらされる。もしその呪文が見つからないと、分業の体制は死に氷河期が訪れ、文化の跡は氷河で覆われるようになる。

近視眼的な人間は、物価の下落を聞くと喜ぶかもしれない。彼らは物価の下落を生活日が下がることだととらえる。だが、いくらか状況を理解している人には、物価の下落は居候にとってのみ物価が安くなることであり、自らの労働の収益によって生活し居候を養わなければならない人にとっては、物価の上昇こそが物価が安くなることがわかるだろう。そもそも「安い」という言葉は個人の家計のやりくりの中で使われる言葉であって経済学的な概念ではない。ここでお金は、経済的な観点から考察されているのだ。

いわゆる物価が安くなる状態がおさまるということは、経済の停滞が終結することである。物価が安くなる状態だと、経済の炉に石炭ではなく水が注入される。いわゆる物価安では、商業も工業も計算上不可能になる。

ここまでの記述でわかることは、金(きん)に基づいた分業の体制がいかに不安定なものであったかということである。だが、金(きん)が富をどのように配分するかについてはまだ私は何も話していないので、これから話すことにする。だが、このことに立ち入ろうとすると、この講演の枠組みを超えることになる。それは私にとって都合が悪いため、ここではこの主張をするだけにとどめ、残りは私の著書「お金と金利に関する新たな学説(※5)」で明らかにし、この主張がどのように基礎付けられていくかを示すことにする。

※5:この本の第3部から第5部を構成している。

われわれが享受する分業やそれによる文明的な豊かさは金(きん)のおかげである。だが、金(きん)のおかげで、より多くの部分の富が、その最もよいものまでが、居候のものとなってしまうのだ。金(きん)こそが、資本主義の父親である。(貴金属としての)物質的そして(法的な支払手段としての)法的な特権のおかげで、財の取引がお金に依存する点において、金貨は他の商品とは異なる地位を獲得した。そのため金貨は一般的な貯蔵手段になり、金利が支払われない限り手放されなくなった。遅かれ早かれ政府が交換手段として流通させたお金は全て、貯蓄をする人たちの金庫にしまわれたため、交換手段としての働きをさせるには、流通しているお金はすべて再び貯金箱から出るように金利負担のついた形で市場に登場させなければならなくなる。交換手段と同時に貯蓄手段としてのこうしたお金の二重の使用はその本性上両立するものではなく、交換手段の乱用とみなされるべきである。財の交換が利子のつくお金でのみ可能となるため、金利が広く商品生産の前提条件となる。プルードンによるとお金は市場や商店、工場や各「投資」(投資物件)の扉の前に立ちはだかり、金利が支払われない、あるいは支払えない者は何人たりとも通さないところでは流通しない。

そのため、金(きん)と分業と同時に、平和に取って大きな障害となる金利が世界に登場した。分業そのものは金利を要求しない。誰が何のために金利を支払わなければならないのか。分業は誰かの特権ではなく、誰もが享受できるものなので、すべての人を広く豊かにするものである。だが、神がかり的な力を持つ金(きん)を人が手放すのは金利という条件があってのことであり、人類を貧者と金持ちに分離する。これはまるで、嫉妬深い人類の神が権力の増大を良しとせず、自分の手綱を切って人類が独立宣言をするのを恐れ、それを防ぐために「分割し統治せよ」の原則に従って金利を、人間を分け隔てる細菌として人類に植え付けているようだ。金(きん)はすべての人々の生活が一緒に豊かになるのを許さない。自由な人間と関係を持つと、金(きん)はストを起こし自らの仕事を拒絶する。金(きん)は主人と召使を望む。こき使われる人間と居候である。自由で誇り高く本当に自立した人々が思いのままに金(きん)を使おうと求めることにはそもそも無理がある。金貨と自由な人々の生活は両立できない。金(きん)は登場した最初の日から一貫して、人類がお金の特性を金(きん)に与えたため金(きん)が持ってしまった莫大な力のゆえに、人類を労働者と道楽者に分断し続けている。

汗を流し悪態をつきながら労働する階級と、彼らに寄生する道楽者に人類が2つに分けられたために、了見が狭く陰険で嫉妬深く愚かな人間が育つことになり、長い歴史のどこにあっても犯罪の話に事欠くことはない。金(きん)は経済的には私たちの偉大な盟友になると同時に、人類の宿敵にもなった。金(きん)は神の国の地上へ建設するのを妨げるような経済状況を自ずと作り上げる。金(きん)とともにあってはキリスト教は人類に定着することができない。キリスト教は分業や誇り高く自由で豊かな人間性とよく調和するのは確かである。だが分業の基盤が金(きん)であれば、キリスト教はその場を退かなければならない。こうしてキリスト教は分業が行き渡った土地全てから消え去り、今日すべての民族についてこのことが言える。キリスト教と金利は相容れないのは明らかだ。その一方、金(きん)は山師や投機家、居候や犯罪者、牢獄や謀反、さらに暴力などと相性がよく、それはすなわち金(きん)と金利は仲がよいということなのだ。

こうして金(きん)は、市民の平和を犠牲にすることによってのみ分業を思いのままにしているのだ。

そのため、2500年前に「全ての犯罪の元凶である金(きん)を追放したリュクルゴスを讃えよ」とピタゴラスは言ったのだ。

階級国家の中で、主人と下僕、物乞いと施し主の間で慈善バザーを見て育ち、市民の幸せよりも、階級と権力による国家、国の特権を守る法の下で育った人間に、国の内外で断固として平和と保持するために必要なキリスト教的精神を期待することはできない。あらゆる国で抑圧がはびこり、至る所で黒い労働者の群れがうごめく中に広がる怒りの感情、他の階級に対して常に決定的優位を得るための力による支配と抑圧の思いは、戦争に向かう状況を作り出す。実に、市民と民族の平和の精神は善良な家庭の心がけとして、その家に定着した形で家族を律するものでなくてはならず、クリスマスイブに近くの友人と集うときに思い起こるだけではなく、若いときからしっかりと身につけておかねばならないのである。平和的なものの考え方の萌芽は子どものうちから母の胸で吸収するべきであるとシラーは言っている。両親がともに生計を立て、姉妹が互いに行き交う中に戦争に向かうか平和に向かうかの流れができあがる。そしてこの流れは学校や教会、商売や新聞、官庁や議会、それに諸外国との往来の中でより確かなものとなる。

金持ちだけは金持ちのもとで、不安のない人間は不安のない人間の中でのみ成長する。富と貧困はまさに正反対の状況で、きちんとした国の中では同居せず、市民と民族の平和とは相容れない。平和は自由に他ならず、人間が自由であるのは自分の必要なものを自分の労働で手に入れることができるのに足る経済状況の場合だけである。貧困も富も一種の鎖で、自由な人間は一瞥しただけでこの鎖に嫌悪感を覚える。鎖を見たら、壊さなければならない。これが平和のためになすべきことである。地主やプロレタリア、それに金利を取り除こう。

最後のプロレタリアを最後の地主の隣に埋葬するまでは、家庭や地域、国家や人々の生活に平和は訪れない。

金利(そして地代)を廃止したら、再び誰もが額に汗してパンを食べなくてはならない。だが、自分の労働の成果で日々のパンを得る者は温和である。彼らが平和で豊かであることはすでに彼らに寄食する者に限りない慈悲の心をもって耐えているのを見れば明白である。「正義」がいつか平和的なやり方で達成されてるという希望を常に持つことで、彼らは自分たちが目にする不正やたわごとのためにいつも新たに湧き上がる憤りを抑えているのだ。そもそも圧制は国境を越えることはできない。

この「平和に満ちあふれた」精神を労働は生み出すが、この精神は結局、自分や自分のものを意識的に気にする人たちが権力や安心を求める気持ちに由来する。だがこの安心感は、明確な思考と正しい判断の前提条件である。権力者や強者、それに安全が確保された人間だけがそれを持つことが許される。神がそうであるのは、神がその権力において他の誰をも凌駕し、その王たる地位が完全に安泰だと知っているためだ。それに対し、自らの肉体でより強い者の権力を知ってしまったルシフェルは、悪だくみを駆使して生き延びようとする。利子によって他人を犠牲にしながら生きている人間は、ルシフェルのように、精神的にも肉体的にも日々自分に必要なものを自らの能力、労働で満たすことができない。彼は利子を支払う人たちの怒りを理解してはいるが、その経済的拠り所が自己の外にあるので、常に自らの持つ特権や証券が無効になる危険にさらされている。全く自明なことではあるが、このような人間には居候たる自分の存在を脅かすあらゆるできごとに対して冷静に正しく考える能力を失っている。一度でいいから少しでも彼らの生き方が不当であることが納得されるなら、どれだけよいことか。いくじなし(地主のことを言っているのだが)にとって、自分の特権を守れると思われるあらゆる手段が正当化されるのは当然のことなのだ。また、自分の特権を攻撃する人間を野蛮で卑しく、堕落した死がふさわしいとみなす。自分の特権の保護のためには、全ての手段が彼にとっては神聖なのだ。ここでは窮乏に対して供給はされない。彼は戦争を含む全ての手段を試し、行使するのだ。

数多くの公爵が、国民の反乱からの避雷針として安易に戦争に走ったのではないか。そして公爵が戦争を起こすとき、地主も当然参加するだろう。戦争は労働運動を破壊し、逆に労働者をつぎ込むのに便利な手段である。戦争が役に立たないという場合、この面での危険は考慮されているだろうか。人類の自己保存本能が発揮されると、難破船から救命ボードをめぐっての争いのような事態となる。そして戦争が労働運動の破壊にどれだけ効果的かは、この戦争(第1次世界大戦:訳注)が再度示している。戦争の勃発以前から「私の強腕が望むと、全ての車輪が止まる」と歌ってきたインターナショナル(※7)でさえ、完全に破壊された。地主がこれに気づかなかったというのだろうか。この手段は実際効果的だった。そして戦争を始める権力は、この目的のために買収あるいは創設されるマスメディアにある。さらに、周到に準備をするための時間とヒマが、不労所得生活者にはある。他の人たちがあくせく働く必要がある一方、寄生虫は安楽いすに座って熟慮する。そして必要な向こう見ずさや無神経も前提とできる。金利徴収による各社会階層の生活水準の下落に躊躇しない人は、自分の有利な立場の確保のために彼らをお互いに戦わせることも厭わない。1907年に株危機を引き起こし、危機後生じたあらゆる醜悪さや不幸を確実に予見していたニューヨークの相場泥棒は、一旦儲かると考えると自分たちの陰謀を実現した。とりわけ、全体の興亡や、労働運動の解体については。戦う人間は死に向かう。彼らは終わりなき恐怖よりも恐怖の死を選択する。そしてこの恐怖の可能性を、ビジネスの時期が到来したと確信するとするに彼は破壊する。

※7(訳注):インターナショナルではなく、ドイツの労働歌"Mann der Arbeit"の一節。

金(きん)は全ての犯罪の元凶だとピタゴラスは語り、人類の対立するグループへの分離も犯罪である。金(きん)は階層国家や、諸国家の内部で荒れ狂う内戦を引き起こした。同じように、国家間で争い武装されるようになったのも、金(きん)であろう。これがどう実現されるか、見てゆこう。

金(きん)=お金の大量流入が国民経済に引き起こす大きな力(好景気)については考察されないまま、金(きん)の流入を促進したり、流出を抑制する多くの提案や法律をもたらした。自分の国をこうやって助けようとした人たちは、「重商主義者」と呼ばれた。今日これらは保護関税と呼ばれる。この全ての動きは、「わずなか発見量の金(きん)をめぐる争い」と呼ばれる。第1次大戦の勃発による、ほぼ全欧州諸国での金(きん)の差し止めは、この警告の最新の実例である。重商主義者や保護関税論者は、「商品の輸入は金(きん)の輸出であるため、わが国の金(きん)の準備高を増やすためには、商品の輸入を阻害しなければならない。また、商品の輸出は金(きん)の輸入であるため、あらゆる手段で商品の輸出を促進しなければならない」と言った。望ましい輸入の阻害は輸入関税で達成され、輸出の促進は輸出褒賞(ドイツでは輸出財の輸送費の割引という形出)達成される。こうしてわれわれは金(きん)を内部にとどめ、固定する。お金の潤沢な流通でわが国は栄え、金利は下がり、外国からわが国は金(きん)を巻き上げるが、「現実政治家」としては、それは大したことではない。

この短い文章で、いわゆる保護関税政策の合理性と不合理性が全て明らかになる。これは需要に応じた金(きん)が見つかず、金(きん)が輸入次第であり、金(きん)の発見も運次第という場合に自然に生じる状況である。政府が自分のお金を必要に応じて作った場合、「わずなか発見量の金(きん)をめぐる争い」は意味を失う。金(きん)が自身の持つ原理に従って地上に広まる(毛細管現象に見られる法則のように)ものであり、経済事象を表面的に考察してそのような結論を得たにせよ、決して望んだ成果が得られるわけでもなく、この事態が変わるわけでもない。

既述した金(きん)政策によって新たに国民に起こったすべての状況、またこの政策のために曖昧になったすべてのことを見てみよう。

まず、それぞれの国にとって「輸出入」の概念は互いに正反対の関係にある。国家の概念は全く新たな意味を帯びてくる。「国内経済領域」というすばらしい概念が出現する。これまでは商品は国内至る所へ向けて出荷されていた。輸出入はなかった。ちょうど、今日ドイツやスイス、あるいは米国内で輸出入とは誰も言わないのと同じである。ノイエンブルク州からシュヴュッツ州(※8)に賞品は発送されるが、スイスからドイツには商品は「発送」ではなく「輸出」される。各州間の商品の全鉄道輸送についての統計はない。それに対し「輸出された」商品については、小包一つでも統計に記載される。

※8(訳注):どちらもスイス国内の州。

こうして労働生産についての政策が影を落とすようになる。商品は政府の刻印を受ける。これは単なる生産物の交換ではなくなる。「ドイツ製」の印は、英国に送られ「英国製」の印と対立したものになる。商品には民族の人種的特徴は残らないので、それにドイツ製の銘を残そうとするわけである。

全く、輸出入はきちんと示された国境線なしでは考えられない。これまでの「国」の概念においてその違いは大した意味を持っていなかった。今日、村々や各州・郡、連邦州などが国境をはさんで隣接してあるように、昔の国々も隣り合って存在していた。諸国民は言葉や人種、習慣などで区別されていたが、それぞれの国は多かれ少なかれ互いに重なり合っていた。同じ法や完全に自由な通行が人々を結び付けていた。たとえ領主同士が敵対関係にあっても、それを引き離せなかった。ならず者は喧嘩早いが仲直りも早い。国境線は人々にとって分断線ではなかった。国境がどこにあるかをはっきり知っている人はほとんどいなかった。国境は実質上、意味がなかった。誰も国境警備をしなかった。領主やその子孫にとってしか、国境線は価値がなかった。いずれにせよ国境線はチョークで引かれていただけだった。国境を踏み越えるのに足を上げたり頭を下げたり、ビクビクしながら周囲を見回したりする者はいなかった。もともと中世には国境線といえるものは一つしかなく、それは宗教的にキリスト教世界とイスラム世界を分けるものだった。ユダヤ人や同時にキリスト教とイスラム教を信じていた者にとっては、この境界さえなかった。彼らには世界は一つだったのだ。

税関がなくなれば、今日でも国々がいくらか互いに行き来し合い、相互交流が促進されるのではないかという希望もはっきり持てるようになるだろう。それぞれの国の法律がある程度一致するようになれば、自分が定住しようと思う国の法律をわざわざ勉強する人もほとんどいなくなるだろう。自分のいるところと移住先の法律が変わらないのが当然のことと考えられるだろう。確かに実際には多くの国が、法律の作成のための審議を省くために、隣国の憲法や法律を模倣している。仮に両国の法律が同一であれば、両国間には国境線はもはやなくなる。ちょうど2つの水滴が一つになるように。同じものは一つとなり、違うものが分離し、国境をあらわにするのだ。加えて、重要な案件で両国の橋渡しをし、その規定の範囲内で国境線を無意味にする数多くの条約もある。

常軌を逸した見当違いの経済的見解から関税を導入しようと人々を煽り立て、税関から作られることがなかったならば、国々の間には今日でも実際にはお互いにほとんど違いはなかっただろう。

だが税関は、人々がもともと一つにしていたものをすべて暴力的に廃止する。分離に働く関税の力だけで一つになっていた状況がすべて一変する。というのも、関税は人間の経済活動、つまり人類の精神や能力、それに生活の99%を占める部分に食い込んでいるからだ。

アレクサンドロス大王のように、健全な人間は誰もが世界全体を要求する。このような人間には土地を策で囲い境界を作っても何の役にも立たない。健全な人間にとって世界は人々が色つきの鉄格子で互いに仕切られ、別に生きているような動物園としてあるのではない。太陽の周りを回る広い大地を持った球が、人類の故郷である。だが、関税はこの故郷に争いを持ち込もうとする。この馬鹿げたことから戦争が起こる。

ある国民が自分たちで押さえている土地を自分たちだけのためのものにして閉鎖しようとするや否や(これが金(きん)を蓄積しようとする重商主義的目的だけによるものだったとしても)、自然から自らに与えられたものの一部が暴力で引き裂かれたと感じた人類のアレクサンドロス大王が目を覚ます。というのは、北極から南極まで、地球全体が彼に与えられたものだからだ。意識しようがしまいが、誰もが世界の相続者なのである。そして地球全体を手にできなければ、彼は少なくとも可能な限り広い部分を自分のために引き裂き、それをあらゆる手段を使って自分や子孫のために確保しようとするだろう。こうして征服や戦争という考えが彼に浮かぶ。そもそも労働者には全く無縁な考えである。だが、自分自身あるいは自分の生産したものが何らかの境界にぶつかるとすぐに、確実にこのように考えるようになる。もしこのような境界がなければ、いかなる合理性に基づいて支配のための政策がなされたことだろうか。その場合、誰が何を獲得したことだろうか。まさに略奪や隷属から人類が抜け出さなければ、ある地域を征服しても自分の関税地域への併合以外に合理的な意味がない。この関税地域をそれぞれが武力で拡大しようとするのだ。

そのため、関税-戦争-征服は同一の思考としてある。税関の廃止で世界には支配が意味を持つ地域はもはやなくなる。関税の廃止はアレクサンドロス大王の計画を実現する。誰もが全世界を掌中にし、自分の立場からこの世界を小さな王として眺めている。カール大帝や後のカール5世が自分の帝国を分割したが、そのことによって誰も不利益を被ることがなかった。土地の分割は表面上そうなったにすぎず、一般民には関係なかった。だが今日、どこかの王が1つのまとまった関税地域を複数の独立した地域に分割しようとすると、そこに住むすべての人々がきわめて敏感に反応し、この分割に抵抗するだろう。米国の独立戦争では、分割が阻んだのは経済的な利益だけだった。そのとき世界に関税がなかったならば、北部の州はおそらく黒人諸州の分離を喜んだだろう。ノルウェーとスウェーデンがたやすく分離されたように(※9)、どんな場合でも分離そのものは容易になされるが、それは両国がそれまで存在していたある種の国の連合体であり、両国はそれ以前から異なった関税域を構成していたからである。そのため、この両国を結び付けていたのは経済的な関心であった。そしてこの必要性は、関税業務を通じて人工的に作られた。もし関税がなければ将来的にもそれを恐れる必要もないため、経済的な境界線はなく、その結果経済的な対立もなくなるだろう。「国民経済地域」という概念は世界そのものから成り、条約や征服による経済地域の拡大はもはや不可能となるだろうが、それはそれぞれの国や民族、そして人間にとっての経済地域がもはやそれ以上広がることができないほど全世界を覆っているからだ。

※9(訳注):ノルウェーは、1905年にスウェーデンから独立を達成した。

戦争をなくすことができれば、それは本当にすばらしいことだろう。だが、いかなる場合でも戦争をなくせるためには、国際法を侵害するものとして、近い将来関税が完全に全世界から撤廃されるという確実な希望を持つ必要がある。それでもある国が関税を導入した場合、それによって他国の人々と敵対関係を取ることになり、全世界からの対抗措置を覚悟しなければならない。だが今日の、意味のない矛盾だらけの関税政策がかたくなに守られるならば、「武器を置け!」という叫び声は無意味だ。戦争よりもたちの悪いことが残っている。

公海の自由については広く語られており、公海を人々が自由に利用するのは確かによいことだ。だが土地の自由については、公海の自由と比べてごくわずかしか語られていない。米国のウィルソン大統領が公海の自由しか語れず、陸地の自由については語らなかったこと、まさにそのことに私は人間の愚かさを感じる。いかなる国に対しても、自国領に対する排他的な権利を与えられてはならない。米国人に対して世界が開かれてなければならないのと同様、黄色人種に対しても米国の港は開かれ、全世界の品物が自由に運び込まれなければならない。われわれの先祖がアメリカを発見したわけでもそこに住んでいたわけでもないのだから、アメリカの土地は他の世界との境界を持つべきではない。全人類にとって地球は、すべての人が同じ自然的条件のもとで活動できる場所である。そしてこの場所で最も有能だと認められた人間は、高い水準の生活で自分の能力を高めるべきである。

また、公海と土地の無制限の自由は、お金に金(きん)が必要で、金(きん)が十分に発見されない場合われわれが「わずかな発見量の金(きん)をめぐる争い」をして金(きん)をお互いにだまし取らないといけない、という思い込みからわれわれが解放されることが必要だが、それさえなされるならすぐに達成できる。

金貨に対する批判は、ここでやめよう。通貨技術的立場からすればまだ重要なことがあり、この不幸な通貨制度の維持に反対する意味でまだまだ言うことはある。よりよく知りたい人は、先ほど紹介した本を読んでもらいたい。この講演はまずさしあたりより広い範囲の事柄、特に平和主義者の人々に金本位制という一般的な意味で平和を乱すものに関心を持ってもらい、地に足の付いた運動をしたいのであればその活動をどこに位置づけるべきかを示すのが目的である。平和主義者の行為は全て善で、賞賛に値する。だが彼らがより以上に戦争の経済的な原因に関心を向け、特に国家間の戦争だけではなく3000年間絶え間なく続いている内戦を問題としなければ、彼らの博愛的活動も同じように効果のあるものとは言いがたい。

すでにスイスで以前から、「スイス自由土地・自由貨幣連盟」が、まずは自分たちの国で真の市民平和のための経済的な基盤の確立への模索を通じて、国際平和への障害を取り除くことを目的とした団体を創設している(※10)。

※10:ドイツでは「ドイツ自由土地・自由貨幣連盟」と「重農主義同盟」が同じ目的を追求しており、両方とも一連の地域組織(1931年現在:重農主義闘争連盟、自由経済同盟、ドイツ自由経済党)を持っている。この本の発行者による付録の注釈4を参照。

不労所得の排除や完全に労働による収益を得る権利の創出が、平和という夢の実現に向けた同盟を作るための条件である。金(きん)の排除と、経済的な原則に従って管理される紙幣への転換が、まず第一の要求である。2つ目の要求は土地を国民の共有物に戻すことである。第2番目の要求の意味するところは決定的に重要だが、このことについてはここではこれ以上話せない。

「自由土地・自由貨幣連盟」の綱領にはまことによく考えられた深い平和のための努力が見て取れる。ここでは実効性のある形で念入りに武装解除について述べられている。というのも、今日戦争の危険を広げているのは城砦や船舶よりも、まずい経済状況にあるからである。となると、武装解除はどうだろうか。世に出るときはそれなりに武装をする。爪を切り、歯を研いで、自分の敵を絞め殺す。また、日頃は何でもない麻も縄となって怒れるパリのプロレタリアの武器とはならないだろうか。カインはナラの木の乾いた幹で弟を殺したのだ。武装自体があっても戦争にはならない。戦争の原因はさらに深いところにある。武装解除を本当にしたければ、金(きん)によって人間を縛っている鎖から人類を解放しなければならない。

2500年前にピタゴラスは、金(きん)が全ての犯罪の元凶だと言った。戦争の元凶もそうである。

そのため、国内外の平和のためになることを実現しようとする人間は、「自由土地・自由貨幣連盟」の努力を支持し、そのメンバーとして運動に加わる。

ロトの妻は後ろを振り向き、一瞬の恐怖で凍りつき塩の柱となった。そして今日でも、後ろを振り返れば誰でもそうなる。誰でも心が石のようになって、甲殻類のように軍の協力者や軍人になる。というのも人類の文明を読んだ人間なら誰もが戦慄に襲われるからである。それは残虐行為であり、まさに残虐行為と没落の歴史である。「軍備をし、鎧で身を固めないと、殺されてしまう。バビロニアやニネヴェ、それにエルサレムやローマの廃墟を見よ。戦争が永遠なのは人類の本性のゆえなのだ。軍備がもっときちんと整えられていれば、バビロニアは今日も強大な支配力を維持していただろう」と、一見歴史は語っているように思える。

コペルニクスとガリレイは、見かけにだまされる例を示している。

ここまで表面的な歴史解釈に迷わされたために起こった不幸は、計り知れない。太陽が地球の周りを回っているわけではないことをガリレオが証明したように、見かけだけの偽りがどれだけ状況を左右するかを、ローマの例でわれわれは見てきた。永遠の都はその根本から揺らいだ。だがここでは単に霊的な意味しか持たない占星術的なことがらだけが問題となった。だが、人類の歴史が火星ではなく水星の周りを巡っていることを知って初めてわれわれのすべての思考や行為が根本から揺さぶられるのだ。

古代の文明国家の滅亡についての重商主義的な説明は、平和主義をはじめとする全ての分野でわれわれに新しい道を示してくれる。というのも歴史を欲しているからだ。歴史のことばを理解するとき、歴史は偉大な教師となる。過去をふりかえることで展望が生まれる。経験は最良の神託である。歴史の教えに従いながら、人はあらゆる分野でそのふるまいをただす。たとえば、遠い世界を探検した開拓者たちはどうだろうか。地面の上にあるものから、彼はまず植生を研究する。そして気象状況を探り出し、探検して見つけたものがないか探し回る。野原をゆるやかに蛇行する川の岸辺に多くの住民が安心して農業を始められるのだが、彼が来る前に先住民が育てて乾かしたイグサが彼の頭の上にあるポプラに引っかかっているのに気づくことがあるかも知れない。このイグサはわれわれ開拓者にとってわれわれの国家の基盤を考えるときのバビロニアの廃墟のような意味を持つ。山岳地帯の雪解けのときにゆるやかな川の流れが大洪水となるから、見かけにだまされないようにと先住民は移住者にいう。ぞっとした彼は自分のテントをたたみ、ソドムが崩壊したときのロトとは違って振り向くことなく立ち去る。

歴史から教訓が得られず、その意味が分からなくなると人は窮地に陥る。だが、本当に窮地に陥るのは歴史の示す事柄が誤って解釈されたときだ。そしてこれがわれわれが今までしてきたことなのだ。われわれは見かけにだまされてきた。歴史の案内人は武装の必要性を指摘し、その武装のために戦争が引き起こされる。歴史を解釈した者たちは国家の防御のため戦闘的な心構えの必要性を説き、この心構えをわれわれは若者に植え付け、本来は防御だけを目的にしていたのに、この戦闘的な心構えのために戦争が起こる。

もしわれわれが人を惑わす表面の見かけを信用せず、少しでも文明の「貝塚」(※11)を崩して深く考えていたならば、状況はどれだけ違っていたことだろうか。すぐにわれわれは、以下の文章が入った碑文を目にしたことだろう。「金貨は国内外の戦争の瘴気が立ち昇る盗賊の巣窟である。金貨のために私は、武装することができなくなり、野蛮人の攻撃に敗れ去った。金(きん)のおかげで私は生まれたが、数多くの子どもが死んだために新たな生命が無に帰した。リュウクルゴスを讃えよ。彼は、全ての犯罪の元凶である金(きん)を追放したのだ」

※11(訳注):ゲゼルの文章ではKjökkenmöddingernと表記されているが、現代デンマーク語ではKjøkkenmøddingernとつづる。おそらくデンマーク語Kjökkenmödding(貝塚)の複数形に、ドイツ語の複数3格のnがついたものと思われる。


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