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1999 08/09 19:54
タクシー客が薦めた心臓病の得意な病院ベスト3


その71歳という乗客の紳士は2年前に心筋梗塞で、死線をさまよったとは思えないくらいどころか、60代かと見まごう程、シャキっと活気のあるビジネスマンにみえた。 
 お盆を控えた6日の金曜日の乗務はトーキョーの猛暑も手伝ってポンポン乗客ゲットのハイペースで夕刻を迎えたが、このあとの、お盆期間の売上の落ち込みを考えると、とても休憩する気にならない。 
 都心の沿岸部のちょっとした裏通りには、スゴイ交通量ながら、作戦の通り流す空車は前後の視界にゼロ台なので、ニンマリしていたら、その老紳士が手を上げていたので「よっしゃあ!」の達成感でドアをあけたら、行く先は都内西部の高級住宅街、小一時間、数千円の、夕刻にしてはナカナカのヒットで嬉しさダブルだ。
 ちょっと言葉を交わしたら、この、お客は静かな休息よりも楽しい会話のご気分のようで、車内の話が弾んで、昭和29年、1954年に26歳で事業を興して以来、ガムシャラに働きながらも順調に実を結んで、バブル期に大きなヤケドすることなく、堅実な企業のオーナーとして多額な蓄財にいたるサクセスストーリーも楽しく話してくれた。
 歳よりも、十歳以上若く見える、この社長が2年前、胸部の苦痛に異常を感じたときは、現在、順調な再建途上にある北海道の水産会社への資金援助と本格的な経営参加を始めたばかりの、新たな戦いの真っ最中だったそうだ。
 彼は定期的な健康診断や検査をマメに受けていたが、永年のホームドクターである開業医から、「今回はどうもヘンだ。」と異常を指摘され、ただちに目黒区にある東邦医大の大橋病院に入院の紹介をして貰い、そこで、恐ろしい診断結果を目の当たりにすることとなった。
 「心筋梗塞」。心臓の筋肉に血液を供給するメインの三本の血管である環状動脈のうちの二本が詰まってダメになりかけていて、生存の確率は、あまり高くない。自覚症状こそなかったがこの病状は彼が営業で現場を駈けずり回っていた25年くらい前にすでに発症した形跡があるとの指摘も受けたそうだ。

 オイオイ、42歳の、みみ太郎も、やべえジャン。調べなきゃなあ。

 彼が再建に乗り出した会社は順調な推移ながらもすでに多額の資金注入をしている上に、まだ自分以外に代行できる人間がいない。
 彼のご子息は大企業の営業マンで全くの門外漢で奥様も勿論、同様。
 自分が死ねば、この会社は再建半ばで分解は必至、という状況と数十年間もの経営の修羅場をくぐった経験が、彼に「生きる」ことへの強い執念を与えたことがもっとも大きいのでは、と車内の会話は盛り上がったが、話題の中心は東邦医大の大橋の医療レベルの高さになった。
 入院で知り合った患者のひとりは、急性心筋梗塞で、人工呼吸と心臓マッサージを受けながら救急車でほぼ、「死亡」の状態で運び込まれたが、たまたま、この病院の師匠クラスの名医の勤務時間だったおかげで「生き返してもらった」くらいの絶望的病状だったと患者に付き添っていた奥さんが話してくれたそうだ。
 で、この乗客のほうは、太ももの動脈からリモコン手術用の管を入れて心臓の環状動脈の再製手術を数度にわたって受けて、とりあえず、死の世界から遠ざかることに成功したそうだ。
 なんでも、一割負担の健康保険を使っても、一千万以上の現金を要したそうで、後日、高額医療費の還付ということで、だいぶ、お金は戻ったが、百数十万円は結局もどらず、自腹だったそうだ。
 まあ、生命保険会社の入院保険は、みみ太郎も入っていて正解だったなあという思いを新たにした。
 診断によれば、まだまだ彼の死亡リスクは高い状況だそうだが、この方の発する生気というか、バイタリティーの強さと、ルームミラー越しに見える、鋭く、しかし明るい眼差しと、経営の戦場真っ只中という状況には、きっと死神も逃げ出すでしょうとまたまた車内が盛り上がって、今回のタイトルのランキングの話をしてくれた。
 彼の、これまで得た情報では以下の三つの病院が心臓疾患治療に、我が国内では抜きん出た存在だそうだ。

@今回の話題の東邦医大の大橋病院

A東京港区、心臓血管研究所付属病院
 乃木坂のちかくにある。政界関係者以外はナカナカ入院できないらしいが、入れれば、めっけモンだそうだ。

B東京新宿区、東京女子医大病院
 この近くに台場に移転する前のフジテレビがあった。脳外科の手術でも名高いが、心臓の方もピカイチだそうだ。

 



1999 08/20 22:26
温泉地での全焼火災の原因は酔っ払った芸者がストーブを蹴っ飛ばして・・


修学旅行先で火災が発生した!ある温泉地に修学旅行で小学校6年生を引率していた先生のもとに、児童からの第一報は、きわめてノンビリ、間延びしたセリフだった。
「せんせい・・・火事で・・火がもえて・・ます・・」
 いつものように都内の沿岸部をタクシーで流していたら、離島からの到着船から降りた乗客で賑わっていて、私がゲットしたのは、70代のご夫婦だった。
 これから都内西部の住宅街の娘夫婦の家に遊びに行くので桟橋で私のタクシーに乗ってくれた彼らは、永年、離島で小学校の先生を定年まで勤め上げた後も島民として、ボランティア活動をしながら老後を過ごしておられるそうだ。
 冒頭の火災報告の子供の寝ぼけたようなセリフは、現役教師だった20年くらい前のことで、当時は日頃の防災教育で「火事のときは、ゼッタイに慌ててはいけない」
という指導を子供達にした為で、指導方法を見直す、大きな教訓になったという。
 私達、平野部の都市で育った人間なら、そーゆーふうに教わっても、火を間近に見ればコワクて、そこそこ機敏に行動したと思いますが、 と尋ねると、島では火災が集落全体を焼き尽くした過去何回もの歴史から、防災意識がとても高くて、ボヤが発生しても、近所の人達のすばやいバケツリレーなど、きわめて迅速に初期消火を成功させることが多いので、逆に子供たちは実物の火災の恐怖を実感する機会が皆無に近い、そしてある程度の年齢で防災意識を身につけるまでの一定期間は、火災などに対する感受性が「真空」になるようだ、と話してくれた。
 平野部の都市に暮らす我々は、全く逆だ。少年時代、火事と聞けば野次馬として駆け付け、クラスメートが前日見たという焼死体などの話に怖さ半分ながらも聞きに集まり、結構災害にはセンシティブだったような気がするし、逆に大人になってからの、災害や危機管理に対する鈍感さと無神経は犯罪的だ。
 特に先日の増水した川でキャンプして流されたグループなどは、上流にダムがあるのも、その警告看板、前日の警告、当日の数回の放流のサイレン、度重なる警告・・・ココまで無視するかあ?の結果の惨劇だ。あんなに愚かな行動をするのなら、いっそ軍国主義に洗脳された戦前の日本人のように、「夏休み万歳!キャンプ万歳!」と叫びながら流された方が最後の一瞬までスジの通った人生としてカッコがつくのに・・と私が過激なギャグをとばしたら、乗客の、もと小学校女性教師はクスクス笑いながら、くだんの火災の後日談をしてくれた。
 修学旅行先の旅館付近で起きた火災は子供達のいる旅館に類焼せずに鎮火したが、火元の一軒家は凄まじく全焼し、ひとり暮しの芸者が犠牲になったそうだ。 
 原因はサザエさんというその芸者が酔っ払って石油ストーブを蹴っ飛ばしたためという話しを校長先生がしてくれた。
 そのときは子供たちの就寝後の、職員だけの休憩の時間だったので、彼女は思わず口走ったそうだ。
「それじゃあ、まるでサザエのツボ焼きじゃない!」
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