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2003年10月5日

アホなタクシー野郎、みみ太郎だって あきれるワイ!!新幹線停車になった品川駅に見るわが国の道路施設のズサンさ!再開発の高層ビル群は完成して新幹線が停車するよーになった10月になっても駅前の道路はアッチコッチ封鎖チュウのお粗末さ!!

だいたいね、この春に高層ビル群がオープンして
大企業がゴソっと引越してきて
この10月に新幹線停車ってんで
マスコミにチヤホヤ報じられた
品川駅の港南口の真正面の
タクシー乗り場が、コレだぜ・・・

んで、仮乗り場に並らばされた
タクシーが狭い一般道路にのびる、ノビル・・・


みみ太郎はこんな
「供給過剰」なトコなんかゼッタイ並ばないけど

アナ場の知識のないヤツや
ベテランでもイッパツ狙いとか
怠けモノが

「ホイ、新幹線停車」ってんで
当てこんで集まってくるからな・・・

とにかく、品川の東側の再開発は
すんげえ広大な敷地に高層ビルが

この不景気にバカスカ建ってるのに

肝心の
道路はアッチコッチで工事で
使い物にならない場所ばっかで

タクシーに限らず

沿岸地域の企業の送迎用の大型バスなんか
朝夕はワンサカくるのに

発着用のバス停もなくて
周辺の道路をふさぎまくってるし・・・

この道路行政っつーか
都市建設のやり方ってのは

引越し先のマンションの
廊下に荷物をバカスカ置いて

そのスキマから部屋に荷物を
苦戦しながら入れさせるってぇか

とにかく
新幹線開業の日になっても

道路がホジクりかえされたままの

このバカさ加減には

激怒を通り越して大爆笑だな・・・
 


2003年10月5日
「こちらJA1HHW!」みみ太郎のアマチュア無線のコールサインが変わりました!いままでの「7N4BNE」を廃止申請して「プレステージ性」ギラギラの「JA1」で始まるコールをチャッカリ取り直しましてん♪ゲッヘッヘ♪

よーするに、たとえば
関東エリアで「JA1」で始まるコールサインもらった人々というのは
何十年も前ってことで

みみ太郎のように
ムカシは違法CB無線でトラックやってたようなのが

ずっとあとになってキチンとアマチュア無線のメンキョとった場合は

おなじく、関東エリアのばあい
「7N4」とかで始まるコールサインもらう
昨今だったワケだ・・・

しかし、わが政府が
金に窮したヤクザよろしく、
アマチュア無線やってる人間からも

「電波利用料」と称して「カスリ」を巻き上げる

法令できてからは
カネ払わないで
猶予期間すぎると、自分のコールサインが
パーになる現象がでてきたワケで

そんで、今回
それらがまとまってきたんで

政府はとうぶん、イッチばん古い
コールサインから
新規メンキョに割り振りだしたワケだ・・・

んで、みみ太郎は
いったん、今までのを廃止申請して
あらたに
開局申請したんで

JA1HHWってぇのをもらったのね・・

だけど、この後半の「HHW」って

なんか

「エッチでエッチで、もうダブルじゃん」とも
ヨメるから
ちょっと、おまぬけではあるね・・・・

ま、コールサインにこだわるってのも
クルマ買ったときに
「地元の野田ナンバーで登録するか
裏ワザ使って
品川ナンバーで登録するか」に似た心理で

そもそも、おまぬけな価値観、センスってな
側面もあるね・・・

ま、シュミってのはそーゆーもんだよね♪
 


2003年10月12日
タクシー客は寂しいオジサン・・・オイ、こりゃ鬱病の予備軍どころか志願兵だよ!

「運転手さんにこんなこと言っても
しゃーねんだけど
やぁは〜、家に帰ってもババアしかいねーのが
もう寂しくてねえ・・・」

郊外のターミナル駅で乗せた
初老の男性客は
荒削りな風貌で
もと不良ってカンジだが
「〜〜まで、よろしくお願いします」と
腰の低い落ち着いた雰囲気で
職人あがりの経営者か
建築関係の会社の上級管理職って風情だった・・・

「え、お客様が奥様と水入らずなら、いーじゃないッスか?
お子様も独立なすったってなワケでしょ?」

「運転手さんね、やはは、そーなんだよ・・・
二人いたガキで
この春まで家に残ってた方のヤローが
静岡の大学に入って
ウチを出て向こうで暮らし始めたんで
もう、家かえってもババアしかいなくて
なんか、もう、ガックリきちまったんですよ」

「あ、そーなんスか
でも、お客様だって
そうそうマッスグ
お家にお帰りにゃならないでしょ?
ゲッヘッヘ」

「いやぁ、今更サァ、悪いことなんて
やっても、しゃーねんだよなぁ・・・」

「はあ、そうッスか・・
アッチのほうが
飽きてらしてるんなら、
なんか、クルマとかゴルフとかいろんなシュミとかね・・・
なんかスポーツやれば、いじゃないッスか?」

「ああ、ガキが陸上の選手だったから
ヤローがいたときは
いっしょにトレーニングしてたんだよ
でも、ヤローも引っ越したからねえ・・」

「お客様は二番目のお子様が
かわいくってしょうがなかったんスねえ・・・
で〜も、ソコまで落ち込んでらっしゃるてのは
なんか、お客様ご自身に悩みごとがあるんじゃないっすか?」

「いや、仕事もカネも、カラダも
み〜んな、ソコソコ、
よくも悪くもねーよ
あ、そーいやァ、ここ三ヶ月くらい
仕事休んでないからねえ・・・」

「あ〜!お客様、ソレっすよ!
仕事シゴトで、いちにちも
チカラ抜いてないと
カラダは平気でも
精神的に、ドンドン悲観的になっちまう
じゃないッスか!
私は、まだ40代の若造ですけど
やっぱ、いつ ウツ病になってもね
ストレスためすぎれば
カンタンになっちゃうらしッスよ!」

「あ〜、うん、運転手さんの
ゆーとーりかも知れねえやなあ・・・
休んでねぇと
なんか、ホントやんなってくるやなあ」

「や、そうですよ
休みってのをバカにしないほーが
いいッスよ
あ、この電柱ントコのお宅ですね
お待たせいたしました
ありがとうございました」

ウーン、この年代で
心の病ってのに無頓着ってェかたがたが
イチバンやばいよねえ・・・
 


2003年10月18日

刺激慣れした中年みみ太郎もショック!インド古典舞踊を初めて観たら・・・いやーこりゃあ、人類最古クラスのマインドコントロール魔術だよ!異教徒とか、みみ太郎みたいな無宗教ニンゲンがターゲットだね・・・

妻に「連れてって」と言われて
何気に付き合った
地元の文化イベントで
「南印度古典舞踊」の公演みたんだけど・・・

この土蔵を改造したホールがあるのは

千葉県の我孫子市のはずれにある
かつての豪農だか権力者だかのスゲエ屋敷が
「相島芸術文化村」って施設になったトコの一部で・・・

その
「相島芸術文化村秋祭り2003年」って
イベントの一環が

インド舞踊家・山元彩子
↑詳細はこのHPをご参照いただくとして・・・

とにかく、この日本女性の舞踊家と
そのお師匠様のインド人男性舞踊家の、なんだけどね・・・

やー、久々に、みみ太郎、感動したわ・・・

終わってから

この二大舞踊家先生に
ツルツル頭の戦闘服デブが
アイサツにいって
握手してもらってきたわ・・・

んで、以下のファンレターをば
メールで送っちゃったわ・・

山元先生

(恐縮ですが児玉様 始め ラクシュマン師匠様
関係者皆様にもこのメールをご転送いただけますと幸いに存じます)

本日は我孫子の先生の公演で
ツルツル頭のデブがヤブカラボーに
素っ頓狂なご挨拶とコメントで大変失礼いたしました

本日は私の人生の精神面に激しいインパクトを受け

とても、山元先生 ラクシュマン師匠様 
我孫子で
この機会を与えていただいた児玉様に

熱く御礼申し上げます!!!

私は我孫子の隣町の沼南町に住み
学校を留年したり
職を転々とながら
近年は
都内のタクシー会社に通って
先生のお膝元も含め
都内を流すタクシー運転手です


(私のタクシーネタの日記HPの
「みみ太郎のタクシー日記」 http://taxi.jp の
「自己紹介」を
お時間あったら、ご笑読くださいませ)

今回まったくインド文化にも
インド舞踊にも無勉強な状態で

(ヒンズー教については
報道機関発行の
数十ページ程度の
簡易解説の冊子読んだ程度の知識です)

妻に「連れてって」と言われて
(地元の公民館あたりでチラシを入手したようです)

インドのヒンズー文化を初体験した次第です

観劇してて

始めのうちは鮮やかな舞踊の技巧とハイテンポな刺激に
うっとりしました

途中から目が回るような錯乱した感じで
アタマが痛くて、気分がわるくなりました

そしてその後は
恐怖と陶酔で離れられなくなりました・・・

初めてのインド舞踊、初めてのヒンズー教文化に触れて
感動や喜び激しかったです

でも激しすぎて
それらを超越して、自己が破壊される恐怖と
それでも引き込まれる魔力で

今もインパクトというより
ショックを受けている感じです

今、山元先生がHPで解説なさっている
文章を感動的に噛みしめております・・・

「バラタナティヤムの持つ力強さ・優美さは、
シヴァ神の持つ破壊と創造に値するものがあります。」

まさに実感ですが、

私のように
「宗教は麻薬であり、魔術だ」という
考えの
無宗教のニンゲンには

シヴァ神様の「破壊と創造」を表す舞踊というより

人類の歴史の中では
異教徒や無宗教の者をマインドコンロールするのに
用いられたメソッドではないかと思いました

そして

「ナタラージャの踊りは宇宙の力を表わし、」

いや、まさに、宇宙なり、自然界にある
未解明のパワーを
舞踊者の精神性と技巧で
観劇者の精神を「破壊と創造」する

何千年もの経験則から編み出された
現代科学で解明できないような
魔術なのではないかと感じました

私は日頃から
「オレぁ世界中のドコいったって雑草にみたいに
体当たりでヘラヘラ暮らせるぜ」と
うそぶいておりますが

インドにいってこのような文化圏の
中枢地域で暮らしたら

「帰って来れない」って実感しました

それが
自らを遥か
すばらしいものに
変えてくれるものかもしれませんが

いくら47才のミソラまで
「世の中、体当たりでいきゃあコワイもんナシ」の私でも
さすがに、こわいです・・・

その意味生まれて初めて感じる恐怖です

山元先生とラクシュマン師匠様そろっての舞踊は
恐怖と陶酔そのものでした・・・

舞踊の身体の動きは
山元先生が師匠様を超えてるなって思いました

でも、目から出る魔力は
先生はたまにやさしくなって
私を楽にしてくれるときがありましたが

山元先生の手先の動きと
師匠様の目と手先の動きは舞踊中
私を恐怖させっぱなしでした

とくに師匠様は
どんなに明るい笑顔の舞踊場面でも
(目もちゃんと笑ってるのに)
恐怖を私に与えっぱなしでしたし

あきらかに
山元先生が師匠様を
凌駕してるなーとおもう
体の動きのなのに

舞踊の手先は
山元先生より
やはり恐怖の魔力でした

雑然とした
まとまりのない
お便りで大変申し訳ございませんでした

最後に
インド古典舞踊が長い歴史の中の
おのおのの場面でどのような
政治的役割や弾圧を受けたりしたのかの
手がかりが得られる
サイトや書籍などを

ご教示いただけると幸いです

これだけの精神的なメッセージやインパクトを
与える魔術にちかい芸術が
時の権力者たちに
どのように位置付けられてきたのか

おおいに興味があります

先生にあられましては
ご多忙の中
最後まで
お読みいただきましてまことにありがとうございました

これからも多くの人々に感動と衝撃を広められることを
強く祈念いたします


でもね、感受性の強いヒトは
観るとヤバイかもね・・・
インドへ飛んでって
帰らなくなっちゃうかもね・・・
 


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