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2004年7月15日

みみ太郎の妻は先週に42歳で急逝!20年も一緒だったからなあ・・・この事実を受け入れる方法は、ただひとつ!どこかで見ている妻のためにも、みみ太郎がこれからの人生を有意義に大切に生きていくことだ!

妻は、恥ずかしがりだったこともあったし
彼女の写真を
この日記で公開するという
みみ太郎としての弔いは
今日、この編集までの
五日間で、あとはアルバムで
ノンビリしてもらうことにした・・・

先々月の5月15日に家で
調理中に
ガスコンロの火が衣服に着火したりの
不幸な悪条件が重なって

上半身に大ヤケドして
近くの大学病院の集中治療室で
鎮静剤で意識のないまま

一日に昼前と夕方の二回の数十分づつに
許された

みみ太郎の面会時間のときを待って
妻は安らかな表情で命の鼓動をとめた・・・

51日めの先週の日曜
7月4日の午前11時35分だった・・・

まあ、広範囲な重度の熱傷ってのは
フツーは数日とか十日以内に
ショック症状とか内臓の急性症状で
命がなくなるんだから

それを医師から
宣告されて
初日から

妻の死を想定せざるを得なくなった
みみ太郎にしてみれば

妻は
いろいろな治療が奏効しながらも
広範囲に破壊された皮膚からの
感染症での
全身の衰弱がゆっくり進んで
死に至るで

51日間、妻の死を受け入れる時間を
与えられたともいえるから

愛するものを一瞬に
失った人々にくらべれば
はるかに恵まれてるわな・・・

運び込まれた初日に
医師の説明を受けたとき

鎮静剤で意識がなくても
妻の耳に聞こえた声は
脳で認識されてる可能性アリというので

51日間の面会では
ずっと明るい声をかけ続けたし

掌をかざしてハンドパワーで
すこしでも妻の体の抵抗力を
強くしてやろうって気合いれたし

妻が昇天してからは

もし、妻が、どこかで
みみ太郎を見ていたら

どんな生き方や暮らしをすれば
妻が安心して、喜んでくれるかを

ずっと考えてるから

あんまし悲しんでるヒマはないね・・・

涙がイッパイでたのは

妻が遺骨になったときと

葬儀の寺院で

戒名のついた位牌をみたときくらいかな・・・

あとは来月に
近親者だけで
納骨してあげるだけだしね・・・

とにかく

今まで以上に

前向きに、フルパワーで
真摯に生きてくこと・・・それが答えだ!

だから、いま、みみ太郎が

今までどおり、ヘラヘラ笑顔で暮らしてるのは

ハッタリでも、偽りでもない!

妻のいない

これからの人生を
真剣に考えた結果のひとつだよん♪
 


2004年7月16日
タクシー稼業のいいトコの♪ひとつは♪ご乗客との会話に癒されり励まされたり笑わされたりキモチを聞いてもらったり・・・ゆうべは一杯飲んだ帰りに駅まで、820円のご利用の年配の男性客に癒されたなあ・・・

「だって運転手さん
オレぁ
とうのムカシに
女房に先立たれてるけどさ
家に帰ると
猫二匹と犬一匹が皆そろって
玄関に出迎えてくれるんだぜ」

「え、お話し変わりますが
お客様が
おいくつのときに
奥様お亡くなりになったんスか?」

「オレが51のとき、8年前ェだよ・・・」

「あ・・・そうっすか・・・
実はツイこないだ
私も女房に死なれちゃいましてね・・
私は今48なんすけどね・・・」

「あーそうかい・・・
なんだァ・・・
運転手さんもオレと同じ境遇じゃねェか・・・」

「はい〜・・・
20年だなんだ一緒だったのに
先立たれるんだったら
もっと若いウチのほーがラクかな〜なんて
思ったりもすんですけどね、ヘヘヘ・・」

「ハハハ、運転手さん
そりゃ、オトコの言い分ってヤツだよ」

「でへへ、まあ早いときに亡くしたら
人生経験ないぶん
オトコも弱いでしょうしね・・」

「それにサァ、うんと年取ってからじゃあ
女房に頼りきってるだろーから
もっとヤベェだろうよ・・・」

「そうですよね
奥様に先立たれた
ご老人が後追いって悲惨なハナシも
よく聞きますよね・・・
あ、そろそろですね・・・
ハイ、お待たせしました
このあたりで、よろしいですか?」

「おう、ソコに停めてくれや
これで、釣りは、いいよ!
運転手さんも頑張れよ
ありがとう!」

「あー!どうも、ごちそうさまです!
お気をつけて!
どうも、ありがとうございました!」

トーキョーを
都心、下町、郊外と
ほぼ24時間、
日によってはゼンブ一般道路で
300キロ以上も走ってれば

お客様からも
大都市の熱気からも

パワーと癒しと勇気を
イッパイ得られるのだ・・・

ムカシ、なにかの本で読んだけど

ニンゲンのココロを支える「三本の柱」は

1、愛する家族という柱

2、友人たちや趣味などの柱

3、仕事のヤリガイなどの柱

この三つの柱を

いっつも太く丈夫にする努力を
日々続けてれば

どれかが、ドカンとダメになっても
残りの柱が自分を
シッカリと支えてくれるってなハナシだ・・・

みみ太郎、これからも
楽しい人生送ってりゃあ、

天から見てる妻も安心して
喜んでくれるってなもんだ・・・
 


2004年7月26日
妻と死別して三週間、タクシー野郎みみ太郎は公私ともにサクサク、ヘラヘラ過ごしてるけど・・・まぁ、ヨシとするか♪

妻が死んでから
今日までの三週間っつーと

おりからの猛暑で
都内のタクシー稼業は
ウハウハだったし

社会保険やら
いろんな公共サービス関係で
カネもらう手続きとか
カネをこれ以上取られない手続きとか
妻の死で必要な
手続きで走り回ったり

公私いろんな仲間からの
集まりや誘いにマメにカオだしたりで

ま、意識的に忙しくスケジュールを
ブチ込んで行動の密度を濃くしてるってのも
あるけど

とにかく、この三週間
ドタバタ、すったもんだ、ゲラゲラってんで

およそ、シクシク、へろへろ、メソメソとは
縁遠い毎日だ・・・

そういやぁ
妻の死んだ四日後に
我が家も
ついにブロードバンド開通で

98年以来、六年間も
わずか64キロ通信のISDNの
超低速通信から開放されて

今は光ファイバーの
「Bフレッツマンションタイプ」という
定格で下り100メガ
上り50メガ通信で

実測でも
下りで50メガ弱
上りで20メガ台で
超快適ネット環境になった・・・

とにかく
妻の死は五十日も前から覚悟してたし
当然、妻を見送ったあとの
処理もサクサク進んだけど

妻を失ったダメージが
みみ太郎にどーゆーふうに
これから作用するのかって想定するに

やっぱ
ボディブローのように
長期間ジワジワと
降り注いでくるんじゃないかなあ・・・

だから
それには

毎日をジワジワ楽しく忙しくしてれば
いいってこったな・・・

相変わらず
みみ太郎のクルマや無線や
もろもろの趣味は盛んだし

仲間の会合や
妻の死を知った
仲間や旧友からの
飲み会なんかの誘いにも
ホイホイ参加してるから

仕事もオフも忙しいってな今は
正解だろうな・・・

ま、よーするに
自分を見つめることなり
精神的な「喪」の作業もシッカリやってれば

あとは
友人、仲間、都市などの
活気や刺激に
積極的に
自分を触れさせる環境を

これからもイケイケで作ってけば
いいってこったな・・・

そ、悲しみがボディブローでくるなら

楽しさのボディブローで
反撃すりゃオッケイだね♪
 


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