マグリット編

 どうしても、ルネ・マグリットの絵をこの目で見たい!

 その思いは、方向音痴の出無精を、東京へと駆り出させた。
 新宿・三越美術館で、ルネ・マグリット展が開催される。今世紀最後の日本での展覧会だ、というではないか。これは、見逃す手はない。「今世紀」が、あと数年しかない、ということにまでは気が回らず、どんなことがあっても、見に行く!そう心に誓った。
 1月7日、新幹線にて東京へ。山手線で、新宿へ。店名のレタリングが全国共通なのも幸いし、迷う暇もなく、三越へ着いた。駅のすぐ近くである。いざ、1200円払って、美術館へ入場。
 土曜日ということもあってか、館内は見学者が大勢であった。老若男女、さまざまな人がいる。あこがれの作品を、直に見ることができるのだ。
 ルネ・マグリットの絵は、不思議である。美術の教科書には、たいてい作品が載っているので、多くの人が、彼の作品を目にしているであろう。巨大な岩が空中に浮いている絵、部屋一杯の大きなリンゴ、鳩の形をした木(葉)、顔のあるべき場所にリンゴが描いてある山高帽の紳士、などなど、「不思議」としか言いようのない作品が多いのだ。タイトルも、本当に、絵の内容を表しているのか、疑いたくなるようなのが多いのである。見ている方は、なんだか、「騙されて」いるような気がしてくる。
 だが、今回、本物の絵を見てわかったのだが、思っていたよりも、作品が、きれいなのだ。あまり大きな絵はない。が、一点一点が、本当に、丁寧に彩色されており、細密画のようでさえある。特に、青い空に浮かぶ白雲は、うっとりするほどの素晴らしさだ。画家本人も、そう思っていたのか、青空と雲が描かれている作品が、かなり多い。
 また、製作時期によって、筆使いが全然違う。ルノワール風の作品を描いていたものなど、サインがなければ、別人の作品だ。
 習作というか、作品の案のラフスケッチも展示していたが、あのくらいの鉛筆画のいたずら書きなら、私でも書ける。それが、どこがどう違って、マグリットと私の差になるのだろうか。
 見学者の中に、おそらく、大学生と思われる男性2人連れがいて、彼らは、どちらも、美術の素養があるらしく、作品を鑑賞しながら、互いに感想を言い合っているのだ。それが面白くて、思わず耳をそばだて、彼らの話を聞いてしまう。しかし、ずっと、張り付いていて、痴漢行為(いや、痴女か)と疑われても困るので、見る順番を少し変えたりて、つかず離れずの距離を保つようにした。他の人も、似たようなペースで見学していたから、不審がられないで済んだ、と思っているが、ひょっとして、「変な女!」とバレていたかもしれない。この場で言っておく、他意はなかったぞ!
 彼らの話は実に楽しかった。一つ一つの作品について、本当に、真面目に論じているのだ。
「この、球体が、彼の作品に繰り返しでてくるモチーフなんだ、何か、画家にとっても思い入れがあるのだろうか」
(うん、そうなんだ。鈴のように見える球体が出てくる作品って多いのよね)
「う〜ん、世界を3つに分けているこの部分は、砂浜であり、地面でもあり空でさえあるんだ」
(そうかそうか、1枚の絵に、3つの世界を盛りこんだ作品なのか)
「いやあ、これは、思わず、手をかざしたくなるね。」
(砂っぽい空気の中の白い太陽、何か、ギラギラした感じだよねぇ)
「この部分は、空、こっちは海、ここは地上なんだな」
(わ〜い、こんなわけわかんない絵を見て、私と同じこと考えている!)
 といった感じで、感性が私と似ていたのか、そうそう、やっぱりそう思うよね!
と、握手をしたくなる能書き兄ちゃん達であった。
 こうして、ゆっくりと作品を見終わり、図録や絵葉書を買い、今回の第一目的は、無事終了したのであった。
 さあて、残りの時間は、もうけの分だ!!
 私は、都会をさ迷いはじめた。



彷徨編

 方向音痴といっても、もちろん、いろんな程度があるだろう。私の場合は、「きっと、この道を行けば、目的地に着くに違いない」と、カンを働かせると、違う場所に出てしまうのである。熟知した道路、または、教わったとおりに歩いていかないと、駄目なのだ。
 だが、先日、とある目的地へと行くのに、人から道順を教わり、そのとおりに歩いているはずなのに、途中の目印である消防署が見当たらない。こんな簡単な道順で迷ったのか、と、思っていると、なぜか目的地へと着いてしまった。再現しようにもできない技である。
 であるから、ペーパードライバーに成り下がってしまったのも、仕方のないことであった。第一、駅(田舎の小さい駅であるが)に車で行こうとして、自分の考えでは、駅は右手に見えるはずなのに、実際には左手前方に出現した、なんてことを平気でしでかす奴は、運転しない方が、平和のためだ。
 こんな人間ではあるが、貧すれば窮する、ではなくて、窮すれば通ず、のである。最近は、真剣になって地図を見れば、かなり、いい線までいくようになってきた。田舎よりも、都会の方が、駅の表示がはっきりしているし、交通の便がはるかにいいので、移動しやすいのだ。それに、東急ハンズ池袋店へ行くには、サンシャイン60を目印にすればいい、ということが、3度目にして、わかった。それまでは、駅からすぐにたどり着けなかったのだ。
 乗り換え、ということも、自分にとっては、かなりの高等技術であったが、なんと、今回は、山手線から、中央線へ乗り換えたり、白山に行くために都営三田線に乗ったり、ということが、できたのだ。おお、やればできるじゃないか。今までは、同行する人の背中を追いかけることしかできなかったので、全く覚えられなかったことが、一人で歩くようになって、随分わかるようになってきた

(あのぉ〜〜、ひょっとして、私、すごくマヌケなこと、書いてますか?でも、楽しみながらも、大真面目で東京を歩いていたんですけど・・・・)

 出無精で、ほとんど旅行をしなかったのだが、これからは、多少は、旅をしてみようかな、と、帰りの新幹線の中で思ったのである。
 そして、なんとか、無事に帰宅できたわけであるが、実は、オチがある。家に帰りつき、はぁやれやれと、着替えていたら、なんと、ズボンに穴があいていた!
 ズボン(パンツという言い方は好きではないのでズボンにします)の股の部分が6センチ程、縫い目がほつれていたのだ。それも、股の後方部分である。
 いつ、ほつれたのか、全くわからない。その日来ていた外套の丈が長めだとはいえ、かがんだ時に、ひょっとしたら、外気に曝していたかもしれない…。いや、新幹線の中では、外套は脱いでいた、もしかしたら…。
 旅は恥のかき捨て、とは、「旅先では知っている人がいないから、なにをしてもかまわないということ」という意味だが、私は、本当に、大恥をかいて捨ててきてしまったのであろうか。
 (おわり)




しあわせ町大バザール