■■■ 音楽と人 1996.3月号 ■■■TAKURO
[ やっと見つけた ]
----ここんとこ各音専誌の表紙も飾りまくるわ、盛り上がってて人気者じゃん。 TAKURO「そうですねえ、特に年末2、3週間は凄かったです。もう忙しくて忙しくて――でも実入りついてこないんですけど(笑)。時給にしたら20円ぐらいっスよ俺、いまどきの高校生よりも子供の肩叩きよりも少ないです(笑)」 ----わははは。でも函館で夢見てた理想――東京に進出して日本のロック界にGLAYの名前を燦然と刻み込む、という野望の面から言えば着実に歩んできてると思うんだけども。 TAKURO「そうですよね、そうなりますよね。でも市川さんも知っての通り、普段が普段なだけに全然実感が涌かないってのが本当なとこで」 ----デビューして1年半、今回2ndアルバムも出るわけだけども、自分が思い描いていた姿と現在の姿と誤差ありますかね。 TAKURO「いやぁ、誤差だらけでございます。だって毎日がパーティだと思ってたもん(笑)」 ----(笑)マジか。 TAKURO「いや本当に。なのに、オフの時でも夜御飯食べてTV観てたら暇になって、結局呑む相手がメンバーってのはね・・・・・・『あれ?』って(笑)。誰からも誘いの電話が来なくて、『全然来ねえじゃない、どうなってんだ日本のロックは』って(笑)」 ----(失笑)ビジネス的にはどう?シングルのリリースもやたら多くて、始終レコーディングで四苦八苦してる観があるけども。 TAKURO「でもね、、俺達はまだビジネスがどういうもんであるとかわからないから、何が自分達に合う演出り方なのかを所謂勉強中・・・・・・ですよね。だから、“グロリアス”はもう曲書けない時に作らなきゃならなかったんですけど、演る気になったら結果的に出来たし。だから、メンバー全員まだ大きな挫折とか味わってないし、野望もあるしアイディアもまだまだ枯れてないわで」 ----変な言い方だけども、まだ自分達を見つめ直すほどの過渡期を迎えてないから大丈夫、的な。 TAKURO「そうですね。皆音楽作る以外にあんまり興味無いから、忙しかろうが暇だろうが『そういう、もんなんだ』って言われたら『ああ、そうですか』ってきっと」 ----忙しい事が逆に嬉しい、的な。 TAKURO「俺は本当にそうです。それこそ休みになったって何するわけでもあるまいし(笑)」 ---- 忙しく働いている自分の姿に、野望に向かって突っ走ってる実感を得る的な。 TAKURO「そうですね」 ----うわー、いいように利用されてるわ(笑)。 TAKURO「俺達騙すのなんて簡単ですよ、本当に」 ----あ、俺もGLAYがもう少し売れたら騙そ。 TAKURO「ははは!おそるべし!!だけどメンバー見て思いません?」 ----思う思う。俺いろんなバンド逢ってるけどさ、GLAYって「騙しやすいチャート」上位だもん。 TAKURO「はははは、そんなチャートだあ!だから、今置かれてる自分達の状況が恵まれてるんだなって――デビューからシンデレラ・ボーイズだし(笑)、次々と大きいタイアップもついて。でも『本当に順調ですね』と言われても、自分達はこれしか知らないからわかんないんです(笑)」 ----でも他のバンドからは羨ましがられてると思うけどなぁ。 TAKURO「でもそういう業界の話をする数少ない友人が、例えばYUKIみたいに俺達の数倍売れてる人だったりするから(笑)」 ----(笑)そりゃ実感ないわなあ。ちなみに自分達のポジションをどう自覚してる? TAKURO「新人バンド」 ----くくくくく。 TAKURO「でもですね、94年前後に一緒にデビューしたバンドって、もう皆武道館とか演ってるじゃないですか。ラルクとか黒夢とか、例えばビジュアル系アーティスト云々の特集で俺達と一緒に並んでいるバンド達が。だから、やっぱり上がいるなあと思います」 ----謙虚ですなあ。 TAKURO「あまり戦略戦略っつうのも何かね(笑)。しかも、考えてもどうにもならないもんだっていうのも去年1年でわかったし(笑)。音楽的な事とか。取材の受け答えとかは進歩してると思うけど、市川さんが想像もしないような本当に根本的な事が俺らにはあるわけなんですよ。例えば、渋谷公会堂でコンサート演りました。その直後、俺達は四人が四人共凄い妄想を抱いている----まずどっか連れてかれてパーティがあって、その後も朝まで繰り広げられるスペクタクル!と思ったら、パーティは無い。『あれ?』と思ってスタッフの人達に『呑みに行きますか?』『あ、悪い』『ちょっと打ち合わせが』『片付けが残ってるから』。そうですかそうですかそうですか──代官山で四人で呑んでたとかね」 ----ぎゃはははは。そりゃ酷い。 TAKURO「この間『ミュージックステーション』出て。前には森高千里、横にはジャニーズのお子達が。『おおー、ザ・芸能界。俺達もその一員かあ!』とか思ったんですよ。で番組終わって『さぁ今夜は!』と思ったのに、代官山のカレー屋でまた四人なんですよ!(笑)。そういう憂き目に遭ってるから、自覚も反比例するのかなと(笑)」 ----わははははは。 TAKURO「だから結局・・・・・・結局ね、どうなってもこの四人なのかなってのが、言葉で言わなくても身に染みてそうなっちゃってる----生でゴールデンタイムにばーんと演奏した後、俺シャワー浴びたくて家に戻ろうと思って自分の車に乗ったら隣にはHISASHI、後ろにはTERUとJIROがちゃーんと乗ってて俺が運転してるんだから(笑)」 ----『ミュージックステーション』出演者で、帰り自分で運転した奴は君が最初で最後だ(笑)。 TAKURO「『あれー』って(笑)。しかもその後ちゃんと送るんだもん、全員を(笑)」 ----くくくく。バンドの結局は確かにダイアモンドよりも固くなると思う、それは。 TAKURO「もう目茶苦茶固いですよ」 ----当然、その自分達や作品に対するプライドもかなり高いわけだろ? TAKURO「もうそれは目茶苦茶高いですよ。誰が何と言おうと・・・・・・例えば今回のアルバムでも、『恰好いいアルバム作っちゃったなぁー、どうしよう』って思っちゃいますもん。『リリースされたら日本が震撼しちゃうかも』とか(笑)」 ----俺が思うにさ、GLAYって「これがGLAYです」的な具体的なスタイルが無い点が面白いのね。様式とか形が無いのよ。所謂ビジュアル系というか美学系ってさ、いかに迅速に音にせよコンセプトにせよ自分達オリジナルの様式美を作るかがテーマで。しかも他人とどっか違ってなきゃいけないわけで、そこで必死になるわけじゃん。GLAYもその一派に見られてるフシはあるけど、実はそうした「様式にハマりたい」願望って希薄だと思うのね。そこが面白いのよ。 TAKURO「うーん、だから・・・・・・自分のお尻に火が点いちゃったんですよね、去年の5月頃から・・・・・・『他の人が演ってない事だからこうだ』『これは他の人演ったから自分は違う事を』的な、そういう消去法は一切ヤメました。うん」 ---あ、それまでは意識してたんだ、消去法的なアプローチを。 TAKURO「してましたねえ。周りを見渡して『誰も通ってない道を』『同じ方法でも違うように見える演り方を』なんて風に考えてたと思いますもん」 ----隙間産業的というかタイルの目的地というか。 TAKURO「そう。こことここの間は誰も行ってないだろうって事なんだけども、所謂世間の人から見たらそんなのわかんないし、そういう事演って単に自己満足してたのかもしんない。今一番思うのは・・・・・・日々暮らしていくことってすごい曖昧なもんなんだな、っていう。だから『真実は何か』『正しいものは何か』って事を追求したところで・・・・・・生活の中から生じる曖昧さをどうしても意識せざるを得ない、と本当に思った瞬間があったんですよ。そんな矛盾がイヤで、もっとその曖昧さを出したいと思うようになって」 ----TAKURO自身は、曖昧さに不安を覚える人間だったと思うのよ。だから沢山の情報も仕入れなきゃならなかったし、沢山学習せねばならなかったし----焦る時期もあったと思うね。 TAKURO「そうそう、うん」 ----それが曖昧さに価値を見出すようになったという、具体的な契機は何なんですかね。 TAKURO「些細な事なんだけど、考えさせられたんですよね・・・・・・理路整然とする事の無意味さを・・・・・・あのー、19歳頃から出逢ってて、こいつと一生一緒に生きていくんだなと思ってた人といろんな話をする中で----自分の考え方と全く正反対なのがまた愉しくてね、いろんな事教えられたんですけど。で・・・・・・違う考えの人と暮らしていくっていうのはやっぱり・・・・・・妥協や曖昧なものが凄く必要なのに、その反面どんどん自分の考えは固まってて、その過程で『もうあなたとは一緒に居られない』って風に言われた時に、ある種全部崩壊したような気がします。だって自分が『正しい!』と思ってる事----例えば人の好きになり方や愛し方を、自分の価値観で進めていった時に、自分の大好きな人が離れていくという現実はどうなってるんだ!?それでどこがおかしかったのかもう一回、考え直したんですよ」 ----わかるわかる。TAKUROは当然それまで、物事は何でも白黒ハッキリつくもんだと思ってたろ。 TAKURO「本当に思ってた、うん。だから、『うるせえテメエ!』で終わっても恰好いいかと思うんだけども、その恰好良さが必要あったかというと俺には無いんですよね。どんな惨めでもいいから、その人とのこれからの事の方が自分にとってよっぽど大事だと思ってたし」 ----「その可能性を少しでも見出したい」「その為なら妥協も必要だ」みたいな。 TAKURO「うん。だから誤解凄く招くかもしれないんですけども・・・・・・たぶん無人島に独りぼっちになったとしても、俺はギターがあったら歌は作ると思うんですよ。一生発表する機会が無いとしてもね。どういう事かと言うと、今音楽の為に何もかも費やす事ではないのに気づいたんです、その時。TAKUROという人間が友情や愛情と一緒に生きてるっていう事実があるにも拘らず、その事を一切捨てて音楽を演ってたのがここ・・・・・・5年間で」 ----しかもそれを恰好いいと思ってて。 TAKURO「そう。本当は人が居て支えられてきたのを俺はわかってなかった、って事に気づいて愕然としました」 ----前回インタビューした時に「今回のアルバムは『自分とは何だろう』って事を突き詰める作業だった」発言があったけども、その愕然が契機で始まったわけだ。 TAKURO「そうそう。今まで良しと思っていたものが、突き詰めた結果何もかも──友達も居なくなるわ恋人は去るわ」 ----え、友達もか? TAKURO「友達も去りましたねぇ、2人くらい。『こういう考えについてこれないんだったら俺を切れ!』と言ったら、本当に切られました(笑)」 ----洒落になってない。 TAKURO「自分がバンド演ってる間に起きた出来事や、楽器を置いてる時に起きた出来事を僕は歌にしていたったはずなのに、そのエピソードとなる相手が誰も居なくなっちゃったんです。結果として(笑)。やっぱりこたえますね、自分の隣に当たり前に居た奴が居ないって事って。だから、十代の頃に・・・・・・大切な人間関係学ばなかったのかもしれない、バンドばっか演ってて」 ----あまりに自分の中のロック宗教に盲目的に邁進していた為にね。要は、GLAYのギタリスト兼コンポーザーのTAKUROだけじゃないんだ俺は、って事に気づいたわけだ。 TAKURO「そう。それは人間TAKUROがあった上で初めて出来る事なんだな、と。だからそれまでは、無人島に行ったとしても歌を作る事を忘れちゃってたかもしれない。発表する場がないと歌を作らないような。だから今は、昔みたいに誰も聴く相手がいなくても作ってたような・・・・・・そっちの方に魅力を感じ出したのかなぁ」 ----そういう意味では、ロックに対して盲目的で過剰な、思春期的な憧れからの卒業かもしれんね。 TAKURO「そうですね・・・・・・消去法で作る音楽がいいもんだとは思えなくなったし。だから、商業的に成功しても何が残るんだろうなって。で、最後の最後に“グロリアス”を書いたらそれが一番前向きな曲だったりするわけで──95年に生まれた友達の子供が10年後に聴いて『ああ、自分の親父とその友達のTAKUROって奴は、こういう十代を過ごしてたんだ』『自分の生まれた年の日本は、どっかおかしかったんだなぁ』って感じてくれたらいいなぁ、とだけ本当に思って作った曲なんで」 ----もっと言えば、自己葛藤したあげくにアルバム1枚ようやく作った直後に「もう1曲シングルを」って話、俺は酷いなと思ってたのね。でも偶然、もっとも自然な曲が出来て──これが“グロリアス”じゃなかったら洒落になってない。 TAKURO「♪白い雪をあなたと一緒に滑り落ちる私のマイラヴ〜、だったらどうします?(笑)」 ----見限ってるわ今頃(笑)。それgは結果的にこの曲が出来、アルバムにも入った事によって全てが救われた気がするんだよ。結果論として(笑)。 TAKURO「結果論(笑)。でも本当にそう思います。“グロリアス”以外の曲は正直言って自分の衝動に任せて自分の傷口を見せつけてる部分もあったから、ホッとしてます今は」 ----まだまだ運は味方してるぞ、君の(笑)。
|